蔵書目録

明治・大正・昭和:来日舞踊家、音楽教育家、来日音楽家、音譜・楽器目録、士官教育、軍内対立、医学教育、林彪、北京之春 

『東語正規』 唐宝鍔 戢翼翬 訳書彙編社 (1902.5)

2012年10月07日 | 松本亀次郎 2
 ○ 表紙には、「房州 戢翼翬 香山 唐宝鍔 合著 東語正規 訳書彙編社蔵版」とある。奥付には、「明治三十五年 〔一九〇二年〕 五月 二十八日四版発行 著者兼発行者 唐宝鍔 戢翼翬 発行所 訳書彙編社 印刷者 多田栄次 印刷所 愛善社」とある。洋装本、著者・凡例4頁、目録3頁、本文244頁、22.5センチ。

           

 〔上の写真:1枚目〕  

 歳辛丑之冬期満将帰思謀輸入東邦文明以享吾同胞之有志新学者訳述之書多至十余種巳成筴矣正謀付梓適東語正規又将次告罄以東文之書在中国発印殊未便故不能不在東付刊窃思我国当茲創鉅痛深之後有志之士旋思磨盪脳力以為変法用将来東渡留学者更当不絶于道則輸入文明之先導不得不求之于語学也爰将是書増入散語数十門原刻古文聊斎数則則芟夷之重付活版携之帰国以為吾国有志留学東邦者予備科之一助兼示肄習東文者以津梁也惟以帰期迫切蝟務紛繁所有應加之處憩 漏尚多広増輯補尚待異日
 光緒二七年十月中旬著者識于倚装 

 凡例 〔2枚目と3枚目〕

東語正規巻一目録 

 語法    
    文字溯源 文字区別附引証 字母原委〔4枚目が、その一部〕 字母音図 字母解釈 声調 併音法 音調 変音 文法摘要〔4枚目と5枚目が、その一部〕 虚字 言彙 学期 学説

       

巻二目録

 散語    
    天文類 時令類 数目類 顔色類 與地類 宮室類 国名類 各国都域商埠類 方向類 人倫類 称呼類 官爵類 人民類 身体類 形容動類 身動類 動作類 動作副類 動作成語類 言語類 性情類 品行類 人事類 応酬類 政事文牘類 文事類 武備類 商買類 行店類 疾病類 喪葬類 外教類 金宝類 衣服類 布帛類 飲食類〔上の写真:1枚目が、その一部〕 日用火類 日用水類 飲食炊爨器用類 舟類 車類 居家器用類 雑器類 樹木類 物形容類 事理形容類
 
 問答    
    日用語 燕居語 訪友語 游歴語 慶賀語 弔唁類 売買語 商業語 学校語〔2枚目が、その一部〕 天時語 消遣語 辞別語
    
巻三目録

 語類
    語訣 人事六則 史事三則 雑談四則〔3枚目と4枚目が、その一部の漢文。下はその日文。〕 

 兵商並重

 国ハ兵ヲ以テ商ヲ守リマスカラ兵ガナケレバ国ヲ立ツ事ガ出来ナク又商ヲ以テ兵ヲ養フカラ商ガナケレバ国ヲ立テル事ガ出来ナイ両方トモ国ノ為ニハ肝要ナモノデ歯ト唇トノ様ナモノデスカラドチラモガ軽イカ重カト云フ区別ヲ挙ゲル事ハ実ニ出来ナイモノデアルト思ヒマス併シ私ハ其ノ一番宜シイノハ西洋ノ国々ノ様ニ兵役ヲ了リマシタ後ニ商売ヲシテ自分デ自分ヲ守リ自分ヲ養フ両方ニナリテ居ルノガ一番宜シイト思ヒマス

