きれいな音楽

いろいろな音楽
無料試聴

雅-miyavizm-主義

2009-07-09 10:21:02 | 邦楽

雅-miyavi-(みやヴィ、9月14日 - )は、日本人ミュージシャン。AB型、兵庫県出身。

人物
本名非公開(年齢も非公表だが、事あるごとに自ら言っている)血液型はAB型。日本人の母と在日韓国人二世(帰化済み)の父の間に大阪の西九条で生まれる。
Gacktの事を普段からGack兄と呼び、慕っている。
小学校に入学しサッカーを始める。企業チームのジュニアユースに所属する。県選抜に選ばれ、プロのサッカー選手になることを夢見るも15歳の時に足を負傷。それをきっかけにチームを離脱し、サッカーを断念。
高校を自主退学し音楽と出会いギターを始め、関西で活動。
17歳のとき恩人の先輩の死にショックを受けそのまま上京。(PHS、財布、パイポ、だけをもっての上京だった)
上京後、ライブハウスで前バンドのメンバーと出会い、そのまま一泊し、一晩で作曲を終えてたことがきっかけとなり加入することとなった。

来歴
1999年6月より、Due'le quartzのギタリストとして活動。バンドの中では作詞や作曲、アレンジをほぼ全て担当していた。
2002年9月、Due'le quartzが解散、その翌日にHPにてソロデビューが発表された。
2002年10月31日、アルバム『雅楽-gagaku-』をリリースし、ソロ活動を本格的に開始。
2003年4月25日、ファーストライブを渋谷公会堂(現・CC Lemon Hall)にて行う。同日ファンクラブ「仔雅連合」が発足。
2003年12月2日、アルバム『雅-galyuu-流』リリース。
2004年2月より、初の全国ツアー「東京脱走。」を開催。
2004年7月10日、ツアー追加公演「日本脱走。」を韓国、台湾で開催。
2004年8月11日、ファン感謝祭「雅-miyavi-VS東京ドーム」戦と題し東京ドームで無料のファンイベントを開催。
2004年8月31日、インディーズ・ラストライブ「This is 王道。」を日本武道館にて開催。
2004年10月20日、シングル『ロックの逆襲スーパスターの条件/21世紀型行進曲』でユニバーサルミュージックよりメジャーデビュー。
2004年10月24日、都内にて、マル秘シークレットライヴ「黒服限定ギグ~仔雅の逆襲~」を開催。
2004年12月19日、BUZZ ROCK present's 2004 X'mas「みやヴィが街にやってくる!!」を開催。
2004年12月27・28日、イベント仔雅連合主催忘年会「雅-miyavi-博 in 浜名湖」を開催。
2005年4月、「新曲公開リハーサル“ぷち”TOUR ~Re:ハーサル~」を開催。
2005年5月4日、シングル「Freedom Fighters-アイスクリーム持った裸足の女神と、機関銃持った裸の王様-」をリリース。
2005年6月1日、メジャー初となる、フルアルバム『雅-miyavizm-主義』をリリース。
2005年7月、全国ツアー「「俺様だぁれだ」~ライブハウスへ行こう~」を開催。
2005年10月、シングル「結婚式の唄/Are you ready to ROCK?」発売記念イベント「身貴族*雅-miyavi-氏の花嫁探しの旅-2005- 前夜祭」を開催。この際、初めて「独奏家」(スラップを中心とした独学の奏法と『Gigpig』という独自の楽器(ドラム、タンバリンなど様々な楽器が組み合わされている)を使った独奏)の雅-miyavi-のパフォーマンススタイルが披露された。
2005年12月、「Peace&Smile Carnival tour 2005」を開催。
2006年1月18日、シングル「セニョールセニョーラセニョリータ/Gigpigブギ」リリース。
2006年3月〜4月、「雅と行く音楽と名湯の旅『来年は長期休暇をいただきます』という訳で、ファンクラブで温泉旅行しちゃいます-2006-」を開催。
2006年4月12日、シングル「Dear my friend/愛しい人」をリリース。
2006年7月5日、シングル「君に願いを」をリリース。
2006年8月2日、アルバム『MYV☆POPS』をリリース。
2006年9月13日、アルバム『雅-みやびうた-歌~独奏~』をリリース。
2006年9月14日〜18日、「25周年記念公演 東京芸術劇場 5days ~独奏~」を開催。
2006年9月より、約半年間単身ソロアーティストとしての腕を磨くため、ロサンゼルスに留学。
2007年2月、ラスベガスのホテルMGMグランドのクラブにて現地のDJ、パーカッショニストとセッション。
2007年5月、ロサンゼルスでひらかれたYOSHIKI 主催の『J-Rock-Revolution』にゲスト出演し、YOSHIKI、Gackt、SUGIZO、雅からなる新バンドS.K.I.N.の加入を発表した。
2007年6月20日、シングル「咲き誇る華の様に/歌舞伎男子」で活動を再開。
2007年7月〜8月、「【雅-miyavacation-休暇'07】The Beginning Of NEO VISUALIZM Tour 2007」(LA、ドイツ、韓国、中国を含む)敢行。
2007年11月14日、シングル「素晴らしきかな、この世界 -WHAT A WONDERFUL WORLD-」をリリース。
2007年11月14日より、新曲発売イベント「素晴らしき、即売会-2007」が東京、福岡、大阪、札幌、名古屋の5都市で開催。
2007年12月25日、「The Beginning Of NEO VISUALIZM Tour 2007 -下剋上-」を渋谷公会堂にて敢行。
2008年1月16日、シングル「陽の光さえ届かないこの場所で feat.SUGIZO」をリリース。
2008年3月19日、アルバム「雅-THIS IZ THE JAPANESE KABUKI ROCK-」をリリース。
2008年5月より、初のワールドツアーとなる「THIS IZ THE JAPANESE KABUKI ROCK TOUR 2008 」を開催。アメリカ、チリ、ブラジル、ドイツ、オランダ、スペイン、イギリス、スウェーデン、フィンランド、フランス、台湾、韓国、日本、中国をまわる。
2008年6月27日、「AZN PRIDE-THIS IZ THE JAPANESE KABUKI ROCK-」をリリース。
2008年12月25日、TeddyLoidプロデュースによる、初のリミックスアルバム「雅-miyavi- Remixx album[Room No.382]Remixed by TeddyLoid」をリリース。
2009年3月26日にMelody.と入籍していたことがわかる。

作品

シングル
ロックの逆襲/21世紀型行進曲(2004年10月20日)両B面シングル
Freedom Fighters-アイスクリーム持った裸足の女神と,機関銃持った裸の王様-(2005年5月4日)
結婚式の唄/Are you ready to ROCK?(2005年10月12日)
セニョールセニョーラセニョリータ/Gigpigブギ(2006年1月18日)
Dear my friend/愛しい人(2006年4月12日)
君に願いを(2006年7月5日)
咲き誇る華の様に/歌舞伎男子(2007年6月20日)
素晴らしきかな、この世界 -WHAT A WONDERFUL WORLD-(2007年11月14日)
陽の光さえ届かないこの場所で feat.SUGIZO(2008年1月16日)

