てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

旧北国街道をゆく③金澤森本編

2018年09月23日 23時10分00秒 | 【ヒゲ親父】街道をゆく
今日はここからですね。

津幡から金沢に入りました。

では味方の本 今日もщ(゚ー゚щ)カモーン!


ココです。


おっ

「與一の道」とあります。
そう八田與一(はったよいち)さんですよね。
(與一は難しいので以降は与一と書きます。)

利屋町。

「とぎや」と呼びます。

この付近には利屋一里塚があったとあるけど、


位置的はここかなぁ、


味方の本にはこう書いてあります。
津幡を過ぎた北陸街道は、まもなく金沢に入る。一里塚があった利屋、松並木が見られる北森本町へ進むが、
かってこのあたりは、河北潟岸の湿地帯だった。

誓入寺。


花園児童クラブ。


天気がいいと気持ちいいね。


おっ出ました!


少し旧街道から逸れるが、行ってみよう。


山手の方にその神社はあります。


日本で唯一、香辛料の神を祀る神社、
波自加彌神社(はじかみじんじゃ)です。


これは山椒の木かなぁ。

山椒も香辛料のひとつだから、これは御神木ということになるんですかね。

さて旧街道に戻り、進みます。


左手に小学校が見えてきました。
花園小学校です。

そうです、ここが八田与一技師の母校です。

八田技師の像もあります。


(WEB歴史街道より)
八田与一 ~台湾で最も尊敬されている日本人~

烏山頭(うさんとう)ダムを建設し台湾の人々から今も慕われ続ける日本人です。
今も「台湾で最も尊敬されている日本人」と称される八田与一。彼の功績は台湾の教科書に写真入りで紹介されているそうです。

そんな八田は明治19年(1886)、石川県河北郡花園村に生まれました。
八田はその生涯のほとんどを台湾で過ごし台湾の開発に人生を捧げることになりました。
その最大の仕事は、嘉南平野に農業用水を供給するための灌漑工事です。

15万ヘクタールにも及ぶ嘉南平野は、河川が少ないために深刻な旱魃の危険に常にさらされた不毛の土地とされてきました。
八田はその大規模な水利工事の指揮をとりました。
ダムを建設して水源を確保し、さらに水路を平野に縦横に張り巡らせて、不毛の地を豊饒な大地へと変貌させようとしたのです。
工事は実に10年にも及びますが八田は陣頭指揮を執り続けました。
日本人も台湾人も一緒になって取り組み、八田は自ら率先して危険な現場にも足を運んで工員たちからも篤く信頼されたといわれます。
その結果、貯水量1億5千万㎥の大貯水池・烏山頭ダムと、嘉南平野一帯に16,000kmにも及ぶ細かく張り巡らせた水路がついに完成。
これによって潤された嘉南平野は、台湾最大の肥沃な穀倉地帯へと生まれ変わります。

台湾の人々は八田への感謝の気持ちを込めてダムが完成した翌年に八田の銅像を建てました。
その銅像は座った姿で右手を額のあたりに添えています。八田が考え事をしている時によくとっていたポーズでした。

しかし太平洋戦争中の昭和17年(1942)、フィリピンの綿作灌漑調査を命じられた八田は「大洋丸」に乗船して五島列島南方を航行中にアメリカ軍の潜水艦の魚雷攻撃を受けて船が沈没して不慮の死を遂げます。享年56歳でした。


学校には台湾からの御一行来校記念碑がありました。


今でも交流があるのでしょう。


小学校のフェンスに稲わらを干しています。

いいですねぇ。

そして花園小学校のすぐ横にある立派なお宅、


このお宅こそ


大偉人、八田与一技師が生まれた生家なのです。


ちょっち、お邪魔しま~す

八田与一技師生誕地と刻んだ石碑。

石川県では毎年8月に日本全国で学ぶ外国人留学生、研修生と市民のふれあいのためのテント=『JAPAN TENT』が開催されていますが、

(拝借

台湾の参加者は、その期間中にこの八田技師の生家を訪ねているとのことです。

(拝借

お庭より色付いた木が見える。


なんの木だろう、綺麗な薄赤色の花が咲いていた。


偉大な八田技師のことを思いながら、
旧街道を進む。

横切る大通りを越えて、


山側環状線高架下をくぐると、


ここにあるように


松並木が現れます。


昔の風情が残っている貴重な場所です。


そこに、



石標があり、

石川県指定史跡 松並木の旧金沢下口往還 と彫ってあります。

そして説明板も設置されていました。

もう柿の季節ですか、

なるほど


さらに進むと、


橋が出てきた。

森本大橋。

森下川で上流方面を見る。

北陸新幹線の高架が見えます。

下流方面

川は河北潟へ注がれます。

橋を渡ると左手にお寺があります。


そして正面に陸橋が見えてきた。


登ります


左手に小さな公園があって、園内に道路元標があった。

ここに移設したようです。

右手に森本中学校と体育館。


上には新幹線高架、
下には在来線という陸橋です。


陸橋を下ります。


森本の中心部へ来ました。

右手にファミレ、今は芝居小屋になってます。

そして森本駅。


きっと北陸新幹線の高架でここが一番高いのではないだろうか。


古民家の背後に新幹線高架橋です。


北陸自動車道をくぐると、
左手に神社があった。

菅原神社。昔ここで白いヤギを見た記憶があんだよなぁ(記憶違いかな

百坂。「ももさか」と呼びます。


真っ直ぐではなく、


旧街道は斜め左に入って行きます。


脇に対のお地蔵さんがありました。


ここね。


今日はここまで。


今回はこれだけ進みました。


グーグルマップではこう



次回は金澤鳴和編につづく。



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コメント (2)
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