 野蛮略述

 野蛮人ト云フモノハ人間ノ中デ最モ下等ノ人民デスカラ文明国ノ人民ハソレヲ見レバ一番ツマラナイモノト思ヒマスガ私ハ左程思ヒマセンナゼカト云フニ今ノ印度即チ古 ムカシ ノ天竺国ガ文明ノ国ニナツテ居リマシタ時ニハ西洋ノ各国ガ皆野蛮デシタノニ併シ今ハ天竺ハ却リテ英国ノ領地ニナツテ仕マイマシタサウシテ見レバ今ノ野蛮人デモ智恵ガ段々開ケテ兵隊ヲ強クシ軍艦ト鉄道トヲ拵 コシラ ヘテ数百年ヲ過ギマスレバ文明ニナツテ今開ケテ居ル国ガソノ時皆衰ヘテ皆野蛮ノ子孫ニ取ラレテ仕マウカモ知レマセント私ハ思ヒマス

 附 泰西哲言十三則

 ○ 表紙には、「近代日支文化論 実藤恵秀 東亜文化叢書(一)」とあり、 奥付には、「昭和十六年 〔一九四一年〕 十月十五日発行、大東出版社」などとある。18.8センチ、写真4頁、本文269頁など。

 本書には、「明治廿九年の留日学生」(嘉納治五郎、右端に唐宝鍔など)、「早稲田大学生唐宝鍔」、「明治三十五年ころの留日学生幹部」(呉禄貞、張紹會、蔡鍔、曹汝霖、章宗祥など)の写真や「唐宝鍔氏会見記」〔下は、その一部〕「曹汝霖氏訪問記」などがある。

 唐氏は留学中、「東語正規」といふ日本語学習書を著し、後に来る留学生のために貢献したものである

 彼〔戢翼翬〕は日本にゐるとき、下田歌子女史の資本で、作新社といふ本屋をつくりいろいろ本を出した。わたくし〔唐宝鍔〕の「東語正規」もここから出したが、たいていの留学生が買った。
 
 なお、大正元年 〔一九一二年〕 十一月印刷の外務省政務局の『現代支那人名鑑 禁公表』には、唐宝鍔について次の記述がある。

 日本語ニ巧ナリ、人格尚ヤヤ高尚ヲ欠グ自己ノ位置ヲ得ン為メ屡々日本人ヲ利用セントスル傾向アリ、日本ニ対シテハ真実好意ヲ有セサルガ如シ
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『中国人日本留学史稿』 実藤恵秀 (1939.3)

2012年10月07日 | 松本亀次郎 2
 表紙には、「昭和十四年 〔一九三九年〕 三月 実藤恵秀著 中国人日本留学史稿 財団法人 日華学会」とある。奥付には、「昭和十四年三月三十一日発行、発行所 日華学会」などともある。22センチ、序1頁・凡例1頁・目次8頁・口絵写真13頁・本文339頁・中国人日本留学史稿年表20頁・主要参考書目録6頁・後記3頁・奥付。

 

 上は、本書に挟まれていた紙片である。

 

 財団法人 日華学会 印

 上は、「序」である。

 〔口絵写真〕

    

 ・日本留学の主唱者張之洞
 ・初期の日本留学生 (大陸第一号所載)
 ・最初の中国女子留学生 (大陸第一号所載)〔上左の写真〕
   錢豊保 曹汝錦 胡彬 王蓮 下田歌子 陵彦安 方君X 華桂
 ・明治三十六年の江蘇省留学生 (江蘇第一期所載)
 ・保定府に於ける最初の天長節奉祝会 (渡辺治氏所蔵)〔人名あり〕
 ・北京東文学社師生の一部 (東文学社紀要所載)
 ・日本亡命当時の康・梁  康有為 梁啓超
 ・同盟会の人々
   陳天華 宋教仁 馮大樹 鄒容 楊卓霖 楊毓麟 秋瑾 徐錫麟 馬宗漢
 ・留学生の発行せる雑誌 (田中慶太郎氏所蔵)〔上右の写真〕
   漢●、中国新報、漢風、学海、訳書彙編、中国新女界雑誌
 ・留学生関係の四大機関 (其ノ一) 日華学会 東亜高等予備学校
 ・留学生関係の四大機関 (其ノ二)
   成城学校中華留学生部 中華基督教青年会
 ・留学生の発行せる雑誌 (其ノ一)
   劇場芸術 創刊号、雑文 第一号、留東学報、譯叢 第一期、東流 創刊号
 ・留学生の発行せる雑誌 (其ノニ)
   中日文化 1、東文雑誌 第一期、日文研究 第一号、留東学報