アルバム
雅-miyavizm-主義(2005年6月1日)
MYV☆POPS(2006年8月2日)
雅-みやびうた-歌~独奏(2006年9月13日)
7 SAMURAI SESSIONS -We're KAVKI BOYZ-(2007年7月18日)
雅-THIS IZ THE JAPANESE KABUKI ROCK-(2008年3月19日)
AZN PRIDE-THIS IZ THE JAPANESE KABUKI ROCK- (2008年6月27日)[アジア特別編集]
AZN PRIDE-THIS IZ THE JAPANESE KABUKI ROCK- (2008年8月27日)[アジア特別編集 ALBUM 日本限定盤]
雅-miyavi- Remixx album 【Room No.382】 Remixed by TeddyLoid(2008年12月24日)

映像作品
一人芸2~帰ってきたMr.ヴィジュアル系~(2005年12月7日)
一人芸3(2007年1月17日)
25周年記念公演・東京芸術劇場5days~独奏~(2007年5月2日)
The Beginning Of NEO VISUALIZM Tour 2007-下克上-Live at 渋谷公会堂(C.C.Lemon Hall) 2007.12.25(2008年5月7日)
THIS IZ THE ORIGINAL SAMURAI STYLE-雅的二十一世紀型世界見聞録+歌舞伎男子的近代浮世動画集(2008年12月24日)

インディーズ時代の作品

シングル
死んでもBoogie-Woogie(2002年11月30日)
POP is dead(2002年11月30日)
ジングルベル(仮)(2002年12月18日)
自分革命-2003-(2003年4月16日)
タリラリタララ♪(2003年6月25日)
Coo quack cluck―ク・ク・ル―(2003年9月3日)
あしタ、元気ニなぁレ。(2004年6月23日)

アルバム
雅楽-gagaku(2002年11月30日)
雅-galyuu-流(2003年12月2日)

映像作品
デーブーイデー”下剋上”(2003年7月23日)
一人芸(2004年8月21日)
雅-miyavi-インディーズ・ラスト LIVE in 日本武道館(ってそのままやんけ。)~「This is 王道。」編(2004年12月1日)
雅-miyavi-インディーズ・ラスト LIVE in 日本武道館(タイトル長いな、しかし!!)~「のり子の一日」編(2005年1月12日)

テレビ
新堂本兄弟(2004年10月マンスリーゲスト)

映画
おれさま

関連項目
PS COMPANY
the GazettE
Kra
キラーギターズ
S.K.I.N.
TeddyLoid

外部リンク
雅-miyavi-Official Site【オレ様.com】公式サイト
雅-miyavi-Official Myspace公式MySpace
雅-miyavi-Official Myspaceモバイル公式MySpaceモバイル
雅-miyavi- ::UNIVERSAL WEB::ユニバーサルミュージックによる公式ページ
雅-miyavi-KAVKI BOIZ BLOGKAVKI BOIZのブログ
[アーティスト名] 雅-miyavi-
[タイトル] 雅-miyavizm-主義
[CD番号] UPCH-9177
[発売日] 2005-06-01
1 好っきゃねんMYV ~MYVマン公式応援歌~(前編)
2 恋はプッシュホン・
3 ビバ★ビバ★ビバップ ~人生、泣き笑い~
4 ポップンロ-ル甲子園(ベ-スボ-ル)
5 阿呆祭 -アホまつり-
6 さいさいさいならByebyebye
7 雨に唄えば ~ピチピチチャプチャプランランブル-ス~
8 ROCK'N'ROLL IS “NOT” DEAD
9 ♂パパママ♀ ~望まれヌ Baby~
10 好っきゃねんMYV ~MYVマン公式応援歌~(後編)
11 シェイクスピアに捧ぐ
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110011101001111001

FREAKY PLANET

2009-07-08 17:40:53 | 邦楽

m.o.v.e(ムーヴ)は、2人組の音楽グループ。t-kimuraがプロデューサーを務める。

来歴 [編集]
1997年…10月1日『ROCK IT DOWN』でデビュー。エイベックスレーベルのavex tuneに所属。
1998年…2ndシングル『around the world』発売。この楽曲から、m.o.v.eと頭文字Dの長い付き合いが始まった。
1998年…TAIPEI J-DANCE FESTIVALでは初海外パフォーマンスを約3万人の前で実現させる。
2001年…『Gamble Rumble』がオリコンウィークリーチャートで自身初のトップ10に入る。
2003年…ダラスにて行われたAnimeFESTS!2003に出演。
2005年…アメリカ進出に伴う商標登録上の問題によりmoveからm.o.v.eにユニット名を変更。ほぼ時期を同じくして、四ヶ月連続リリースを開始。米iTunes Storeでも楽曲販売が開始される。
2005年…シングル『FREAKY PLANET』が米ソニーが提供するグローバルオンライン・リミックスコンテストのAcid Planetに抜擢される。日本人アーティストとしては初めての参加。
2006年…1月に四ヶ月連続リリースのシングルを含んだ8thアルバム、『GRID』をリリース。この後実に一年半近く、新曲のリリースが行われなかった。
2007年…ドイツ、カッセルで開催されたConnichi2007に出演。4月にはアメリカ、シアトルで開催されたSakura-Con2007に単独出演し、約3千人を動員。
2007年…28thシングル『SPEED MASTER』において、8-BALLとのコラボレーションに挑戦。他アーティストとのコラボレーションは、今作が初である。国内では7月7日に日本武道館で行われたAnimelo Summer Live 2007 -Generation-A-に初のアニメイベント出演。10月に10周年を迎え、同月3日に記念アルバムとして『10th Anniversary MEGA BEST(CD+DVDの限定盤とCDのみの通常盤)』と『10th Anniversary GIGA BEST(DVD)』を同時リリースした。
2008年…3月に10周年記念の一環で SHIBUYA CLUB QUATTRO にて行われた『LIVE CD at SHIBUYA CLUB QUATTRO(CD)』と『LIVE DVD at SHIBUYA CLUB QUATTRO(DVD)』をリリースした。 Wonder Gooにて購入した購入者には初回特典として『雷鳴-out of kontrol-』のPVにて登場した赤のRX-7(FD3S)のチョロQとスペシャルライブの応募ハガキが付いてくる。
2008年…5月11日 Wonder Goo 守谷店内のGoostにてスペシャルライブを行った。15:00~と17:00~の2部構成で行われ、『LIVE CD at SHIBUYA CLUB QUATTRO(CD)』と『LIVE DVD at SHIBUYA CLUB QUATTRO(DVD)』をWonder Gooで購入した購入者を対象に抽選し、150組300名が招待された。
2008年…6月7日と6月8日にお台場で行われるD1 GRAND PRIX TOKYO DRIFT in ODAIBAにライブ出演が決定。
2008年…8月30日、8月31日にさいたまスーパーアリーナで行われたAnimelo Summer Live 2008 -Challenge-の8月30日部に参加。昨年と引き続き、2年連続の参加。
2008年…12月2日にm.o.v.e公式HPにてリーダーであるt-kimuraの脱退が発表された。avexとの契約は2008年4月に契約解消していた。アーティスト及び芸能活動を終了とし、プロデューサーに専念するとのこと。但し、m.o.v.eのプロデューサーとしての活動は続け、楽曲制作は行うと言う。
2009年…4月4日にSHIBUYA AXにて『LIVE TRANSFORM 2009』が行われ、t-kimuraがアーティストとして表舞台で活動する最後のライブになった。観客はアルバムの『Humanizer』についてくる用紙にかいてあるシリアルナンバーを公式サイトの特設ページに入力し、応募することで抽選対象となり、当選者にはメールで当選結果が送られ、無料招待となった。また、応募にもれてもシリアルナンバーを入力することで当日ニコニコ動画で行われていたLIVEの生放送を閲覧することができた。

