9月20日に永眠者記念礼拝を行いました。
毎年お彼岸前の日曜日に、地上の歩みを終えて永眠なさった方々をおぼえて礼拝をします。
キリスト教会では11月に記念礼拝を守ることが多いのですが、枚岡教会はこの時期にしています。
ご遺族関係者がお出でになるので、100名以上のにぎやかな礼拝になります。
ご遺族関係者と共に、天における永遠の命を見つめる礼拝を守れまして、うれしく思いました。
午後には、教会墓地にて礼拝をしました。
この時期、最近は残暑の厳しい年が多かったのですが、今年は比較的爽やかでした。
大阪平野の一望できる教会墓地で、気持のよい礼拝を守れました。
◆永眠者記念礼拝より 「神の国に向かう人生」 コリント一15:50~58
私たちの生きている世界には、むごいとしか言いようのないことが起こります。
事件、事故、紛争、差別などのむごい出来事があふれています。
また、それを知りながら解決することのできない社会も、むごい存在です。
人の死も、むごい出来事です。
本人だけでなく周囲の人まで嘆きに突き落す出来事です。
教会が日曜日に礼拝をするのは、主イエスの復活を記念するためです。
十字架にかかり死んで墓に葬られた主は、日曜日の朝に復活しました。
死は、主を墓に閉じ込めておくことはできませんでした。主の力が死に勝ったからです。
その主は、ご自分が墓から出ただけでなく、主を信じる者を墓(死の世界)から神の国に連れて行ってくださいます。
「死なないものを必ず着ることになる」と聖書が宣言する通りにしてくださいます。
復活前の主は、実にむごい所にご自分の身を置かれました。
裏切り、偽証、暴力、あざけり。
そして、「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」という絶望の叫びと共に、死のむごさの中に身を置かれました。
ところが、三日目には、そこから離れ、復活されました。
むごい世界は永遠ではありません。向こう側に道が開かれました。
神の国の希望を持つ者には、惨めなむごい出来事の中でも望みがあります。光があります。
「朽ちないものを必ず着ることになる」との御言葉があるからです。
毎年お彼岸前の日曜日に、地上の歩みを終えて永眠なさった方々をおぼえて礼拝をします。
キリスト教会では11月に記念礼拝を守ることが多いのですが、枚岡教会はこの時期にしています。
ご遺族関係者がお出でになるので、100名以上のにぎやかな礼拝になります。
ご遺族関係者と共に、天における永遠の命を見つめる礼拝を守れまして、うれしく思いました。
午後には、教会墓地にて礼拝をしました。
この時期、最近は残暑の厳しい年が多かったのですが、今年は比較的爽やかでした。
大阪平野の一望できる教会墓地で、気持のよい礼拝を守れました。
◆永眠者記念礼拝より 「神の国に向かう人生」 コリント一15:50~58
私たちの生きている世界には、むごいとしか言いようのないことが起こります。
事件、事故、紛争、差別などのむごい出来事があふれています。
また、それを知りながら解決することのできない社会も、むごい存在です。
人の死も、むごい出来事です。
本人だけでなく周囲の人まで嘆きに突き落す出来事です。
教会が日曜日に礼拝をするのは、主イエスの復活を記念するためです。
十字架にかかり死んで墓に葬られた主は、日曜日の朝に復活しました。
死は、主を墓に閉じ込めておくことはできませんでした。主の力が死に勝ったからです。
その主は、ご自分が墓から出ただけでなく、主を信じる者を墓(死の世界)から神の国に連れて行ってくださいます。
「死なないものを必ず着ることになる」と聖書が宣言する通りにしてくださいます。
復活前の主は、実にむごい所にご自分の身を置かれました。
裏切り、偽証、暴力、あざけり。
そして、「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」という絶望の叫びと共に、死のむごさの中に身を置かれました。
ところが、三日目には、そこから離れ、復活されました。
むごい世界は永遠ではありません。向こう側に道が開かれました。
神の国の希望を持つ者には、惨めなむごい出来事の中でも望みがあります。光があります。
「朽ちないものを必ず着ることになる」との御言葉があるからです。