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ダイヤモンドレールウェイ

2009-07-21 17:52:11 | 邦楽

一十三十一(ひとみとい、旧姓:下村、旧芸名:下村 一十三(しもむら ひとみ)1978年12月1日 - )は日本のシンガーソングライターである。北海道札幌市出身。 実家はスープカレーの人気店マジックスパイス。 北海道札幌啓成高等学校卒業。徳間ジャパンコミュニケーションズ所属。幼い頃から世界各国を廻って育ち、短大卒業後はニューヨークで音楽活動をしていたという稀有な経歴を持つ。「フェルマータ」ではNEIL&IRAIZAの堀江博久プロデュース。ソウル・ジャズ・ファンクなど多くのジャンルを取り入れ、枠に縛られない音楽を展開している。芸名は本名の「一十三」をモチーフに自ら考案。2008年3月28日、喉の結節にポリープが見つかったため、同年4月5日から一時歌手活動が出来なくなることをホームページ上で発表した。2008年8月2日に妊娠6ヶ月の段階で画家の天野タケルと結婚。同年12月13日に男児を出産。2009年4月代官山にて復帰ライブ開催。

人物 [編集]
実家はスープカレー発祥の店「マジック・スパイス」を経営している。
最も尊敬する、影響を受けたアーティストは山下達郎であると発言している。

ディスコグラフィー [編集]

シングル [編集]
煙色の恋人達(2002年3月21日、FM NORTH WAVEメガプレイ曲/TBS系列『COUNT DOWN TV』オープニングテーマ)
WAKE UP!(2002年6月26日、TVK『新車情報2002』エンディングテーマ)
感触(2002年10月9日)
DOWN TOWN
GO NO GO(2004年12月1日)
キラメキmovin'on(2005年4月6日)
ウェザーリポート(2006年5月24日)
粉雪のシュプール(2006年12月6日)キロロスノーワールドCMソング
Don't Be Cruel(2007年7月11日)ディズニーアニメ『リロイ&スティッチ』日本語版テーマソング

アルバム [編集]
360°(2003年4月9日)※廃盤
フェルマータ(2004年6月23日)ミニアルバム
Synchronized Singing(2005年5月11日)
TOICOLLE(2007年1月24日)ベストアルバム
Girlfriend(2007年3月21日)

参加作品 [編集]
ロケットマン『愛と海と音楽と』
「いつもの朝(feat.一十三十一)」に参加
YELL FROM NIPPON

テレビ [編集]
tvk『saku saku』(4回出演(2004年7月5~9日、12月13~17日、2006年5月29~6月2日、2007年1月22~26日)
スペースシャワーTV『STUDIO GROWN』

CM [編集]
三菱UFJニコス(2007年)

写真集 [編集]
写真家永瀬沙世の作品集「青の時間〜THROUGH THE LOOKING-GIRL〜」に友人参加。(2007年)

関連項目 [編集]
菊地創
松岡基樹

外部リンク [編集]
WWW.HITOMITOI.JP(公式サイト)
【TJC artists page】 一十三十一:トップページ
一十三十一が選曲したプレイリスト&インタビュー Vol.52(ミュージックシェルフ)
一十三十一が選曲したプレイリスト&インタビュー Vol.92(ミュージックシェルフ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%8D%81%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%80
[アーティスト名] 一十三十一
[タイトル] ダイヤモンドレールウェイ
[CD番号] GRRC-10001
[発売日] 2009-07-01
1 ダイヤモンドレールウェイ
2 パレード
3 ダイヤモンドレールウェイ INST
4 パレード INST
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110110100100101011

SHINING

2009-07-21 15:30:32 | 邦楽

青木カレン(あおき かれん、1月13日 - )は、日本のジャズボーカリストである。旧芸名:ウラン(Uran)。

経歴 [編集]
幼少から高校までを香港、デトロイトで過ごす。その後、タイやロンドンと日本を行ったり来たりの高校~大学生活を過ごしながら本格的に音楽活動を行い、コマーシャルソングを歌ったりインディーズ・レーベルからソロ作品を2枚リリースする。
高校3年生のとき、結成していたバンドのデモテープがJ-WAVEで取り上げられ、ある番組のオープニングに起用される。
慶應義塾大学在学中は、カメラマンのアシスタントとして働く。その頃撮影した自主映像作品で使用した自らのアカペラ「アヴェマリア」が葉加瀬太郎の耳にとまり、ユニットを結成。いくつかのCMソングにヴォーカリストとして参加する。
それらの活動がプロの目に留まり、2000年、当時できたばかりのレコード会社「ウェブクゥ」よりメジャーデビューする。その後、3枚のマキシシングルと1枚のアルバムをリリース。ウェブクゥ設立に渡哲也が関与していたことの縁で、マネージメントを「石原プロモーション」が行う。
芸名の「ウラン」は元素名のウランからとられた。
2002年発表のアルバム「Heaven」以降、ウランとしての活動は事実上停止状態になる。その間に、ジャズに傾倒しジャズ分野での活動を開始する。ウェブクゥ・石原プロを脱退し、正式に「青木カレン」名義での活動を開始する。
2003年、ふとした時に耳にしたジャズに心奪われ、その日のうちに独力で都内のジャズクラブを調べ、当日のフリーセッションにヴォーカリストとして参加し、その日にスカウトされる。
その後、都内各所のジャズ・クラブでライヴ活動を精力的にこなし、青木カレン名義で2006年1月16日に1st Album「TOKYO Jz TRIPPIN’」をリリース。HMVやタワーレコードのジャズ・チャート1位を数週間獲得。またスイングジャーナル社のジャズ誌、ADLIBの2006年度第26回読者人気投票のBRIGHTEST HOPE部門でも1位を獲得する。
Rambling RECORDSへ移籍。
2007年4月より、自身がパーソナリティをつとめるジャズ番組がBS朝日にてスタート。
2007年9月22日、2nd Album「KAREN」をリリース。iTunesジャズダウンロードが40万ヒットを記録する。
2008年6月11日、3rd Album 「SHINING」をリリース。スイングジャーナル社 2008年「ADLIB」誌アドリブアワード 国内クラブ・ミュージック / ダンス・ミュージック賞受賞。
2008年11月21日、バードランドの人気バンドAndy Farber & His Orchestraのビッグバンドと本場ニューヨークにて一発録音で作り上げた4th Album「KAREN's SWINGIN' PARTY」をリリース。
2009年4月22日、カレンが自ら選りすぐったファン待望のBest Album「THE CLUB JAZZ DIVA」をリリース。
フランス、ドイツ、イタリア、韓国、台湾などでもリリースされている。

発表作品 [編集]

ウラン名義 [編集]
Heaven
Angelic
寒空の下
Birds cry to sing(メジャーデビューマキシシングル)
soldier in the rain(インディーズ)
kokoro no tsubasa(インディーズ)
レギュラーラジオ番組
U238(エフエム・ノースウェーブ)

青木カレン名義 [編集]
TOKYO Jz TRIPPIN'
Groovin' Jazz Night presents KAREN
SHINING
KAREN's SWINGIN' PARTY
THE CLUB JAZZ DIVA
レギュラーテレビ・ラジオ番組
Groovin' Jazz Night(BS朝日)
STARFLYER Groovin' Aviator(InterFM)
STARFLYER presents GROOVIN' JAZZ TRIPPIN'(LOVE FM)

関連項目 [編集]
石原プロモーション
ウェブクゥ

外部リンク [編集]
KAREN AOKI official web site(公式ホームページ)
SWING SING SWING!!!(公式Blog)
KAREN AOKI MySpace(公式MySpace)
Rambling RECORDS(所属レーベル)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%B3" より作成
[アーティスト名] 青木カレン
[タイトル] SHINING
[CD番号] RBCS-2277
[発売日] 2008-06-11
1 LOVE FOR SALE feat.indigo jam unit
2 SHINING
3 ENGLISH MAN IN NEW YORK feat.native
4 SUMMERTIME feat.indigo jam unit
5 TAKE MY HEART feat.Shima&Shikou DUO
6 WONDERFUL SOUND
7 LAST NINE DAYS feat.quasimode
8 FLY ME TO THE MOON feat.JABBERLOOP
9 LIGHT MY FIRE duet with Saigenji
10 ARE YOU GONNA GO MY WAY feat.JABBERLOOP
11 SUNRISE feat.Shima&Shikou DUO
12 CLIMB EVERY MOUNTAIN feat.Mitsukuni Tanabe
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110101101100111011

ジンギスカン

2009-07-20 18:23:58 | 邦楽

Berryz工房(ベリーズこうぼう)は、ハロー!プロジェクトに所属する女性アイドルグループである。ハロー!プロジェクトメンバーも使用する略称はベリーズ、ファンが使用する略称はベリ、ベリ工(べりこう、カタカナのエを使いベリエとも)、ベリッコ。メンバー7人中、5人が血液型O型である。(他のメンバーはA型とB型が1人ずついる。)

メンバー [編集]
清水佐紀(しみず さき、1991年11月22日 - ) : キャプテン
嗣永桃子(つぐなが ももこ、1992年3月6日 - ) : 「Buono!」のメンバー(リーダー)としても活動中
徳永千奈美(とくなが ちなみ、1992年5月22日 - )
須藤茉麻(すどう まあさ、1992年7月3日 - )
夏焼雅(なつやき みやび、1992年8月25日 - ) : 「Buono!」のメンバーとしても活動中
熊井友理奈(くまい ゆりな、1993年8月3日 - ) : 「ガーディアンズ4」のメンバーとしても活動中
菅谷梨沙子(すがや りさこ、1994年4月4日 - ) : 「ガーディアンズ4」のメンバーとしても活動中

卒業メンバー [編集]
石村舞波(いしむら まいは、1992年11月20日 - ) : 2005年秋ツアー最終日の10月2日をもってBerryz工房を卒業、および芸能界を引退。

グループ名の由来 [編集]
"小さな果実"を意味する「Berry」の複数形「Berries」をあえて「Berryz」と表現し、「Berry達が表現する様々な音楽」をクリエイトする工房という意味で、『Berryz工房』と名付けられた。


特徴 [編集]
ハロー!プロジェクト・キッズ15人の中から選抜された8人で結成された。

結成当初は、学校行事の優先等を理由にメンバーの入れ替えの可能性が示唆されており、当初選ばれたメンバーは「スターティングメンバー」と呼ばれていた。ただし、欠席メンバーの補充や当初アナウンスされた「入れ替え」は一度も行われなかった。2005年10月2日に石村舞波の卒業・引退以降は7人で活動している。また、残りのハロー!プロジェクト・キッズのメンバー7人が℃-uteを結成してデビューしたことにより、メンバーの「入れ替え」は事実上無くなった。

結成から3ヶ月連続でシングルCDのリリース、フルオリジナルアルバムの作成、ラジオ番組のレギュラー、初年度の合同コンサート、そして2年目の単独コンサートと、当時のハロー!プロジェクトの中でもかなり精力的に活動を展開した。また、多くのシングルCDにイベント参加券を封入し、握手会を開催している。

ハロー!プロジェクト・キッズからのメンバーで構成されているため、以下の点が考慮されている。

コンサートおよびイベントは土・日・祝日および夏休み期間にスケジュールを組んで行われている。また、メンバーによっては学校行事を優先して欠席する場合もある。
メンバーの出身地は非公開である。
デビュー当時は体調が悪くなったらすぐに舞台袖に戻るよう指導されていた様で、歌の途中でメンバーが居なくなる場面もしばしばあった。

略歴 [編集]
2004年
1月14日 ハロー!プロジェクトファンクラブ限定イベントで正式に誕生した。
7月 1stアルバム「1st 超ベリーズ」から約1ヵ月半後にリリースした4thシングル「ハピネス 〜幸福歓迎!〜」を皮切りに初動セールス・最高順位・累積売り上げ等が軒並み上昇した。
2005年
3月  6thシングル「スッペシャル ジェネレ〜ション」で念願のオリコンシングルチャートトップ10入りを果たし、初登場7位にランクインした。初動セールスに至っては過去にリリースした作品の累積売り上げを上回った。
10月2日 石村舞波が卒業。
2006年
3月 10thシングル「ジリリ キテル」ではオリコン・ウィークリーで6位と自己記録を更新した。
10月  2006年バレーボール世界選手権のオフィシャルサポーターを務める「WaT×ハロー!プロジェクト」にWaT、モーニング娘。、DEF.DIVAと共に参加した。
2007年
3月3日、4日 Berryz工房ファーストファンクラブツアー in Aichiが開催される。
4月1日 さいたまスーパーアリーナにて単独コンサートを行った。これは同会場で単独公演を行うアーティストとしては最年少記録である(平均年齢13.8歳、これまでの記録はハロー!プロジェクトの先輩であるモーニング娘。で平均16.3歳)。同公演の一般チケットは発売日に即日完売した。
6月 14thシングル「告白の噴水広場」ではオリコン・ウィークリーで4位を取り、自己記録を塗り替えた。
12月4日 初の紅白歌合戦出場決定(ハロー!プロジェクト10周年記念紅白スペシャル隊として)。
12月31日 第58回NHK紅白歌合戦に初出場。
2008年
2月3日  シルク・ドゥ・ソレイユ「ドラリオン」東京公演会場にてイベントが実施された。
8月7日 「2008神宮外苑花火大会」にて国立霞ヶ丘陸上競技場でのスペシャルライブのメインを務めた。
10月3日 - 5日 第5回 2008アジアソングフェスティバルにて「アジア最高新人歌手賞」を受賞[1]。
12月 『第41回日本有線大賞』有線音楽賞を受賞。
2009年
3月 Berryz Kobo First Fan Club Tour in Hawaii'09がホノルルで行われた。