メンバー [編集]

メイン [編集]
yuri(ユリ、本名: 益田祐里(ますだ ゆり)、1977年2月22日 - ) ヴォーカル担当
motsu(モツ、本名: 瀬川素公(せがわ もとたか)、生年非公開5月22日 - ) Rap、作詞担当

サポート [編集]
t-kimura(本名: 木村貴志(きむら たかし)、1968年1月25日 - ) プロデュース、作曲、編曲担当(元メンバー。当時はシンセサイザー、ギター、ピアノ、ヴォコーダーヴォーカルも担当)
ASAKI(アサキ) ギター担当
Charlie K(チャーリーケイ) キーボード担当

結成に至る経緯 [編集]
Favorite Blueで活躍していた木村貴志が、覆面ユニット(実際、結成初期のmoveのラジオ番組では、FBとのデュエット等、セッション企画も進んでいるとmotsuが発言していた)として考えていた計画を実行に移す為に結成。その中で、オーディション番組『ASAYAN』が開催したとあるオーディションに参加していたyuriに着目。そのオーディションは合格者なしという結果だったが、楽曲に非常にマッチしたことから、yuriを正式に抜擢した。 moveというグループ名の由来は、「一つの音楽性に落ち着かず、つねに何かを追い求める」。


楽曲の特徴 [編集]
Vocalのyuriが平メロとサビを歌い、間奏部分(若しくはVocalに乗せる形で)motsuのRapが入る。例外も存在するが、基本的には前述の形態が多い。
楽曲のジャンルはグループ名の由来にあるように限定されておらず、基本的には多くのジャンルに手広く挑戦するオールラウンドタイプだが、サウンドの基礎部分には電子楽器を用いた、俗に言うエレクトロサウンドを導入しているものがほとんどである。
近年は今までに見られなかったバラードも多く製作している。『ANGEL EYES』は自身初の試みとして、シングルA面にバラードを配置。
ライブでは個性的なパフォーマンスをすることが多く、ドラムの代わりに和太鼓を使用したり、シンセサイザーの上に立ち上がったり、曲の演奏中に半裸の男性(土屋滋生など)を乱入させるなどをした。

楽曲のジャンル一覧 [編集]
ユーロビート
ロック
プログレッシブ・ロック
ラウドロック
バラード
トランス
テクノ
オルタナティブ・ミュージック
ゴシックメタル
シンフォニックメタル
ハードコアテクノ
ヒップホップ
ラテン音楽
ヴォコーダー

ディスコグラフィー [編集]

CDシングル [編集]
ROCK IT DOWN (1997/10/01)
around the world (1998/01/07)
over drive (1998/03/18)
Rage your dream (1998/05/13)
BREAK IN2 THE NITE (1998/11/11)
platinum (1999/06/30)
Blazin' Beat (1999/10/27)
words of the mind -brandnew journey- (2000/01/19)
sweet vibration (2000/07/19)
Gamble Rumble (2001/01/11)
SUPER SONIC DANCE (2001/06/13)
FLY ME SO HIGH (2001/08/08)
come together (2001/12/19)
Romancing Train (2002/02/06)
FUTURE BREEZE (2002/06/26)
¡ WAKE YOUR LOVE! (2002/11/20)
BURNING DANCE (2003/06/25)
Painless PAIN (2003/09/03)
Blast My Desire (2004/01/07)
DOGFIGHT (2004/05/26)
GHETTO BLASTER (2004/08/04)
How To See You Again/Noizy Tribe (2005/01/13)
FREAKY PLANET (2005/09/28)(4ヵ月連続リリースシングル第1弾)
DISCO TIME (2005/10/26)(4ヵ月連続リリースシングル第2弾)
雷鳴-out of kontrol- (2005/11/23)(4ヵ月連続リリースシングル第3弾)
ANGEL EYES (2005/12/14)(4ヵ月連続リリースシングル第4弾)
Systematic Fantasy/Good Day Good Time (2007/06/20)
SPEED MASTER (2007/08/22) ※m.o.v.e feat. 8-BALL、8-BALL feat. m.o.v.e 名義
DIVE INTO STREAM (2008/07/02)
[アーティスト名] move
[タイトル] FREAKY PLANET
[CD番号] AVCT-30103
[発売日] 2005-09-28
1 FREAKY PLANET
2 THE LONGEST MOVIE
3 FREAKY PLANET -INSTRUMENTAL
4 THE LONGEST MOVIE -INSTRUMENTAL-
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110011101101100010

ORIGINAL! ~PS2ソフト「シャッフル!オン・ザ・ステージ」OPテーマ

2009-07-08 12:05:53 | 邦楽

YURIA(ゆりあ、3月3日 - )は、大阪府出身の女性歌手である。多数のバンド・ユニット(Honey Bee・道頓堀ダイバーズ・すいーつたんけんたい・Y-p-H・DRAWERS・Pinky Doodle Poodle・re-in.Carnation ∞ YURIA)の一員でもある。2007年12月に自身のブログで結婚を報告。

作品 [編集]

シングル [編集]
WISH
2002年11月22日発売・ランティスより
WISH
テレビアニメ「超重神グラヴィオン」エンディング主題歌
作詞:江幡育子、作曲・編曲:堀江顕
KISS ME
テレビアニメ「超重神グラヴィオン」挿入歌
作詞:江幡育子、作曲・編曲:堀江顕
WISH(off vocal)
KISS ME(off vocal)
YOU
2005年8月3日発売・ランティスより
YOU
テレビアニメ「SHUFFLE!」オープニング主題歌
作詞:AlAi、作曲:アッチョリケ、編曲:鈴木マサキ
カラフル
作詞・作曲:YURIA、編曲:ms-jacky
YOU(off vocal)
カラフル(off vocal)
ORIGINAL!
2005年11月23日発売・ランティスより
ORIGINAL!
プレイステーション2ゲーム「SHUFFLE! ON THE STAGE」オープニング主題歌
作詞:AlAi、作曲:アッチョリケ、編曲:chokix
mermaid blue
作詞・作曲:YURIA、編曲:田辺恵二
ORIGINAL!(off vocal)
mermaid blue(off vocal)
Remember memories
2006年11月22日発売・ランティスより
Remember memories
パソコンゲーム「Really? Really!」オープニング主題歌
作詞:西又葵、作曲・編曲:アッチョリケ
Happy Go Lucky Days
作詞・作曲:YURIA、編曲:ms-jacky
Remember memories(off vocal)
Happy Go Lucky Days(off vocal)

