昔、好きじゃない先生がいた。
美術の研究者みたいな人。
評論家だったのかなあ。
「名画の言い分」を読んでいて
思い出した。
私がなぜその先生を嫌いだったかというと
学生を馬鹿にしていた。
どうせ頭の悪いおまえたちは
せいぜい芸術を鑑賞できる程度の知識を
ちっとは身に着けろよ。
どうせ
芸術家なんてものは
そうそう現れるものではないのだから
表現者になろうなんて思っても無駄だ。
せめて分かる人間をいくらかでも作らなければ。
こういうメッセージが
体からプンプン匂った。
当時は著名な先生だったらしいが
著名な学者って、ああいう風?
と、おばかな学生だった私は
嫌いだった。
変な人!と切って捨てて忘れていたが
「名画の言い分」を読んで
その人のことが少しわかったような気がする。
枕草子の香炉峰の雪みたいに
教養人が知識のあることを競うような
文化の担い手が王侯貴族、僧侶などの時代は
やたら寓意をちりばめるというか
読み取ることを楽しんでる文化が
ずっと長く続いてきたわけだ。
それが、地位や国家間の抗争も絡んで
何を主張するのやら。
こういう文化を学問として研究する人は
まあ
面白いとは思うけれど
膨大な資料の山と格闘してくると
そのうんざりする勉強から振り返って
能天気な学生を見たら
馬鹿で馬鹿でしょうがなかったのね。
衆愚ということばを
近頃あちこちのブログやらなんやらで目にする。
今を憂えて
使われる言葉ではあろうけれど
ハテ?
私は衆愚といわれる側にいるな。
だんだん
ごまめの歯軋りをしたくなった
民衆が豊かにならないと今の経済の混迷もどうにもならないぞと思うし
世の中を実際動かしてるのは
民衆なんだし
エッヘン!
馬鹿正直が最高の人生ですね。
またご訪問させて頂きます。
ないことないこと
お話作って遊ぶのも好きです