ディスコグラフィー(CD) [編集]

シングル [編集]
あなたなしでは生きてゆけない (2004年3月3日)
ファイティングポーズはダテじゃない! (2004年4月28日)
ピリリと行こう! (2004年5月26日)
ハピネス〜幸福歓迎!〜 (2004年8月25日)
恋の呪縛 (2004年11月10日)
スッペシャル ジェネレ〜ション (2005年3月30日)
なんちゅう恋をやってるぅ YOU KNOW? (2005年6月8日)
21時までのシンデレラ (2005年8月3日)
ギャグ100回分愛してください (2005年11月23日)
ジリリ キテル (2006年3月29日)
笑っちゃおうよ BOYFRIEND (2006年8月2日)
胸さわぎスカーレット (2006年12月6日)
VERY BEAUTY (2007年3月7日)
告白の噴水広場 (2007年6月27日)
付き合ってるのに片思い (2007年11月28日)
ジンギスカン (2008年3月12日)
行け 行け モンキーダンス (2008年7月9日)
MADAYADE (2008年11月5日)
抱きしめて 抱きしめて (2009年3月11日)
青春バスガイド/ライバル (2009年6月3日)

アルバム [編集]
1st 超ベリーズ (2004年7月7日)
第②成長記 (2005年11月16日)
4th 愛のなんちゃら指数 (日本:2007年8月1日、韓国:2008年5月26日)[1]
5(FIVE) (日本:2008年9月10日、韓国:2008年9月17日)[1]

ミニアルバム [編集]
スッペシャル!ベストミニ〜2.5枚目の彼〜 (2005年12月7日)
③夏夏ミニベリーズ (2006年7月5日)

ベストアルバム [編集]
Berryz工房 スッペシャル ベスト Vol.1 (2009年1月14日)

その他 [編集]
Berryz工房 起立!礼!着席! 課外授業編 (2004年11月15日)
サクラハラクサ (2007年4月1日)
桜→入学式 (2007年4月1日)
ジンギスカン タルタルミックス (2008年9月17日)
[アーティスト名] Berryz工房
[タイトル] ジンギスカン
[CD番号] PKCP-5114
[発売日] 2008-03-12
1 ジンギスカン
2 ダーリン I LOVE YOU(Berryz工房 Ver.)
3 ジンギスカン(Instrumental)
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110101111100000110

ビタースウィート・ワールド

2009-07-20 12:38:45 | 邦楽

アシュリー・ニコール・シンプソン・ウェンツ(Ashlee Nicole Simpson Wents、1984年10月3日 - )は、アメリカ合衆国のロック歌手、女優。身長169cm。てんびん座。 実姉は歌手のジェシカ・シンプソン、夫はFall Out Boyのベーシストのピート・ウェンツ。

来歴 [編集]

生い立ち [編集]
テキサス州ウェーコ出身。父、兼プロデューサーのジョーは南部バプテスト(プロテスタント)派の牧師、母ティナは元日曜学校の教師、実姉は同じく歌手のジェシカ・シンプソン。

3歳からバレエを始め、11歳で、名門スクール・オブ・アメリカン・バレエに最年少合格者として入学。在学2年間は単身で、寄宿舎に入り、家族とは離れ離れであった。13歳で家族全員でロサンゼルスに移住。姉のジェシカ・シンプソンが歌手デビュー、アシュリーはそのバック・ダンサーとして、世界中をツアー。14歳の時に日本に訪れている。この頃よりジョーン・ジェット、デボラ・ハリーに憧れ、ロック歌手を志す様になる。


キャリア [編集]
17歳で女優デビューし、テレビドラマ出演。19歳で念願のレコード・デビュー。MTVではアシュリーが女優から歌手になるまでの過程をドキュメンタリーした、リアリティ・ショー「MTVアシュリー・シンプソン~デビューへの道~」が放送され高視聴率を記録。デビュー・アルバムAutobiography は全米初登場1位、全世界で約400万枚を売上を記録する、大ヒットとなった。約2ヶ月にわたる全米ツアーを行い、数々の賞を受賞、アーティストとしてステップアップした。

2004年には初の日本ライブも行う。2ndアルバムI Am Meは、前作Autobiography に続きビルボードチャート1位を獲得することが出来た。

2008年4月23日には3rd albumBittersweet Worldが発売された。その中にはザ・キュアーのロバート・スミスとのデュエット楽曲がある。これはアシュリーがシカゴでライブを行ってから、親交が深まりデュエットへと発展した、という経緯。アシュリーは「このコラボレーションは素晴らしいものになるわ!」と語った。他にはミュージック・ステーションにも出演したジョン・レジェンド、ザ・ネプチューンズのチャド・ヒューゴなどが制作に関わっている。

私生活 [編集]
これまで俳優のジョシュ・ヘンダーソン、歌手のライアン・カブレラ、アシュリーのバックバンド・ギタリストのブラクストン・オリタと交際。2007年からはFall Out Boyのベーシストのピート・ウェンツと交際し、2008年5月17日に結婚。 2008年11月20日に男児を出産。


論争 [編集]

口パク騒動 [編集]
2004年10月に出演したコメディバラエティ番組「サタデー・ナイト・ライブ」(通称SNL)にて人気暴落を引き起こす大失態を犯してしまう。1曲目は問題なく歌い上げたが、2曲目を歌おうとした瞬間、何故か1曲目と同じイントロが流れ周囲は騒然となった。彼女のマイクは口元を離れていた為、口パクが発覚。その後は彼女のオフィシャル・サイトに批判の書き込みが殺到。

「サタデー・ナイト・ライブ」出演直後、フットボールの試合のハーフタイム・ショーに出演した時も、会場からは大ブーイングの嵐であった。この番組は長年続く歴史ある番組で、出演出来るのは一流のアーティストとして認められた証であり、U2、ローリング・ストーンズ等の大物も出演を喜ぶ程である。アシュリーは自身の人気と歌唱力を全米に知らしめる機会であったが、それどころか赤っ恥をかき、全米中の人々から非難を受ける結果となってしまった。

アシュリー側は「バック・トラックを使ったのは、重度の慢性胃炎持ちであり、そのために胃酸逆流症で声が出なくなったから。彼女の調子が悪かった。」とコメントしたが、天下のSNLでの失態のダメージは大きかった。視聴者だけでなく歌手からも非難を受け、アヴリル・ラヴィーンは「そういったスターはライブ放送に出演する価値は無い」と相変わらずの毒舌で批判。後日某パーティーにて鉢合わせとなり、アシュリーはアヴリルに問いただすとアヴリルは「ごめんなさい」と一言謝罪し、アシュリーも「もう子供じゃない」と大人な対応を取り一件落着したが、失った信頼と人気は計り知れない。後にこの時の気持ちを歌った曲をアルバムに収録している。

MTV COOL CHRISTMAS 2005 [編集]
MTV主催のイベントでは彼女はトリとして出演1曲目にI Am Meを熱唱。しかし2曲目の"L.O.V.E"の途中で彼女は突然舞台から消えてしまった。演奏はそのまま続けられ、結局歌が終わるまで顔を出さなかった。演奏終了後、ガラガラの声で謝罪をした。この一件以来アシュリーの声はガラガラで、この頃より「アーティスト限界説」が囁かれ始めた。

整形騒動 [編集]
最近では、特徴的だった鷲鼻をストレートにする整形をしたことが発覚し、タブロイドマガジンを騒がせている。

特徴 [編集]
髪は元はブルネットで、姉と同じブロンドに染めていたが、差別化を図る為黒に染めていた時期もあった。現在は、ブロンド、ブルネットや赤などの様々な色を楽しんでいる。 
自ら「私は狂ったこの世界で生きる、セクシーな女の子」と称している。 
米誌「Spin」が毎年発表している『ワースト・ドレッサー賞』と同時に同誌から発表される2006年度『最もひどいソロアーティスト』と『最もひどいライブパフォーマンス』の不名誉な2つを受賞。これだけでは無く、アイドル性が高かったアシュリーが“アーティスト性”を前面に出した売り出し方で大コケ、『アシュリーに早く引退してもらう』署名サイトまで立ち上がり、アーティスト性を酷評されている。 
CDではハスキーボイスな歌声だが、生歌ではCDとは違い非常に不安定でおぼつかなく、良心的なファンをハラハラさせている。

受賞歴 [編集]
2004年

ティーン・チョイス・アワード
“CHOICE SONG OF THE SUMMER” "Pieces Of Me"
ノンジャンル部門“FRESH(新人賞)”"Pieces Of Me"
Billboard Music Awards
“BEST NEW FEMALE ARTIST OF THE YEAR” 
2005年

MTV Asia Music Awards
“FAVORITE INTERNATIONAL BREATHROUGH ARTIST”
第47回グラミー賞
アルバムAutobiography のプロデューサー・ジョン・シャンクスが“PRODUCER OF THE YEAR NON-CLASSICAL”を受賞。
第19回日本ゴールドディスク大賞
“ニュー・アーティスト・オブ・ザ・イヤー” 
2006年

TRL Awards
“Bounce-Back Artist”
2006 MTV Australia Video Music Awards
“Best Female Artist, Best Pop Video” "Boyfriend"
ツアー [編集]

外部リンク [編集]
Official Website(英語)
Myspace(英語)
Ashlee Simpson - Internet Movie Database (英語)
Ashlee Simpson ゲフィン・レコード (英語)
ユニバーサルミュージック (日本語)
[アーティスト名] アシュリー・シンプソン
[タイトル] ビタースウィート・ワールド
[CD番号] UICF-1098
[発売日] 2008-04-23
1 アウタ・マイ・ヘッド(アイ・ヤ・ヤ)
2 ボーイズ
3 ルール・ブレイカー
4 ノー・タイム・フォー・ティアーズ
5 リトル・ミス・オブセッシヴ
6 ラグドール
7 ビタースウィート・ワールド
8 ホワット・アイヴ・ビカム
9 ホット・スタッフ
10 マーダー
11 ネヴァー・ドリーム・アローン
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110101011111010101

Dragon head Miracle

2009-07-17 17:57:09 | 邦楽

吉井 和哉(よしい かずや、1966年10月8日 - )は、東京都出身静岡県育ちのミュージシャン。本名は吉井 一哉。身長183cm。足のサイズは27cm。血液型A型。

1986年にアーグ・ポリスでベーシストとして活動した後、1988年にロックバンドTHE YELLOW MONKEYを結成し(吉井はボーカル・ギター・作詞・作曲を担当)、1992年にメジャーデビュー、その後2003年にYOSHII LOVINSON(ヨシイロビンソン)としてソロデビューし、2004年にTHE YELLOW MONKEYを解散する。2006年に吉井和哉と名義を変更し、現在に至る。

人物 [編集]
幼少の頃は肥満児で、それがコンプレックスだった。現在は痩せているが非常に太り易い体質である為、レコーディング中などのオフショットではまるで別人のようになっていることがある。また、すぐに過激なダイエットをして痩せるので、一時期「癌ではないか」、「実は余命○ヶ月(年)」などという噂が立っていたこともある。最近は年齢のせいもあり、過度なダイエットをしなくてもいいように普段からトレーニングや体調管理を行っている。
中学時代は柔道部だった、コーラダイエットで急激なダイエットに成功したらしい。またチープ・トリックのライヴアルバム「at 武道館」を毎日聴いていたこともあった。
本人曰く「実は根暗な性格。」中学生の頃は深夜ラジオを聴きながらマンガを描く毎日だったという。
義務教育終了と同時にフリーター生活、その後上京し「25歳までにデビュー出来なければ音楽は諦めよう」と決意。その後、25歳でデビューが決まり、26歳でメジャーデビュー。次に「30歳までにバンドがブレイクしなければ辞める」との目標を立て、28歳の時にシングル『太陽が燃えている』がTOP10入りし、29歳の時にアルバム『FOUR SEASONS』がオリコン1位を獲得した。なお、元々はボーカルではなくベーシストであった。
バンド時代(特に初期)は派手なメイクや衣装で時には女装することもあった。ソロになってからはあまり過度なメイクは施さず、YOSHII LOVINSON時代はジーンズにTシャツ姿でライブを行うこともあったが、40代に突入した2006年のツアーでは自らを「ロックスター」と称し、再び派手なメイクと衣装でステージに立った。これは後述の美輪明宏との対談などが影響している。
オーディオマニアで、自宅には数百万円のオーディオシステムが組まれている。THE YELLOW MONKEYのアルバム『8』のレコーディング中に、ディレクターが「スタジオに置いてあるラジカセの音が悪い」と言って持参してきたラジカセと音を聞き比べたところ、余りの違いに愕然としたのがきっかけ。バンド活動休止後のオフの間に名盤と言われるレコードを改めて聴き直したとき、今までは気付かなかった自分の作品とのクオリティの差を痛感し、一時期は音楽をやめようとまで思っていたという。

来歴 [編集]
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事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか整理・除去する必要があります。
このタグは、雑多な内容を羅列した節の冒頭への貼付が推奨されています。
このタグは2009年2月に貼付されました。

