てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

旧北国街道をゆく⑰加賀七曲り編

2019年09月07日 19時10分31秒 | 【ヒゲ親父】街道をゆく
今日はここからですよ。


恒例の味方の本、
щ(゚ー゚щ)カラカラカモーン!

赤矢印から

では今日も元気に行こうかい!



さっそく右手に神社が見えてきた。


右手に見えてきた神社、串八幡神社です。

入ってみよう。

奉納


奉納


奉納


奉納のオンパレードだ。


これはなんだ?


へぇ、憲法発布記念とな


これは!


神龍!


かっこいい!


なかなかの神社です。


さてと、進みますか





左手の大きな敷地は小松製作所粟津工場ですね。


ほら、少し見えました。


右手にはバスの製造会社のジェイ・バスさん。


このあたりは大きな工場が集まった工業団地になります。

たしかこの付近に変わった公園があったはず・・・。

少し横道に逸れて行ってみる。

おや、

粟津牧場跡地、牧場があったんだね。

そしてここだ粟津公園。


ここには他の公園ではあり得ないものがある。


園内を本物の電車(旧尾小屋鉄道車両)が走るのだ。


駅もある。

車両は格納されてるね。

雰囲気のいい林の中を走る。


短いんだけどね。


さて旧街道に戻ろう。



月津に来ました。


火の見櫓が見えてきた、その下に石碑があり、


月津一里塚だ。


味方の本にも書いてある。


ふむふむ


しばらく行くと、


十村屋敷跡。

石川県内でちょいちょい目にする「十村〇〇家」という案内板。

(ウィキより)
十村制(とむらせい)は、江戸時代に加賀藩の第3代藩主前田利常が制定した農政制度で、地方の有力な農民を十村として懐柔、いわば現場監督として利用することで、農村全体を管理監督し徴税を円滑に進める制度である。改作法施行にあたって、十村はその業務範囲を広げ、加賀藩・富山藩・大聖寺藩における農政の実務機関としての役割を十全に果たした。

百万石システムの一つなんでしょうね。

正面に見えてきた茶色の大屋根。

興宗寺です。

ここでも明治天皇がご休憩されてます。


街道はここより少し下ります。


すると視界がパッと開けます。


味方の本によると、ここで見事な白山が望めるとあった。

見えますね。

雪があるとなお美しいですけどね。

いよいよ加賀市に入ります。


集落を進みます。



集落を抜けると、


出ました!

七曲り街道跡です。

味方の本にも書いてある。


案内板を読んでみよう。

戦国時代攻め寄せる軍勢の数や装備を読み取るために七曲りと呼ばれた曲折した道路があった。
近くにある勝光寺の鼓楼がその見張り場所だったと伝えられている。

なるほど、ぐねぐね道だ。


勝光寺はあの森(あとで戻って見て来よう)


よーしここは、ていねいに紹介しよう。

つまりこうである。

このように攻めてくる敵の軍勢は、
一本道の直線だとわかりにくいから、

(オイラ作 20秒

道をぐねらせた。この方が敵の数がわかりやすいからね。

(オイラ作 35秒

旧街道愛好家からするとこの場所は重要だぞ!
(なんでやねん!

では実際、七曲りを歩いてみよう。



ここは、


ここで、


ここは、


ここ、

あの説明板がなければ、これが旧街道とは思わないだろうね。

ここを曲がり、


ここを曲がり、


楽しいです。


道路に出ますが、


斜めに横切り直進するので、


そうしま~す

ここで注意なのは、
旧街道は左の砂利道ではなく、右のスクラップ置場を通るのです。

だから進みます!どすどす


けっこう大変っす。


そしてこの右折は、


こういうことです。


いやはや、我ながら、よくやるわと・・・


ここは、


ここで、

ここが、まさかの旧北国街道



また道路を斜めに横切るので、


横切りますが、


すぐさま曲がります。


こんな感じですね。


ぐねぐねと、





この七曲りはあったのです。


ここ最後のカーブを右折して、


もう少し


ここで、


ゴール

そして現代の道路と同じ場所につながります。

ははは、ちょっとしつこいくらいでしたね。


よし一旦、見張り台があった勝光寺に戻ってみよう。

あそこね。



着いた、ここ。


立派な門構えです。


へぇ~、


いいね。


あれか!


これが鼓楼といわれる見張り台だな。


ここから、先ほどの七曲りを進んでくる敵軍を見ていたんだ。


う~ん七曲りは見えないなぁ・・・。


もう少しだけ街道を進もう。


橋が見えてきた。


動橋大橋

ちなみに動橋は「いぶりばし」と呼びます。

動橋川。



今回はここまで、


ここですね。



今回はこれだけ進みました。
これだけ進みました。

ちゃんと最後の七曲りのところ、道がぐねってるね



グーグルマップではこう



次回は、加賀動橋編です。




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