アルバム [編集]
YURIA
2006年2月22日発売・Mellow Headより
Dream&Love
作詞・作曲:YURIA、編曲:ms-jacky
抱きしめて
パソコンゲーム「ENSEMBLE 〜舞降る羽のアンサンブル〜」オープニング主題歌
作詞:HAJIMEX、作曲:YURIA、編曲:八七(Honey Bee)
君に再び逢えた奇跡
パソコンゲーム「ボーイミーツガール」オープニング主題歌
作詞:Bee'、作曲・編曲:藤間仁(Elements Garden)
青空
テレビアニメ「グリーングリーン」エンディング主題歌
作詞・作曲:milktub、編曲:藤間仁(Elements Garden)
LA♪LA♪BYE
テレビアニメ「超重神グラヴィオンZwei」エンディング主題歌
作詞:HAJIMEX、作曲:YURIA、編曲:八七(Honey Bee)
ぬけがけしないで
テレビアニメ「おねがい☆ツインズ」イメージソング
作詞:江幡育子、作曲・編曲:藤間仁(Elements Garden)
Mirage Lullaby
パソコンゲーム「SHUFFLE!」オープニング主題歌
作詞:AlAi、作曲・編曲:アッチョリケ
You make my day!
パソコンゲーム「処女はお姉さまに恋してる」オープニング主題歌
作詞:江幡育子、作曲・編曲:磯江俊道
WISH
YOU
モノクローム(Studio Live Version)
パソコンゲーム「グリーングリーン」エンディング主題歌
作詞:ヤマグチノボル、作曲:milktub、編曲:鈴木マサキ
baby kiss
作詞・作曲:YURIA、編曲:鈴木マサキ
YURIA2
2007年11月21日発売・Mellow Headより
never say goodbye
パソコンゲーム「Tick! Tack!」エンディング主題歌
作詞:AlAi、作曲:アッチョリケ、編曲:鈴木マサキ
LAST SUMMER
パソコンゲーム「ナツメグ」挿入歌
作詞:コットンソフト、作曲・編曲:ms-jacky
Look at me
テレビアニメ「School Days」エンディング主題歌
作詞・作曲:YURIA、編曲:chokix
Fateful Encounters
テレビアニメ「SHUFFLE! MEMORIES」オープニング主題歌
作詞:西又葵、作曲:アッチョリケ、編曲:鈴木マサキ
声が聴こえる ~Calling you~
パソコンゲーム「レコンキスタ」挿入歌
作詞:海富一、作曲・編曲:安瀬聖
AROUND THE WORLD
パソコンゲーム「エーデルワイス」エンディング主題歌
作詞・作曲:milktub、編曲:ms-jacky
Remember memories
ナツメグ ~Precious Last Summer~
パソコンゲーム「ナツメグ」オープニング主題歌
作詞:コットンソフト、作曲・編曲:藤田淳平(Elements Garden)
夏のメロディ
パソコンゲーム「夏めろ」オープニング主題歌
作詞:木之本みけ、作曲・編曲:細江慎治
ORIGINAL!
晴天の虹
プレイステーション2ゲーム「片神名〜喪われた因果律〜」オープニング主題歌
作詞・作曲:Hiroki、編曲:LOOPCUBE
NO ROCK NO LIFE
テレビアニメ「すもももももも 〜地上最強のヨメ〜」エンディング主題歌
作詞:金杉はじめ、作曲・編曲:関堂圭吾(Honey Bee)
120円の春
プレイステーション2ゲーム「120円の春」オープニング主題歌
作詞:片岡とも、作曲・編曲:藤間仁(Elements Garden)
シャンプーしてあげる
作詞・作曲・編曲:YURIA

コンピレーション [編集]
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

出演・連載 [編集]

アニメ [編集]
SHUFFLE!(時雨亜麻)

ゲーム [編集]
SHUFFLE!(時雨亜麻)
Really? Really!(時雨亜麻)
空色の風琴 -remix-(如月颯沙)

コラム [編集]
アキバ系.COM(YURIA COLOR)
コンプティーク(YURIAのFine Days)

ラジオ [編集]
萌みゅう♪(終了)
アキバチック天国(卒業)
ゆりあれいでぃお(アニ★ロコ・トーク)
せいやん・YURIAの美少女ゲ-ムは嫌い♥(ラジオ大阪・アール・エフ・ラジオ日本)
情報アキハバラエティ はばラジ(2006年7月20日 第17回ゲスト)
[アーティスト名] YURIA
[タイトル] ORIGINAL! ~PS2ソフト「シャッフル!オン・ザ・ステージ」OPテーマ
[CD番号] LACM-4232
[発売日] 2005-11-23
1 ORIGINAL!
2 mermaid blue
3 mermaid blue(off vocal)
4 mermaid blue(off vocal)
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110011110111110000

Raven Loud speeeker [CD+DVD](ジャケットAタイプ)

2009-07-07 18:19:15 | 邦楽

ナイトメアは、日本のヴィジュアル系ロックバンド。バップ所属。略称はメア。

メンバー [編集]
YOMI(ヨミ、黄泉、1981年7月14日 - )ボーカル担当
宮城県大崎市(旧・古川市)出身。血液型A型。バングルカラーはイエロー。
柩 (ヒツギ、1982年3月5日 - )ギター(上手)担当
東京都生まれ、宮城県名取市育ち。血液型AB型。バングルカラーはレッド。
咲人(サキト、1981年6月29日 - )ギター(下手)担当
宮城県大河原町出身。血液型O型。バングルカラーはブラック。
Ni〜ya(ニーヤ(新弥)、1981年6月23日 - )ベース担当
宮城県角田市出身。血液型A型。バングルカラーはブルー。
RUKA(ルカ(瑠樺)、1979年6月9日 - )ドラム担当
リーダー。東京都生まれ、埼玉県川越市育ち(その後与野市(現・さいたま市)→浦和市(現・さいたま市)→東京都中野区→宮城県仙台市と居住を移す)。血液型O型。バングルカラーはピンク。

経歴 [編集]
当初はインディーズで活動を行いながら、2003年に日本クラウンと契約。同年8月21日にシングル「Believe」でメジャーデビュー。

2003年12月25日にはメジャー初のアルバム「Ultimate Circus」を発売。 以降2006年まで日本クラウンに在籍し、シングル8枚、アルバム3枚、ベストアルバム1枚、DVD5枚を発表する(バップへ移籍後にも日本クラウンからベストアルバム1枚、DVD2枚が発表されている)。

その後2006年に、「バップ」へ移籍。

移籍後に発売されたシングル「the WORLD/アルミナ」が、日本テレビ系アニメ「DEATH NOTE」のテーマソングに起用され、発売前には漫画「DEATH NOTE」連載元の「週刊少年ジャンプ」(集英社刊)にてRUKAのコメントが掲載された。 この曲でオリコン週間チャート初登場5位と、自身初のトップ10入りを果たした。またフジテレビ系「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」に地上波ゴールデン帯の音楽番組に自身初となる出演を果たす。

さらに翌年発売されたこのシングル曲を含むアルバム「the WORLD Ruler」はオリコン週間チャートで初登場6位を記録、続くシングルで同系列放送のアニメ『CLAYMORE』のテーマソングに起用された「レゾンデートル」はオリコン週間チャートで初登場3位と初のトップ3入りとなり、バンドとしての人気を確実なものへとしてゆく。

音楽性としては、メンバー全員がX JAPANやLUNA SEAから影響を受けていると公言しており、作曲は主に咲人、RUKAが担当。作詞は咲人、RUKA、黄泉に加え、最近では柩も少し提供している。 歌詞としては、社会批判的なものから悲恋歌まで幅広い。また、「わすれな草」や「M-aria」などRUKAが作詞した曲のいくつかは、彼のかつての実話が描かれている。 楽曲においてはマイナーメロディーの曲が多い。

ライヴバンドとしても株が高く、特に咲人に関しては速弾き、タッピング、果てはスラップ奏法などのテクニックをそろえており、定評がある。 また、2005年の5月に行われたZepp TokyoでのツアーファイナルでRUKAのドラムセットに物理的なトラブルが発生し、数曲に渡りペダル周りの不調の為に演奏すらままならない状況が続くことになったが、結果としてはこの事態をスマートに乗り切って見せている。 また、ファンクラブ限定ライヴやファンクラブ旅行内では、バンド内での特別セッション、 カッペロ、M魔王withHOIZなどのユニットも組まれている。

