てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

旧北国街道をゆく⑨野々市編

2018年11月05日 21時00分00秒 | 【ヒゲ親父】街道をゆく
本日はここからです。

高橋川を渡ったここからスタート


今日も味方の本! щ(゚ー゚щ)くるくるキャモーン!
 

野々市町(ののいちまち)と紹介されてますが、現在は野々市市(ののいちし)ですね。


おっいいね

ちゃんと表示されていることが大事です。

157号線の高架下をくぐります。


その壁面に何か描いてある。

野々市の市木で市花である椿(つばき)が描かれていますね。




少し進むと、

北陸鉄道石川線が現れました。

右見て


左見て


渡ります

もう少し進むと何か看板があります。


大乗寺跡だ!?


(ウィキより一部抜粋)
弘長3年(1263年)、冨樫家尚が野市(現在の野々市市)に真言宗の澄海を招聘して創建したという。←これね
暦応3年(1340年)足利尊氏の祈願所となるが室町時代後期、戦乱に巻き込まれて焼失した。その後、前田利長の家臣・加藤重廉が檀越となり、寺は木新保(現在の金沢市本町)に移転した。
さらに、江戸時代初期には 加賀藩家老本多家の菩提寺となり金沢市本多町に移転している。
寛文11年(1671年)には中興の祖とされる月舟宗胡が住持となり、次代の卍山道白(延宝8年・1680年住持となる)とともに寺の復興に努めた。
寺が現在の金沢市長坂町に移転したのは元禄10年(1697年)のことである。

(拝借
オイラの好きなお寺です、あちこち移転ばかりしていろいろあったお寺なんだねぇ




旧街道沿いに白山神社。


旧北横通の石標


こっちにも

旧一日市通と。

野々市市はこの旧街道を大事にしているんだね。


はい突き当りました。


この旧北国街道ではカクンと90度の曲がりを経験していたね。
津幡でも橋場町でもありました。
なんとなく旧街道というのは、なだらかなカーブ道のイメージがあるんだけどね。

看板で確認しても。


ここからしばらく旧街道らしくなります。


まずは、右手に森が現れる。


布市神社(ぬのいちじんじゃ)



古い建物が何軒か続きます。


おっこれは


道路元標ですね。


野々市村

森本でもあったし、橋場町には石川県の道路元標がありましたね。


右手に、


重要文化財の、


喜多家住宅です。


その正面にあるのが、


野々市市郷土資料館です。

入館料無料
もちろん入ります

すごい梁(はり)だ


いいですねぇ~


入ると高齢男性の係員の方より親切にご説明いただきました。

この前の通りでは大火に見舞われ多くの建造物が焼失したこと、
だからこのような古民家は他の場所からの移築がほとんどとのことです。
その他、野々市の歴史的なことや旧街道のとなど楽しい会話ができました。

では進みます。


さてここからの旧街道が難しいのです。

さきほどの地図もチェックだ。


どうやら現在では道がないようです。


ここは、


こういうことである。


このあたりには、野々市小学校や


文化会館フォルテなどがあります。


そして157号線につながります。


しばらくは大通りと同じ道を進みます。


モォ~


そのうちにこの右の細い道に入ります。


ここですね。


旧街道の名残としては、

途中に神社がありました。

ほどなく


また157号線に合流したかと思えば、


少し進んで、


すぐさま芝寿しさんの店舗前から左に逸れる道に入ります。

町内イベントの弁当では芝寿しが定番ですよね。

このようなグネグネの道、
味方の本でもそうなってます。


そして


国道8号線に突き当ります。


今日はここまで。


味方の本ではここ。



今回はこれだけ進みました。



グーグルマップではこう



次回は松任中町編に続く。




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◎味方の本(書籍紹介)

コメント
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