2001年10月9日 - 「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2001」に出演。
2003年10月1日 - 「YOSHII LOVINSON」として、シングル『TALI』でソロデビュー。
2004年2月11日 - ソロ・ファーストアルバム『at the BLACK HOLE』リリース。
2004年12月26日 - THE YELLOW MONKEYのボーカリストとして最後のステージ。
2005年6月4日~ - 初のソロツアー「AT the WHITE ROOM」スタート。
2005年10月7日 - 「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2005」にYOSHII LOVINSON名義では最後のライヴ出演。
2006年1月25日 - シングル『Beautiful』、ライブツアー「MY FOOLISH HEART」より名義をYOSHII LOVINSONから吉井和哉に改めた。
2006年10月8日 - 愛と狂気の30代から、「ポップな40代」へ突入。仙台、大阪でシークレットライブを行う。
2006年11月8日~ - 「TOUR 2006 THANK YOU YOSHII KAZUYA」スタート。本来は12月28日の武道館が最終日であったが、本人の体調不良の為に延期してしまった静岡公演(翌年2007年2月12日)が最終日となった。
2006年末 - 視野を広げることを目的に2007年1月8日をもって、所属事務所BOWINMAN MUSIC社卒業(離脱)を宣言。同社FCは解散の運びとなる(トラブルでない事を、事務所双方が主張。FC公式会員へ)。
2007年8月25日 - 「8.25 オールナイトニッポン武道館」に出演。TRICERATOPSと「僕らの一歩」「JAM」をセッション。
2007年9月29日~2007年10月28日 - 「GENIUS INDIAN TOUR 2007」
2007年10月7日 - 「BIRTHDAY前夜祭・温野菜」 MOBILEサイト会員限定ライブ at YOKOHAMA BLITZ
2007年12月8日 - 「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2007」出演。
2007年12月22日 - 「吉井和哉自伝 失われた愛を求めて」発売。幼少期から現在に至るまでの半生をプライベートを含め赤裸々に綴った初の自伝。
2007年12月27日・12月28日 -「吉井武道館2007」 27日にはスピッツの草野マサムネがゲスト出演。クリスタルキングの「大都会」を披露。15周年に華を添えた。
2008年1月22日~2008年3月1日 - 「Dragon head Miracle tour 2008」

ディスコグラフィー [編集]
※2003年~2005年にリリースされた作品は全て「YOSHII LOVINSON」名義

アルバム [編集]

オリジナル・アルバム [編集]
at the BLACK HOLE (2004年2月11日)
初回限定盤はレコーディング風景やインタビューなどを収録したDVD付。
20 GO/TALI/CALIFORNIAN RIDER/SADE JOPLIN/SIDE BY SIDE/FALLIN' FALLIN'/SPIRIT'S COMING (GET OUT I LOVE ROLLING STONES)/BLACK COCK'S HORSE/SWEET CANDY RAIN/AT THE BLACK HOLE
WHITE ROOM (2005年3月9日)
PHOENIX/CALL ME/欲望/WANTED AND SHEEP/RAINBOW/JUST A LITTLE DAY/FINAL COUNTDOWN/NATURALLY/トブヨウニ(ALBUM VERSION)/FOR ME NOW/WHAT TIME
39108 (2006年10月4日)
通常盤・初回限定盤・アナログ盤・プレミアム盤の4種類を同時発売。初回限定盤はPVやレコーディング風景を収録したDVD付で、それにツアー「MY FOOLISH HEART」のライブDVD、写真集をセットにしたのがプレミアム盤。
人それぞれのマイウェイ/LIVING TIME/LONELY/黄金バット/ポジネガマン/HOLD ME TIGHT/I WANT YOU I NEED YOU/WEEKENDER/ALL BY LOVE/BEAUTIFUL/恋の花/BELIEVE
Hummingbird in Forest of Space (2007年9月5日)
初回限定盤はPVやレコーディング風景を収録したDVD付。
Introduction/Do The Flipping/Biri/シュレッダー/上海/ルーザー/ワセドン3/Pain/Shine and Eternity/バッカ/Winner (Album Version) /マンチー/雨雲
VOLT (2009年3月18日)
初回限定盤はYOSHII BUDOKAN 2008を収録したライブDVDとポスター付。
ビルマニア/フロリダ/ウォーキングマン/ノーパン/へヴンリー/魔法使いジェニー/SNOW/ONE DAY/ルビー/またチャンダラ
[アーティスト名] 吉井和哉
[タイトル] Dragon head Miracle
[CD番号] TOCT-26560
[発売日] 2008-04-30
1 Do The Flipping
2 Biri
3 サイキックNo.9
4 HOLD ME TIGHT
5 ルーザー
6 I Love You Baby
7 BLOWN UP CHILDREN
8 人それぞれのマイウェイ
9 黄金バッド
10 ALL BY LOVE
11 I WANT YOU I NEED YOU
12 Pain
13 FOR ME NOW
14 マンチー
15 WEEKENDER
16 シュレッダー
17 TALI
18 CALL ME
19 見てないようで見てる
20 Shine and Eternity
21 バッカ
1 Do The Flipping
2 Biri
3 サイキックNo.9
4 HOLD ME TIGHT
5 ルーザー
6 I Love You Baby
7 BLOWN UP CHILDREN
8 人それぞれのマイウェイ
9 黄金バッド
10 ALL BY LOVE
11 I WANT YOU I NEED YOU
12 Pain
13 FOR ME NOW
14 マンチー
15 WEEKENDER
16 シュレッダー
17 TALI
18 CALL ME
19 見てないようで見てる
20 Shine and Eternity
21 バッカ
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Love X Singles

2009-07-17 15:20:39 | 邦楽

榊原 ゆい(さかきばら ゆい、10月13日 - )は、日本の女性声優、シンガーソングライター。LOVE×TRAX所属。兵庫県出身。血液型はO型。

旧名に津田沼 真利(つだぬま まり)、まりあ、雛野 真代(ひなの まよ)、雛野 まよ(読みは同左)、Hinano(ひなの)などがある。愛称は「ゆいにゃん」で、自称「永遠のナインティーン」。

代表作は『スーパーロボット大戦シリーズ』(レオナ・ガーシュタイン)、『はぴねす!』(神坂春姫)、『PRISM ARK』(プリーシア)、『CHAOS;HEAD』(岸本あやせ)など。[1]

人物 [編集]
主に歌手と声優を行う。アダルトゲームへの声あて・歌唱が多いが、最近はテレビアニメにも担い、全年齢作品と18禁作品とで名義を変えない数少ない声優の1人となっている。声の幅が広く、少女・お姉さん系の女性・大人の女性など幅広く声をあてている。声優業の他に作詞作曲・振付師など仕事は多岐に渡り、ライブ、PVではバックダンサー並の激しいダンスを披露しており、「視覚でも楽しんでほしい」と話している。

F1ドライバー、キミ・ライコネンの熱狂的ファンである。

趣味・特技は、イラストを描くこと(イラストが得意)。

本人曰く、1つのことにしか集中できず「~ながら」という行動を嫌っている為、作詞などは自宅で短期間集中して制作するという手法をとる。

『よつのは』の「猫宮のの」は関西弁のキャラクターだが、榊原独特の抑揚のつけ方から「のの弁」と呼ばれている。

エニックスアニメ大賞声優部門受賞者の1人(雛野まよ名義)。その同期として野川さくら、今井麻美らがいる。

2008年8月にコミック専門書店とらのあな秋葉原本店で行われたアンケート『100人くらいに聞いてみた「で、キミは18禁PCゲームの声優、誰が好き?」』では6位となった[2]。


来歴 [編集]
声優になる以前は、NHK紅白歌合戦などでバックダンサーとしての活動をしていた経歴を持つ。多くの仕事を全うするが、ダンス、声優ともに専門の学校へ通った経験は無く、全て独学で現在に至っている。

『スーパーロボット大戦α』では、「雛野まよ」名義で主人公の1人であるレオナの声を担当した。その後、『スーパーロボット大戦OG ORIGINAL GENERATIONS』での再登場を期に、「『α』のレオナの声は、収録を待っているうちにオーディションで録った声がそのままゲームに使われたもの」と弁明した。

オタ芸に対して、「周囲の迷惑になる」「ステージを見てくれていない」との理由で、以前から自身のライブでは自粛を呼びかけていたが、2008年5月18日のDreamParty2008春大阪のフィナーレでのライブでトラブルにまで発展しかけたため、ブログにてオタ芸の禁止を宣言し、話題を呼んだ[3]。これに対して芸能関係のニュースは、「2ちゃんねるやアニメファンサイトなどでは『榊原の意見は正論』との意見が大勢を占めている」と分析している[4]。

同年。ブログの中で結婚についてを連発し、それがファンに誤解を招いてしまったが、ブログに掲載されていたウェディングドレスや指輪は、2008年7月31日に発売されたプレイステーション2用ソフト『かのこん えすいー』のエンディングテーマで、2008年9月24日に発売された『永遠の恋』のPV撮影に使われたもので、実際に結婚したわけではない。[5][6][7][8]


出演作品 [編集]
※太字は主役またはメインヒロイン


テレビアニメ [編集]
1999年

トラブルチョコレート(女生徒)
2006年

乙女はお姉さまに恋してる(梶浦緋紗子)
スーパーロボット大戦OG -ディバイン・ウォーズ-(レオナ・ガーシュタイン)
はぴねす!(神坂春姫)
2007年

PRISM ARK(プリーシア) - 第11話のアイキャッチイラストも担当。
2008年

H2O -FOOTPRINTS IN THE SAND-(八雲はまじ)
カオス;ヘッド -CHAOS;HEAD-(岸本あやせ)

webアニメ [編集]
最終試験くじら(御影仁菜役、配信:超!アニメロ)

OVA [編集]
ランジェリー戦士パピヨンローゼ(プチラー)
春恋*乙女 〜乙女の園で逢いましょう。〜(早坂羽未)
よつのは(猫宮のの)

コンシューマーゲーム [編集]
H2O プラス(八雲はまじ)
CHAOS;HEADシリーズ(岸本あやせ)
CHAOS;HEAD
CHAOS;HEAD NOAH
かのこん えすいー(神邨白音)
九龍妖魔學園紀(響五葉、真夕子)[9]
スーパーロボット大戦シリーズ(レオナ・ガーシュタイン)[10]
スーパーロボット大戦α
スーパーロボット大戦α for Dreamcast
スーパーロボット大戦OG ORIGINAL GENERATIONS
スーパーロボット大戦OG外伝
ソルフェージュ(宮藤かぐら)
タイムリープ(あゆむ)
チョコレート♪キッス(橘夏樹)[11]
東京魔人學園外法帖血風録(フレイヤ)[9]
はぴねす! でらっくす(神坂春姫)
風雲 幕末伝(幾松)
PRISM ARK -AWAKE-(プリーシア)
ユグドラ・ユニオン(キリエ)
よつのは 〜A Journey Of Sincerity〜(猫宮のの)

アダルトゲーム [編集]
1999年

アルバムの中の微笑み(菅平柚子)
2000年

好きだよっ!(新橋梨奈)
2002年

学園カウンセラー(大館暁子)
"Hello, world."(愛原奈都美)[12]
2003年

to…(小笠原美帆)
2004年

最終試験くじら(御影仁菜)
鈴菜日記(倉木鈴菜)
六ツ星きらり(ほくと、荒木都子)
2005年

あえかなる世界の終わりに(近江千冬)
Gift 〜ギフト〜(木ノ坂霧乃)
群青の空を越えて(水木若菜)
はじめてのおてつだい(桃野ゆうき)
はぴねす!(神坂春姫)
2006年

H2O -FOOTPRINTS IN THE SAND-(八雲はまじ)
幼なじみとの暮らし方(猫宮のの)
おたく☆まっしぐら(福山美月)
初恋撫子(倭真空)
スピたん -in the Phantasmagoria-(ツェナ)
はぴねす! りらっくす(神坂春姫)
春恋*乙女 〜乙女の園でごきげんよう。〜(早坂羽未)
姫さま凛々しく!(アティリーン)
ぶらばん! -The bonds of melody-(中ノ島妙)
PRISM ARK(プリーシア)
ぽっと -Rondo for Dears-(緒方希美果)
よつのは(猫宮のの)
2007年

ああっお嬢様っ(紫鳳香織)
あるぺじお 〜きみいろのメロディ〜(北見ちさと)
E×E(上御霊円)
かんなび -神奈備-(メイ)
すうぃと!(巳堂羽織)
タイムリープ(あゆむ)
Chu×Chuアイドる(チュチュ・アストラム / 仲内知由)
Chu×Chuぱらだいす(チュチュ・アストラム / 仲内知由)
Dies irae -Also sprach Zarathustra-(マリィ)
長靴をはいたデコ(逢振加愛)
FairChild -フェアチャイルド-(羽住恋鳥)
はっぴぃ☆マーガレット!(南初瀬花梨オルタンシア)
ぴあ雀(木ノ下 れおな)
ピアノの森の満開の下(神森櫻乃、木花)
Figurehead(エオリア)
メイドと魔術師(鶯姫・本堂=クリミア)
√after and another(八雲はまじ)
2008年

暁の護衛(二階堂彩)
暁の護衛 〜プリンシパルたちの休日〜(二階堂彩)
朝凪のアクアノーツ(朝凪深緒)
コンチェルトノート(名凪星華)
こんぼく麻雀 〜こんな麻雀があったら僕はロン!〜(アユム / エリシア・カンテーヌ・ド・ユグドラシル)
スマガ(日下部雨火)
D.C.P.K. 〜ダ・カーポーカー〜(椎恋)
Pia♥キャロットへようこそ!!G.P.(紗東陽菜)
ふるふる★フルムーン(姫名森乃亜)
2009年