ちなみに、仙台貨物の不祥事により、日比谷野外音楽堂は出入り禁止になっている。


作品 [編集]
詳細は各作品の項目を参照。


シングル [編集]
Believe(2003年8月21日)
3パターンリリース、Aタイプ・Bタイプ各初回受注枚数限定生産。
茜/HATE/Over(2003年11月21日)
4パターンリリース、Aタイプ(茜サイド)・Bタイプ(HATEサイド)・Cタイプ(Overサイド「コロッケ!」バージョン)各初回1万枚限定生産。
Over:テレビ東京系アニメ『コロッケ!』エンディングテーマ
Varuna(2004年4月21日)
2パターンリリース、各ボーナストラック収録。
東京傷年(2004年7月22日)
2パターンリリース。
シアン(2004年10月21日)
時分ノ花(2005年4月1日)
Яaven Loud speeeaker(2005年8月10日)
2パターンリリース、各DVD付。
livEVIL(2005年12月7日)
2パターンリリース、各DVD付。
the WORLD/アルミナ(2006年10月18日)
the WORLD:日本テレビ系アニメ『DEATH NOTE』オープニングテーマ
アルミナ:日本テレビ系アニメ『DEATH NOTE』エンディングテーマ
レゾンデートル(2007年6月6日)
レゾンデートル:日本テレビ系アニメ『CLAYMORE』オープニングテーマ
このは(2007年10月3日)
このは:日本テレビ系『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』2007年10月EDテーマ
DIRTY(2007年11月7日)
DIRTY:日本テレビ系アニメ『魔人探偵脳噛ネウロ』オープニングテーマ
Lost in Blue(2008年9月17日)
Lost in Blue:日本テレビ系アニメーション『魍魎の匣』オープニングテーマ
邂逅カタルシス:日本テレビ系 『フライデーTVラボ 』9月エンディングテーマ
NAKED LOVE(2008年12月3日)
NAKED LOVE:日本テレビ系アニメ『魍魎の匣』エンディングテーマ
配信限定シングル
White Room(2008年3月7日 - 3月28日期間限定配信)
ライヴツアー『2008 ZEPP TOUR six point killer show』に合わせた、アルバム『Killer Show』からの先行配信シングルで、ライヴ期間中のみの期間限定配信

アルバム [編集]
Ultimate Circus(2003年12月25日)
リヴィド(2004年12月21日)
anima(2006年2月26日)
the WORLD Ruler(2007年2月28日)
killer show(2008年5月21日)
majestical parade(2009年5月13日)

ベストアルバム [編集]
ジャイアニズム 〜ナイトメアのくせに生意気だぞ〜(2006年5月10日)
ジャイアニズム〜お前の物は俺の物〜(2006年6月21日)
ジャイアニズム〜俺の物は俺の物〜(2006年6月21日)
ナイトメア 2003-2005 シングル・コレクション(2008年1月30日)

ライヴCD [編集]
極東シンフォニー〜the Five Stars Night〜@BUDOKAN(2008年2月27日)
完全予約限定盤、武道館衣装ピース付レプリカSTAFFパスランダム封入

DVD [編集]
Ultimate Circus Final 渋谷公会堂 03.12.12(2004年2月25日)
love [CLIP]per(2004年12月22日)
TOUR CPU 2004GHz(2005年3月9日)
love [CLIIP]per(2005年3月9日)
天下大暴走(2005年12月21日)
TOUR 【anima】lism at Zepp Tokyo-2006.03.16-(2006年6月28日)
love [CLIIIP]per(2006年12月6日発売)
TOUR 2006【ジャイアニズム痛】at NHK HALL(2007年1月1日)
VISION OF the WORLD RULER at東京国際フォーラムA(2007年9月12日)
極東シンフォニー~the Five Stars Night~@BUDOKAN(2008年3月12日)
2パターンリリース、完全予約限定版5大特典付、BOX仕様、通常版ステッカー付
TOUR 2008 Grand killer show@東京国際フォーラム ホールA (2008年12月17日)
love [CLIP]perIV(2009年3月18日発売)
[アーティスト名] ナイトメア
[タイトル] Raven Loud speeeker [CD+DVD](ジャケットAタイプ)
[CD番号] CRCP-10111
[発売日] 2005-08-10
1 Яaven Loud speeeaker
2 ナヅキ
3 Яaven Loud speeeaker(インストゥルメンタル)
4 ナヅキ(インストゥルメンタル)
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110011111101110101

天地無用!の主題歌ベストアルバム

2009-07-07 17:58:40 | 邦楽

本項ではアニメーションを用いて構成された映像作品を指す。

定義 [編集]
「アニメ」は、「アニメーション」の略語である。

日本では「アニメ」はすべてのアニメーションを指すが、「アニメーション(animation)」を「アニメ(anime)」と略して呼んでいるのは日本だけであり、日本国外では「animation」を「anime」と略すことはない(そもそもanimationの単語の中には e の文字が含まれていないのでラテン文字上ではanimeと略することが出来ない)。そのため、日本国外では「animation」はすべてのアニメーションを指し、「anime」と言う場合は日本で制作されたセルアニメーション作品、あるいはそれと同種の作風を持った作品のことを指すことが多い。「manga(マンガ)」も、紙媒体のものに限らず、しばしば日本のセルアニメ全般の同義語である。

日本語の「アニメ」という語は単に「アニメーション」の略称として生まれた語であり、製作国等は関係ない。例えば、アメリカのディズニー製作映画は日本では単に「ディズニーアニメ」と呼ばれ、ディズニー公認の絵本やノベライズ版にもそう銘打ったものがある[1]。

本項では、特に日本で製作された商業用セルアニメについて解説する。ジャンルに応じて独立した項もあるので、各自の項も参照されたい。


アニメのジャンル [編集]

媒体別 [編集]
テレビアニメ
全日帯アニメ
深夜アニメ(深夜アニメ一覧)(23:00-29:00の間に放送のテレビアニメ)
UHFアニメ(UHFアニメ一覧)(Wikipediaでは関東圏独立UHF局にて本放送もしくは初放送作品を指す[2])
BSアニメ
WOWOWアニメ
CSアニメ
アニメーション映画(劇場版アニメ)
OVA(オリジナルビデオアニメ)
Webアニメ(インターネット配信アニメ)
など。 ※近年になって多種多様な媒体が次々と登場している。


対象層別 [編集]
幼児向けアニメ
子供向けアニメ
少年向けアニメ
少女向けアニメ
男性向けアニメ
女性向けアニメ
成年向けアニメ
ファミリー・一般向けアニメ

ジャンル・題材別 [編集]
SFアニメ
ロボットアニメ
魔法少女アニメ
ハーレムアニメ
萌えアニメ
18禁アニメ
ギャグアニメ
スポーツアニメ
格闘アニメ

日本のアニメと海外アニメーション作品の違い [編集]
『鉄腕アトム』の時代から、アニメはキャラクターグッズ化によって制作資金回収を行うという独自のシステムが形成されていた。鉄腕アトムの制作者手塚治虫は、ディズニーアニメの販売戦略を真似たとも言われるが、日本のアニメはディズニーのそれとは別の道を歩むことになった。

現代、ディズニーアニメは製作費が高騰し、全世界で配給して多くの年齢層の観客をとりこみ、できるだけ多くの興行収入を確保するというシステムになっており、それに伴ってストーリーや題材も当たり障りがなく、どこからも苦情が来ないようにあえて工夫されて作られているものが多くなりつつある。