 緒論  中国人日本留学史研究の意義
 第一章 外国留学の機運(西洋文化と中国)
 第二章 日本留学の背景(西洋留学)
 第三章 日本留学の原因(日、中、両国文化的地位の経過)
 第四章 初期の日本留学(明治二十九年より明治三十三年まで)
 第五章 上潮期の日本留学 明治三十四年より明治三十八年まで)
 第六章 日本教習の時代(明治三十四年より明治四十四年まで)
 第七章 革命期の日本留学(明治三十九年より明治四十四年まで)
 第八章 民国初年の日本留学(大正元年より大正十一年まで)
 第九章 文化事業部成立以後の日本留学(大正十二年より昭和六年まで)
 第十章 満州事変以後の日本留学(昭和七年より昭和十二年まで)

 下の写真は、蔵書目録所蔵本の表紙である。

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『記念写真帖』 早稲田大学師範科同学 (1908.6)

2012年08月17日 | 松本亀次郎 2
 表紙には、「PHOTOS, OF THE ALMNI, CHINESE NORMAL DEPARTMENT, WASEDA UNIVERSITY. 記念写真帖 TOKYO, JAPAN, JUNE, 1908」とある。奥付には「光緒三十四年五月 明治四十一年 〔一九〇八年〕 六月 印刷 (非売品)、畫作兼発行者 早稲田大学師範科同学」などとある。25センチ。
 
 〔写真〕

            

 ・早稲田大学全景 〔上の写真:左から1番目〕
 ・総長 伯爵 大隈重信先生
 ・学長 法学博士 高田早苗先生、教務主任兼主事 早稲田大学政学士 青柳篤恒先生、主事 渡俊治先生 〔同2番目〕
 ・講師 法学博士 浮田和民先生、講師 主事 横山又次郎先生、講師 農学博士 外山亀太郎先生
 ・講師 樋口勘次郎先生、講師 中桐確太郎先生、講師 理学士 石田安治先生
 ・講師 理学士 草野俊介先生、講師 理学士 瀧本鐙三先生、講師 理学士 大日方順三先生
 ・講師 本田信教先生、講師 土肥庸言先生、講師 宮田修先生 〔同3番目〕
 ・講師 文学士 煙山專太郎先生、講師 理学士 湯田重太郎先生、講師 文学士 本多淺次郎先生 〔同4番目〕  
 ・講師 巽來次郎先生、講師 山口大藏先生、講師 島田賢平先生
 ・講師 大宮貫三先生、講師 東儀季治先生、講師 藤野了祐先生 〔同5番目〕
 ・講師 理学士 石原純先生、講師 鵜飼二郎先生、講師 早稲田大学文学士 中村仲先生
 ・講師 理学士 柴山本彌先生、講師 小田内通敏先生、講師 中西準太郎先生
 ・講師 吉田公重先生、講師 關菊麻呂先生、講師 大橋末彦先生

 さらに、学生一人一人の写真(133名)がある。

 留学日本早稲田大学 師範科記念写真履氏名表 〔姓名・字・年齢・省別・府州県別・内地通信所〕 

  物理化学科 79名
  博物科   26名
  歴史地理科 28名

 その中には、物理化学科には葛祖蘭、博物科には朱希祖などの名がある。
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『日文研究』 第一号 (1935.7)