ここより、はるか -Surrounded sea in the world-(星野杏奈)
さくらさくら(高田さん、立花くるみ)
スマガスペシャル(日下部雨火)
絶対可憐!お嬢様っ(城乃崎七星)
77 〜And, two stars meet again〜(くぅ)
Tiara(クレア・ドルナー)
天神乱漫 -LUCKY or UNLUCKY!?-(浅葱虎太郎)
メモリア(ユウキ=ハンクス)
りんかねーしょん☆新撰組っ!(近藤弓枝)
[アーティスト名] 榊原ゆい
[タイトル] Love X Singles
[CD番号] LTXA-005
[発売日] 2009-07-03
1 Jewelry Days
2 Love X 2 Song
3 Kono Hana Saku Koro
4 Chiru Hana Sakura
5 Eternal Destiny
6 Love Emergency
7 Imitation
8 Feel
9 Jewelry Days (Instrumental)
10 Love X 2 Song (Instrumental)
11 Kono Hana Saku Koro (Instrumental)
12 Chiru Hana Sakura (Instrumental)
13 Eternal Destiny (Instrumental)
14 Love Emergency (Instrumental)
15 Imitation (Instrumental)
16 Feel (Instrumental)
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110110100100011000

タキツバベスト

2009-07-16 11:03:33 | 邦楽

タッキー&翼(タッキーアンドつばさ)は、滝沢秀明と今井翼の男性アイドルデュオ。所属事務所はジャニーズ事務所。所属レコード会社はエイベックス。略称は「タキツバ」。英字表記は「Tackey and Tsubasa」、中国語表記は「瀧與翼」、ハングル表記は「타키 앤 츠바사」である。

メンバー [編集]
滝沢秀明 (たきざわ ひであき、1982年3月29日 - 、A型)愛称:タッキー 
今井翼 (いまい つばさ、1981年10月17日 - 、A型)愛称:翼 

略歴 [編集]
二人ともジャニーズJr.で活動していた頃より人気が高かったため、デビューが待ち望まれていたが、所属事務所社長・ジャニー喜多川より、「20歳になったら2人をデビューさせたい。」と公約。その時には2人のユニットになるか、お互いソロで活動するか決まっていなかったが、その後、滝沢から今井に「2人で活動していかないか?」と持ちかけ、2人でのユニット結成、CDデビューとなった。

二人で交流を持つようになったのはデビューする3年前からであり、ジャニーズJrの頃は、「(Jr時代は)お互い、殆ど喋らなかった。むしろお互いに避けていたところがあった」そうである。これはCDデビューを記念した東京ドームのコンサートで、開演直後に放映されたVTRにて公表された。また、HEYHEYHEYに出演した際に今井は口もきかないし、目もあわせない時期があったと述べている

2002年9月11日、シングルではなくアルバム『Hatachi』を最初に発売する変則的な方法でCDデビュー。テレビ朝日系列のゴールデンタイムで2時間特番が放送されるなど大々的な宣伝が行われたが、当初は期待されたほどのヒットにならなかった。

2003年11月、シングル『夢物語』が初のオリコン1位を獲得しロングヒットに。派手な衣装などが注目を集め、人気とスタイルを確立したが、この作品により今までの作品とは違い、ノリを求める楽曲、また正統派アイドル歌謡路線に方向性が向くようになった。

2006年7月31日~9月28日、シングル「Ho! サマー」が昼帯のドラマ30「がきんちょ~リターン・キッズ~」の主題歌になる。ジャニーズとしては珍しく、このドラマではジャニーズ所属タレント主演ではなく、なおかつ一人もジャニーズのタレントが出演していない。(どちらかが主演をしたドラマでタッキー&翼が主題歌を手掛けた事は現在まで一度もない)

2007年8月18日、8月19日に放送の24時間テレビ 「愛は地球を救う」(日本テレビ系)でメインパーソナリティーを務めた(同番組には翌2008年もゲスト参加)。


2008年、バンダイナムコゲームスからリリースしたWii専用ソフト「ファミリースキー」で、2人揃っての初のCM出演を果たした(任天堂版のCMも実在するが、こちらは出演していない)。


作品 [編集]

CDシングル [編集]
タイアップについてはジャニーズ タイアップ一覧を参照
To be, To be, Ten made To be(2003年2月26日)
夢物語(2003年11月12日)
One Day, One Dream(2004年2月11日)
愛想曲 (セレナーデ)(2004年11月3日)
仮面/未来航海(2005年5月4日)
Venus(2006年1月18日)
Ho! サマー(2006年8月9日)
×〜ダメ〜/Crazy Rainbow(2007年4月18日)
SAMURAI(2007年8月8日)
恋詩-コイウタ-/PROGRESS(2008年6月4日)

CDアルバム [編集]
Hatachi(2002年9月11日)
Twenty Two(2004年4月28日)
Two You Four You(2006年11月15日)

ベストアルバム [編集]
タキツバベスト(2007年10月17日)

DVD [編集]
タッキー&翼「Hatachi」deデビューGiants Hits Concert with all ジャニーズJr.」(2002年12月26日)
滝沢秀明「DREAM BOY」(2004年8月11日)
タッキー&翼「滝翼春魂」(2005年2月2日)
今井翼「翼魂」(2005年2月)
今井翼「Tsubasa Imai 1st tour 23 to 24」(2006年8月16日)
滝沢秀明「Hideaki Takizawa 2005 concert~ありがとう2005年さようなら~」(2006年8月30日)
タッキー&翼「タキツバCLIPS」(2007年3月7日)
滝沢秀明「滝沢演舞城」(2007年7月18日)
滝沢秀明「One! -the history of Tackey-」(2008年1月23日)
タッキー&翼「Tackey & Tsubasa Premium Live DVD -5th Anniversary Special Package-」(2008年3月19日)
滝沢秀明「滝沢演舞城 '08」(2009年2月18日)

コンサート [編集]
タッキー&翼のコンサートの醍醐味は、各楽曲のサビの部分(特にシングル曲)の手の振り付けを、メンバーと観客が一体となって一緒に踊ることである。
これは元々、2003年に発売されたシングル「夢物語」がまだCD化される予定も無かった頃、コンサートで観客と遊ぶノリで二人が始めたのがきっかけ。後にこれが大好評となり、その後二人の主張で楽曲もCD化された。(同楽曲のプロモーションビデオでも、サビの部分の手の振りを、メンバーと観客が一緒になって踊っている)。またこれ以降の楽曲も、二人の手の動きに合わせ、観客が一緒に踊るという行為が定着した。
現在、他のグループでも、楽曲のサビの部分を観客と一緒になって踊る光景は多数見られるが、ジャニーズ事務所でも最初に始めたのは正にこの二人であり、同事務所でも新境地を確立した。

"Hatachi" de デビュー Giant Hits Concert with allジャニーズJr.
2002年10月19日~10月20日 東京ドーム
(1ヶ所2日間2公演 20日の昼には、アルバム購入者を対象とした無料イベントを行った。)
タッキー&翼 with allジャニーズ Jr.コンサート2002 in 大阪ドーム
2002年12月28日 大阪ドーム
(1ヶ所1日間1公演 東京ドーム公演の追加公演として開催された)
2003コンサートツアー「To be, To be, Ten made Ten made To be」
2003年3月29日~5月5日 宮城県総合運動公園総合体育館、横浜アリーナ、名古屋レインボーホール、大阪城ホール、広島グリーンアリーナ、マリンメッセ福岡
(初の単独ツアー 6ヶ所9日間16公演) 
2004コンサートツアー 滝翼22才春魂
2004年4月29日~7月4日 北海道厚生年金会館、仙台サンプラザ、東京国際フォーラム・ホールA(追加公演)、横浜アリーナ、名古屋レインボーホール、大阪城ホール、福岡市民会館
(6ヶ所10日間16公演)
2005コンサートツアー 滝翼05'魂 (「ゴーコン(合コン)」と読む)
2005年4月30日~5月21日 横浜アリーナ、名古屋レインボーホール、大阪城ホール
(3ヶ所5日間9公演)
タッキー&翼“滝翼出雲魂咲会跳” (「タキツバ出雲コンサート」と読む)
2005年10月22日 出雲ドーム
(1日間1ヶ所2公演 滝沢が出演した大河ドラマ「義経」出演を記念し、開催されたスペシャルコンサート。尚、島根県でジャニーズ事務所所属タレントがコンサートを行なったのは、これが初となる。)
タッキー&翼 クリスマスコンサート2006 “2wo you 4our you”
2006年12月17日~12月24日 横浜アリーナ、大阪城ホール
(2ヶ所3日間6公演)
タッキー&翼 Concert`07~みんないっしょに楽しまなくちゃダメ~
2007年2月3日~5月27日 
北海道厚生年金会館、岩手県民会館、仙台サンプラザ、郡山市民文化センター(大ホール)、石川厚生年金会館、新潟県民会館、群馬県民会館、横浜アリーナ、名古屋国際会議場センチュリーホール、大阪城ホール、広島厚生年金会館、高知県立県民文化ホール、福岡サンパレス、宝山ホール(鹿児島県文化センター)
(14ヶ所18日間34公演)
タキツバ BEST TOUR 2007~2008
2007年12月23日~2008年3月23日
北海道厚生年金会館、仙台サンプラザ、栃木県総合文化センター、新潟県民会館、群馬県民会館、川口リリア メインホール、 横浜アリーナ、石川厚生年金会館、長野県県民文化会館、日本ガイシホール、ひこね市文化プラザ、京都会館 第一ホール、和歌山県民文化会館、大阪城ホール、神戸国際会館 こくさいホール、広島厚生年金会館、鳴門市文化会館、周南市文化会館、福岡サンパレスホテル&ホール、佐賀市文化会館、大分iichikoグランシアター、長崎ブリックホール、宮崎市民文化ホール、鹿児島市民文化ホール
(24ヶ所27日間51公演)

関連記事 [編集]
Club Vanilla

外部リンク [編集]
エイベックス公式サイト
[アーティスト名] タッキー&翼
[タイトル] タキツバベスト
[CD番号] AVCD-23446
[発売日] 2007-10-17
1 TrueHeart
2 キ・セ・キ/滝沢秀明
3 GetDown/今井翼
4 卒業〜さよならは明日のために〜
5 夢物語
6 OneDay,OneDream
7 愛想曲
8 仮面
9 未来航海
10 Venus
11 Ho!サマー
12 ×〜ダメ〜
13 CrazyRainbow
14 SAMURAI
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110101000111000100

SHADOWS

2009-07-15 17:36:59 | 邦楽

lynch.(リンチ)は名古屋市出身のヴィジュアル系インディーズロックバンド。

概要 [編集]
2004年8月、GULLETを脱退した玲央が、葉月、晁直らに声をかけ結成。当初からベースはサポートという姿勢を一貫し、現在もその形は続いている(技術があれば正式にメンバーに採用するとのこと)[要出典]。結成当初のメンバーは元々顔見知りな関係もあり、玲央が葉月や晁直が前のバンドで出しきれなかった部分を共に出し切ろうという気持ちで始めたとのこと[要出典]。バンド名である「lynch.」は、玲央によればその名にふさわしい自分たちの個性と存在感を認知してもらうための足かせとも言えるらしい[要出典]。

ヘヴィ且つメロディアスなサウンドと、ボーカルの力強いシャウトを武器に、日本全国に幅広くライブ活動を展開し、近年では海外にもその存在をアピールし始めている[要出典]。2006年には活動を一時休止した後、新たに悠介を加えたツインギター態勢で復活[要出典]。この時、初めは悠介にはベースを担当してもらう予定だったが、スタジオ入りした際にベースよりギターの方が向いていると玲央に判断された[要出典]。


メンバー [編集]
Vocal:葉月(はづき)(12月10日生まれ、B型)
経歴:→KUSSE→ベリィ→DEATHGAZE→lynch.
Guitar:玲央(れお)(11月3日生まれ、A型)
経歴:→Lustair→kein→GULLET→lynch.
Guitar:悠介(ゆうすけ)(5月10日生まれ)
経歴:→HYBRID-ZOMBIEZ→lynch.
Drums:晁直(あさなお)(7月12日生まれ、A型)
経歴:→Sicstar→lynch.
サポートBass:淳児(じゅんじ)
経歴:→Uma→gossip→lynch.

