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ジンギスカン

2009-07-20 18:23:58 | 邦楽

Berryz工房(ベリーズこうぼう)は、ハロー!プロジェクトに所属する女性アイドルグループである。ハロー!プロジェクトメンバーも使用する略称はベリーズ、ファンが使用する略称はベリ、ベリ工(べりこう、カタカナのエを使いベリエとも)、ベリッコ。メンバー7人中、5人が血液型O型である。(他のメンバーはA型とB型が1人ずついる。)

メンバー [編集]
清水佐紀(しみず さき、1991年11月22日 - ) : キャプテン
嗣永桃子(つぐなが ももこ、1992年3月6日 - ) : 「Buono!」のメンバー(リーダー)としても活動中
徳永千奈美(とくなが ちなみ、1992年5月22日 - )
須藤茉麻(すどう まあさ、1992年7月3日 - )
夏焼雅(なつやき みやび、1992年8月25日 - ) : 「Buono!」のメンバーとしても活動中
熊井友理奈(くまい ゆりな、1993年8月3日 - ) : 「ガーディアンズ4」のメンバーとしても活動中
菅谷梨沙子(すがや りさこ、1994年4月4日 - ) : 「ガーディアンズ4」のメンバーとしても活動中

卒業メンバー [編集]
石村舞波(いしむら まいは、1992年11月20日 - ) : 2005年秋ツアー最終日の10月2日をもってBerryz工房を卒業、および芸能界を引退。

グループ名の由来 [編集]
"小さな果実"を意味する「Berry」の複数形「Berries」をあえて「Berryz」と表現し、「Berry達が表現する様々な音楽」をクリエイトする工房という意味で、『Berryz工房』と名付けられた。


特徴 [編集]
ハロー!プロジェクト・キッズ15人の中から選抜された8人で結成された。

結成当初は、学校行事の優先等を理由にメンバーの入れ替えの可能性が示唆されており、当初選ばれたメンバーは「スターティングメンバー」と呼ばれていた。ただし、欠席メンバーの補充や当初アナウンスされた「入れ替え」は一度も行われなかった。2005年10月2日に石村舞波の卒業・引退以降は7人で活動している。また、残りのハロー!プロジェクト・キッズのメンバー7人が℃-uteを結成してデビューしたことにより、メンバーの「入れ替え」は事実上無くなった。

結成から3ヶ月連続でシングルCDのリリース、フルオリジナルアルバムの作成、ラジオ番組のレギュラー、初年度の合同コンサート、そして2年目の単独コンサートと、当時のハロー!プロジェクトの中でもかなり精力的に活動を展開した。また、多くのシングルCDにイベント参加券を封入し、握手会を開催している。

ハロー!プロジェクト・キッズからのメンバーで構成されているため、以下の点が考慮されている。

コンサートおよびイベントは土・日・祝日および夏休み期間にスケジュールを組んで行われている。また、メンバーによっては学校行事を優先して欠席する場合もある。
メンバーの出身地は非公開である。
デビュー当時は体調が悪くなったらすぐに舞台袖に戻るよう指導されていた様で、歌の途中でメンバーが居なくなる場面もしばしばあった。

