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今頃「人間宣言」と言っていたNHKのアホ

2019年05月03日 | 日本・国士
日本国憲法第一条はウソ
今頃「人間宣言」と言っていたNHKのアホ

昨日のこのFBに、五月一日の朝にNHKが皇室に詳しい「学識経験者」と「記者」に
四月三十日に行われた天皇の御譲位表明の為の
政府が国事行事として行った「退位礼正殿の儀」に関し、

「日本国憲法」第一条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

を画面に大写しにした上で、
次のように言わせていたと記憶する。

憲法第一条により主権が国民にあるので、
まず主権のある国民を代表して総理大臣が
天皇の退位を表明し、
これに対して天皇が応答する形にしているのですね。
これが正しいのですね。
天皇は、
人間宣言をしているので、戦前とは違い、このようになるわけです。

このしたり顔の解説に対して、
昨日のFBで「違和感をもった」と記したのであるが、
正直申せば、違和感どころか、
怒りが突発して、
松の廊下の浅野内匠頭のように一挙に殺意が湧き出し、
「こいつら!」
と思ったのだった。
何故なら、NHKの解説者は、
「退位礼正殿の儀」において、
憲法第一条に基づき
先ず始めに、
内閣総理大臣が天皇に通告して退位させ、
次に、
それによって皇位を失う天皇が応答したのだ
と解説していたからだ。
これ、
平成二十八年八月八日に
天皇陛下が「お言葉」で、
国民に対して、直接、明確に表明された、
御譲位の御意思を全く無視する
天皇の人格を否定する歴史の改竄という
まことに許しがたい所業である。

従って、以下、
NHKの解説者が言ったことに関し、
それは間違っていると、
正直な言葉で述べる。

まず、第一に、天皇の「人間宣言」!?
彼は、
昭和天皇の昭和二十一年一月一日の「新日本建設の詔書」を
小学校や中学校で「人間宣言」と習ったのだろう。
しかし、
NHKで解説するならよくその「詔書」を読んでから出てこい。
この「詔書」は、
昭和天皇が、新年を迎えるに当たり、
まず明治天皇が明治元年に発せられた
明治の建国の理念と言うべき「五箇条のご誓文」の精神に戻って頑張ろうと国民に呼びかけられたものだ。

彼らは、この「詔書」が国民に語られるまで、
天皇も国民も、
天皇は人間ではないと思っており、
この「詔書」によって人間になったとでも、
ええ歳になるまで思っているようだが、
天皇が人間であるのは、
当たり前じゃないか。
万葉集を見よ、源氏物語を読め。

昨日も書いたが、
万葉集第一巻冒頭の歌は、
雄略天皇が、
春の野で一目惚れした菜を摘む娘に夜這いの申し込みをする歌ではないか。
太古の昔から、日本人は正常で、
天皇自身も国民も、
天皇も性欲があり恋する人間だと思っている。
これに対して、欧州人は異常で、
王の権力はゴッドから授けられたという王権神授説を唱え、
それをたてにして、
王は領民の娘に対して「処女権」を有しているとして、
領民の処女を正当に犯すことができた。

我が国では、
朝鮮半島の南に兵を送って支配し、国内の不満豪族を力でねじ伏せていたあの雄略天皇が、
夜中、娘の家の前で、
家に入ってセックスしてもいいよという娘の許しがでるまで
家に入ることができず、
ぼーっと家の前で夜が明けるまで待っているのだ。
・・・
ぬばたまの 夜は明け行きぬ 
ここだくも 思ふごとならぬ 
隠(こも)り夫(つま)かも

嗚呼、我が国の天皇と国民は、
太古から今と変わらぬ人間らしさではないか。
それを何か!
天皇が人間宣言をしたから人間扱いができるだと。
歴史的な日にNHKで解説していたオッサン、
アホも休み休み言え。

次に、言う、
日本国憲法第一条はウソだ!
おい、NHKの物知り顔の御仁(いや、おっさん)、
日本国憲法第一条にウソが書いてあるのが分からんのか。
カルト信者が「信仰の書」を信じるように、
GHQが書いた「日本国憲法」を信じていてはダメだ、
というよりアホだ。

日本人とは、
次のように教えられ、
次のように誇りをもって世界に説明する国民である。

天皇は、
天照大神の「天壌無窮の神勅」によって天皇となり、
以来、万世一系の天皇として現在に至る、
と。

従って、
譲位をなさる天皇陛下は、
先月四月十八日に、
天照大神から、
天孫降臨する瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が授かった剣璽を持参されて
伊勢神宮に参拝され、
そこに祀られる天照大神に譲位の御報告をされたのだ。
これは、我らが目の当たりに見た、
我が天皇の皇位の根源を指し示す神事そのものであったではないか。

GHQの憲法第一条に曰く、
「(天皇の)その地位は主権の存する国民の総意に基づく」
では、訊く。
我が国の歴史の中で
「天皇を皇位につける国民投票でもしたのか」
昭和二十年九月二日の我が国の降伏文書調印から
同二十七年四月二十八日の我が国の主権回復までの
GHQの日本占領の間に、
GHQもそのような「国民投票」はしていない。

天皇は、肇國から、我が国の肇から天皇なのである。
そして、過去、現在、未来の国民が、
それを当然のこととして現在に至る。
これが、日本なのだ。

連合軍総司令官のマッカーサーもそれを認めていた。
彼が昭和二十年九月二日に
我が国の降伏文書調印の為に受け入れた者は、
「大日本帝国天皇陛下および日本国政府の命によりかつその名において」
降伏文書に署名するために、戦艦ミズーリ号に
天皇と政府から派遣された外務大臣重光葵であった。

同月二十七日午前十時、
天皇陛下は、
連合軍総司令官マッカーサーと面談する為にアメリカ大使館大使公邸を訪れ
三十五分間、二人きりで会談されたが、
会談を終えて帰途につく天皇陛下を、
見送りにでた
連合軍総司令官マッカーサー元帥は、
「ユア マジェスティー」
と呼んでいた。

それを、何か!
天皇の地位は、「主権の存する国民の総意に基づく」だと。
これを書いた奴、GHQのアメリカ人職員、
我が国はお前らが知っている「人民共和国」ではないぞ。
かくの如く、憲法には、
我が日本の尊い中枢に関するウソが書かれており、
そのウソを子供に教え続ける国に未来はない。

この度の御譲位と新帝の践祚において
神武天皇御陵、
伊勢神宮
そして昭和天皇御陵の御親拝などの
天皇皇后両陛下が続けられた
譲位の準備としての一連の行事(神事)において、
表面に顕れてきたのは、
我が日本の神話に発して今に至る
民族生命の原始無限の流れである。
我らは、
生きてこの民族生命の由来を見ることができたのであるから、
この度のような、マスコミの物知り顔の
「日本国憲法による解説」に惑わされることなく、

一挙に、
我が国の神聖な本質をおおう
GHQの書いた「日本国憲法」を廃棄する方向に、
一歩、突き進もうではないか。
その一寸先への一歩で、
霧が晴れるように本来の日本が顕れることを、
私は確信する。
一寸先は闇ではなく光だ、
と、詩人が謳っているではないか。



西村眞悟FBより。











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