今までに書いたはがき絵をいろは歌に沿って紹介しています。いろは四十八文字といいますが、「を」「ゐ」「ゑ」「ん」なんかをどうしようかなと困っています。まあ、飛ばしてしまいましょうか。あ、すでに「を」は飛ばしてしまいました。「ゐ」はかろうじて「ゐのしし」がありました。
第十六回目の今回は「み」から「ひ」です。
『み』・・・みょうが
ミョウガを描きました。お釈迦様の弟子に自分の名前も覚えられない方がいて、首に名札をかけていなければならなかったそうです。他の弟子たちからは軽んじられていましたが、お釈迦様の教えをよく守り、後には高弟となって周利槃特尊者と呼ばれました。その墓所から見知らぬ草が生じ、くさかんむりに名を荷うと書いて「茗荷」ミョウガと名付けたという説話があります。ミョウガを食べ過ぎると物忘れをするという俗説があるのはこのためです。八百屋さんの符牒でもミョウガは「バカ」というのだそうです。
しゅりはんどく尊者がお釈迦様からいただいた教えとは、箒を渡されて「掃除をせよ」ということでした。「塵を払おう、垢を除こう」と唱えながら、何年も何年も掃除をしましたが、掃除をしても掃除をしても、箒で掃いても掃いても、あとからあとから塵や埃がわき出てきます。落ち葉や動物の死骸もあったことでしょう。時には人間の死骸が道端に、ということもあったに違いありません。掃除を続けていても際限がないことに気づいたとき、「人の心もこれと同じで、煩悩が次々にわいてくる。心の汚れを落とすことはとても難しいけれど、自分はおろかで役に立たないと、自分勝手に値踏みしていたことが、自分を苦しめていたんだな。」と悟ることができたということです。
この「しゅりはんどく尊者」をモデルにした「レレレのおじさん」というキャラクターをご存じですね。「天才バカボン」というマンガに登場します。ちなみに「バカボン」はサンスクリット語の「バカヴァッド」が語源です。意味は「悟れる者」=「仏陀」すなわちお釈迦様という意味です。ですから、バカボンのパパはときどき「これでいいのだ!」と悟りの境地をお説きになるのですが、他の登場人物はあまり理解していないようです。
『し』・・・シャチ
シャチを描いて「ここに鯱あり」と書き添えました。「ここに幸あり」のダジャレです。嵐も吹けば雨も降る、険しい道であっても、ここに幸せがあると思う心があれば、青い空、白い雲を見ることができる、という意味をダジャレに込めました(ウソ)。
浜辺で遊んでいるアザラシの群れにシャチが突っ込んできて、あわれなるかな、アザラシの子どもが捕食されてしまう、というシーンをテレビで見ました。あれってちょっと失敗してシャチが浜辺に乗り上げてしまったらどうなるのでしょう。座礁の危険と隣り合わせの、けっこう命がけの狩りだなあと思いながら見ました。
『ゑ』・・・現在、「ゑ」で始まるお題のはがき絵を探しましたが見つかりませんでした。現代仮名遣いでは使われていない文字ですので仕方ないとあきらめることにしました。
『ひ』・・・ひょうちゃん
崎陽軒のシウマイ弁当に入っている、陶器製のタレ瓶「ひょうちゃん」を描きました。顔などが一つ一つ違っていて、手作り感が満載です。ところで、シウマイ弁当に入っている「干しアンズ」はどのタイミングで食べるのが正解なのでしょうか。