略歴 [編集]
2004年
1月14日 ハロー!プロジェクトファンクラブ限定イベントで正式に誕生した。
7月 1stアルバム「1st 超ベリーズ」から約1ヵ月半後にリリースした4thシングル「ハピネス 〜幸福歓迎!〜」を皮切りに初動セールス・最高順位・累積売り上げ等が軒並み上昇した。
2005年
3月  6thシングル「スッペシャル ジェネレ〜ション」で念願のオリコンシングルチャートトップ10入りを果たし、初登場7位にランクインした。初動セールスに至っては過去にリリースした作品の累積売り上げを上回った。
10月2日 石村舞波が卒業。
2006年
3月 10thシングル「ジリリ キテル」ではオリコン・ウィークリーで6位と自己記録を更新した。
10月  2006年バレーボール世界選手権のオフィシャルサポーターを務める「WaT×ハロー!プロジェクト」にWaT、モーニング娘。、DEF.DIVAと共に参加した。
2007年
3月3日、4日 Berryz工房ファーストファンクラブツアー in Aichiが開催される。
4月1日 さいたまスーパーアリーナにて単独コンサートを行った。これは同会場で単独公演を行うアーティストとしては最年少記録である(平均年齢13.8歳、これまでの記録はハロー!プロジェクトの先輩であるモーニング娘。で平均16.3歳)。同公演の一般チケットは発売日に即日完売した。
6月 14thシングル「告白の噴水広場」ではオリコン・ウィークリーで4位を取り、自己記録を塗り替えた。
12月4日 初の紅白歌合戦出場決定(ハロー!プロジェクト10周年記念紅白スペシャル隊として)。
12月31日 第58回NHK紅白歌合戦に初出場。
2008年
2月3日  シルク・ドゥ・ソレイユ「ドラリオン」東京公演会場にてイベントが実施された。
8月7日 「2008神宮外苑花火大会」にて国立霞ヶ丘陸上競技場でのスペシャルライブのメインを務めた。
10月3日 - 5日 第5回 2008アジアソングフェスティバルにて「アジア最高新人歌手賞」を受賞[1]。
12月 『第41回日本有線大賞』有線音楽賞を受賞。
2009年
3月 Berryz Kobo First Fan Club Tour in Hawaii'09がホノルルで行われた。

ディスコグラフィー(CD) [編集]

シングル [編集]
あなたなしでは生きてゆけない (2004年3月3日)
ファイティングポーズはダテじゃない! (2004年4月28日)
ピリリと行こう! (2004年5月26日)
ハピネス〜幸福歓迎!〜 (2004年8月25日)
恋の呪縛 (2004年11月10日)
スッペシャル ジェネレ〜ション (2005年3月30日)
なんちゅう恋をやってるぅ YOU KNOW? (2005年6月8日)
21時までのシンデレラ (2005年8月3日)
ギャグ100回分愛してください (2005年11月23日)
ジリリ キテル (2006年3月29日)
笑っちゃおうよ BOYFRIEND (2006年8月2日)
胸さわぎスカーレット (2006年12月6日)
VERY BEAUTY (2007年3月7日)
告白の噴水広場 (2007年6月27日)
付き合ってるのに片思い (2007年11月28日)
ジンギスカン (2008年3月12日)
行け 行け モンキーダンス (2008年7月9日)
MADAYADE (2008年11月5日)
抱きしめて 抱きしめて (2009年3月11日)
青春バスガイド/ライバル (2009年6月3日)

アルバム [編集]
1st 超ベリーズ (2004年7月7日)
第②成長記 (2005年11月16日)
4th 愛のなんちゃら指数 (日本:2007年8月1日、韓国:2008年5月26日)[1]
5(FIVE) (日本:2008年9月10日、韓国:2008年9月17日)[1]

ミニアルバム [編集]
スッペシャル!ベストミニ〜2.5枚目の彼〜 (2005年12月7日)
③夏夏ミニベリーズ (2006年7月5日)

ベストアルバム [編集]
Berryz工房 スッペシャル ベスト Vol.1 (2009年1月14日)

その他 [編集]
Berryz工房 起立!礼!着席! 課外授業編 (2004年11月15日)
サクラハラクサ (2007年4月1日)
桜→入学式 (2007年4月1日)
ジンギスカン タルタルミックス (2008年9月17日)
[アーティスト名] Berryz工房
[タイトル] ジンギスカン
[CD番号] PKCP-5114
[発売日] 2008-03-12
1 ジンギスカン
2 ダーリン I LOVE YOU(Berryz工房 Ver.)
3 ジンギスカン(Instrumental)
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110101111100000110

