keep on life 

日々の生活模様を書いて行きますが
無許可の宣伝活動等を始め一切の
迷惑行為は御遠慮下さい

「ありがとう」

2011年09月30日 | today
『ありがとう』

身近な存在でありながら
大きな存在でもある言葉で
これだけ大きな言葉は他に
思いつかないです。

「ありがとう」

言える時、言いたい時に
言っておかなきゃ。






温もり

2011年09月25日 | today
人には必ずその人の温もりってある

表面上にどれだけ出ているかは
その時のその人に状態でも
必ず温もりはある

向かい合って話していても
手をつないでいても
ただ居るだけでも
必ず温もりはある

その温もりを感じる事が出来るのは
とてもしあわせな事

一緒に居られる事が出来る時間は
大事にしておこう



好き

2011年09月22日 | today
いつだって人を好きで居る自分で居たい

いつだって人に好かれる自分でありたい

どっちも持ち合わせていながら
作られた規律の中で毎日を過ごしていても
信頼しあっているからこそ出来る事がある。


これが幸せの基本なんじゃないかな。
人も自分も好きで居られるもの




伝達

2011年09月18日 | today
まだ子供だった頃、今ほどパソコンや携帯等の
電子通信機器は普及していなかった時期でした。

確かに便利になったと思う反面、子供の頃に
当たり前にしていた手紙等の形ある物での
意思表示や伝達手段が少なくなりました。
だからこそ特別扱いこそしないまでも今だに
有意義な手段として確立され続ける価値観を
持つ社会であって欲しいと思います。

話す

2011年09月17日 | today
以心伝心とは
無意識のうちに心が心に伝わる事
直感を含めて人の真理が伝わるのは
そう多くないので本心を伝える事は
大事な事である。

しかし時折少し先の未来を想像した時に
その将来になってしまわない様に嘘をつき
そのやり取りに憤り、傷つくやりとりが
大人にあってそんなやり取りが無くならない事に
虚しさを覚えてしまった事もある。

かと言って本心だけを良い続けて行く事にも
誤魔化さずに良い続ける事なのでしんどくなる


単に『話す』だけなのにね

意思表示が互いに出来て尊重し合いながらも
譲歩出来ない所を妥協したりしてこそ発展も
あり得る事であるのに一方的になったり偏りが
生じたりするのがごく当たり前になっていたり
それが蟠りになったり衝突のきっかけになる。


話す=離すになってしまうのは悲しい事


整然と話す事が出来る様に努めていよう



わがまま

2011年09月14日 | today
時々、よりもまだ少ないくらいの割合で
『特別何もしなくても気を使わないでも
好きにしてて良いから近くに居て欲しい』
とか『手つないで』とか頼れる人に思ったり
する事って不自然なんだろうかなぁ?

大抵そんな事を思うのは押し潰されそうな
心を持ち合わせている状態の時なんだけど
そんな事をして落ち着きとか平常心を心に
持ちたくてそんな事を思ってなかなかそれを
しないでいつも押し黙って終わっちゃうんだけど
やっぱりわがままなのかな?



ホッ

2011年09月13日 | today
今日はお休み

たまには午後から部屋でボーっとして居たくて
午前中に外出して帰って来ました。

最近疲れちゃったって思う事が多かったものだから
出来るだけ何もしないでのんびりして居ようと思って。

極端に暇が無いと思えば暇が出来たりしたから
体がちょっと悲鳴を上げちゃっただけ。

体が悲鳴を上げだしたら心も悲鳴を上げ始めるから
今日はホッとさせようと思っただけ。


もう大丈夫です。

…でも軽い風邪だろうか?
喉が痛い、偏頭痛、体がだるい
そのうち楽になると良いけど。


半年過ぎて

2011年09月11日 | today
東日本大震災発生から半年が過ぎました。
今だ復興への道のりは長く険しい様子ですが
一日も早く笑顔を取り戻せる日が来るのを祈ってます。

穏やかに過ごす事は簡単に思えて一番難しい事ではないのか?
と半年間自身に問われている様な時間を過ごして来ましたし、
目まぐるしく変わる状況下で人の温もりや笑顔や優しさにホッと
する時間も過ごして来ましたが、まだまだ自分に甘えも未熟さも
あるのだと気付く時間ばかりだったと思ってます。

これからの時間大事に過ごして行かないとね。


六年

2011年09月08日 | today
あっと言う間に九月になったと思っていたら
ふとこのブログを運営し始めたのも六年前の
九月だった事を思い出しました

六年の期間もまたあっと言う間で
『思っても居ない事は言わない
思っている事だから言いたい』
と強く思い始めたのもこの頃でした

言葉を選んで表に出した以上いつだって
その言葉に責任は取って来たのですから
どんなに言い続けてしんどくなったって
これからもそれは変わる事はありません


六年の間に去った人の中にも忘れ去る事の無い辛い記憶はあるけど
決して悪い事ばかりじゃなかったし色んな良い思い出だってあります
六年の間に出会った人や例え空白が出来てもその後で再会してからも
楽しく過ごしている事はやはり嬉しい事です


一年の区切りでどう発展させられるか楽しみです


不変

2011年09月05日 | today
どんなに時間が過ぎようとも
変わらない思いがある

どんなに時間が過ぎようとも
変えられない思いがある

立ち止まって考える事も必要だけど
歩き出さなければ変えられない

歩き出さないと。