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和貴の『 以 和 為 貴 』

【中国】共産主義体制からの脱却と、徳治主義国家へ??

孔子生誕2570周年を祝うイベント開催
中国・福建省と浙江省
AFP:2019年10月1日 7:12


【10月1日 CNS】古代中国の思想家で儒教の創始者である孔子(Confucius)の生誕2570周年となる9月28日、福建省(Fujian)福州市(Fuzhou)と浙江省(Zhejiang)衢州市(Quzhou)で記念行事が催され、国内外から孔子を敬愛する多くの人が駆けつけた。

福州市では、文廟で孔子を祭るイベントが開催された。多くの伝統文化愛好家が集まり、漢民族の伝統衣装「漢服」を着て古代の儀式を行いながら、まるで数千年前にさかのぼったかのようにイベントを楽しんだ。

市内在住の鍾新蘭(Zhong Xinlan)さんは、漢服を着た5歳の娘と参加。鐘さんは
中国の古典が好きで、子どもに古典の絵本を読み聞かせているという。「子どもに幼い頃から中国古典や儒家文化に触れてもらい、好きになってくれることを願っています。将来、より深く学び、実践できるように」と話した。

衢州市では、孔氏をまつる南宗家廟(びょう)で行事が行われ、廟の外では子どもたちが道路の両側に整然と並び、「朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや」と「論語」の一節を詠んだ。

式典が始まると、司祭たちがゆっくりと大成殿に入り、孔子の像に五穀と文房四宝を供えた。文房四宝は書斎に必要な四つの宝物で、筆、墨、紙、硯(すずり)を指す。その後、「大道の行いである。才能のある人と能力のある人を選び、
天下の公共のために尽くすことである。
正しい解釈により仲睦まじく学び…」と論語の一部を朗読し、最後に、孔子が礼に関する書物「礼記」の中で伝えたとされる詩「大同頌」を全員で斉唱した。

式典には国際儒学連合会(International Confucian Association)、中国孔子基金会、孔廟の代表者、孔氏一族の代表者のほか、ドイツ、日本、韓国など11か国の孔子学院の代表者、留学生らも参加した。



【 所 感 】

日本には『和の心』があるように、支那には『論語』がある。

古来支那では、論語(信・義・礼)を重んじ生きる人〔教養人〕を敬い大切にしてきた。それは、如何に素行が悪くとも、ひとたび教養人が目の前に立てば、平服したものである。そして、孔先生が誕生して2500年余りを経た現在になり、その教えというものが蘇る兆しがみえはじめてきたのだ。

一時は毛沢東らによって大弾圧を喰らい、多くの儒教家が粛清されてしまい、孔先生のご氏族は台湾へ逃げ落ちるしかなかった。そして、それ以降は台湾と日本でしか論語が語られなくなってしまった。

尚、その後の支那は、共産党員の傍若無人な振る舞いが際立ち、領民もまた一段と素行が悪くなってしまった。また、その原因が教養人の減少によるものであることは言うまでもない歴史事実である。

そして、これはまったくの私見ではあるが、様々な場所において教養人といえる人が二人三人と存在することは、領民にとってこの上ない "安心感" や "安堵感" というものが芽生えてくるものだ。そして、そのことを建国70年目にしてやっと、シナ中共政府は気づいたのかもしれず、これまでの支那の歴史をきちんと糺していけば、やがてはたどり着くであろう "境地" ともいえる。

現在の経済発展がめまぐるしい中にあって、あくまでも "人治国家" を目指す現在のシナ中共政権が、悪しき共産主義体制からの脱却を志し、さらに "徳治国家" を目指しているとするならば、こんなに素晴らしいことはなく、かつての好景気に酔いしれていたころの日本と比べれば、どちらが健全かなど、私如きがいうに及ぶものではない。


つい先日、大阪西成区内にあるシナ人が経営するカラオケ居酒屋へ行き、私が作成した、『嫦娥羿月 古代支那伝説』の動画を観てもらった。すると居酒屋のママさん(福建省出身)が、「この伝説なら中国人は皆知っているよ。日本人も自分の国のことをもっと知ってほしいね。」と言ってくれたのだ。

たしかに、現在の日本人が『和の心』を唱えられた聖徳太子のことを、どれほど知っているというのか  

十七条憲法と冠位十二階によって、神道と仏教と儒教とを融合させ、そして、江戸期には石田梅岩や二宮尊徳らによって、日本的経済システムが構築され、その後、昭和の好景気時に至るまでずっと、守られてきたものが、音を立てて崩壊してしまい、日本人の心は荒んでしまった。

平成期は荒んだままの状態が30年もつづき、それが当たり前になってしまい、もはや、「道徳」といえば鼻で笑われてしまう事態にまで陥ってしまった…。



【 余 談 】

だから、まずは戦後においての日本社会と支那社会との違いをきちんと理解し、西洋思想と東洋思想との絡み合いのなかで、どちらが精神的に優れているのかを真剣に考えていかなけばならないと思います。

そんな中でも、ひとりの日本人として、そして、ひとりの東洋人としての誇りを取り戻すときなのかもしれません。

でなければ、将来世代の日本人が、東洋西洋限らずに、世界中のどこに対しても、全くといって通用しない事態に陥ることにもなりかねないのです。


日本のマスメディアの流す芸能やつまらない情報に翻弄されることなく、現在の香港で起きていることや、世界の国々の変化というものを自分なりに見定め、これからの日本が世界とどう対峙していくのか、そのためには何が必要であるのか、ということをきちんと踏まえながら、自身の範囲のなかで実践すればいいだけのことであり、優れた指導者など必要ないのです。

すべては、そこに生きる一般庶民が主体となり考え、行動すればいいだけなのですから。




臺北市孔廟~大龍國小學生表演~八佾舞~

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