2011年09月01日 | 松本亀次郎 2
 表紙には「日文研究 第一号」などとある。また、ふたつの印は、「北京大学図書館蔵書」及び「前北大XX 記念品 民国三十年清理」と読める。奥付には、「中華民国二十四年 〔一九三五年:昭和十年〕 七月十八日第一次発行、以後毎月一日発行」、また「編輯所 東京市神田区神保町 日文研究社編輯部 中華基督教青年会内、発行所 中華基督教青年会内 日文研究社発行部」などとある。22センチ、56頁(広告も含む)。
 
 啓事 一

  本書除出版日文研究月刊以外、日文研究叢書亦在編輯中、不日出版、又王玉泉先生著之日本口文語法内容豊富、解釈清晰、竝指定為本社「研究叢書」之一種、特告。

 ・封面的字      ‥ 郭沫若
 ・発刊辞       ‥ 趙紼
 ・初級読本      ‥ 燕迅
 ・実用日語会話    ‥ 松本亀次郎

  夏休み 〔下は、その一部。原文は、頁の上段が日本語、下段が中国語。〕

 A 中国青年会では、今年も消夏団を募集して、房州へ行くでせうか。

 B 中華民国青年会、本年也是招募消夏団、要上房州那辺去麼。

 A 無論行くでせう。房州には日華学会の寄宿舎もあり、それに東亜学校の夏期講習もありますから、青年会では、毎年それと連絡して、消夏団を組織するのが、年中行事の一つになつて居るやうです。

 B 自然去罷。房州那辺、也有日華学会的宿舎、而且有東亜学校的夏期講習、所以青年会、毎年和他們連絡、組織消夏団、那像是青年会例年慣行的一個事業似的。

 ・高級読本      ‥ 陳文瀾
 ・文章解剖      ‥ 程伯軒
 ・ 詩集「砂漠の歌」にて
     ある詩人たちに  雷石楡
    (故国の感想の一)
   
  給某詩人們     ‥ 魏晋訳
    (祖国的感想之一)
    -雷石楡詩集「沙漠之歌」-
      
 ・荷拉斯調的詩    ‥ 魯迅

  ホラテイウスの詩  われ俗衆を厭ひて遠ざく、 沈黙せよ、時事之聖僧は、 かつて聴かれざりし歌を、 年少女に歌ふ。
  
  荷拉調斯的詩 魯迅 僧俗衆而且遠離 沈黙吧!以未嘗聞之歌 詩神的修士 将為少年少女們所歌唱。
  
 ・日語華訳公式    ‥ 王玉泉
 ・日文華訳      ‥ 劉霨訳

 英蘇関係とイーデン氏訪露の意義 

 英蘇関係及艾登訪俄之意義  劉霨訳

 ・学習日語談片    ‥ 何名忠
 ・談談学習日文與日語 ‥ 蒋益明
 ・武昌城下(読者課題)‥ 郭沫若

  読者課題

   本欄為使読者練習翻訳起見、擬于毎期選択日文一段登載、凡長期訂閲之読者、皆可将其訳成中文、寄交「編輯部」、由本社顧問陳文瀾先生批閲、最 者于本刊発表、且有薄贈、本期所選為郭沫若先生近著、曾于改造五月号発表之一段。

  武昌城下  郭沫若

 裏表紙は、松本亀次郎著七冊の広告である〔下の写真〕。

 

  なお、北岡正子氏に「『日文研究』という雑誌」(上-左連東京支部の縁辺-(『中国 -社会と文化-』第五号 東大中国文学会)があり、第二号から第六号までの目次なども掲載されている。
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『東亜学校十周年記念』 (1936.2)

