朔日詣り。
お坊さんや神主さんに参ってもらわずに。
自分が大切にしている進物の元へ自分で詣でて参る人がおおいのかなあ?
もし、朔日詣りをしてるのなら年に一度は毎月詣でてる神仏にそこの、お坊さんか神主さんに毎月詣でさせてもらってる感謝をお経や祝詞で表すべきと私は思う。
父には祈願や供養は自分だけでするものでは無いよ。
と教わってるからだ。
師匠により教えは違うから私は思うと伝えます。
毎月1日参りを賜って施主さんが来れない時には、こちらから参ることも多いです。
神護寺はお布施を決めてません。
「なんで、目安を決めてもらったほうが頼みやすいんよー。失礼にならんし。」
「うちも、ソレのほうが助かるよ。でもね。中には本当にお金に困ってる人もいて、そういう人が金額決めたら来れないかもしれないでしょ。中には、今お寺にお布施するとご飯が食べれんから、また良くなったらお布施を包みます。という方もおられます。お米をお布施と共に少しズツ供えてくれる方が昔は多かったんです。現金は無いけどお米は作ってるからみたいなかんじ。でオブッパに使ってください。そういう風習も知ってる人が居なくなってる。というか農家も減ってる。」
「そうなんやなあ。わかった。自分で決めて包みます。」
というやり取り。
ほんとう大変なんだろうなあ〜って方にはお米を持って帰ってもらったり。
助け合いのお寺なんです。
困ってる時には素直に困ってるよー。
と伝えれる場所が宗教の、良いところです。
悪い宗教が増えると。
宗教にかかわるとお金をとられる。
となりがちですが。
そんなところは少ないと私は信じたい。
月に1度お参りに、来られる方々多いです。
毎月のルーティンにお寺が入ってることの有り難さ。
そして境内の草が伸びぬ前に、草を何も言わずに仏様の為にさせてもらうのは自分のため。
落ち葉をはらうのも自分のため。
と下座行を自らしてくださる皆様の心からの行動を励みに今年もあと一月ですが夫婦で「あーでない。こうでない。」言いながら日々を精進していきたいです。
人生ままならない事だらけの娑婆の世界。
お大師さまの考え方を学ぶ、聞けるのはお寺です。
どうぞ~本堂へも、上がってくださいね。
涅槃像と滝場の親様だけ参っめ帰りよんよー。
という方も多いです😁🙏
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