これに対して日本では、ディズニーのようなアニメの巨人が存在しなかった。多くのアニメスタジオが競って作品を作ったため、作家性の薄いもの、強いもの、個性的なもの、平凡なもの、大衆的なもの、一部のマニアを狙ったもの、挑発的作風で議論を呼ぶものなど、おびただしい数と種類のアニメ作品が生まれた。現在も少人数、低予算で制作されるという点は変わっておらず、これが欠点であり武器でもあるという点も変わっていない(例外として大勢のスタッフが原画や動画にいる場合もある)。


「アニメ」という語の成立 [編集]
当初の日本では「アニメーション」「アニメ」という語はあまり用いられず、「漫画映画」または単に「動画」と呼ばれていた。

アニメーションという語は映像業界の専門用語で、その略である「アニメ」という語も一般には普及しなかった。

テレビでアニメーション番組が放送されるようになると、「テレビまんが」などという語が使われた。最初のテレビアニメ番組とされる『鉄腕アトム』では、本放送当時「テレビマンガ」という表記を使っていた。このためか中高年を中心に現在でも「アニメ」を「まんが」と呼ぶ者もいる。

「アニメ」という用語の最初期の使用例は、雑誌『小型映画』1965年7月号で現れる。ただしこの雑誌も映像制作者向けの専門雑誌であった。『小型映画』は、1965年6月号までは主に「アニメーション」という語を使用しており、この頃から映像業界内で「アニメ」という語が一般的になり始めたとみられる。

一般向けに「アニメ」という語をタイトルに用いた最初期の例は、1968年、偕成社の絵本のシリーズ名に「名作アニメート絵話」という語が現れる。ただしこれは、animationの動詞形のanimateを日本語読みにしたもので、「アニメーション」を略したものではない。

1969年公開のアニメーション映画『千夜一夜』は、「アニメラマ」という語を用いた。これは、アニメーションとドラマの合成語である。アニメラマはシリーズとなり、1973年公開の第3作まで続いた。

単に「アニメ」という語を用いた最初の書籍タイトルは、1975年、ポプラ社の絵本シリーズ名「テレビ名作アニメ劇場」とみられる。

同年には日本アニメーションが創設されており、同社制作番組だけとはいえ、毎週、テレビのアニメ番組内で、社名の一部として「アニメーション」という語が表示されるようになった。

1978年に雑誌『アニメージュ』の刊行が始まり、その後数年で誌名に「アニメ」を含むアニメ雑誌が相次いで発刊されると、アニメという語は急速に普及し、1980年頃を境に「テレビまんが」「動画」という語はほとんど使用されなくなった。ただし、2008年現在でもアニメソングのコンピレーション・アルバムのタイトルなどで「テレビまんが」の語が使用される例がある。


外国語における「アニメ」 [編集]
戦後日本においてアニメ作品の主流は他の地域と異なる方向に発達し、かつ大きな発展を遂げた結果、明らかに固有の様式をもつに至っている。これら日本製ないし日本風である“日本のアニメ”は、日本以外では特にanime(アニメ)と呼ばれ他のanimation(アニメーション)と区別される場合がある。米国では、ANIMEはMANGAと同じで日本語という感覚で用いており、animation→アニメ→animeと数少ない逆輸入語であり、かつ文化用語でもあるために、大学の講義題材として取り上げられている。

英単語での animation という語は略しても anime にはならない(eという文字がもともと存在しない)。このため、英語で anime は、animation の略ではなく、日本由来の外来語だと考えられている。また、anime という綴りでは「エイニム」または「アニーム」という読みとするほうが英語としては自然で、animeとつづって「アニメ」と読むことも、外来語とみなされる理由である。animationの動詞形の英語animateを意味するフランス語animer(動く)を活用させるとその過去分詞アニメanimé(動いた、動かれた)という綴り方があり得ること(例えばドビュッシーのピアノ曲「映像」第3曲「ムーヴマンmouvement(動き)」の冒頭のテンポ指示に「トレザニメtrès animé(とても動いて)」と表記されている)、また、英語でもしばしばアニメはaniméと綴られることから、フランス語由来だと考えられたこともあるが、現代ではこの説はあまり信じられていない。英語以外の言語圏には、英語からさらに輸出される形で移入された。フランスではアニメーション動画はデサンナニメ fr:dessin animéと呼ばれるが、特に日本由来のアニメは単にアニメfr:animeと呼ばれる。

1975年末、アメリカ合衆国で家庭用ビデオデッキが発売されると、1976年2月に、各地で放映されていたテレビ番組を録画して見せ合う活動が始まった。1977年にはこの種の活動を行う専門のサークルが活動を開始した。フレッド・パッテン(Fred Patten)によれば、この時点(1977年当時)で既に日本製ロボットアニメを指す語としてanimeという語が用いられていた。ただし、この語は愛好家たちの隠語か専門用語に近く、一般には広まらなかった。

1991年にアメリカ合衆国でThe Society for the Promotion of Japanese Animation (略称SPJA)が発足し、翌1992年から毎年「Anime Expo」という催しを開催するようになると、animeという語は急速に普及した。


ジャパニメーション [編集]
animeという用語の他に「ジャパニメーション(Japanimation)」という呼び方もある。この用語は1970-1980年代ごろ北米でよく使われた。この言葉が生まれた当時は、日本と北米の文化・習慣の違いや表現規制の問題から、日本的・性的・暴力的なシーンをカットしたり、子供向けとしては難解な長期に渡る物語を一話完結にしてしまうことが、アメリカ人編集者の手によって行われていた背景がある。転じて、この頃の独自編集が施された作品のみを、ジャパニメーションと分類する人もいる[3]。

また、一部の放送枠では同一作品で最低65話が必要だったため、それに合わせるべく日本の複数の作品を組み合わせてそれを満たすことも行われた。例えば米ハーモニーゴールド社は、それぞれ独立した3作品を編集して、『ロボテック』という長編シリーズに仕立てあげている。この作品は、元の物語と同一ではないにしろ、比較的暴力的な描写を多く残し、物語も複雑で、その結果多くの視聴者を獲得した。その状態で、他国に再輸出もされており、好評を博したとされる。このヒットは、元になった日本製アニメを評価するきっかけともなった。

しかし、ジャパニメーションは単に日本製のアニメーション作品という意味だけではなく、主に親の世代が、日本発の文化や日本人に対する「差別」「偏見」や、アニメーション自体への「偏見」から、日本製の子供向けアニメーションを指して「くだらないもの」、あるいは「子供の教育上良くないもの」というニュアンスを込めて、この言葉を使っていたとする説がある。音節的に japan-animation から(an 音節が繰り返されているため、ひとつが脱落し) Japanimation に略されただけではあるが、Jap(日本人の蔑称) の Animation とも読める。

現代では、anime が定着しつつあり[4]、日本及びアニメーションに偏見を持たない世代や真摯なファン(OTAKU)も増えたためか[5]、 Japanimation が使われることはほとんどなくなってきた。ただし、アニメーション関連のオンラインショップの名称[6]など、蔑称や偏見という意識を持っていないと思われる使用例もある。 [7]

日本では、マスコミや一部のファンが、「海外で視聴されている日本のアニメ」という意味で(広い定義での)アニメと区別するために使ったり、日本の文化として誇る意味を込めて使う場合もある。講談社は、『AKIRA』『攻殻機動隊』が海外で人気を博しているとして、「ジャパニメーション」という用語を戦略的に使った。