2011年08月29日 | 松本亀次郎 2
 表紙には、「東亜学校十周年記念 (昭和十一年 〔一九三六年〕 二月十七日)」とある。15.2センチ。

 ・「東亜学校沿革概要」3頁

 一、 留日学生に対する日本語教育の起こりは今より約四十年前に在りと謂ふべく而して其の最盛時といはれしは明治三十五六年より四十年頃の間にて嘉納治五郎氏によりて創立され三矢重松氏等が教授の任に當りし宏文学院の時代に在りとす。後明治の末年に至り一時減退せし学生数が大正二年頃より再び増加し来る機運に向ひたるを以て、元宏文学院教授たりし松本亀次郎氏個人の事業として此等の学生を教授し始めたるが即ち本校創始の濫觴なりとす。校運漸く隆盛に当時借用の教室狭隘を告ぐるに至り大正三年三月校地を神田区中猿楽町(即ち現在地処の隣接地)に卜し木造二階建校舎九十八坪を建築し、同年十月松本亀次郎、吉澤嘉壽之丞、杉榮三郎の三氏設立者となり、本校の前身なる日華同人共立東亜高等予備学校を設立し松本氏校長の任に就けり。
 次で大正八年五月篤志者の後援を得、地域を拡張し百八十九坪余の地処を買収し翌九年三月木造三階建校舎を新築し旧校舎の増築をも併せて総延坪五百有余坪となり、財団法人の組織となす。此の頃学生数一千名を出入するに至れり。
 大正十二年九月関東大震災に因り校舎及設備全部を焼失したるも翌十三年三月校舎再興費として国庫より交付金を受けたるに依り、延坪三百余坪の仮校舎を建築せり。(以上創立以前)
 
 一、 大正十四年四月校地、校舎及び設備一切が財団法人日華学会の経営に移りて校名を単に「東亜高等予備学校」と改称し、侯爵細川護立氏校長に、松本亀次郎氏教頭に就任し、次いで同年十二月前台北高等学校長松村傳氏を聘して学監、教頭、教職員八名にして、学生百三十三名を九学級に編成せるが同年秋季に至りては二百三十八名となれり。

 一、 かくて本校の経営及び教務の改善を図る機関として評議員会を設くることゝなり、委員には外務、文部の当局者、東京工業大学、東京高等師範学校、第一高等学校の留学生関係者及び日華学会理事中より選任し、大正十五年三月第一回評議員会を開き本校の学則を議定し、同年四月新学則に依り直ちに学級を編成し、学科を配当せり。

 一、 同年九月学監松村傳氏水戸高等学校長に転任せる為、同年十月元山形高等学校長三輪田輪三氏学監に就任し、教科書の編纂、教授の改善等に努力し諸事大いに整頓し來れり。

 一、 昭和二年九月三輪田学監教育視察の為中華民国南北各地へ出張したるを始めとし、其の後毎年本校教職員を特派して彼地教育の状況を視察せしめて教育上の参考に資することゝせり。又大正十二年日華学会並に中華留日基督教青年会合同主催に係る千葉県舘山の留学生銷夏団成りて、本校も亦会期中日本語の講習をなし、教職員の宿舎をも建設し、爾来毎年継続して夏期留学生銷夏の為に便益を與ふること多大なりとす。

 一、 昭和三年東京市復興に伴ふ区画整理の為、校地に異動を來し校舎移転の命に接したるを機とし改築の議起り、外務省文化事業部より多大の援助を得、同年五月鉄筋コンクリート三階建(一部四階)総延坪五百八拾四坪の工事に着手し、此の間神田区錦町東京工科学校の一部を借受け仮校舎に充てたるが、昭和四年四月全部竣工し五月より新校舎に移りて授業を開始せり。同年秋季には教職員二十七名、十七学級、学生七百七十名を数へたり。

 一、 昭和六年九月教頭松本亀次郎氏其の職を辞して名誉教頭となり、教員山根藤七氏其の後任となれり。

 一、 昭和六、七年の交には国際問題並に経済関係等に依り、留学生数の劇滅を来し、昭和七年春学期には学生数僅に十五名となれり。

 一、 同七年四月学則の一部に改訂を加へ従来の予科半年終了を専修科一年修了と変更し、其の学期別をば三学期制と定めたり。

 一、 昭和八年三月三輪田学監辞任の後を承けて、日華学会理事なる現東京帝室博物館総長法学博士杉榮三郎氏学監に就任せり。而して此頃一般情勢の好転に伴ひ再び留学生の渡日するもの日逐うて増加の傾向を示し、同年十二月には一千五十九名の学生を収容せり。