旧メンバー [編集]
サポートBass:光輝(ひかる)
サポートBass:ゆきの(現the studs)

ディスコグラフィー [編集]

シングル [編集]
underneath the skin(2005年11月16日)
a grateful shit(2006年7月20日)- 会場限定販売
roaring in the dark(2006年11月15日)
enemy(2006年12月13日)
forgiven(2007年1月17日)
Adore(2008年4月2日) オリコンインディーズチャート初登場1位
Ambivalent Ideal(2008年10月15日)

アルバム [編集]
greedy dead souls(2005年4月20日)
THE AVOIDED SUN(2007年4月25日) オリコンインディーズチャート初登場6位
THE BURIED(2007年11月7日) オリコンインディーズチャート初登場9位

出典 [編集]
So-net Music VISUAL:lynch. インタビュー

外部リンク [編集]
公式サイト
"http://ja.wikipedia.org/wiki/Lynch." より作成
[アーティスト名] Lynch.
[タイトル] SHADOWS
[CD番号] MWRE-11
[発売日] 2009-07-08
1 Last Nite
2 Adore
3 Maze
4 Evilly
5 I Don’t Know Where I am
6 Ambivalent Ideal
7 The Blasted Back Bone
8 Shadowz
9 Cultic my Execution
10 Marrow
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110110100100001100

LOVE IS THE GREATEST THING

2009-07-15 12:25:43 | 邦楽

w-inds. (ウィンズ)は、日本の男性ダンス&ボーカルユニット。所属事務所はヴィジョンファクトリー。所属レコード会社はポニーキャニオン。

概要・来歴 [編集]
ユニット名は北(涼平・龍一の出身が北海道)と南(慶太の出身が福岡県)の風(wind)が一つになって世界中に届くようにと名づけられた。その他にも「win(勝つ)」という意味も。また、「-」や「.」はインターネットが普及した今「ネット」でも自分たちを知ってもらいたいという願いも込められている。

デビュー当初は「DA PUMPの弟分」として活動し、デビュー曲についてはDA PUMPのKENが振り付けを担当したほか、お互いのライブ時には前座を務めるなどの交流があった。

2000年11月から代々木公園や渋谷でストリートパフォーマンスを開始し、2001年3月のデビュー直前には渋谷ホコ天に8,000人を動員し、3月14日にシングル『Forever Memories』でメジャーデビュー。同年に第43回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。翌2002年には紅白歌合戦に初出場を果たす。

2004年、初の海外単独公演を台湾で開催する。なお台湾では、アルバム『w-inds.PRIME OF LIFE』が総合チャートで1位を獲得。日本人男性歌手としては初、女性を含めても宇多田ヒカルと浜崎あゆみに次いで史上3組目。

2006年、宇多田ヒカルと浜崎あゆみを抜き、台湾にてアルバム4作連続首位獲得という外国人アーティスト初の快挙を成し遂げた。台湾で行われた中華圏最大の音楽祭「MTV Mandarin Award 2006」に出演し、今年から新設された中華圏で最も影響力のある日本人歌手に贈られるJ-POPアーティスト優秀賞を受賞。11月25日に韓国ソウルオリンピック競技場で行われたMnetが主催する「MKMF2006」にてアジア最高ポップアーティスト賞を受賞した。

2007年3月13日、北京で開催された日中国交正常化記念スーパーライブに出演。7月2日に香港返還10周年記念イベント「POP ROCK GALA」にゲスト出演のため香港を訪問した際、IFPI香港ベストセールス賞他合計10の賞を贈呈された。

2008年5月8日、首相官邸で行われた日中晩さん会で、福田康夫元首相、中国の胡錦濤国家主席らを前にライブを行った。5月24日および26日、ベトナム親善大使杉良太郎の呼びかけにより、「ハノイ・ホーチミン音楽祭」に秋川雅史、夏川りみらと共に日本人代表歌手として出演した。7月14日、ジュディ・オング、ジャッキー・チェンらを発起人として企画された四川大地震チャリティライブ「ハートエイド・四川」に出演した。10月4日、韓国・ソウルワールドカップ競技場で開かれたアジアソングフェスティバル(ASF)で東方神起、飛輪海らアジア各国のアーティストと共に舞台に立った。


メンバー [編集]
千葉涼平(ちば りょうへい、1984年11月18日 - 、)
ダンス&コーラス、ラップ担当。北海道札幌市出身。B型。
橘慶太(たちばな けいた、1985年12月16日 - 、)
ヴォーカル&ダンスを担当。福岡県福岡市出身。公式上は血液型不明。
緒方龍一(おがた りゅういち、1985年12月17日 - 、)
ダンス&コーラス、ラップを担当。北海道札幌市出身。O型。
参加作品 [編集]
World needs love(2002年8月7日発売)
Folder5、FLAMEとのユニット「Earth Harmony」として参加。
「2002INAS-FIDサッカー世界選手権大会」公式ソング
buddies(2003年3月19日発売)
FLAME、Leadとの合同リミックスアルバム
CHRISTMAS HARMONY(2007年11月21日発売)
ヴィジョンファクトリー所属のアーティストによるクリスマス・コンピレーションCD

出演 [編集]
ソロでの活動は各個人の項目を参照。

テレビ [編集]
大阪発元気ダッシュ!DOYAH (2001年11月 - 2003年9月、BS2)
FACTORY GENERATION(F超世代)(2003年3月13日 - 2005年2月19日)
台湾TVBS-G、韓国、香港、フィリピン、マレーシア、インドネシア、オーストラリア、アメリカの8地域で放映
w-inds.M (2008年1月9日 - 2008年12月23日、MTV)
映画 [編集]
Star Light (2002年5月15日公開) - 本人 役
ナースのお仕事ザ・ムービー (2002年12月18日公開、東宝) - 沖田の教え子(シュンスケ、ヒデ、シンジ) 役

ラジオ [編集]
w-inds. Jamping Street (2001年4月6日 - 同年終了、東北放送)
w-inds.のウィンディストリート(2001年10月8日 - 2008年10月5日、ニッポン放送)
w-inds.のオールナイトニッポン(2003年12月26日 - 、ニッポン放送) - 不定期

CM [編集]
ファミリーマート 『M / F / C ダブルマスカラ』 (2002年)
ブルボン 『ブルボンガムシリーズ』 (2003年7月 - 2007年1月)
ドワンゴ 『イロメロミックス マナー着信音』 (2005年) - Leadとの共演

雑誌 [編集]
JUNON

インターネット [編集]
ドワンゴ パケットラジオ 『w-inds.のパケラジドリーム』 (2005年 - 2006年12月25日/全96回)
GyaO w-inds.デビュー6周年特別企画番組『w-inds.road』(2007年3月14日 - 5月7日)
GyaO『音楽番組を板尾創路』(2008年1月9日 - 1月16日)

出版 [編集]

VHS / DVD [編集]

ライブ [編集]
w-inds.1st Live Tour "1st message" (2002年10月17日発売)
w-inds."THE SYSTEM OF ALIVE" Tour 2003 (2003年11月6日発売)
w-inds."PRIME OF LIFE" Tour 2004 (2004年12月15日発売)
w-inds.Live Tour 2005 "ageha" (2005年12月14日発売) ※DVDのみ
w-inds.Live Tour 2006 〜THANKS〜 (2006年12月20日発売) ※DVDのみ
w-inds.Live Tour 2007 〜Journey〜 (2007年12月19日発売) ※DVDのみ
w-inds.Live Tour 2008 "Seventh Ave." (2008年12月17日発売) ※DVDのみ

PV [編集]
WORKS vol.1 (2002年3月20日発売)
WORKS vol.2 (2003年4月23日発売)
WORKS vol.3 (2004年4月21日発売)
WORKS vol.4 (2005年7月20日発売) ※DVDのみ
WORKS vol.5 (2006年9月20日発売) ※DVDのみ
WORKS vol.6 (2007年9月5日発売) ※DVDのみ
WORKS BEST (2009年3月4日発売) ※DVDのみ
[アーティスト名] w-inds.
[タイトル] LOVE IS THE GREATEST THING
[CD番号] PCCA-2473
[発売日] 2007-07-04
1 LOVE IS THE GREATEST THING
2 SHINING STAR
3 夏祭り
4 LOVE IS THE GREATEST THING (Instrumental)
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110101011010011011

Yellow

2009-07-14 17:59:35 | 邦楽

木村 カエラ(きむら かえら、1984年10月24日 - )は東京都足立区綾瀬出身の女性ファッションモデル、歌手、タレント。本名:木村 カエラ(Kaela Kimura)[疑問点 – ノート]。

来歴 [編集]
中央区立佃中学校、東京都立向丘高等学校卒業。血液型A型(saku saku初登場時(18歳)は自分の血液型を把握していなかった)。左利き。ギターは右弾き。ソニー・ミュージックアーティスツ→SMAエンタテインメント所属(T-BOOMにも在籍)。

小6のときに原宿でカットモデルとしてスカウトされる。CUTiE(宝島社)の読者モデルを経験後、ミスセブンティーン2001(集英社主催)に選出され、セブンティーン専属モデルとなる。2003年3月31日、saku saku(tvk)でテレビ初登場。

2004年5月10日、saku sakuの企画としてインディーズから「Level42」(タイトルの由来は、saku sakuの制作局であるtvk親局のアナログチャンネル番号が42chであることから)を番組タイトルに因んで販売価格390円、枚数390枚限定で神奈川県のCDショップ新星堂にて限定販売したところ、2000人以上が殺到して3分で完売。6月23日、「Level42」でメジャーデビュー。10月27日リリースの2ndシングル「happiness!!!」は自身出演のCMソングに起用される。12月8日に発売された1stアルバム「KAELA」はオリコンチャート初登場8位を記録した。

2005年3月30日、3rdシングル「リルラ リルハ」をリリース。オリコンシングルチャート初登場3位を記録した。この曲はボーダフォン(現・ソフトバンクモバイル)のTVCMソングに起用され、自身が出演したCMが放映されるとともに知名度は全国区となった。同年春、セブンティーンモデルを「卒業」。10月5日には奥田民生プロデュースの「BEAT」を発売。

2006年1月18日、「You」(キットカットCMタイアップ曲)をリリース。J-WAVEのヒットチャート番組「TOKIO HOT 100」では1月29日に1位を獲得した。さらに、同年にはキリンラガーCMソングのために再結成されたサディスティック・ミカ・バンド(Sadistic Mica Band Revisited)のボーカルに迎えられ、さらにカエラの名前を入れたSadistic Mikaela Band名義でアルバムを発売することになった。

2007年2月14日リリースの3rdアルバム「Scratch」は自身初のオリコン週間チャート1位を記録した。その後も2週連続で1位をキープした。4月10日から始まる全国ツアー『LIVE TOUR 2007「Scratch」~上がってますってばTOUR~』の追加公演で、6月15日に自身初の日本武道館での単独ライブを行なった(ちなみに、初めての武道館ライブは、スペースシャワーTVでの企画で同年3月17日に行われた「MUSIC VIDEO AWARDS 07」で、「BEST POP VIDEO賞」を受賞した時である)。9月19日には、自身初の武道館ライブの模様を収録したDVD『LIVE Scratch~上がってますってばTOUR@武道館』がオリコンDVD売り上げランキング総合2位、音楽部門では1位を記録した。12月8日には、日本武道館で行われたチャリティライヴ、『Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2007』に出演し、奥田民生と共演した。12月19日と20日には、自身が企画したイベント「オンナク祭オトコク祭」を開催した。

2008年7月16日リリースのアイドリング!!!3rdシングルCD「告白」にて自身初の作詞提供を行った。


人物 [編集]
母は日本人、父はイギリス人。カエラ (Kaela) とはヘブライ語で「最愛」の意味。本人曰く「両親はそんな意味を知らず、語呂がいいからつけたんじゃないか」とのこと。また、タモリ倶楽部に出演したときには、「イギリス人は、私の名前をカエルと発音してしまう」と語った。英語は子どもの頃は喋れたが今は忘れて話せないとのこと。ただし、後に「saku saku」内で名付け親が祖母であり、本当は「かえちゃん」と付けたかった母親に対し、祖母が語尾に「ラ」を付けるようにと言った事が由来であると明かされている(祖母の名前の語尾が「ラ」だったためにそう主張したとの事)。

趣味はギター、ピアノ、服作り。得意なスポーツは水泳。昔、神社で巫女のアルバイトをしたことがある。また、高校時代から「animo」という名前のインディーズバンドを続けており、2005年には「...of newtypes」というオムニバスCDにも参加していた。

ノー・ダウトのボーカル、グウェン・ステファニーから影響を受けている。また、ランシドのTIMの大ファンでもあり、自らモヒカンフリークと名乗る。頻繁に髪型や髪の色を変えている。

ライブツアーは大ホールはあまり利用せず、1000人規模の集客のライブハウスを中心に活動している。2007年6月、初の武道館ライブを行う。

ガンダムシリーズのフィギュアやプラモデルを自分の部屋に飾っているが、ファースト派である事をラジオ番組でカミングアウトした。saku sakuで「相方」であった増田ジゴロウや白井ヴィンセントの操縦者である黒幕がファースト派であったため、そこから多大な影響を受けている(出演したての頃は全く話題についていけず、DVDなどを見て勉強していった。その過程で徐々にハマり、最終的にはゲストに薦めるまでになった)。

saku saku内では幾度かコスプレを披露している(制服、小悪魔、サンタ、魔女の宅急便のキキなど)。

漫画好きで、中でも好きなのは「ONE PIECE」。全然似ていないチョッパーの物真似をsaku sakuの黒幕に伝授した。最近は島耕作シリーズ(登場する女の有り得なさや性欲の凄さが面白いとのこと)、「デトロイト・メタル・シティ」、「クレイモア」も読んでいる。 王様のブランチ(2009年1月24日放送分)の一コーナーで「社長/島耕作 第1巻」をプレゼントされ喜んだ。その時に、Wikipedia上で島耕作シリーズが好きである事が書かれている事を本人が知り、「Wikipediaってすごいですねー」という発言をしている。また「デトロイト・メタル・シティ」においてはOH! MY RADIOに作者若杉公徳がゲスト出演した。しかし、アニメ版にも実写映画版にも出演はしていない。

本人いわく、肉好きの大食いである。

「うたばん」ではおぎやはぎとの共演が多い。

株式会社クレハ「NEWクレラップ」の『大人に変身』編のCMに出ているが、クレハのHPのCMが視聴出来るページに出演者コメントの動画があり、そのコメントで「「出たい」と言っていた」と語ったり、以前よりクレラップのCMに出演したかった事を明かした。

