他人は他人なので自分のしたい事を肯定してくれるとは言い切れない。
寧ろ自分とは逆のことを考える人の方が多い。
まぁ、私が特殊と言うこともあるのだろうが私の向かいたい方向は多くの人は選択しない。
社会的に問題を起こしたく無いから皆んなと同じ方向に向かう。
でもやはり私としては面白く無い。
つまらない。
嫌だと感じる。
だから他人と極力関わらないようにしている。
しかし生きていくためには関わらないわけにはいかない。
結局嫌なことだらけなのである。
そんな時、嫌だと思うから嫌なのだ、自分を変えて嫌なことを好きになれという輩もいる。
なんというか、それこそ嫌なこった、である。
嫌なものは嫌だ。
腹が減っても我慢しろと言うし、
痛くても痛く無いと思えば痛くなくなるとさえ言う。
痛いものは痛い。
腹が減ったら元気も出ないのだ。
それでも尚、嫌な事をするのはそれなりの利点があるからなんだろうな。
何なのか?
ずぅ~~~っと考えたら自分の横着さにたどり着いた。
面倒臭いのだ。
だからそこまでせずともイイやって思ってるだろう。
ただ、数年前の精神疾患での休職のときはそうしないといられない程の状態だった。
今はどうだ?
生きてるか?
きっと死んでる。
他人と関わってても未だに我慢してるってことは横着するくらいの方を選んでるって事なのだろう。
まぁ、いいか、、、、て。
それ、本当にいいのかな?