 一、 昭和十年五月近年留学生の学歴、年齢、志望等に非常なる変化を来し、従前予備教育とせし機構には其の儘卒由し難きものあるに至りたるを以て、学則の一部を改訂し校名を「東亜学校」と改称せり。

 一、 同年秋季には学生数非常に増加し十二月に至りては一千九百八十名といふ本校創立以来の記録を示し、校舎諸般の設備不足を告げて遂に続々申込みを来る多数の学生を悉くは収容する能はざるに至れり。
   斯かる盛況の中に創立十周年を迎へたる本校は過去を回顧し大いに将来を期待して止まざる所なり。

 ・東亜学校教職員 (昭和十年十二月末現在) 2頁 

     〔下の写真は、「東亜学校教職員(於同校屋上)」、左上は「杉学監」とあるもの〕

  

 校長    侯爵    細川護立
 学監    法学博士 杉栄三郎
 名誉教頭 松本亀次郎
 教頭    山根藤七
 教員    高仲善ニ 椎木真一 有賀憲三 泉嘉一郎 豊田逸郎 佐竹一三 木村重光 佐久間重孝 鈴木正蔵 魚返善雄
 臨時教員  太田定康 酒井森之介 伊藤真琴 尾崎憲三
 講師    小谷野義方 吉沢嘉壽之丞 松本亀次郎 岩松正彌 高田集蔵 渡辺三男 鷲見利久 富岡惠 小路一光 長瀬誠 落合治 
       安部清美 岡崎俊夫 安井 橘光三 竹内好 小島桂吾 外村源次郎 平野和夫 佐藤勇三郎 
 職員    数納義一郎
 雇員    兼松英男 清水熊太郎
 臨時雇員  横山豊三郎 
 校医    福田嘉五郎

 「評議員(イロハ順)」1頁

 写真19葉

 ・校舎正面
 ・細川〔細川護立〕校長、杉〔杉栄三郎〕学監
 ・教職員一同
 ・在学生之一部(本校屋上ニ於テ)
 ・教員室、〔教室〕
 ・応接室、廊下
 ・学生授業、図書閲覧室、普通教室

  

 ・日華学会本部、東亜寮
 ・昭和七年十一月遠足会(箱根大涌谷ニテ)、昭和八年五月羽田海岸潮干狩会(羽田穴森稲荷前ニテ)
 ・昭和八年十月遠足会(日光東照宮前ニテ)、消夏園(舘山海岸)
 ・昭和十年十一月園遊会(豊島園ニテ)
 
 表3種

        
    
  ○ 学生ノ出身省別図  昭和十年十二月末現在  一九八〇名 中華民国 1,477 満州国 503 合計 1,980
  ○ 学生ノ本国ニ於ケル学歴別図  昭和十年十二月末現在 一、九八〇名 男女別比率 男 89% 女 11%
  ○自大正十五年度至昭和十年度  年度学期別学生人員  昭和十年十二月末調    



上の絵葉書の写真下には、「東亜学校正面」とある。14センチ。
 同じセットの絵葉書には、ほかに「東亜学校沿革概要」「東亜学校教職員(於同校屋上)」〔下の写真〕「東亜学校教員室及教室之一部」「東亜学校応接室及廊下 日華学会本部」の4枚がある。絵葉書の発行年は、昭和十年 〔一九三五年〕 と思われる。

