てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

旧北国街道をゆく⑩松任中町編

2019年05月03日 22時12分39秒 | 【ヒゲ親父】街道をゆく
旧北国街道をゆくは、
松任(現白山市)に入りました。

県内の街道ではちょうど半分くらいでしょうか。

さて、本日はここからです。

国道8号線にぶつかるこの場所から。


味方の本! щ(゚ー゚щ)カッカッカモーン!
 


目の前の国道8号線を越えて行け。

進むぞー!

ざっ


ざっ


ざっ


ざっ


ざっ



ちゃんと残ってるもんです旧街道の名残りは


オイラは、


こういうものに小さな感動をおぼえるんだよね。


県道横のこんなちっぽけな小道、
その昔多くの人が往きかった旧北国街道だったということを知ってる人はほとんどおるまいて。


県道に一旦出て、


斜めに横切ります


この辺りはぐねぐね道だったんだね


おや、左手に何かある。


なんだここはいろいろあるぞ、


立派な忠魂碑と


道路元標と(ほとんど見えない


郷小学校跡に


そして・・・・、

順徳天皇御神霊御駐車所跡!?
なんだそりゃ!
相当経過してるのかよく見えないが、たしかに駐車所跡と刻んである。

なんだ!
なんでこんなものがここにある?

まず順徳天皇であるが、

(ウィキより)
順徳天皇は、鎌倉時代の第84代天皇(在位:1210年12月12日~1221年5月13日、父上皇の討幕計画に参画し、それに備えるため、承久3年(1221年)4月に子の懐成親王(仲恭天皇)に譲位して上皇の立場に退いた。父上皇以上に鎌倉幕府打倒に積極的で、5月に承久の乱を引き起こしたものの倒幕は失敗に終わった。乱後の7月21日、上皇は都を離れて佐渡へ配流となった。在島21年の後、仁治3年(1242年)9月12日に佐渡で崩御した。

佐渡に配流!?
この旧北国街道を通って佐渡へなのか!

その際に休憩所、輿に乗っているだろうから駐車所と称するのか。

ネットでいろいろ調べてもわからなかった・・・。


進もう。



また県道に合流します。


しばらくは同線上を歩きます。


そして海側環状線道路に出ます。


左を見ると、

コストコがあり、

右を見ると、

北陸新幹線の白山車両基地へとつながる高架線が見えます。

海側環状線道路を越えます。


しばらくして国道から右に逸れる道へ


入ります。


おや!


用水があり、


一里塚橋がある。

この辺りに一里塚があったんです。

クランクの旧街道を進みます。


通りも越えます。


白山駅の近くまできました。


だけど駅には向かわずここで左折します。


ここには面白い石標があって、

停車場往来とあり、大正三年の松任駅開設の際に設けられたそうでして・・・。

進みますね。


またまた通りを越えます。


静かな住宅街を通過してますが、


急に開けた場所が、


ここは江戸時代に設けられた延焼を防ぐための火除け地です。

金沢では広見なんて言い方をしてましたね(例:六斗の広見)

この後ろにいい感じのお寺もあった。


小さなしゃちほこがある





おや、なんか古そうな町の医院が出てきたぞ。


え!・・・

これって最近少し話題になった悪法の名残りじゃなかったっけ・・・


行こ行こ


左手方向から大きな屋根が目に入ったので寄ってみる。


大きな屋根の本誓寺です。


次は、


本陣跡が出てきました。

加賀藩や大聖寺藩が主に利用したとあります。

味方の本にも、

北陸街道は松任に着く。古くは松任城があり、江戸時代当社には加賀藩の御旅屋(おたや)があり、のち加賀藩本陣が置かれるようになった。
と書いてあります。


もう少し行くと通称千代尼通りに出ます。


石標があります。
見にくいけど「左金沢道」、


「右京都道」とあります。


この通りが面白くて、
街灯に通りの店主の似顔絵が吊ってあったりします。


左手奥にモダンな建物。


これはいいね。


明治洋風館とあり中に入れます。


明治時代の産婦人科の建物。


当時の医療用具が陳列されてます。


さらに進みます。


この辺りは宿場町松任の中心部だったようです。

この交差点で、街道から外れて右折してみます。


正面に見えてきたのが、


願念寺です。


さらに進むと松任城跡公園。


街道に戻って進むと、


御旅屋跡

江戸時代の加賀藩で藩主の鷹狩、民情視察の際に宿泊や休憩のために使用された施設のこと。参勤交代の際にも宿泊施設として使用されていた。

高札場跡

藩主が決めた法度や掟書などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所。


そして松任といえば加賀千代女です。

そのゆかりのあるお寺がここになります。
聖興寺ですね。


この寺には千代尼塚があります。


※加賀千代女(かがのちよじょ、1703年(元禄16年)-1775年10月2日(安永4年9月8日))は、江戸時代で最も有名な女性俳人。千代、千代尼などとも呼ばれる。
朝顔を多く歌っていることから、出身地の旧松任市では市のシンボル、合併後の現・白山市では市の花に選ばれた。白山市中町の聖興寺に、遺品などを納めた遺芳館がある。
「朝顔やつるべ取られてもらひ水」が有名な句。

いい寺だなぁ。


今日は天気もいいので、緑が映えます。


ここか、

千代尼堂もあります。

千代尼塚です。


進みます。



中町交差点も通過します。


ふふ。





家と家の間を用水が走ります。


出ました。

これまでも何度か出てきた木戸跡です。

こんな感じだったのかな。


左手にお菓子のあんころで有名な圓八(えんぱち)さんが見える。


今日はここまで



味方の本ではここ。




今回はこれだけ進みました。




グーグルマップではこう




次回は松任荒屋柏野編に続く。




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