言葉だけは知っているけれど
これが
さっぱりわからない
だいたい 信仰心というものがわからない
子供のころから宗教的なものに嫌悪感を抱いていると
自分では思ってきたので
よけい
分らないと思うのだろう
この来迎図は元は比叡山にあって勅封の宝蔵にあったものだそうだ
平安末期のもの
だから 皇室のものだったのだな
平等院なんか藤原氏の阿弥陀来迎立体図じゃないよね
阿弥陀信仰を私(わたくし)のものとして
壮大なイメージ立体世界を作ったのが アレなわけだ
道長が死んだとき法成寺で九体の阿弥陀如来と自分を糸で結んで
臨終を迎えたそうだ
すごいよくばり!地獄に落ちるぞ
法成寺って行ったことないなあと思ったら
もうないのだった
鎌倉時代に入って 専修念仏の民衆に支持された阿弥陀信仰が起こった
と中学で習ったような気がするけれど
念仏宗って空也上人の踊念仏と考えると民衆の中にも
平安時代からも阿弥陀信仰は広がってたのだな
でも いくら考えても
阿弥陀信仰の他力本願というのが 民衆の間に広まったわけが
よくわからない
坊さんだとか貴族や武士が小難しいことも考えて
そういう思想を持ったかもしれないとは思うけれど
念仏を唱えるだけで 阿弥陀様の浄土に行けるなんて
普通 信じるか?
と思っちゃうのだけれど
昔の人の方が芸術的だったのかもしれない
誦経というのも だいたいは一人の坊さんが唱えているのをしか聞いたことしかないけれど
この間武蔵の友人のお葬式では
二重唱だった
富山では 1ダースの坊さんの合唱みたいなお経も聞いた
音楽的効用はあるだろうなと思う
音楽は心を揺さぶるもの
この間はフィンランディアの話題が出たけれど
あの音楽を聞いたら そりゃあ 壮大なイメージに身を包まれるものなあ
宗教は芸術かもしれない
さて 今日も寒い 車は凍り付いていた
武蔵は大会で出かけた
わたしはKUNU洋画会
夜は忘年会だが
武蔵も忘年会
おばさんを一人置けないのをいいことに
不参加だ
のびのびだ
そちらも大変そうですね。私の方は病院通いはしていますが、実際の介護からは離れた日々です。
入院すると職員の方々はとてもよくしてくれますが、どんどん病人になっていく感じです。本人は状況が分かっていないので話がちぐはぐで・・難しいところです。
合間を縫ってランチでもする?
ストレス解消は必要よ。
保元の乱・平治の乱では、都が焼かれ、世の中が乱れ、
武士の時代になり、各地で戦乱が起きます。
地方豪族が旗揚げし、
貴族の荘園を荒らしまわるのです。
堪らないのが百姓です。
息子や夫を駆り出され、田や畑は戦場になり、
収穫物は没収され、食うや食わずの生活に、
干ばつや洪水などの飢饉に苦しむようになります。
こうした事態から逃れるため、阿弥陀様に救いを求めたのです。
越前から越後まで広まったのが浄土宗で、
字の読めない百姓でも、念仏を唱えるだけで、
仏に救われるとされました。
総て民衆の苦難から宗教が生まれたのです。
現代の日本のような豊かな暮らしの中では、
宗教の価値を見出すことは、難しいのでしょうね?
私にわからないのは
飽食のせいか
そうだなあ
その上で歴史を見ないと分りませんね
すごい雪ですが
お出でくださって ご教授ありがとう!
宴会だな?