ビタースウィート・ワールド

2009-07-20 12:38:45 | 邦楽

アシュリー・ニコール・シンプソン・ウェンツ(Ashlee Nicole Simpson Wents、1984年10月3日 - )は、アメリカ合衆国のロック歌手、女優。身長169cm。てんびん座。 実姉は歌手のジェシカ・シンプソン、夫はFall Out Boyのベーシストのピート・ウェンツ。

来歴 [編集]

生い立ち [編集]
テキサス州ウェーコ出身。父、兼プロデューサーのジョーは南部バプテスト(プロテスタント)派の牧師、母ティナは元日曜学校の教師、実姉は同じく歌手のジェシカ・シンプソン。

3歳からバレエを始め、11歳で、名門スクール・オブ・アメリカン・バレエに最年少合格者として入学。在学2年間は単身で、寄宿舎に入り、家族とは離れ離れであった。13歳で家族全員でロサンゼルスに移住。姉のジェシカ・シンプソンが歌手デビュー、アシュリーはそのバック・ダンサーとして、世界中をツアー。14歳の時に日本に訪れている。この頃よりジョーン・ジェット、デボラ・ハリーに憧れ、ロック歌手を志す様になる。


キャリア [編集]
17歳で女優デビューし、テレビドラマ出演。19歳で念願のレコード・デビュー。MTVではアシュリーが女優から歌手になるまでの過程をドキュメンタリーした、リアリティ・ショー「MTVアシュリー・シンプソン~デビューへの道~」が放送され高視聴率を記録。デビュー・アルバムAutobiography は全米初登場1位、全世界で約400万枚を売上を記録する、大ヒットとなった。約2ヶ月にわたる全米ツアーを行い、数々の賞を受賞、アーティストとしてステップアップした。

2004年には初の日本ライブも行う。2ndアルバムI Am Meは、前作Autobiography に続きビルボードチャート1位を獲得することが出来た。

2008年4月23日には3rd albumBittersweet Worldが発売された。その中にはザ・キュアーのロバート・スミスとのデュエット楽曲がある。これはアシュリーがシカゴでライブを行ってから、親交が深まりデュエットへと発展した、という経緯。アシュリーは「このコラボレーションは素晴らしいものになるわ!」と語った。他にはミュージック・ステーションにも出演したジョン・レジェンド、ザ・ネプチューンズのチャド・ヒューゴなどが制作に関わっている。

私生活 [編集]
これまで俳優のジョシュ・ヘンダーソン、歌手のライアン・カブレラ、アシュリーのバックバンド・ギタリストのブラクストン・オリタと交際。2007年からはFall Out Boyのベーシストのピート・ウェンツと交際し、2008年5月17日に結婚。 2008年11月20日に男児を出産。


論争 [編集]

口パク騒動 [編集]
2004年10月に出演したコメディバラエティ番組「サタデー・ナイト・ライブ」(通称SNL)にて人気暴落を引き起こす大失態を犯してしまう。1曲目は問題なく歌い上げたが、2曲目を歌おうとした瞬間、何故か1曲目と同じイントロが流れ周囲は騒然となった。彼女のマイクは口元を離れていた為、口パクが発覚。その後は彼女のオフィシャル・サイトに批判の書き込みが殺到。

「サタデー・ナイト・ライブ」出演直後、フットボールの試合のハーフタイム・ショーに出演した時も、会場からは大ブーイングの嵐であった。この番組は長年続く歴史ある番組で、出演出来るのは一流のアーティストとして認められた証であり、U2、ローリング・ストーンズ等の大物も出演を喜ぶ程である。アシュリーは自身の人気と歌唱力を全米に知らしめる機会であったが、それどころか赤っ恥をかき、全米中の人々から非難を受ける結果となってしまった。