木村カエラとPerfume
木村カエラはPerfumeの知名度を大きく上昇させるきっかけをつくった人物である。

木村は自身がパーソナリティをつとめるラジオ番組『OH! MY RADIO』で、2007年3月28日放送分から4週にわたってPerfumeの楽曲をヘビーローテーションした。これは、偶然見かけた『チョコレイト・ディスコ』のPVに注目したことによる。「PVもすっごいかわいいし、曲もすっごくよくて。なんか懐かしい感じというか、今の時代にない感じで面白い」「この子たちがいつか大きく羽ばたいてくれないかということを私は誰よりも今一番願ってます」「いつか『タモステ』(テレビ番組『ミュージックステーション』のこと)で共演できることを祈ってます」[1]などと発言した。

この一連の放送で採り上げられた楽曲がCMディレクターの耳に留まった事がきっかけとなり、2007年7月から2008年6月まで放送された公共広告機構(現:ACジャパン)・NHK共同キャンペーンCMの起用が決まった[2]。

その後、2007年8月22日には初めてPerfumeを同番組のゲストに招き対面を果たした[3]ほか、2008年4月19日放送の「ミュージックステーション」では両者の共演が初めて実現した。2008年4月22日放送の「OH! MY RADIO」に2度目のゲスト出演をしたが、木村がJR東海道新幹線の人身事故の影響のため豊橋駅で足止めとなり番組の開始に間に合わないため、到着するまで30分以上の間、Perfumeの3人でパーソナリティ代打をつとめた[4]。

2009年7月4日に開催のイベント「HOT STUFF30th Anniversary Special Live out of our heads」で、一日限定ユニット「木村カエラ∞Perfume」(読みは「キムラカエラパフューム」)を結成。

その他 [編集]
インディーズ
Level42(2004年5月10日)
新星堂にて390枚限定発売。
限定発売
Circle(KIT KAT Edition)(2006年2月20日)
キットカットと、CDのパックが初回生産限定で販売された。
コラボレーション
タイムマシンにおねがい(06 version)
「Sadistic Mica Band Revisited」名義
麒麟麦酒「ラガー」CMソング
Hey! Hey! Alright(2009年1月14日)
「スチャダラパー+木村カエラ」名義
NHK 「メジャー」第5シリーズ オープニングテーマ

DVD [編集]
ライブ
KAELA KIMURA 1st TOUR 2005 "4YOU"(2005年7月6日)
LIVE Scratch~上がってますってばTOUR@武道館(2007年9月19日)
ミュージックビデオ
KAELA KIMURA BEST VIDEO 1(2008年7月23日)
バラエティ
saku saku Ver. 1.0(2005年4月28日)
saku saku Ver. 2.0 ヴィンの復習(2006年3月24日)
映画
CUSTOM MADE 10.30~Angel Works~(見習い編)~(ナビゲーションDVD、2005年10月14日)
カスタムメイド 10.30 カエラOTプレミアムエディション(2006年3月24日)
カスタムメイド 10.30 スペシャルエディション(2006年3月24日)

参加作品 [編集]
「Twinkle」
Various Artists「LOVE for NANA~Only 1 Tribute~」(2005年3月16日)3曲目
同曲のオリジナルバージョンがシングル「リルラ リルハ」のカップリングに収録されている
「Why are you so in a hurry? ~ 父ちゃんのメロディ」
Original Soundtrack「「カスタムメイド 10.30」オリジナル サウンドトラック」(2005年10月26日)19曲目
「Cloudy/木村カエラ&FOE)」
Various Artists「LAST DAYS tribute to Mr.K」(2006年4月5日)6曲目
「The End Of The Sun」
FOE「FOETUNES」(2006年4月26日)3曲目
「OH PRETTY WOMAN」
Original Soundtrack「「アテンションプリーズ」サウンドトラック ~OH PRETTY WOMAN~」(2006年5月24日)1曲目
「トゥリル トゥリル リカー」
Various Artists「嫌われ松子の歌たち」(2006年5月24日)1曲目
この曲はアルバム『Circle』にも収録されている
Sadistic Mikaela Band「NARKISSOS」(2006年10月25日)
「No Reason Why(featuring 木村カエラ)」
Farrah「No Reason Why」(2007年1月24日)2曲目
「マシマロ」
Various Artists「奥田民生・カバーズ」(2007年10月24日)3曲目
「君とどこまでも」
MO'SOME TONEBENDER「SING!」(2008年9月24日)5曲目
「Happy?」
JUDY AND MARY「JUDY AND MARY 15th Anniversary Tribute Album」(2009年3月28日)9曲目
[アーティスト名] 木村カエラ
[タイトル] Yellow
[CD番号] COCA-16021
[発売日] 2007-10-24
1 Yellow
2 No Reason Why
3 deja vu
4 Yellow(instrumental)
5 No Reason Why(instrumental)
6 deja vu(instrumental)
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110101000110111000

My Humps

2009-07-13 12:17:07 | 邦楽

ブラック・アイド・ピーズ(Black Eyed Peas)はウィル、アップル、タブー、ファーギーの4人からなるアメリカ合衆国のヒップホップ・ミクスチャーグループ。これまでにグラミー賞を3度受賞している。日本でのキャッチフレーズは「猿でも分かる〇〇」(例:良い音楽など)。2009年のシングル「ブン・ブン・パウ」はBillboard Hot 100で12週連続1位を獲得した。

メンバー [編集]
ウィル・アイ・アム(will.i.am[1])
本名:ウィリアム・ジェームス・アダムスJr.(William James Adams Jr.)
エスニシティ:アフリカン・アメリカン
誕生日:1975年3月15日
アップル・デ・アップ(apl.de.ap[2])
本名:アラン・ピネダ・リンドー(Allan Pineda Lindo)
エスニシティ:フィリピーノ/アフリカン・アメリカン
誕生日:1974年11月28日
タブー(Taboo)
本名:ヘイミー・ルイス・ゴメズ(Jaime Luis Gómez)
エスニシティ:ヒスパニック/ネイティブ・アメリカン
誕生日:1975年7月14日
ファーギー(Fergie)
本名:ステイシー・アン・ファーガソン(Stacy Ann Ferguson)
エスニシティ:アングロサクソン
誕生日:1975年3月27日

経歴 [編集]

アップル・デ・アップとファーギー1988年に同じ学校に通っていたウィルとアップルが出会い、ブレイクダンスグループのトライバル・ネイション(Tribal Nation)に入る。

1989年、ウィルとアップルはトライバル・ネイションを脱退し、ヒップホップグループのアトバン・クラン(Atban Klann)を結成する。

1992年、イージー・E(Eazy-E)が社長だったことで有名なRuthless Recordと契約。『Grass Roots』をリリース。

1995年のイージー死去を機に彼らはRuthless Recordを離れる。この頃にダンサーのタブーが加入し、ブラック・アイド・ピーズ(以下BEP)にグループ名を改める。ロサンジェルスを中心にライブ活動を始め、評判が広まっていった。

1997年にBEPのパフォーマンスは多くのレコード会社の間で話題となり、契約合戦となった。最終的にインタースコープ(Interscope)と契約。

1998年6月、1stアルバム『ビハインド・ザ・フロント(Behind the Front)』をリリースする。また、この頃にファーギーがロサンジェルスでのBEPのライブを見てファンになる。

2000年9月、2ndアルバム『ブリッジング・ザ・ギャップ(Bridging the Gap)』をリリース。同年、渋谷オンエアー・イーストでのイベントのため初来日した。

2001年にウィルが1stソロアルバム『ロスト・チェンジ(Lost Change)』をリリース(日本盤なし)。

2003年4月頃、ファーギーが加入。6月に3rdアルバム『エレファンク(Elephunk)』をリリースし、1stシングルの「ホエア・イズ・ザ・ラヴ?(Where Is The Love)」が大ヒットした。11月にはiPodのCM曲に「ヘイ・ママ(Hey Mama)」が起用されてヒット。人気を確立する。

2004年9月、DVD『ビハインド・ザ・ブリッジ・トゥ・エレファンク(Behind The Bridge To Elephunk)』をリリース。

2005年6月、4thアルバム『モンキー・ビジネス(Monkey Business)』をリリース。年間アルバムトップセールスで5位を獲得した。

2006年5月、リミックスアルバム「リネゴシエイションズ:ザ・リミキシーズ(Renegotiations:The Remixes)」リリース。7月に来日し、大阪城ホールと武道館での公演を果たす。7月17日放送のSMAP×SMAPに出演[3]、「ロンドン・ブリッジ」と「パンプ・イット」を披露した。


ディスコグラフィ [編集]

オリジナル・アルバム [編集]
ビハインド・ザ・フロント - Behind the Front (1998年)
ブリッジング・ザ・ギャップ - Bridging the Gap (2000年)
エレファンク - Elephunk (2003年)
モンキー・ビジネス - Monkey Business (2005年)
ジ・エンド(ジ・エナジー・ネヴァー・ダイ) - The E.N.D. (2009年)

リミックス・アルバム [編集]
リネゴシエイションズ - Renegotiations:The Remixes (2006年)

日本公演 [編集]
2004年 Special Showcase
2月11日 恵比寿ザ・ガーデンホール
2004年 THE ROCK ODYSSEY 2004(ウドー音楽事務所)
7月24日 横浜国際総合競技場、25日 大阪ドーム
2005年
9月16日 STUDIO COAST
2006年
7月11日 大阪城ホール、13日,14日 日本武道館
2007年 SUMMERSONIC 07
8月11日,12日 千葉幕張メッセ、大阪舞洲サマーソニック特設会場
脚注 [編集]
[ヘルプ]
^ 芸名はすべて小文字で「will.i.am」が正しい表記。
^ ウィル同様、アップルも芸名はすべて小文字表記。
^ 番組トークにてSMAPへ「クチ・クサイ・ソング」を提供すると伝えたが、中居正広からやんわり断られた。ウィル曰く「50セントやバスタ・ライムスなども欲しがった」というその曲は2008年に日本限定で発表されたウィルの客演ベストアルバムに収録されることになった(勿論SMAPは歌っていない)。

外部リンク [編集]
ブラック・アイド・ピーズ | Black Eyed Peas (日本公式サイト)
[アーティスト名] BEP
[タイトル] My Humps
[CD番号] My Humps
[発売日] 2006-01-00
1 my humps (a2 and h.s. acid rub)
2 my humps (acid instrumental)
3 my humps (acid remix)
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110011111110100101

はまぐりボンバー

2009-07-10 16:24:26 | 邦楽

矢島美容室(やじまびようしつ)は、日本の音楽ユニットである。

概要 [編集]
2008年、フジテレビ系バラエティー番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』発の企画として、シングル「ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-」でデビュー。プロデュースはとんねるずとDJ OZMAが、作詞は脚本家の遠藤察男(エンドウサツヲ名義)が、作曲はDJ OZMAが、それぞれ全て手掛けている。

ユニットは母と姉妹の3人で構成される。DJ OZMAが米ネバダ州ラスベガスにてスカウトしたとの触れ込みの下、母・マーガレットの夫であり失踪中の日本人美容師・矢島徳次郎を探す目的で来日したという。ユニット名は矢島が気づきやすいようにという名目で付けられた。


ユニット結成までの経緯 [編集]
2007年12月6日、DJ OZMAが『とんねるずのみなさんのおかげでした』「新・食わず嫌い王決定戦」コーナーに出演。コーナー内のトークで、前身の番組となる『とんねるずのみなさんのおかげです』で人気を博したシリーズコント「ロックンロール最高物語」に登場するロックバンド「矢島工務店」を見たのがきっかけでバンドを始めたことを告白する。ここでとんねるずとDJ OZMAが、「矢島工務店の現代版をやろう」と話が盛り上がったのが事の発端である。

その半年後の2008年5月29日、番組内で「とんねるず×DJ OZMAプロジェクト」が始動。とんねるずがDJ OZMAをドッキリにはめ、その後ミーティングをするために六本木に繰り出したが、具体的な構想はここでは話し合われなかった。

8月になりDJ OZMAが、レーベルをエイベックスと契約(同時期にDJ OZMA自身もエイベックスへ移籍している)し、デビュー曲をロッテの新商品のガムのCMソングにタイアップすることを報告。しかし、この時点でプロジェクトの概要やデビュー曲自体については何も発表されなかった。

9月25日、番組内で緊急記者会見を放送。その中で「とんねるずとDJ OZMAの3人の個性が強烈過ぎて相容れず、共に音楽をやることは不可能」との理由により結成を断念し、代わりに海外の女性3人組ユニットをプロデューサーの立場に回って手掛けるプロジェクトを発表した。ここで初めてユニット名、ユニットの概要、デビュー日とデビュー曲がそれぞれ発表された。


メンバー [編集]
各メンバーの、年齢をはじめとするプロフィールは、いずれも自称である(年齢は、2009年7月現在の時点の公式サイトの記載による)。メンバーはプロデューサーである木梨・DJ OZMA・石橋の3名が各自メンバーを独自にプロデュースしている。なお、マーガレット・ナオミ・ストロベリーの容姿はそれぞれ木梨・DJ OZMA・石橋に酷似しているが、3人は「偶然似ている」ということになっている。

