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RECOLLECTION

2009-07-27 17:10:19 | 邦楽

フライ・トゥ・ザ・スカイは、韓国のR&B男性デュオ。メンバーはファニと韓国系アメリカ人のブライアン。略称はFTTS。

来歴 [編集]
1999年、SMエンターテインメントからデビューし、ブライアンのソフトで透き通る歌声とファニの太く豊かで力強い歌声のハーモニーで多彩なメロディーを歌い上げ、韓国のトップR&B歌手の地位を着実に固めた。 デビュー当時はいわゆる‘アイドル’だったが、4集のタイトル曲'MISSING YOU'を転機にファン層を広げ、‘アーティスト’として認められたーと二人は後のインタビューで振り返っている。 6集以降はPFull Entertainmentに移籍し、デュオ活動と平行してそれぞれソロでの活動の幅を広げ、俳優、MC、タレント、歌手として活躍する。

デビュー10年を記念する8集の発売と同時に、8集がFTTS最後の正規アルバムになると発表。今後は別々の事務所でソロ活動に専念する(ブライアンはpfullに残り、ファニは新しい事務所に移籍)。しかし二人は「決して解散ではない!」と強調し、機会があったらコンサートやイベントなどを通じFTTSとして存在し続けるとしている。  そして2009年4月12日の「SBS人気歌謡(生放送)」が8集活動最後のステージとなった。二人はデビュー曲'DAY BY DAY'と最後のタイトル曲'拘束'を熱唱し、最後にブライアンがファニの背に手を回して長いお辞儀で10年の活動に区切りをつけた。FTTS最後の舞台は5月に日本で開かれるイベントーとの報道もあるが、ブライアンはあくまで「ファニとブライアンそれぞれのアーティストとしての出演」とファンに語っている。  ブライアンはハリウッド映画の出演が決まっており、6月から2カ月間ほどアメリカでの撮影に入る予定。一方ファニは秋の発売を目指してソロアルバムの制作に入るとみられる。


メンバー [編集]
ファニ(환희、歓喜、Hwanhee、Hwany、Fany ※読みは「ファン・ヒ」の二つ目の「H」が連音化して「ファニ」となる)
本名:ファン・ユンソク(황윤석)
生年月日:1982年1月17日
出身:韓国・ソウル
学歴:国民大学校演劇映画、慶煕大学校ポストモダン学科
血液型:B型
趣味:音楽鑑賞・コンピューターゲーム・バスケットボール
特技:ダンス
好きな食べ物:キムチチゲ
ソロ活動:ドラマ「オーバーザレインボー」「愛してる」出演
ブライアン(Brian、브라이언)
本名:Brian Gintaek Joo
韓国名:チュ・ミンギュ(주민규)
生年月日:1981年1月10日
出身:アメリカ・ニュージャージー
学歴:Rutgers University  東国大学入学(韓国)
血液型:A型
趣味:映画鑑賞・インターネットチャット・バスケットボール
特技:掃除・料理
好きな食べ物:パスタ・とんこつラーメン
ソロ活動:ソロアルバム「The Brian」、音楽番組MCなど

ディスコグラフィー [編集]
アルバム
1集 Day by Day (1999.12.9)   ~  タイトル曲:Day by Day
2集 約束 (2001.2.3)   ~   タイトル曲:약속(約束)
3集 Sea of Love (2002.4.26)  ~ タイトル曲:Sea of love
4集 Missing You (2003.7.4)   ~   タイトル曲:Missing you
5集 重力 (2004.11.8)   ~ タイトル曲:중력(重力)
6集 Transition (2006)   ~ タイトル曲:남자답게(男らしく)
7集 No Limitations (2007)   ~ タイトル曲:My angel
8集 Decennium (2009.2.12) ~ タイトル曲:구속(拘束)
ベスト版ほか
ベストアルバム - Eternity (2005.5.21)
リパッケージ-Transition (2006)
スペシャルリパッケージ-No Limitations (2007)
リメイクアルバム-Recollection (2008.4.23)
ソロアルバム
ブライアン 
「The Brian」(2006.12)
コンサート
Kim Jo Han & Fly to the Sky Joint Live Concert : Contact (2001)
1st Live Concert: Unforgettable (2004.4.22)
サウンドトラック参加
ファッション 70s   ~ 参加曲:가슴 아파도(胸が痛くても)
オーバーザレインボー(ファニのみ)  ~ 参加曲:Tommorow,그리운 건 어쩔수 없어(恋しさはどうしようもなくて)I Want U, I Need U
ハローお嬢さん(ブライアンのみ)  ~ 参加曲:매일 난(毎日僕は)
ベートーベンウィルス(ファニのみ)~参加曲:내 사람(僕の人)
Feat.参加ほか
MayBee 1集(ファニ)
Christopher 1集(ブライアン)
Duncan James-Sooner or Later(ファニ)
The Best of Christian Music(ファニ-Give Thanks)
All Star Christmas-White Christmas
Eru-マネキン(ファニ)
Eru-最後のコンサート(ブライアン)
Show How-New day(ブライアン)
Show How-Show U How (ファニ)
PS Jun-Evil Time(ブライアン)
ペ・スルギ-내 사람이 돼줘요(私の人になって)(ブライアン)