アシュリー側は「バック・トラックを使ったのは、重度の慢性胃炎持ちであり、そのために胃酸逆流症で声が出なくなったから。彼女の調子が悪かった。」とコメントしたが、天下のSNLでの失態のダメージは大きかった。視聴者だけでなく歌手からも非難を受け、アヴリル・ラヴィーンは「そういったスターはライブ放送に出演する価値は無い」と相変わらずの毒舌で批判。後日某パーティーにて鉢合わせとなり、アシュリーはアヴリルに問いただすとアヴリルは「ごめんなさい」と一言謝罪し、アシュリーも「もう子供じゃない」と大人な対応を取り一件落着したが、失った信頼と人気は計り知れない。後にこの時の気持ちを歌った曲をアルバムに収録している。

MTV COOL CHRISTMAS 2005 [編集]
MTV主催のイベントでは彼女はトリとして出演1曲目にI Am Meを熱唱。しかし2曲目の"L.O.V.E"の途中で彼女は突然舞台から消えてしまった。演奏はそのまま続けられ、結局歌が終わるまで顔を出さなかった。演奏終了後、ガラガラの声で謝罪をした。この一件以来アシュリーの声はガラガラで、この頃より「アーティスト限界説」が囁かれ始めた。

整形騒動 [編集]
最近では、特徴的だった鷲鼻をストレートにする整形をしたことが発覚し、タブロイドマガジンを騒がせている。

特徴 [編集]
髪は元はブルネットで、姉と同じブロンドに染めていたが、差別化を図る為黒に染めていた時期もあった。現在は、ブロンド、ブルネットや赤などの様々な色を楽しんでいる。 
自ら「私は狂ったこの世界で生きる、セクシーな女の子」と称している。 
米誌「Spin」が毎年発表している『ワースト・ドレッサー賞』と同時に同誌から発表される2006年度『最もひどいソロアーティスト』と『最もひどいライブパフォーマンス』の不名誉な2つを受賞。これだけでは無く、アイドル性が高かったアシュリーが“アーティスト性”を前面に出した売り出し方で大コケ、『アシュリーに早く引退してもらう』署名サイトまで立ち上がり、アーティスト性を酷評されている。 
CDではハスキーボイスな歌声だが、生歌ではCDとは違い非常に不安定でおぼつかなく、良心的なファンをハラハラさせている。

受賞歴 [編集]
2004年

ティーン・チョイス・アワード
“CHOICE SONG OF THE SUMMER” "Pieces Of Me"
ノンジャンル部門“FRESH(新人賞)”"Pieces Of Me"
Billboard Music Awards
“BEST NEW FEMALE ARTIST OF THE YEAR” 
2005年

MTV Asia Music Awards
“FAVORITE INTERNATIONAL BREATHROUGH ARTIST”
第47回グラミー賞
アルバムAutobiography のプロデューサー・ジョン・シャンクスが“PRODUCER OF THE YEAR NON-CLASSICAL”を受賞。
第19回日本ゴールドディスク大賞
“ニュー・アーティスト・オブ・ザ・イヤー” 
2006年

TRL Awards
“Bounce-Back Artist”
2006 MTV Australia Video Music Awards
“Best Female Artist, Best Pop Video” "Boyfriend"
ツアー [編集]

外部リンク [編集]
Official Website(英語)
Myspace(英語)
Ashlee Simpson - Internet Movie Database (英語)
Ashlee Simpson ゲフィン・レコード (英語)
ユニバーサルミュージック (日本語)
[アーティスト名] アシュリー・シンプソン
[タイトル] ビタースウィート・ワールド
[CD番号] UICF-1098
[発売日] 2008-04-23
1 アウタ・マイ・ヘッド(アイ・ヤ・ヤ)
2 ボーイズ
3 ルール・ブレイカー
4 ノー・タイム・フォー・ティアーズ
5 リトル・ミス・オブセッシヴ
6 ラグドール
7 ビタースウィート・ワールド
8 ホワット・アイヴ・ビカム
9 ホット・スタッフ
10 マーダー
11 ネヴァー・ドリーム・アローン
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110101011111010101