[アーティスト名] アニメ
[タイトル] 天地無用!の主題歌ベストアルバム
[CD番号] GNCA-1022
[発売日] 2004-12-22
1 恋愛の才能
2 ぼくはもっとパイオニア
3 月のTRAGEDY
4 天地無用!
5 銀河で直立歩行
6 恋愛の時空
7 夢はどこへいった
8 やめられない やめられない
9 かたおもい
10 ALCHEMY OF LOVE~愛の錬金術~
11 ALCHEMY OF LOVE~愛の錬金術~(日本語ヴァージョン)
12 真夏のイヴ
13 Love Songが聞こえる
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110010111111101111

残響

2009-07-02 17:05:41 | 邦楽

福山 雅治(ふくやま まさはる、1969年2月6日 - )は、日本のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティ、ラジオDJ、俳優、音楽プロデューサー、写真家、長崎ふるさと大使。長崎県長崎市出身。所属事務所は、アミューズ。所属レコード会社は、ユニバーサルミュージック。公式ファンクラブの名称は、“BROS.”。血液型 O型。身長180cm。体重65kg。靴のサイズ27.5cm。

来歴 [編集]
1969年 長崎県長崎市で誕生。
私立宝珠幼稚園、長崎市立稲佐小学校、長崎市立淵中学校、長崎県立長崎工業高等学校卒業。
1987年 高校卒業後、4か月間の地元でのサラリーマン生活を経て、18歳で上京する。当時は、昭島市緑町に在住し、福生の横田基地の近くにある材木屋でバイトをしていた。
当時の愛車は、いすゞ・ジェミニ。アルバイト先の木材屋付近の交差点でドリフト失敗し、縁石に激突。縁石には、まだ、当時の傷が残存すると、福山雅治本人が言っている。
1988年 “アミューズ・10ムービーズオーディション”に合格し、映画『ほんの5g』で俳優 デビュー。8月15日、新宿のライブハウスで、東京での初ライブ。観客はゼロだった。
1990年 シングル『追憶の雨の中』で歌手デビュー。当時のキャッチフレーズは、“イナカモン、バイ。”。
1991年 TBS系ドラマ『あしたがあるから』でテレビドラマデビュー。
1993年 フジテレビ系ドラマ『ひとつ屋根の下』で人気に火がつき、歌手としてもブレイク。
1993年 シングル『MELODY』で第44回NHK紅白歌合戦に初出場。尚、この回が唯一の紅白出場である。
1995年 フジテレビ系ドラマ『いつかまた逢える』でドラマ初主演。
1996~1997年 活動休止。
2000年のシドニー五輪、2004年のアテネ五輪、2008年の北京五輪でテレビ朝日のオフィシャルカメラマンとして活躍。
2008年 出身地の長崎県長崎市の魅力を内外に発信する「長崎ふるさと大使」に就任。
2008年 『容疑者Xの献身』を全国ロードショーする前の10月1日に、長崎市のTOHOシネマズ長崎で柴咲コウと一緒に全スクリーンを使い、先行上映会と舞台挨拶を実施。

音楽活動 [編集]
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
1990年、21歳の時に「追憶の雨の中」でデビュー。しかし、デビュー初期時は、俳優として注目されていた。歌手としては、1993年頃からヒット曲が生まれるようになる。以来、数々のヒット曲を持つ。特に、1994年発売のシングル「IT'S ONLY LOVE」と1995年発売のシングル「HELLO」は、ミリオンセラーを達成し、更に、2000年発売の「桜坂」は、ダブルミリオンを達成した。 オリコン史上、「HELLO」は、マキシシングルで初めてのミリオン(当時、J-POPでは、8cmシングルが主流だった)、「桜坂」はマキシシングルで初めてのダブルミリオンという記録を持っている。2003年には、オリコン週間売り上げランキングのシングル・アルバム双方の部門で1位を獲得する。これは、男性ソロアーティストとしては、史上初の快挙であった。 また、1999年には、自ら主演を務めたフジテレビ系ドラマ『パーフェクトラブ!』で、劇中音楽を担当し(※主題歌は福山ではなくGLAY)、以後主演ドラマなどでたびたび劇中音楽を担当している。

近年は音楽プロデューサーも務めており、1999年には松本英子の「Squall」、2002年には前川清(同じ長崎出身)の「ひまわり」、2007年にはKOH+(柴咲コウとのユニット)の「KISSして」、翌08年には「最愛」をプロデュースした。

通算24枚目のシングル「化身」がオリコン2009年6月1日付シングルランキングで1位となった。これは自身10作目の首位達成であり、男性ソロアーティストとしては近藤真彦、田原俊彦に続く史上3人目の快挙となった。


俳優として [編集]
来歴にあるとおり1988年に映画『ほんの5g』でデビューした。映画出演を決める際、「映画でもドラマでもなんでもいいから、とにかく知名度を上げて最終的にアーティストとして成功する」という目論見があったという。

その後何度もドラマの仕事が入るが、あくまでもミュージシャンになるのが夢だった為断っていた。しかし1991年10月から始まったドラマ『あしたがあるから』に尊敬するA.R.B.の石橋凌が出演するという事で、若村良一役で出演する事になる。

1992年TBS金曜ドラマ『愛はどうだ』でレギュラー出演し、挿入歌となった「Good night」が30万枚のスマッシュヒットを飛ばし、俳優としての評価、歌手としての評価双方を急激に高めていくことになるが、この頃は歌手としてよりも二枚目俳優として注目されていた。1992年には『愛はどうだ』と同じくTBSドラマ『ホームワーク』にレギュラー出演している。

1993年にはフジテレビドラマ『ひとつ屋根の下』に出演。このドラマは福山出演作品中、最大のヒットとなった。知的な白衣姿の役というのはハマリ役で以降たびたび類似した役柄を演じることとなる(後述)。このドラマ内での福山演じる柏木雅也のセリフ「あんちゃん」や「小雪ぃ・・・」は放送から10年以上経った今でもプロアマ問わずモノマネされている。

1995年にはフジテレビ『いつかまた逢える』でドラマ初主演を飾るとともに月9初主演。

1997年には音楽活動休止中ではあったが『ひとつ屋根の下2』に出演、『1』に勝るとも劣らない大ヒットを飛ばした。ドラマには殆ど出てこないが、終盤では主役級の演出的扱いを受けている。

1999年にはフジテレビ『古畑任三郎』に犯人役でゲスト出演。7月〜9月期には『パーフェクトラブ!』で二度目の月9主演。どちらも前述の知的な白衣姿役であった(前者は有能な科学者、後者は歯科医)。『パーフェクトラブ!』ではドラマ内で使用される音楽も担当、挿入歌は福山自身が新人アーティストをプロデュースし、特に松本英子が歌った「Squall」はスマッシュヒットとなった。

2003年にはフジテレビ『美女か野獣』で松嶋菜々子とともに主演。このドラマ撮影中に風邪を引いて以来、長年吸い続けてきた煙草は吸っていない。それ以来、飲酒の量も減ったという(ラジオにて)。

2007年にはフジテレビ『ガリレオ』で柴咲コウとともに主演。天才科学者ではあるが変人という役柄を演じた。三度目の月9主演。このドラマは初回視聴率24.7%を記録し、2008年10月4日には映画『容疑者Xの献身』が公開された。

