賃貸住まいの高齢者

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

認知症と記憶

2024-01-12 05:45:58 | エッセイ

我が家の奥様が先日還暦を迎えた。
おめでたいかどうかは疑問が残る。
死まで更に一歩近づいた事を喜んで良いのかどうか。
逆に60年間もよく生きながらえたと褒めることは間違ってはいないと思う。
生き物はそれだけでなかなか生き残る事は難しいものなのかもしれない。
生きながらえること。
それを人間は当然のように錯覚している。
世界中の生まれた人の命は何%が、例えば5歳まで生きていられるのか。
正しく数えたら半分も居ないかもしれないな、と思う昨今。
還暦は「よく生きてきましたね」だろうかも。
しかし、今の時代にそんな言葉を使うと怒られるかもしれないから、言わないけれど。
まぁほぼ毎日足ツボを押させられてるからご褒美はいらんのじゃないか?
それも言ってはいけない言葉だけれど。

『認知症と記憶』
記憶に関する問題を認知症と一言で言うことは出来ない。
記憶は引き出さないと認識が弱くなる。
ひと月前の昼飯は記憶から消されてるのと同じ。
何回も記憶の中から引き出して反芻すると認識が定着するけれど、思い出さないと消えて行くものだろう。
古い記憶は消える。
それと思い出さない俳優の名前も消える。
消えないまでも思い出せなくなる。
それを一言で認知症とは言えない。
ただし、同じ行為を取って補修していても尚 記憶できないのは認知の仕方、手段、方法がおかしいからであり、対策は必要だ。
きっと、認知の前に短期記憶を消そうとする意識がどこかに潜んでる。
それは精神構造になんらかの圧力がある可能性がある。
消したい意識がある。
ならばいっそ消してしまっても良いかもしれない。
認識の仕方を根本的に変えるためには現在の意識の仕方を総て無くすくらいの覚悟が必要ではなかろうか。
そこに躊躇してはならない。
いずれにしても時間はかかる。
アドラーが言ってるように、その精神構造を構築した時間の2倍の時間を要する可能性がある。
ただし、認知の強度によって変わりそうな気もする。
記憶を惜しまなく書き換える。
その勇気と覚悟があれば可能な気がする。
結局は「覚悟の勝利」ではなかろうか。
「覚悟の勝利」
私はこの言葉はかなり好きだ。

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