マーガレット・カメリア・ヤジマ
日本名は矢島マーガレット。ヤジマ家の母。37歳。髪型はボブ。地元では「黒い稲妻(ブラック・ボルト。北京オリンピックの男子短距離走で大きな注目を集めたウサイン・ボルトのニックネームからとっている)」なる異名を持っていた元ヌードダンサー。スターダムの座をつかみかけておきながら日本人美容師だった矢島のハサミさばきに惚れ、「フツーの女の子に戻りたい」と、惜しまれつつも19歳の時に引退。日本語には慣れておらずカタコトで話す。
ナオミ・カメリア・ヤジマ
日本名は矢島ナオミ(サインは「直美」)。ヤジマ家の長女。18歳。髪型は盛りヘアー。母親の職業を嫌っていたが、裸で踊るよりもいいという諸事情でついてきた。家族を残し、逃げた父親に対する嫌悪感から男性不信に陥り、下ネタにも強い拒否反応を示す。学業優秀で日本語は日常会話に支障が出ないほどマスター。
ストロベリー・カメリア・ヤジマ
日本名は矢島ストロベリー。ヤジマ家の次女。12歳。髪型はアフロヘアー。一番大柄で好奇心旺盛。母の血を強く引いたためか、少しおめでたいところがあり、今自分に何が起こっているのか、ほとんど状況を把握していない。
日本語は父親から教わったためか、日本語の言い回しは一番達者だが親父ギャグや物真似のネタが古く、最近の若い人にはわかりにくい日本語を連発する。なお、ナオミとは父親が別であることが『うたばん』2008年10月23日放送回でマーガレットの口から明かされた。2009年3月12日放送回によると、実父はパキスタン人とのことである。

経歴 [編集]
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2008年
9月25日、フジテレビ系『とんねるずのみなさんのおかげでした 秋の特大スペシャル』にて、10月29日にCDを発売する事が発表される。デビュー曲「ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-」を番組内で初披露し、番組放送終了直後より着うたの配信を開始。ダウンロード数は約1時間で1万4000ユニットを記録。
9月26日、エイベックスによる公式サイトが開設。ロッテ『SPASH』(長澤まさみ、古田新太出演)のCMスポットが東日本で先行オンエア開始。
10月29日、シングル「ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-」を発売し、avex traxよりデビュー。オリコンチャートでは最高位3位を記録し、音楽配信ダウンロード数は150万ユニットを超えた。
12月11日、日本滞在のビザの期限が間もなく切れるとの理由で、メンバーの帰国(解散)が発表される。
12月13日、横浜アリーナで行われたDJ OZMAのラストライブに、マーガレットとストロベリーが乱入。
12月20日、国立代々木競技場第一体育館にて無料ライブ『FIRST & FINAL LIVE』を開催。1万人の定員に、観覧応募総数は約10万通に上った。
12月25日、予告していた解散を撤回し、2009年春の新曲発売を発表。
2009年
2月26日、新曲「SAKURA -ハルヲウタワネバダ-」を番組内で初披露。同日に着うた配信を開始。
3月25日、2枚目のシングル「SAKURA -ハルヲウタワネバダ-」を発売。オリコンチャートで最高位5位を記録。
7月8日、3枚目のシングル「はまぐりボンバー」を発売。発売を記念してラゾーナ川崎で無料のリリースイベントが行われた。

ディスコグラフィー [編集]

シングル [編集]
いずれもPVを収録したDVD付。初回プレス盤はキラキラジャケット仕様で、トレーディングカード(全5種)が1枚封入されている。

ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-(2008年10月29日発売)
SAKURA -ハルヲウタワネバダ-(2009年3月25日発売)
はまぐりボンバー(2009年7月8日発売)

参加作品 [編集]
DJ OZMA『I ♥ PARTY PEOPLE 3』(2008年12月31日発売)
ボーナストラックとして「ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-」を収録。

出演 [編集]

テレビ [編集]
とんねるずのみなさんのおかげでした(2008年9月25日 - 、不定期出演、フジテレビ)
SMAP×SMAP 秋の超豪華スペシャル(2008年9月29日、フジテレビ)
うたばん(2008年10月23日・2009年3月12日・7月5日、TBS)
月光音楽団(2008年10月27日・11月3日・2009年3月16日・7月6日・7月13日、TBS)
森田一義アワー 笑っていいとも!(2008年10月29日・2009年3月25日、フジテレビ)
笑っていいとも!増刊号(2008年11月2日・2009年3月29日、フジテレビ)
ミュージックステーション(2008年10月31日・2009年7月10日、テレビ朝日)
CDTV(2008年11月1日・2009年3月28日・7月11日、TBS)
魁!音楽番付 JET(2008年11月オープニングアクト、フジテレビ)
音楽戦士 MUSIC FIGHTER(2008年11月7日・2009年3月27日、日本テレビ)
FNS歌謡祭(2008年12月3日、フジテレビ)
Music Lovers SUPER LIVE 2009(2009年3月24日、日本テレビ)
めざましテレビ(2009年3月25日、フジテレビ)

雑誌・新聞 [編集]
週刊ザテレビジョン(2008年10月22日発売、角川書店)
Tokyo Walker(2008年10月28日発売、角川書店)
サンケイスポーツ(2009年3月7日発売・3月24日発売、産業経済新聞社)
日刊スポーツ(2009年3月28日発売、日刊スポーツ新聞社)
オリ★スタ(2009年4月3日発売、オリコン・エンタテインメント)

CM [編集]
ロッテ『SPASH』(2008年9月26日 - )

外部リンク [編集]
エイベックスによる公式サイト
エイベックスによるアーティストページ
[アーティスト名] 矢島美容室
[タイトル] はまぐりボンバー
[CD番号] AVCD-31707
[発売日] 2009-07-08
1 はまぐりボンバー
2 はまぐりボンバー (KARAOKE)
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110110100011101010

四次元 Four Dimensions

2009-07-10 11:26:33 | 邦楽

Mr.Children(ミスターチルドレン)は、日本のロックバンド[1]。略称は「ミスチル」。音楽プロデューサーは小林武史。所属事務所は烏龍舎、所属レコード会社はトイズファクトリー。公式ファンクラブは「Father & Mother」である。

概要 [編集]
同じ高校に通う桜井・田原・中川が中心となり、バンド「THE WALLS」を結成。しばらく活動していたところに、他のバンドで活動していた鈴木が加入し、1989年1月1日に「Mr.Children」と改名した。ライブハウス「渋谷La.mama」を中心に、約3年5ヶ月間アマチュアとして活動。プロデューサーに小林武史を迎え、1992年5月10日に、ミニアルバム『EVERYTHING』でメジャーデビュー。1993年発売の4thシングル「CROSS ROAD」は、オリコンチャート最高6位にも関わらずロングヒットを続け、初のミリオンセールスを達成。1994年発売の5thシングル「innocent world」は初登場1位を獲得、同年の年間シングルチャート1位に輝き、第36回日本レコード大賞を受賞。1994年から1995年に発売したCDは、全てミリオンセールスとなり、メディアに「ミスチル現象」と評された[2]。しかし、ほとんど休みのない過密スケジュールと、一部メディアやファンによってプライベートまで丸裸にされる環境に疲れ果てたメンバーは、1997年4月から無期限の活動休止期間に入った。1年半の休止期間を経て、1998年10月に、15thシングル「終わりなき旅」で本格的に活動を再開。2001年には、区切りをつけるべく、2枚のベストアルバムを発売し、翌年に10周年を迎えた。同年、桜井が小脳梗塞を患い、一時はその後のアーティスト生命を危ぶまれたものの、半年の療養を経て24thシングル「HERO」で音楽活動を再開。現在までコンスタントにCDをリリースし、活動を続けている。

詳細 [編集]

音楽性 [編集]
ポップサウンドが特徴で、バンドという形態をとりながらも、歌を大切にしており、アマチュア時代から一貫して、桜井がほとんどの曲を作詞・作曲し、小林武史とMr.Childrenが編曲を担当している。ただ、作詞はほぼ桜井1人によるものだが、作曲は必ずしもそうではない。メロディー重視のバラードなどの「歌もの」は、桜井がほとんど1人で作曲するが、サウンド重視の楽曲は、桜井がある程度曲の骨格をつくり、そこからメンバー及び小林と合同で、バンドセッションを繰り返し、完成させる。場合によっては、桜井の作ったデモテープから大幅に変わる曲もあり、クレジット上では、作曲:桜井和寿になっていても、厳密には作曲:Mr.Childrenという色が強い曲もある。曲作りの主な流れは、以下の通り。

桜井が、日常の中でふと浮かんだメロディーを、ICレコーダーなどの携帯記録媒体に録音。
それを元に、ギターやピアノを弾きながら作曲。1997年からは、自宅地下の作曲ルームで、Pro Toolsを使用した、機械的な作曲も行われている[3]。
出来上がった曲に、歌詞をつける。曲のメロディーにつられるように、同時に歌詞が浮かぶこともある。
そのデモテープをスタジオに持ち込み、メンバー及び小林と合同で編曲。メンバーは、自分の担当楽器のパートを音色付けしたり、改良する。小林は、主にキーボード・アレンジとストリングス・アレンジを担当し、場合によっては、桜井に対し一部歌詞の変更を求める[4]。
桜井はエルヴィス・コステロに声質が似ていると度々指摘されていて、桜井自身はそれを意識していなかったが、楽曲を聴いて気に入ったこともあり、「シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜」では楽曲、PV共に意識した部分が多々ある。坂本龍一からもコステロからの影響を指摘されている[5]。


ライブ [編集]
アルバムを発売した後は、必ずライブツアーを行っている。また、それとは別に、1995年から6年毎に、その時期の集大成となるスタジアムツアーも行っている(開催が約束されているわけではない)。1回のライブにおける平均的なデータとしては、曲数は20曲強、公演時間は2時間30分、MCは、桜井が単独で話す場合が多い。MCに割く時間は、1994年から徐々に減り始め、1996年からは、1回のライブで数回行われるMC時間を合計しても15分程度になり、あくまで曲を聴いて欲しい、という姿勢が顕著になっている。ライブ中は、田原と中川はあまり定位置から動かず演奏し、積極的にステージ上を動いて観客を盛り上げるのは、桜井の役目になっている。


名前の由来 [編集]
「THE WALLS」から「Mr.Children」に改名した日付は、正確には1988年12月末。渋谷のファミリーレストランロイヤルホストに4人が集合し、紙ナプキンに書いて案を出し合った。まず意見が一致したのは在り来たりなTHEから始まる名前はもう止めるということ。当時4人は「チルドレン」という響きを気に入っていて、好きな物にも関連の言葉が多かった。イギリスのバンド「THE MISSION」が1988年に発表したアルバム『CHILDREN』、同じくイギリスのバンド「The Railway Children」、世界中の飢えや貧困に苦しむ子供を写したロバート・キャパの写真集『戦争・平和・子どもたち』など[6]。しかし大人になった時にChildrenのままでは困るので、正反対のMr.を付けた。そして切りが良いという理由で公的な改名日を年明け1989年1月1日に設定した。名前をつけた当初は響きを重視して深い意味合いを持たせなかったが、メジャーデビュー後に所属事務所から「もっとプレゼンが上手くならないといけない」と言われ、後付けで「大人から子供まで幅広く聞いてもらいたい」という意味を付け足した[7]。小林は、子供っぽいという理由から再度「本当にこのバンド名でいいのか?」とメンバーに念を押したという。


名前の表記 [編集]
本来Mr.の後には半角のスペースを入れることが常であるが、Mr.Childrenの場合は公的にスペースを入れていない。それが意図的なものか、単に誤用が定着したのか、今のところ語られていない。表記についてはMr.Childrenを中心としているが、次いでMR.CHILDREN、mr.childrenという表記の使用もしばしば見られる。アマチュア時代はカセットテープ、参加したオムニバス・アルバム、ライブ告知用のフライヤー、掲載雑誌、所属事務所発行の「御苑プレス」、直筆メッセージ、全てにおいてMR.CHILDRENとして統一表記されているため、アマチュア時代はこちらが正式な表記であったと言える。所属事務所やレコード会社が決まり出した頃からはロゴも使われ始めている。1991年7月発売のテープ『MR.CHILDREN』の歌詞カードにはMR.CHILDRENという文字を円状に模ってその中に花を描いたロゴが使われている。しかしこのロゴはすぐに姿を変え、1991年夏頃から1992年のしばらくの間、二重丸の中に小さなギターの絵とMR.CHILDRENと書かれたロゴが一部フライヤーで使われており、この事から当初は大文字表記での統一およびこのロゴでメジャーデビューする意志があったと考えられる。しかし実際にメジャーデビューが直前に迫った1992年春頃からロゴは一切使用されなくなっている。ロゴの作成者は公表されていないため、メンバーがどこまで製作に関わったかは不明。そして表記については、メジャーデビュー作品である『EVERYTHING』では初めてMr.ChildrenとMR.CHILDRENが混在するかたちになっている(表ジャケットは前者で中ジャケットは後者)。以降からこれまでずっと1作品の中でも箇所ごとに表記が異なるものが数多くあり、またMR.CHILDRENやmr.childrenを使用する際に法則性がないため、メンバーおよび関係各社には表記に関する意識はそれほどないことが伺える。


