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「文部省報告 11-13」「医術開業試験願」(1875、1886)

2012年05月10日 | 医学 1 医師、軍医、教育

◎ 〔明治八年〕文部省報告」11-13号 (1875.3)

 文部省報告 第十壹号
     明治八年 〔一八七五年〕 三月廿五日発行
 本年二月医術開業ヲ請フ者ノ手続ヲ三府ニ達セリ
 右ハ後来医学ニ就クモノ、志向ニ関係アルヲ以テ左ニ其要略ヲ揚ク
 自令新ニ医術開業ヲ請フモノ左ノ試業ヲ遂ケ開業免状ヲ授ケベシ
   但 従来開業ノ医師ハ試業ヲ要セス府県ニ於テ住所姓名年齢等ヲ詳細取調其員数記シ新ニ免状ヲ受ケ開業スル者ト混雑セサル様処分致シ
     文部省ヘ開申スベシ

 試業目科
  甲 物理学化学大意 丙 生理学大意
  乙 解剖学大意   丁 病理学大意
  戊 薬剤学大意   己 内外科大意
  産科眼科口中科等専ラ一科ヲ修ムル者ハ各其局部ノ解剖
  生理病理ノ大意及手術ヲ検メ免状ヲ授クヘシ
 試業ノ上府庁ヨリ文部省ニ具状シ免状ヲ受ケ之ヲ本人ニ交付スベシ

 文部省報告 第十二号
     明治八年三月二十五日発行
 文部省所轄東京湯嶌博物館書籍館ハ嚮ニ展覧会事務局ト合併タリシ処今般更ニ文部省ノ所轄ニ帰セリ物品書籍縦覧手続ハ追テ両館ヨリ広告スヘシ

 文部省報告 第十三号
     明治八年二十七日発行
 第一大学区東京医学校ニ於テ医学予科生徒百人製薬学予科生徒二十人ヲ限リ学力ヲ試験シ入学ヲ許ス齢十六歳以上二十歳迄ニテ志願ノ者ハ来九月三十日迄ニ同校ヘ申出ベシ
 但入学ハ普ク通学科ノ外独逸学算術ノ大意ヲ学ビ得タル者タルベシ


◎ 医術開業試験願 (1886) 

 ・庁務第二号
  明治十九年 〔一八八六年〕 十二月十三日

   医術開業試験願
            ○○県○○国○○郡○○村○○
            ○○番地平民○○長男
                 ○○○○〔氏名〕
                 文久三年十一月生
            現時○○区○○町三丁目三番地
            ○○○○氏名〕方寄留

  私儀明治廿年四月東京ニ於テ医術開業試験相受度別紙書類相添附●殿奉願候也

  明治十九年十二月十三日    ○○○○〔氏名〕
             神田区長○○○○〔氏名〕
             衛生委員○○○○〔氏名〕

    内務卿伯爵山縣有朋殿

 ・履歴書
            ○○○○〔氏名〕
  
   一 明治十三年六月ヨリ同十四年十二月マテ神田区西小川町●明治医学校ニ於テ普通医学修業
   一 明治十五年一月廿五日ヨリ明治十七年四月マテ東京神田区西小川町壱丁目拾五番地東亜医学校ニ於テ更ニ理学化学解剖学動物植物学生理学病理学内科学外科学薬物学眼科学産科学等●●眼科及ヒ産科内外科実地研究仕候也
          
          右之通リ相違無御座候也
                        右○○○○〔氏名〕〔印〕

     明治十七年四月八日  神田区西小川町壱丁目拾五番地
                東亜医学校総理
                    岩佐純 印〔「東亜医学校総理岩佐純」〕

 ・授業證   〔右は張り紙〕「本証明治十八年六月東京府庁エ差出置候也」
    
            ○○○○〔氏名〕

      
  一 理学化学動物学植物学組織学解剖学生理学病理学内科外科眼科薬物学及ヒ内外科眼科産科等臨床講義実地手術学

  右者本校ニ於テ明治十五年一月ヨリ明治十七年四月マテ教授候也

   明治十七年四月 東亜医学校

 ・第十一号
    医術開業前期試験及第之證
          ○○県平民
             ○○○○

   右ハ明治十七年三月東京ニ於テ施行セシ医術開業試験ニ及第ス因テ此證ヲ與フ
 
       明治十七年三月二十一日

    試験委員
   物理学 二等薬剤官従七位 八木秀太郎
   同   東京大学助教授  田中館愛橘
   化学  海軍省御用掛   高橋秀松
   同   内務省一等技手  田原良純
   解剖学     勲五等  三瀬謙三
   同   東京大学御用掛  古川榮
   生理学 海軍大軍医従七位 鈴木孝之助
   同   東京大学助教授  片山國嘉

    試験主事
       内務省書記官従六位勲六等 嶋田恭夫



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