井沢元彦の説は読んだ
それによると
良房はそうとうな人だったことがよくわかった
私のように無知だと道長の権勢のことしか知らない
というのが
私の無知ばかりでもなく 割と皆もそうなんだって?
ともかく良房は凄物なのだな
そこで 伴大納言絵巻に戻る
わたしは
これを伴と書いたけれど
図書館から借りてきた方の本(中央公論社刊)には
源信だろうという説が展開してた
詞書では言及がないのだ
上は左が清和天皇 右が良房
この部屋の外で
これと同じ服装の人が聞き耳を立てている
伴が 源信が応天門事件の犯人だ
と チクったので
天皇は処罰を決めた
大慌てで
良房が天皇に
それはいけませんよくお調べになりもせず
そんなことはなりません
と諫言しているところ
天皇が被り物もなく すごくくつろぎのところを
起こして 訴えているという場面
良房の色の剥落が一段とひどい
ということで
私の持っている出光美術館発行の本には
推理が載っている
この絵巻はたぶん 後白河の命で作られ
三十三間堂の宝物殿に秘蔵されていた
広く人々の目の触れることを狙って作られたものではないというのだ
でもこの良房の部分の剥落はひどすぎる
それでね
「こいつだぜ 悪の元締めは!」
と繰り返し 指弾を受けたんじゃないの?
という話
だから
わたしは平安末期から鎌倉にかけて
この藤原摂関権力について
後白河の周りの人たちは
どういう認識だったのだろうと 興味を持ったのです
権力を巡る手玉に取る天狗ぶりは
良房と後白河 似てるじゃないか
源信と良房も当時は政敵
井沢氏の本では
ここで 良房は源信に恩を売って
その見返りが
伴を真犯人とするという展開で
事件発覚のきっかけになった子供の喧嘩
(片方は伴の出納の子 片方は 源信つながりの舎人の子)
なのよ
日本版 ダビンチ・コードじゃね?
というわけ
もう 覚えの悪い私の頭にも藤原の良房の名前は
しっかりインプットされたわ
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