オリコン記録 [編集]
アーティスト・トータルセールス(CD総売上枚数):5000万枚を突破(2007年3月時点。B'zに次いで歴代2位)
シングル初動売上枚数:120.8万枚(10thシングル「名もなき詩」。歴代1位)
ノンタイアップシングルCD売上枚数:181.2万枚(9thシングル「シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜」。歴代1位)
ミリオンセラー獲得数:シングル10作・アルバム12作(共にB'zに次いで歴代2位)
シングルダブルミリオンセラー獲得数:2作(CHAGE and ASKAと並び歴代1位タイ)
シングル首位獲得数・同連続首位獲得数・同連続初登場首位獲得数:29作(5thシングル「innocent world」から33rdシングル「HANABI」まで。継続中。共にB'zに次いで歴代2位)
シングル返り咲き首位獲得数:3作(5thシングル「innocent world」、6thシングル「Tomorrow never knows」、29thシングル「しるし」。松田聖子、中森明菜、サザンオールスターズと並び歴代1位タイ)。
年間シングルチャート首位獲得数:2作(1994年度「innocent world」、1996年度「名もなき詩」。ピンク・レディーと並び歴代1位タイ)
年間シングルチャートトップ10獲得数:14作(「奇跡の地球」を含む。歴代1位)
年間シングルチャートトップ10連続獲得年数:6年(2003年度から2008年度まで。歴代1位)
男性アーティスト・上半期アルバムチャート首位獲得数:3作(1997年度『BOLERO』、2007年度『HOME』、2009年度『SUPERMARKET FANTASY』。井上陽水と並び歴代1位タイ)
男性アーティスト・ミュージックDVD連続首位獲得数:5作(『wonederful world on DEC 21』から『Mr.Children "HOME" TOUR 2007 -in the field-』まで。B'z、KAT-TUNに次いでSMAP、堂本光一、滝沢秀明と並び歴代3位タイ)
[アーティスト名] Mr.Children
[タイトル] 四次元 Four Dimensions
[CD番号] TFCC-89139
[発売日] 2005-06-29
1 未来
2 and I love you
3 ランニングハイ
4 ヨーイドン
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110011110000100011

フォーク

2009-07-09 17:05:20 | 邦楽

スネオヘアー(SUNEOHAIR、本名: 渡辺健二(わたなべ けんじ)、1971年5月6日 - )は日本の男性ミュージシャン。新潟県長岡市出身。略称は「スネオ」または「スネヘア」。エピックレコードジャパン所属。長岡市立東北中学校、新潟県立長岡大手高等学校を経て聖学院大学人文学部欧米文化学科卒業。既婚、二児の父。血液型はO型。身長168cm。

人物 [編集]
作詞・作曲のクレジットは本名の「渡辺健二」名義となっているため、アーティストネームではなく渡辺健二によるソロユニットという印象が強い。そのせいか、スネオヘアーをロックバンドの名前だと間違える人も多いようだ。

渡辺健二という名前でデビューするより、何か面白いアーティストネームを持った方が良いのではと考え、ある日風呂上がりに鏡を見ると、自分の髪型が、まるで藤子・F・不二雄の漫画『ドラえもん』の骨川スネ夫のようだったのでそれを名前の由来にした。だが、普段はスネ夫の様な髪型をしているわけではなく、実際はマッシュルームカットに近い。

また彼は音楽の他にも以前には映画に出演するなど、様々な方向で活動していたことがある。また、アルバム『東京ビバーク』に収録されている曲「コミュニケーション」をYUKIに提供したり、自身が出演する映画『Jam Films S』の音楽を制作したりと、年々活動の幅を広げている。

PVでは、「アイボリー」でゆうたろう、「Over the River」でふかわりょう、「伝えてよ」で、カラテカの矢部太郎などのお笑い芸人と共演している。

好きな芸能人は女優の戸田菜穂。11th single「headphone music」のPVにはスネオヘアーには内緒で戸田菜穂を登場させるという、いわゆる「どっきり」が行われた。登場までのカウントダウンなどもPVに収録されている。

スキー検定1級の資格を持っている。


来歴 [編集]
生まれた時、実は東(あずま)という名前になるはずだったため、今でも東と名乗ることがあるというのは、スネオなりの軽いジョーク。
小学校4年生の時に両親にキーボードのカシオトーンを買って貰い、音楽に目覚める。
中学校2年生の時にお年玉でエレキギターを購入。ギターユニットを組むなど、音楽の活動を広げていく。友達の父親でバンドをやっていた人にベンチャーズ等を覚えさせられる。
高校時代サッカー部に入部するも、軽音楽同好会の存在を知って即入会。当時流行だったバンドブームに影響され、パートを色々入れ変わりながらバンド活動にのめり込んでいた。
大学進学時に上京。3年生の時に演劇に興味を持ち、その間音楽活動は全くしなかった。大学卒業後は色々な劇団を転々としながら演劇活動を続けていたが、1997年に演劇活動をやめて音楽活動を再開した。
1998年、デモテープをcafe au labelに送り本格始動。同年8月、シュガーフィールズのサポートメンバーとしてベースを担当した。
1999年1月に初ライブ。同年2月に「SUN!NEO!AIR」でインディーズデビューを果たす。
2002年5月、シングル「アイボリー」でメジャーデビュー。同年10月、メジャー初アルバム『スネスタイル』を発売。
2003年、4月よりスペースシャワーTV『熱血!スペシャ中学』レギュラー(~2005.3)。
初の全国ツアー「ウグイス嬢」。チケット発売当日に完売する快挙を成し遂げる。同年秋には2回目の全国ツアー「a watercolor tour」。

2004年、3回目の全国ツアー「スネオヘアーを信じるな」で、1万人以上の観客動員を記録。
2005年、4回目の全国ツアー「フォーク "まんざらでもない"」。
2005年4月~、東京のラジオ局J-WAVEの番組『TR2』で毎週木曜(金曜)のレギュラーナビゲーターに。
9月29日の番組終了後は、10月5日から放送の『OH! MY RADIO』水曜日のレギュラーナビゲーターを務める。
2005年7月、出演予定だった「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」を急性胃腸炎による入院でキャンセル。本人が一番つらかったらしく、後にリリースされたのが「悲しみロックフェスティバル」。しかし内容はこのこととは無関係である。
2005年、アンガールズ・いつもここから・カンニング竹山によるバンドU.N.O.BANDをプロデュース。
2006年、スペースシャワーTV『Oxala!』(オシャラ)月曜日のVJを担当(~2007.3)。
2006年、5月より5回目の全国ツアー「SUNEOHAIR LIVE TOUR 2006 ~カナシミ~」
2007年、デビュー5周年を迎える。
2007年1月~、J-WAVEの音楽専門インターネットラジオ放送局、Brandnew Jの毎週金曜の番組『hall of fame』のナビゲーターを担当。
2007年2月8日、J-WAVE『TOMORROW』にゲスト出演。
2007年7月3日より、テレビ東京系でスタートしたドラマ『週刊 赤川次郎』にレギュラー出演。ドラマ間のMCだけでなく、エンディングテーマ「気まぐれな季節のせいで」も担当。さらに、番組内でオンエアされるCM「週刊 スネオヘアー」「今週のスネオヘアー」にも出演している。
2007年12月8日、箭内道彦と組みTHE SUNDAY DRIVERSとしてDream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2007に出演。
2008年12月8日、再びTHE SUNDAY DRIVERSとしてDream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2008に出演。
2009年、出身地である新潟県長岡市発の映画『モノクロームの少女』(五藤利弘監督/2009年公開)主題歌「ホームタウン」を担当。
2009年5月公開のオムニバス映画『非女子図鑑』「占いタマエ!」で神主役で出演。
2009年、映画『のんちゃんのり弁』(緒方明監督/2009年9月下旬公開予定)主題歌「ロデオ」を担当。

ディスコグラフィー [編集]

メジャー [編集]

シングル [編集]
アイボリー(2002年5月22日発売)
NTT DOCOMO北海道ムーバSH251iのCMソング
アイボリー
てっぺん
訳も知らないで(2002年8月7日発売)
訳も知らないで
JET
Over The River(2003年1月22日発売)
Over the River
自問自答 (acoustic version)
一緒だよ
ウグイス(2003年4月23日発売)
TBS系『ランク王国』オープニングテーマ
ウグイス
まわる世界
セイコウトウテイ(2003年7月2日発売)
セイコウトウテイ
サマー様
ヒコウ(2004年4月21日発売)
ヒコウ
きっと
ストライク(2004年10月6日発売)
映画『お父さんのバックドロップ』エンディングテーマ
ストライク
このままこうして -Recorded at SHIBUYA-AX on June 25th, 2004-
テノヒラ(2004年11月26日発売)
スペースシャワーTV 2004年12月度パワープッシュ曲
テノヒラ
マボロシ
ワルツ(2005年5月25日発売)
フジテレビ系アニメ『ハチミツとクローバー』エンディングテーマ
ワルツ
空も忙しい
ワルツ -Instrumental-
悲しみロックフェスティバル(2005年11月23日発売)
悲しみロックフェスティバル
happy end (feat. azumi)
1224
headphone music(2006年5月24日発売)
headphone music
headphone music(i-dep mix)
headphone music(AHB DUB)
headphone music(自宅にて)
スプリット(2006年8月23日発売)
フジテレビ系アニメ『ハチミツとクローバー II』エンディングテーマ
スプリット
ターミナル
スプリット -Instrumental-
やさしいうた(2007年1月24日発売)
J-WAVE『TOMORROW』内コーナー『二十歳のころ』テーマソング
J-WAVE『PLATOn』内コーナー『二十歳のころ』テーマソング
やさしいうた
SEASON
Smile
やさしいうた ~二十歳のころ Radio Version~
伝えてよ/気まぐれな季節のせいで(2007年8月1日発売・初の両A面シングル)
映画『恋するマドリ』挿入歌(伝えてよ)
テレビ東京系ドラマ『週刊 赤川次郎』主題歌(気まぐれな季節のせいで)
伝えてよ
気まぐれな季節のせいで
伝えてよ -Instrumental-
気まぐれな季節のせいで -Instrumental-
言いたいことはいつも(2008年7月23日発売)
フジテレビ系『ウチくる!?』エンディングテーマ
言いたいことはいつも
オレンジ
伝えてよ -弾き語りLive ver.-
※3曲目は2007年4月28日Zepp Tokyoにて収録
共犯者(2008年10月29日発売)
共犯者
トークバック
[アーティスト名] スネオヘアー
[タイトル] フォーク
[CD番号] ESCL-2637
[発売日] 2005-02-23
1 ストライク
2 テノヒラ
3 LIST
4 会話
5 夢の続きのようなもの
6 自我像
7 フォーク
8 ヒコウ
9 The end of despair
10 くだらない言葉 はしゃぎすぎた場所
11 エコー
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110011100001110110

BLUE2

2009-07-09 10:56:42 | 邦楽

西田 エリ(にしだ えり、1984年1月4日 - )は、日本の歌手。所属事務所はベストワンプロ。愛知県出身。

来歴 [編集]
中学生の頃から歌手志望で、プロダクションにスカウトで入る。
2005年、メジャーデビューシングル 『BLUE 2』 をリリース。
2006年

04月26日 2ndシングル「Season memory/FIRST LOVE~黄昏~」をリリース。
05月07日 ラジオ日本でラジオ番組「西田エリのSeason memory」放送開始。
2007年

03月28日 初のDVD「西田エリ in 竹富島」をリリース
2008年

03月01日 ラジオ日本でラジオ番組「西田エリの君がいるから」(毎土5:00~)放送開始。
03月05日 3rdシングル「桜蕾~サクラ~/君がいるから」をリリース。
2009年

06月03日 4thシングル「夢色/永遠~天国の愛~」をリリース。

定期的に東京都飯田橋セントラルプラザ内のRAMLAにて西田エリDAYなるライブイベントも開催中。

他にも、CMソングやVシネマの主題歌を歌う。

秋葉原にある「カフェレスト・ペコ」にてミニライブも随時行っている。


ディスコグラフィー [編集]

シングル [編集]
BLUE 2(2005.9.14・ZAIN RECORDS)
Season memory/FIRST LOVE~黄昏~(2006.4.26・徳間ジャパン)
桜蕾~サクラ~/君がいるから(2008.3.5・ブルー・ミュージックエンタテインメント/ポニーキャニオン)
夢色/永遠~天国の愛~(2009.6.3)

DVD [編集]
西田エリ in 竹富島(2007.3.28・すきっぷ)

タイアップ一覧 [編集]
BLUE 2 テレビ東京「サバドル」エンディングテーマ
テレビ金沢「じゃんけんぽん」2005年9月度エンディングテーマ
FIRST LOVE〜黄昏〜 BSジャパン「GAME JOCKEY2」エンディングテーマ
Season memory 毎日放送「MMTV」エンディングテーマ
Music Japan TV「ミュージックアイドルバトル」エンディングテーマ
TVK「キッズナビゲーション」エンディングテーマ
桜蕾〜サクラ〜 テレビ東京「アリケン」2008年4月〜6月度エンディングテーマ 
S269ch MUSIC JAPAN TV「ミュージックアイドルバトル」2008年6月度テーマソング
君がいるから BSジャパン「石田ism」エンディングテーマ
ラジオ日本「甲子園をめざして」2008年5月〜7月度エンディングテーマ
ラジオ日本「西田エリの君がいるから」テーマソング


外部リンク [編集]
西田エリ ベストワンプロ内公式サイト
西田エリ ブルー・ミュージックエンタテインメント レコード会社公式ページ
西田エリBlog
すきっぷじゅにあ
[アーティスト名] 西田エリ
[タイトル] BLUE2
[CD番号] ZACL-4003
[発売日] 2005-09-14
1 BLUE2
2 Rain~もう一度会いたい~
3 Your Dream
4 BLUE2-Original Karaoke-
5 Rain~もう一度会いたい~-Original Karaoke-
6 Your Dream-Original Karaoke-
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110011101011100101