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門脇朝秀先生、そして車中にて連想した事

2017年07月31日 | 日本・国士

平成29年7月31日(月)

月二十九日には博多で
「日本のこころ」の衆議院福岡県第一支部長、石井英俊同志の
「朝鮮半島危機と今こそ憲法改正」の集会に参加して話をし、
三十日は、先日六月十三日、
百六歳で帰天された門脇朝秀翁の埼玉での偲ぶ会に参加した。
そこで、博多と埼玉で話したことと思ったこと、
また、その道中の新幹線のなかで思ったことを記しておきたい。

(1)門脇朝秀翁のこと
六月十二日、埼玉にお見舞いに伺った。
既に御意識無く、十数秒の間隔をおいて呼吸を続けておられていた。
翌朝、昭和二十年六月十三日に沖縄の海軍壕の司令官室で自決した
大田實海軍中将の慰霊祭に参列し
千葉県茂原市の中将の生家横の慰霊碑前に立っているとき、
門脇翁が息を引き取られたことを知った。
七月三十日、
翁が語ることができた最後の時に、
翁に会った方が翁の最後の言葉を伝えてくれた。
  君たちは、
  中国共産党と北朝鮮が崩壊する様を見ることが出来るなあ。
  いいなあ。
  僕は、予告をすることは出来るが、
  見ることは出来ないよ。
私は、あえて次のような個人的なことを申し上げた。
  百一歳の門脇先生と台湾の東海岸を北端から南端に移動したとき、
  東海岸沿いの山の中から門脇先生に会うために出てくる、
  本土では会えない戦前戦後連続し断絶のない真の日本人に会うことができた。
  若い娘さんたちもきれいな人ばかりだった。
  僕が小さいときに、母が不服そうに文句を言っていた
  戦前、父(明治三十七年生まれ)が形見としてピストルを渡してきた
  高砂族の娘はこういう娘だったのかと、納得し、
  戦前の父に会えたような気がした。
  門脇先生は、若くして別れた父に会わしてくださった。
  ありがとうございます。

門脇先生は、台湾、朝鮮そして満州に、
戦前から続く地下水脈のような人と人との繋がりを持っておられた。
昭和二十年八月、ソ連が満州になだれ込んできた後、
大連まで南下した門脇先生は、
奉天に数十万の日本人がソビエト軍に拘束されていると知り、
日本に帰ろうと思えばすぐに帰れたのに、
逆に北上して奉天に至り、
アメリカ軍司令官に日本人の保護と本国への送還を願い出て、それを実現している。
これは、命がけの北上と奉天潜入である。
しかし、門脇先生は、決してこの功績を自ら話すことはなかった。

門脇朝秀先生は、
金の上に燻し銀のメッキをしたような人である。
燻しが剥げて銀が出てきて、
その銀が剥げて初めて金が見える。
そのようなお方だ。

工芸や芸の世界に「人間国宝」と言われる人がいる。
門脇朝秀先生は、
日本民族精神、民族生命のなかの真の国宝である。

(2)北朝鮮の核開発とミサイル発射そして憲法改正
北朝鮮がICBMを打ち上げた今、
我が国は、
「アメリカの核の傘」
によって周辺国の核ミサイルから守られているとは、完全に、言えなくなった。
と、いういより、
「アメリカの核の傘」は、もともと無かったのだ、ということが明々白々になった。
よって、何をすべきか。

我が国は独自の核抑止力を確保すべきである。
即ち、我が国も核弾頭ミサイルを保有すべきである。

では、如何にして核弾頭ミサイルを保有するのか。
技術的なことは、アメリカもロシアも中共も北朝鮮もしていることであり、
我が国にも技術的な障害はない。
従って、私は、民主主義の原則に基づいて、
我が内閣、内閣総理大臣が、核弾道ミサイル保有を宣言し、
国民がそれを支持すればできると考える。

しかし、「日本国憲法」がある限り、
我が国は、核弾道ミサイルは保有できないという見解があるのは承知している。
よって、これが我が国固有かつ独特の核抑止力保持の障害だとすれば、
如何にしてこの障害を除去するのか。
それは、「憲法の改正」である、というのが常識となっている。
そこで、この「我が国の常識」とは別に、
「国際的に普遍的な法の論理」による「憲法無効宣言」という方策があり、
そのほうが現実的であることを指摘しておきたい。
「憲法は無効」、即ち、「障害は幻」、即ち、障害は「ない」

軍隊を駐留させて他国を軍事占領している国が、
他国の憲法を書いても、その憲法は無効である。
これは、国際的に普遍的な法の論理であり、国際の秩序であるり、
我が国もこの論理に従うべきである。
「日本国憲法」は、日本を軍事占領しているアメリカを中心とする連合国が、
昭和二十一年二月四日から十二日までの九日間に書いたものであるから、
日本国の憲法としては無効であることは明々白々であり、
連合国の「日本占領基本法」としての効力を認められるにすぎない。

この論理は、普遍的であるから現実的なのである。
これに対して、改正が非現実的というのは、
そもそも、日本国憲法の改正規定は改正が出来ないように作ったと
書いた本人であるアメリカ人が言っていることである。

安倍総理、
アレキサンダーが、「ゴルディアスの結び目」を剣を抜いて一挙に切断したように、
国際的法の論理に従って、
日本国憲法の無効を宣言されたい。
 To Cut The Gordian Knot!