プロフィール [編集]
1999年12月9日1集「DaybyDay」発売

★1集 アルバム

デビュー日 1999年11月21日 MBC-TV ロックインH.O.T

1999年12月11日MBC「ミュージックキャンプ」生放送

1999年12月15日「クリスマスインSMタウン.com」発売

2000年1月26日KMTV 「ショーミュージックタンク」で「DaybyDay」1位

2000年7月25日~7月29日台湾プロモーション

2000年8月15日公式ファンクラブ「Flyhigh 」1期創壇式開催

2000年12月8日「2000ウインターバケーションSMタウン.com」発売

2000年12月29日 SBS歌謡大賞新人歌手賞受賞


受賞歴 [編集]
2007年
「第14回大韓民国芸能芸術賞バラード部門歌手賞」
2006年
「SBS歌謡大典本賞」
「第21回ゴールデンディスク賞本賞」
「Mnet KM ミュージックフェスティバル R&B 部門最優秀賞」
「第4回韓国ファッションワールドアワード歌手部門ベストドレッサー」
2004年
「SBS歌謡大典本賞 R&B部門」
2003年
「KBS歌謡大典青少年部門本賞」
「SBS歌謡大典本賞」
「スポーツソウル第14回ソウル歌謡大賞本賞」
「2003 Korean Music Awards R&B部門 人気賞」
「日刊スポーツ第18回ゴールデンディスク施賞式本賞」
「韓国ベストドレッサー施賞式 男性歌手部門」
「Mnet Music Video Festival R&B部門 最優秀MusicVideo賞」
2002
「SBS歌謡大典 R&B部門」
2000年
「SBS歌謡大典 新人歌手賞」
[アーティスト名] Fly to the Sky
[タイトル] RECOLLECTION
[CD番号] XQFJ-1001
[発売日] 2008-04-24
1 幸せを与える人
2 酔中真談 (Feat. And)
3 最後の愛
4 回想
5 この夜の終わりをつかんで
6 かたつむり
7 世界の果てからの始まり (Brian Solo)
8 願い (Hwany Solo)
9 私の涙集めて
10 一枚の思い出
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110101100010001111

LOVE2000/アイドルを探せ (カヴァー曲)

2009-07-27 12:24:42 | 邦楽

hitomi(ヒトミ、1976年1月26日 -)は女性歌手、シンガーソングライター。旧姓古谷仁美(ふるや ひとみ)。現姓は不明である。[1]。所属事務所及びレコードレーベルはエイベックス・エンタテインメント。愛称は「hitomi姉さん」。公称身長167cm[2]。血液型B型。右の画像は映画「悪夢探偵」の製作記者会見の様子から。

