私のブログに来る方は
もう
久子さんや
ゆすらうめさんのところでこのブログをお読みになったと思うけれど
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing/d/20110323
医療スタッフとして被災地 陸前高田に入られた看護婦さんの日記です
この東北関東大震災 で起こったことは
目を覆う 大変な厄災 本当に戦後の焼け跡
原爆を落とされた広島長崎 思い浮かべてしまいます
ここから復興するには
本当に 総力をあげないと
トドがさきの「高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津浪」
ここから下に家を作ってはいけない
という教えの話も読みました
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110329-OYT1T00888.htm
もう低い土地は公園にして人が住まない土地にして
高台に復興集落を作らなくちゃ
という意見は
あちこちで見ますし
上の新聞記事のことを騒いだら
息子は何回もその話をしてたんだそうで
ともかく これから東北をどう復興するか
知恵とお金を集めないと
私は新聞はもう読んでいなかったのですが
古い新聞を何気なく読んで
大洗 (↓の記事で船の絵を乗せたあたり)は
津波警報が早くから船からも 防災無線も鳴り響き
人々は必死で逃げて
大洗 常陸那珂は津波による死者が一人も出なかった
という記事も読みました
復興に当たっては
叡智を集めて これからも決して起こらないとは言えない厄災から
身を守れる集落を作れるよう
日本全国にその教訓がいかされるように と思います
膨大な数の 避難される方たちの受け入れ
復興までの 年月を近隣の県は受け入れることにもなるし
(近隣だけではないかもしれないけれど)
その時 みんなで身を集めて 助け合って生きて行かなければと思います
茨城県も どんどん受け入れていくと言っているそうで
公共の建物が地震で壊れて危険なところなども
修復していくと思います
(武蔵の話では 体育館などが避難所になるので
剣道少年たちの練習場所が無くなり
朝日道場(武蔵の属している 私設の道場)には いろいろな地区の子たちが
練習に来るようになったそうです
放射能の汚染を食い止めてくれれば
茨城の野菜やコメも提供できるだろうし
山崩れを起こした 膨大な我が家の本 考えてみれば
捨てなきゃ と思ったけれど
避難所に図書コーナーを作ってもらって
読んでもらえるといいかもしれない
花てぼさんも ボランティアの登録をしたというから
きっと
お話などなさりに行くのだろう
生き延びた方たちが 元気になりますように
下の絵は 上に書いた トドがさきの少し北の
宮古の浜辺です
人は逃れられっこないと思いましたが
高台に住むことに決めるならば もっと被害が少なかったでしょう
どうして何回も津波でやられながら
海辺で暮らすようになったか
悲しい話も聞きました
もう駄目だとあきらめないで
復興を勝ち取りたいです
どういう風に復興ができたか
弱い人に
力のない人に犠牲を強いるような復興ではなく
大事なものを見失わないように
私たちが死んだ後も
教訓が生かされるような
復興にしなければいけないんだなと思いました
透析を受けている方たちが
輸液?の不足で大変なようなの
私の母はもう死んじゃったけど
透析をしなければ命がない人だったから
とても気になる
それを作る工場は茨城にあるのだそうで
茨城の工場が壊れたので足りないのだそうなのです
復旧のめどが立たないようなんだけれど
そこでも必死で復旧作業をしている人がいるんだと思う
私たちがいる場所で
頑張ることが
何かで
支えることになるのかもしれない
大事なものが
私なんかとは違うのです
相変わらず 原発はクリーンだと思っているんだろうし
こういう人を苦しめたことは
そのクリーンさを損ねるものではないのでしょう
人間を見る目が違うんだわ
もう縄文人に学ぼう と思ってるっていうのに
全く!
ともかく原発温存勢力はすごいのね