(3)自衛隊の「日報」について
スーダンのPKO派遣部隊からの日報問題については、
実は訳が分からん。
その理由は、日報という情報の
「公開」か「隠蔽」かの二者択一の次元だけで問題化され、
「公開」が善で「隠蔽」が悪として、
大臣に日報を廃棄すること、即ち隠蔽することを、
陸幕が大臣に、
伝えたのか伝えてないのか、
大臣が、
聞いたのか聞いてないのか、
の騒ぎに矮小化されたからだろう。
そこで、聞いたのか聞いてないのか、を考えていても仕方がないので、
日報とは何か、それをどう扱うべきか
を考えていたときに連想したことを記したい。

そもそも、日報とは、文字通り日々の部隊からの報告だ。
戦闘時の軍中枢には、戦場の各部隊からおびただしい日報が届いてくる。
それを全部公開したら、
めちゃくちゃなことになって、
何が何か分からなくなり、ついに国家崩壊に至るだろう。
第一、雷が鳴ったとき、
A部隊からの日報は雷あり、とあり、
少し離れたB部隊の日報には百五十ミリ榴弾砲の音がする、
とあることはあり得る。
これを二つ同時に開示したら雷か砲撃か、
つまり、戦闘があったのか無かったのか分からない。

それから、昭和十九年十月十二日~十六日の
海軍が発表した「台湾沖航空戦」の「幻の大戦果」を連想した。
この「幻の大戦果」に基づいて、
大本営は以後の作戦を決定したがゆえに、
陸軍のフィリピン戦線は崩壊し、
海軍の連合艦隊自体が消滅する。
つまり、日本が崩壊した。

台湾沖航空戦は、台湾沖において、
我が海軍基地航空から飛び上がった戦闘機と爆撃機群が、
アメリカ軍の空母機動部隊を攻撃した戦闘である。
そして、海軍は、
現地から報告されてくる戦果報告つまり日報を、
そのまま垂れ流すがごとく公表し、
最終的には、
「敵空母十九隻、戦艦四隻、巡洋艦七隻、艦種不明艦十五隻撃沈撃破」
というとてつもない大戦果を公表することになった。
この戦果は、我が海軍航空隊が、
太平洋にあるアメリカの空母すべてを撃沈した、
従って、太平洋を飛ぶアメリカ航空機は一機もない、
というとてつもない大戦果である。
しかし、事実は、敵空母は、すべて健在で一隻も沈んでいなかった。
これは、
日報をすべて、毎日、そのまま「公開」したら、
こうなるという笑えない絶好例である。

このアメリカ軍空母十九隻撃沈を前提に、フィリピンの第十四軍に対して、
ルソン決戦からレイテ決戦に戦略を転換するように要求する大本営参謀に、
山下奉文第十四軍司令官は、
おい、さっきアメリカ軍機が飛んでいたが、あれはどの空母から飛び上がったのか、
と聞いたという。
この参謀の頭は、一旦、公式に事態を発表してしまえば、
目の前で起こっている事態が
公表された事実とは異なるという判断をする能力も失われるという例である。
前の例で言えば、
一旦、雷を砲撃だと公表してしまえば、目の前に雷が落ちても、
これを砲撃即ち戦闘としか言えなくなってしまうのである。

さて、台湾沖航空戦の大戦果を「幻」と見抜いた情報将校に触れておきたい。
彼は堀栄三大本営陸軍部情報参謀だ。
以下、彼の手記による。
彼は、その時、フィリピンの第十四軍に行く命令を受け、海軍の鹿屋基地に着いた。
すると、飛行場脇のピストの前の大きな黒板の前に座った司令官らしい将官を中心に幕僚たちが戦果の報告を受けていた。
「○○機、空母エンタープライズ轟沈!」
「○○機、空母アリゾナ型撃沈!」
という報告が相次ぎ、黒板に書かれる戦果は、次々に膨らんでいった。
・・・一体、誰が、どこで、どのように戦果を確認していたのだろうか?
彼は、ピストでの報告を終えて出来てきた海軍パイロットたちを、片っ端から呼び止めて質問した。
「どうして撃沈と分かった」、「どうしてアリゾナと分かった」、
「雲量は?」、「友軍機はどうした?」、「戦果確認のパイロットは誰か」と。
しかし、明確な返事はなかった。
そこで、彼は、薄明かりの飛行場の芝生の上で大本営第二部長宛に、
次の緊急電報を起案し打電した。
「この戦果は信用できない。いかに多くても二、三隻、それも空母かどうかも疑問」
以上、堀栄三著、「大本営参謀の情報戦記」。
 
しかし、この堀栄三の緊急電報にもかかわらず、
大本営海軍部はもちろん大本営陸軍部も、
海軍の「幻の大戦果」を信じて、
敵空母は一隻もいないという前提で、以後の作戦を実施していった。

日報といえども取り扱いを誤れば、このような重大な結果を招来する。
我が国を取り巻くますます厳しい情勢のなかで、
情報、特に軍事に関するインテリジェンス、を如何に取り扱うか。
真剣に再構築するべきである。
ここにこそ、国民の命がかかっているからだ。
大臣こそ、こういう指示をしなければならない。
・・・、
これがこの度の日報問題に関して、移動中に、連想したことである。



西村眞悟の時事通信より。













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