論語を現代語訳してみました。
為政 第二
《原文》
子張問、十世可知也。子曰、殷因於夏禮、所損益可知也。周因於殷禮、所損益可知也。其或繼周者、雖百世可知也。
《翻訳》
子張〔しちょう〕問えらく、十世〔じっせい〕 知る可〔べ〕きか、と。子 曰〔のたま〕わく、殷〔いん〕は夏〔か〕の礼〔れい〕に因〔よ〕り、損益〔そんえき〕する所 知る可し。周〔しゅう〕は殷の礼に因り、損益する所 知る可べし。其〔そ〕れ或〔ある〕いは周に〔継つ〕ぐ者、百世〔ひゃくせい〕と雖〔いえど〕も知る可きなり、と。
子張〔しちょう〕問えらく、十世〔じっせい〕 知る可〔べ〕きか、と。子 曰〔のたま〕わく、殷〔いん〕は夏〔か〕の礼〔れい〕に因〔よ〕り、損益〔そんえき〕する所 知る可し。周〔しゅう〕は殷の礼に因り、損益する所 知る可べし。其〔そ〕れ或〔ある〕いは周に〔継つ〕ぐ者、百世〔ひゃくせい〕と雖〔いえど〕も知る可きなり、と。
《現代語訳》
子張さんが、「この先の王家十代に至っても、先生が仰られますような国家政道が行われているのでしょうか」、とお尋ねになり、孔先生は次のように仰られました。
殷王朝は、夏王朝の礼節の乱れによって、故事〔こじ〕に倣〔なら〕った国家政道が行わるようになった。
また、周王朝は、殷王朝の礼節の乱〔みだ〕れによって、故事に倣った国家政道が行われるようになった。
このことからも、周王朝を継ぐであろう、次代の王朝にとどまることはなく、そのまた百代に至ったとしても、故事に倣った国家政道が行われているだろう、と。
〈つづく〉
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考にしているが、決して両先生を否定するものではない