略歴 [編集]
栃木県内で生まれるが、生後間もなくして神奈川県川崎市の生家に移る。
尚、彼女は栃木県に住んだ事は無く、栃木県の生まれではあるが主な生育地が川崎市内の為、「栃木県生まれの川崎育ち」と見做されており、この説が有力である。よって実質は神奈川県出身(但し、公式プロフィールでは出身地の言及は無い事が多いが、詳しくは#その他を参照の事)。[3]
1993年雑誌『Fine』のモデルになり、ヒロミチナカノのショーなどに出演。
中学生の頃より数々のオーディションに応募しており、中学最終年の1990年に出場した第15回ホリプロタレントスカウトキャラバンでは決勝迄進出[4]。また、「モモコクラブ」にも所属し(桃組出席番号・3429番)歌手デビュー以前から芸能活動は行っていた。その他 CS放送『スペースシャワーTV』ナビゲーターなどを務めた。小室哲哉に出会ったのもこの頃であった。
1994年、小室がプロデュースしたシングル「Let's Play Winter」でCDデビュー。1995年2月、2ndシングル「WE ARE "LONELY GIRL"」ではオリコン最高位61位を記録し、同年4月3rdシングル「CANDY GIRL」ではオリコンチャート初TOP15入りを果たし、39万枚を売り上げるスマッシュヒットとなる。
デビュー当初から殆どの曲の作詞を自ら行っている。
1996年、2ndオリジナルアルバム『by myself』でオリコンチャート1位を初獲得。約80万枚を売り上げた。
「小室ファミリーの落ちこぼれ」と自称しているほど、思う様にメガヒットを飛ばせない事を気に掛けてきたが、1998年頃に小室プロデュースの元から離れて以降むしろ売り上げが乱高下している他のファミリーや元ファミリーと異なり、順調にヒットを生んでおり、特に2000年から2002年は彼女の隆盛期である。
1999年、初のベストアルバム『h』を発売。オリコンチャート1位、約50万枚を売り上げた。
2000年にシドニー五輪で金メダルを獲得した女子マラソンの高橋尚子が、練習中やレース前にテンションを上げる曲として「LOVE 2000」を紹介した事から、同曲が注目を集め再びチャートを上昇させた[5]。
2002年に元GASBOYSのメンバーでデザイン会社勤務の7歳年上の男性と結婚(5年後の2007年秋に結婚生活に確執が生じ離婚する)。結婚してからまもなくして卵巣腫瘍を患い心配されたが手術は成功し無事に回復した。同年、2ndベストアルバム『SELF PORTRAIT』を発売。もう一度オリコンチャート1位、約60万枚を売り上げた。
2004年、1年半の休業を経て活動を再開。以降も本業の歌手としての他、テレビ出演、女優、モデルなど積極的な活動を行っている。女優デビューは2002年に放映されたドラマ私立探偵濱マイク(但し、ゲスト出演として)。
2005年、デビュー10周年を機に独立してエイベックスより新プライベート・レーベル"LOVE LIFE RECORDS"を立ち上げた。28thシングル「Japanese girl」はレーベル初の発売。
2007年には、映画『悪夢探偵』において長編映画初主演を成功させる。さらに、舞台『Waiting for the Sun“天気待ち”』に初出演。12月5日にデビューから13年間の軌跡が詰まった、コンプリートベスト盤『peace』をアルバム、DVD、ボックスセットの3タイトルで同時発売。デビューから全てのシングル曲が収録されている。
2008年6月30日に、俳優の羽田昌義と入籍・再婚し、7月11日に自身のHP内のブログで発表した。妊娠していた事(当時妊娠4ヶ月)も記述していて、「いろいろな事が起こって自分でもびっくりしているのと、嬉しい気持ちで一杯です」と綴っており、最後には「温かく見守って頂けたら幸いです」で締めくくっている。同年12月23日に約2,900gの女児を出産した。

エピソード [編集]

歌手・芸能活動 [編集]
歌手デビューする前、彼女は本名(旧姓)の「古谷仁美」名義で活動していた。
幼少の頃から歌手を目指しており、「ライブアーティストになりたいと思っている」とコメントしていた[6]。
デビューシングルでは、歌詞は彼女の直筆であった。
1998年頃から歌詞の一人称に「僕」を入れる様になった。又、この頃から作詞のみならず作曲にも挑戦している。
1999年に発売した初のベストアルバムでは、歌詞カードの中にキツネやオオカミ等の動物を彼女が抱きかかえているシーンが掲載されている。
自室だけでは無く、車内や風呂場でも歌詞を書く事もある。
マラソン選手、高橋尚子は練習中、よく彼女の歌を聞いてテンションを上げたのみならず、実際に彼女の歌を歌った事がある(高橋が歌っていた曲も「LOVE2000」[7])。
2000年にアルバム「LOVE LIFE」をリリースした際、下着一枚のフルヌード写真のジャケットが注目を浴びた。[8]
映画出演の際、彼女は「実は怖い番組が苦手」だと語っていたと言う[9]。又、女優出演に備えて演劇学校にも通い詰めていたそうだ。
2002年から毎年全国各地で開催されている所属会社主催のコンサート「a-nation」にはほぼ毎回出演している。
2007年12月に発売されたアルバム「peace」は、CD又は歌詞カードはそれぞれ赤、黄、青を基調としている。
2009年5月の出産後初のシングル「WORLD!WIDE!LOVE!」は妊娠中時代に書き上げた物で、「お腹の中に居る子供の立場になって歌詞を書いた」と本人が述べている。
2009年6月に発売のアルバム「LOVE LIFE 2」も妊娠中時代に製作されており、ここでは臨月だった彼女のフルヌード写真がジャケットに掲載される。同時に同タイトルの写真集も発売され[10]、自身のフルヌードの写真は2000年に発売された「LOVE LIFE」以来約10年ぶりとなる。因みに当時はロングヘアーだった。[11]又、この写真集では彼女自身、史上初となるバストトップやアンダーヘアが写った画像も掲載されている。