 東亜学校沿革概要

 一、大正二年 八月 松本亀次郎氏ニヨリテ創始サレ日華同人共立東亜高等予備学校ト称シ大正九年三月更ニ財団法人組織トス(以上創立以前)
 一、大正十四年四月 財団法人日華学会ノ経営ニ移リテ東亜高等予備学校ト改称シ侯爵細川護立氏校長ニ、松村伝氏学監ニ、松本亀次郎氏教頭ニ就任シ当時学生二百三十余名アリ。
 一、大正十五年三月 第一回評議会ヲ開キテ校則ヲ制定ス
 一、大正十五年九月 松村学監ノ転任ニテ翌十月三輪田輪三氏其ノ後任トナル
 一、昭和四年 四月 現校舎ノ新築竣工シ十一月落成祝賀会ヲ催ス、当時学生七百七十名アリ
 一、昭和六年 九月 松本亀次郎氏名誉教頭ニ山根藤七氏教頭ニ就任ス
 一、昭和九年 四月 三輪田学監辞任ニテ杉榮三郎氏其ノ後任トナル同年十二月末学生数一千五十九名
 一、昭和十年 五月 東亜学校ト改称シ学則ノ一部ヲ改訂ス
 一、昭和十年 十月 九月以来入学者日夜相継ギ十月中旬ニハ遂ニ一千九百余名ニ達ス
           斯カル盛況ノ中ニ創立十周年ヲ迎ヘタル本校ハ過去ヲ回顧シ大ニ将来ヲ期待シテ止マザル所ナリ

 
 『日華学会第十三回年報』 日華学会 (1930)

 表紙には、「昭和四年度 財団法人 日華学会第十三回年報 自昭和四年四月 至昭和五年三月」とある。22センチ、本文49頁。写真は、東亜高等予備学校(昭和四年六月落成)1葉と中野女子寄宿舎2葉。目次2頁。
 本文内容は、「本会ノ目的及沿革概要、事業状況、会計、理事会、財団法人日華学会寄附行為、役員」である。「事業状況」には、「東亜高等予備学校」「日華学報部」などの項目もある。
 下は、前者の一部。
 
 生徒定員増加 本校生徒定員ハ五百人ナリシカ校舎改築ノ結果収容力増大シタルニ依リ昭和四年十一月之ヲ壱千人ニ増員スルコトトシ

 軍教科設置 昭和四年十月ヨリ留学生ノ希望ニ依リ軍教科ヲ開設シ専ラ陸軍士官学校入学ノ準備ニ必要ノ学科ヲ教授セリ。

 卒業証書授与式 本校ノ入学期ハ春秋二期即毎年三、四、五月ト、九、十、十一月トニ定メタルヲ以テ卒業期モ亦春秋二回トナリ其都度証書授与式ヲ挙行セリ、

 下は、後者の一部である。

 雑誌 本年度日華学報ハ(略)毎号三千部ヲ印刷シ

 留日中華学生名簿 留学生名簿ハ昭和二年以来毎年春夏ノ交単行本トシテ発行(略)本年度ハ(略)千三百部ヲ印刷シ



 『中華民国留日学生名簿』 日華学会 (1944)

 表紙には、「昭和十九年 〔一九四四年 〕四月現在 第十八回 中華民国 留日学生名簿 財団法人 日華学会」とある。21センチ、本文56頁、(非売品)。
 下は、「例言」の一部である。

 一.本会は昭和二年留日中華学生名簿第一版を刊行せしより爾来年々之を継続出版し、茲に第十八回中華民国留日学生名簿(昭和十九年四月現在)を刊行す。
 
 一.時局の影響は活版印刷に附すること困難なりしを以て、やむなく謄写印刷に代えたり。

 本文は、学校名・学生数・所在地の後、姓名・省・県(市)・学部科・年級・出身学校・学費別などが記されている。例えば、「九州帝国大学 (二〇名)福岡市箱崎町 徐以健 二四 江蘇 蘇州 法文、法科一年 東亜高等学校 官費」などのようにである。
 なお、本文の前には「留学地方別人員表」「高等諸学校分布調」「省別表(昭和九年度から昭和十九年度までの各年度ごと)」等もある。
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