■ まとめ
考えてみよう。もし仮に先の大戦でわが国が勝利していた時のことを…。
おそらくではあるが、日本の兵士もまた戦後の米国軍人と同じように、次々と世界各地へと駆り出され、若い生命が次々と犠牲となっていたと思うのである。(ファンタジーな話しでいえば、旧日本軍が全世界を救っていた、という人もいるかもしれないが…)
そして、米国におけるトランプ現象みたいなものが昭和後期か平成あたり(陰謀に気付くのが早ければの話だが…)で起こっていたとも思うのである。
そうなると、今、当ブログをお読みになられている日本人の貴方も、もしかすると若いころに戦地へ赴き、本当の敵が誰かもわからぬままに戦わされていたかもしれないし、また、大切な人(夫や恋人や友人など)を失っていたかもしれないのだ。
戦争や暴力革命というのは偶発的なものではなく、水面下で着々と準備され、そして実行されるものである。これは何年も何年も長い年月をかけ、時には豊かさの中から起こることもあったり、また、貧しさの中から起こることもあったりする。陰謀論といって鼻で笑う者もいてよう…。しかし、陰謀論なくして歴史など語れないのであって、陰謀論なしの歴史などはまるで、小・中学校の教科書に書かれているレベルでしかないのである。
さらにいえば、米軍による大都市への大空襲、広島・長崎への原爆投下というのはまさに、ひとりの日本人として断じて許しがたい行為ではあるけれど、だからと言って米国人全てを憎むのは筋違いなわけであって、①米軍との戦争をけしかけた者、②大空襲を命じた者、③原爆(核兵器)をこの世に生み出し、そして投下を命じた者たちこそが我々日本人が絶対に許してはいけない相手だということだけは、決して忘れてはならないと思うのである。
70年前の戦いで旧日本軍に勝利した米国人は、それ以降も戦争を強要されつづけ、大勢の若い生命が失われてしまい、そして敗れた日本人もまた、文化大革命みたいなものがいまも尚、緩やかに実行されており、先人たちが命懸けで守り続けてきた伝統や文化というものが崩壊の危機に瀕しているのである。
最後に、こうした観点から結論を申すとするならば、『純粋な愛国心』というのは、トランプ現象でもわかったように、国家の危機を脱しようとする原動力と成り得るということ…。そして、日本の『保守』というのは、国家の危機が迫っていても何の効力も発揮しないということ…。
まさに、これに尽きるのではないだろうか…。