66歳の貧乏なアルバイター

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

加藤諦三さんの本

2019-07-05 08:22:50 | メンタル
「確かに、そうかもな」と思ってしまいます。
私のゆとりのなさはその辺りにあるのかもしれない。
固執してるのは私の方なのだ。。

(以下、解説)
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「他人は他人でしかなく、あなたを傷つける力など持っていない」

自分の言った言葉が他人にどう受けとられているかいつまでも気にしている人がいる。あの人は気分をこわしたのではないか、そしてあの時のあの態度は自分を責めていたのではないか、あの時の私のあの言葉を、私があなたを嫌いだという意味にとったのではないか、いつまでもいつまでも気にしつづける人がいる。
 
相手がもはやその言葉を忘れてしまってからも、ずーっとその言葉を気にしている人がいる。そういう人は実は我執の人なのである。すっかり自分のことだけにとらわれてしまっている人なのである。一口で言えば思いやりのない人である。
 
もし相手のことを思う心のゆとりがあれば、その人は相手がもはや自分の吐いた言葉を忘れでいると気がつく筈だからである。相手が自分をわるく思うのではないかということばかり気にしていて、かんじんの相手そのものに対する思いやりが完全に欠如しているのである。
 
相手に対する理解力がないからこそ、このようなことがおきてくるのではないだろうが。相手は自分の吐いた言葉など忘れて、今楽しく他の人と話している、あるいは自分の仕事に没頭しているということが理解できていないということである。
 
相手の笑顔が何を意味しているか分かっていないということである。我執の人であれば我執の人であるほど、他人を誤解する。その人が防衛的になっていればなっているほど、他人への理解力はなくなっている。そうした意味でいえば、防衛的な人は他人に好かれようとするあまり、実際には他人の心をつかむことができなくなってしまっている人なのである。
 
いつも自分を守ることを考えていないと不安になってしまうので、ついつい防衛的になってしまうが、他人のことを考えれば、他人がそれほど自分にとって脅威にはなっていないことがよく分かるであろう。他人を自分にとって脅威にしてしまうのは、ほかならぬ自分の防衛的な心の姿勢なのである。
 
他人に対する思いやりができてくれば、他人はそれほど自分を傷つけはしないし、他人は自分を傷つけるだけの力を持っていないということも分かってくる。他人は他人でしかないのである。他人に心を開くと、そのことが分かってくる。

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