自身が出演したドラマで主題歌を担当したのは、『めぐり逢い』の「Heart」のみである。

2010年に放送予定のNHK大河ドラマ第49作『龍馬伝』において主人公・坂本龍馬を演じることが、2008年11月6日に発表された。


写真家として [編集]
1994年、「HELLO」のジャケット撮影をきっかけに鳥取県境港市を拠点にする写真家植田正治との交流を深め、1999年の「HEAVEN」のジャケット撮影までさまざまなフォトセッションを行った。福山は境港、米子近辺をよく訪れており、対談の中で鳥取県について「第二の故郷と呼びたい。そんな温かさを感じます」と述べている。

2002年には『「福山雅治」展/THE EXHIBITION OF MASAHARU FUKUYAMA & SHOJI UEDA』が、2005年には『〜オマージュ・植田正治に捧ぐ〜』〈福山雅治・菊池武夫・堀内誠一〉を植田正治写真美術館にて開催しており、本人が撮った写真も数多く展示された。

活動休止期間には旅先でカメラを構え、数多くの写真を撮り続けた。そうして撮っていった数多くの写真や、植田やハービー山口とのフォトセッションなどでの写真で写真展を数多く開催しているほか、シドニー五輪、アテネ五輪、北京五輪ではテレビ朝日のカメラマンとして活動した。

CM「PHOTO IS 福山編」では、本人撮影の写真が使用され、「PHOTO IS 1万人の写真展」でも、自ら撮影した写真を特別参加として8枚出展した。

2006年11月には初の写真作品集『f5.6のハロー 1/125のサヨナラ』を発売することとなり、それを記念した写真展「PHOTO STAGE 〜記憶の箱庭〜」が六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリーにおいて、2006年12月6日から翌年1月14日まで開催された。この催しには、福山による作品のほかに、植田正治写真美術館での作品等も展示された。

2008年4〜5月には、地元の長崎県美術館で写真展「PHOTO STAGE III〜残響〜」を開催。


ラジオパーソナリティーとして [編集]
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
現在担当している『オールナイトニッポン』も学生時代にはよく聴いていて、特にウィークリー(月〜金曜)は眠く寝てしまいあまり聴いていなかったものの、週末(土曜)の笑福亭鶴光がパーソナリティを務めた『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』は特に愛聴しており、鶴光の巧みな「艶福ネタ」を好み、尊敬している。これはラジオの彼の話術にも影響を与えている。ラジオ番組では下ネタや放送禁止スレスレの用語を連発し、ファンの中ではサザンオールスターズの桑田佳祐と並んで「下ネタの帝王」と呼ばれることもある。

福山のコンサートに招待されたタレントの北野誠によると本人は日常において下ネタを好んで使うという事は無く、北野が「これだけ大勢の女性の心を掴んでいるのに、ラジオであえて下ネタを前面に出して駆使する必要は無いのでは」との疑問に福山は上述の番組を挙げ「笑福亭鶴光の影響が大きく、ラジオ=下ネタという図式が自分の中で確立してしまっている」と述べている。

[アーティスト名] 福山雅治
[タイトル] 残響
[CD番号] UUCH-1072
[発売日] 2009-06-30
1 群青 ~ultramarine~ (テレビ東京系ニュース番組「ワールド ビジネス サテライト」エンディングテーマ)
2 化身 (フジテレビ系土曜ドラマ「魔女裁判」主題歌)
3 明日の☆SHOW (キリン FIRE CMソング)
4 ながれ星
5 幸福論
6 18 ~eighteen~
7 最愛 (東芝 液晶テレビ「REGZA」CMソング)
8 想 -new love new world- (東芝 液晶テレビ「REGZA」 ハイビジョンレコーダー「VARDIA」CMソング)
9 phantom
10 survivor
11 今夜、君を抱いて
12 旅人 (2009年9月12日公開 映画「キラー・ヴァージンロード」主題歌)
13 東京にもあったんだ (映画「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」主題歌)
14 道標 (NTV「NEWS ZERO」テーマソング)
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110110100010100110

Do!

2009-07-01 17:57:42 | 邦楽

DEPAPEPE(デパペペ)は、日本の2人組インストゥルメンタルユニットである。ソニー・ミュージックエンタテインメント所属。

2002年にユニットを結成、路上ライブを中心にインディーズではアルバム3枚をリリースし、計10万枚を売り上げる。2005年にアルバム「Let's Go!!!」でメジャーデビュー、インストゥルメンタルのアーティストのデビュー曲としては日本音楽史上初のオリコンベスト10にランクインした。「インストミュージックをポピュラーに!」を目標に活動している

名前の由来は三浦が出っ歯である事と、徳岡が以前組んでいたバンド「デルペペ」の名前をもじったところから。

プロフィール [編集]

メンバー [編集]
徳岡慶也(とくおか よしなり)現在31歳
1977年7月15日生。兵庫県神戸市須磨区出身。アコースティックギター担当。
三浦拓也(みうら たくや)現在26歳
1983年4月5日生。兵庫県神戸市灘区出身。アコースティックギター担当。

人物 [編集]
徳岡の方が6歳年上である事から三浦はいつも敬語で話しかけている。
三浦は勢い余ってタメ口になる事もしばしばある。
三浦はよく自己紹介をする時、「はい、どーも!DEPAPEPEでーす!」という。
徳岡が中学時代入っていたバンド名は「キミドリ」。
音楽性からは想像もつかないが三浦は生粋のヘヴィメタル好きである。
三浦はポンジュースが大好きで、ライブのステージに必ず持ち込む。
浅野祥之と梶原順のユニット「JとB」を尊敬している。
DEPAは三浦、PEPEは徳岡のことを表すらしい。これはDEPAPEPEというユニット名で活動を始めたあたりから、ファンの間で呼ばれるようになった為である。
三浦は異性では浴衣美人、めざましテレビの杉崎さんがすきらしい。[要出典]
うたばんでアカペラで歌う事になった時、音程を外してしまったことがある。
レギュラー出演 [編集]

テレビ [編集]
saku saku(テレビ神奈川、2005年4月 - )- 毎週火曜のコーナー「デパペペのインストde委員会」を担当。

Oxala!(スペースシャワーTV、2006年4月 - ) - 三浦(毎週火曜日)※放送終了

雑誌 [編集]
PATiPATi「DEPAPEPEの相方はナイセンス!?」連載

受賞歴 [編集]
2006年日本ゴールドディスク大賞ニュー・アーティスト・オブ・ザ・イヤー
2006年日本ゴールドディスク大賞インストゥルメンタル・アルバム・オブ・ザ・イヤー
2007年日本ゴールドディスク大賞インストゥルメンタル・アルバム・オブ・ザ・イヤー

脚注 [編集]
[ヘルプ]
^ 2005年11月30日~12月22日までの期間限定版
^ 「DEPAPEPE meets ハチミツとクローバー」名義でのリリース
^ 「DEPAPEPE meets Digital Hollywood」名義でのリリース

外部リンク [編集]
ソニー・ミュージックエンタテインメントによるサイト
レインボーエンタテインメントによるサイト

[アーティスト名] DEPAPEPE
[タイトル] Do!
[CD番号] SECL-785
[発売日] 2009-06-03
1 FAKE
2 KATANA
3 Sailing
4 紫陽花
5 HighRock!!
6 最後の晩餐
7 二人の写真
8 orange
9 Dolphindance
10 ジャンボリー
11 PaPaPa
12 真夏の疑惑
13 Quarrel
14 Mint
15 Special Lady~the wedding anthem~
http://down.mediajp.com/musiclists.php?mode=final&id=110110100010011010