論語を現代語訳してみました。
(なお、郷党第十については、当時のシナ王朝の礼式や作法(しきたり)などの記述が多く、修身という分野からは少し外れている内容となっています。よって、当時のシナ王朝のそうした礼式や作法などに関心のある方のみ、ご覧になっていただければ幸いです。)
郷党 第十
《原文》
入公門、鞠躬如也、如不容。立不中門。行不履閾。過位、色勃如也。足躩如也。其言似不足者。攝齊升堂、鞠躬如也、屏氣似不息者。出降一等、逞顔色、怡怡如也。没階趨進、翼如也。復其位、踧踖如也。
《翻訳》
公門〔こうもん〕に入〔い〕るとき、鞠躬〔きくきゅう〕 如〔じょ〕として、容〔い〕れられざるが如〔ごと〕くす。立つに門〔もん〕に中〔ちゅう〕せず。行〔ゆ〕くに閾〔いき〕を履〔ふ〕まず。位〔くらい〕を過〔す〕ぐるとき、色〔いろ〕 勃〔ぼつ〕 如〔じょ〕たり、足〔あし〕 躩〔かく〕 如たり。其〔そ〕の言〔げん〕は足〔た〕らざる者に似たり。斉〔し〕を摂〔かか〕げて堂〔どう〕に升〔のぼ〕るとき、鞠躬〔きくきゅう〕 如〔じょ〕たり。気を屏〔おさ〕めて息〔いき〕せざる者に似たり。出〔い〕でて一等〔いっとう〕を降〔くだ〕るとき、顔色〔がんしょく〕を逞〔の〕べて、怡怡〔いい〕 如たり。階〔きざはし〕を没〔ぼっ〕して趨〔こばし〕り進むとき、翼〔よく〕 如たり。其の位に復〔ふく〕するとき、踧踖〔しゅくせき〕 如たり。
《現代語訳》
(あるお弟子さんが、次のように仰られました。)
孔先生が、国君の表門にお入りになるとき、慎んで身体を曲げ、(あたかも門が低くて)入れないかのような感じであった。
また、立ち止まられることがあるとき、脇に寄られたし、閫〔しきみ〕を踏むなどということはされなかった。
(入門後、政庁に至るまでのあいだで)国君が佇立〔ちょりつ〕される場所を通りすぎるときは、(国君がおられなくとも)顔色を正し、足は進めないありさまであった。
(そして政庁へ近づくにつれて)ことばも慎みに慎まれた。
(政庁に至り階段を前にして)衣のすそを摂って政庁の堂にお昇りになるとき、慎んで身体を曲げ、足をひそめ、ほとんど息をされない感じであった。
(公務が終わり)退出して階段を一段お降りのとき、厳しい顔色が解け、喜ばしい感じであった。
階段を降りきられ、趨〔こばしり〕してお進みのときのお姿は端正であった。(そして、門に至るまでのあいだで、先ほどの)国君の佇立場所をくりかえしお通りのとき、うやうやしいご様子であった。
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。尚、現代語訳ならびに以下の(注)については、加地伸行先生の「論語」全訳注より引用させていただいております。
(注1)「鞠躬如」は、身を曲げ縮めるさま。
(注2)「不中門」は、闑〔げつ〕と棖〔とう〕との間に立たないこと。闑は、閾〔しきみ〕の内側にあり、抜くことができ、これは闔扇〔こうせん〕すなわち扉を左右から閉める(観音開きのような)ときに当たり支えるもの。閾は左右の棖の間にある横木で、いわゆる敷居である。
(注3)「閾」は、高さがあるので、跨いでわたる。踏んでわたらない。
(注4)「勃如・躩如・翼如・踧踖如」は、前述を参照。
(注5)「斉」は、衣(〔い〕上衣)・裳(〔しょう〕はかま)を着用するとき、その裳〔も〕のすそ。裳すそ。
(注6)「屏」は、除くの意。
(注7)「一等」は、一級と同じで一段。
(注8)「没階」は、階を降り尽くす。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考