プライベート・嗜好 [編集]
羽田とは舞台の稽古中に意気投合した事で知り合った。羽田と結婚した後、新婚旅行で行った先がアテネだった[12]。
梨花とは仲が良く、彼女の写真集で共演した事もある。又、彼女の写真集には梨花との対談も収録されている。
犬も猫も好きでペットは犬(ブルドッグが2匹居る)と猫数匹飼育している。特にブルドッグはブログで度々公開されている。
趣味はウォーキング。ウォーキングを習慣としている事で、彼女の体重はデビュー当初からの体重 (約47kg前後) を維持しており、妊娠中でもほとんど体重が変わっていない。妊娠中を除き、体重が50kgを超えた事は一度も無い。その他、定期的にジム通いをしたり、和食中心の食事にしたりする事で往年の体型を維持している。だが、子供を出産してからは子育てに専念しており、ジム通いの頻度は減っている。
その他の趣味は音楽鑑賞、洋服に関する事。
特に音楽は洋楽が好きで、好きな歌手はジェーン・バーキン等。
兄が一人居るが、一般人の為氏名は公表していない[13]。また、家族についての言及もかなり少ない。
30歳近くになる迄、着物を着た事が無く、30歳の誕生日の時彼女の着物姿をブログで公開していた。
好きな場所はシチリア・アテネ等、地中海地域。海外旅行やロケでもよく訪れている。
好きな食べ物は和食類で、特に納豆や豆腐等が好き。辛い物も好き。
嫌いな食べ物はパパイヤ、イチジク。
大の酒好きで、酒は特に日本酒が好きである。
左利きで、食事の時の箸は左手だが、字を書く時は幼い時に直された為右手である[14]。
愛読書は岡本太郎。
愛車はBMW・Z4で、彼女のブログで公開された事もある。免許を取得したのは20代になってから。
子供を出産する前、産院を予め下見していたと言う[15]。因みに彼女が出産したのは助産院。又、妊娠についての相談相手は義姉。
妊娠する前、彼女は妊娠に関して「太ったりしてネガティブなイメージが多い」と語っていた事もあったが、実際は「むしろ以前よりほっそりした」と述べていた。
妊娠中ながら縄文杉を見る為に屋久島の山中を数時間かけて登山した事もある。
2007年に前夫と離婚した際、ブログでは「お互いの為に出した結論です」とコメントしていた。
2008年12月に女児を出産した時、彼女のブログで「大変だったが素晴らしい経験をする事が出来た」とコメントしていた。
ロングヘアーのイメージが強いが、実際は過去に4度髪を切っている。又、最近ではメガネを掛けている事もしばしばある。2009年5月現在はショートカットヘアー。
妊娠中時代から彼女が愛用している飲み物はアイクレオの鉄分入りのサプリメント飲料「毎日ビテツ」。特に梅味がお気に入りである。自身はレバーが苦手な為、この飲料で鉄分を補っているとの事。

CM関連 [編集]
2002年に出演したダイエットコカコーラのCMでは、ボクシングのジムでグローブを着用したり、ラテンダンスで派手な衣装を纏っていた[16]。
2005年夏にユニリーバのCMに出演していた時は、髪型はアフロにしていた[17]。
[アーティスト名] hitomi
[タイトル] LOVE2000/アイドルを探せ (カヴァー曲)
[CD番号] AVCD-30117
[発売日] 2000-06-28
1 LOVE 2000
2 REGRET
3 アイドルを探せ
4 destiny
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110100111000101100