さあて行くぞ~!石川県内の旧北国街道を踏破するのだ。
オイラの強い味方を紹介しよう。
へいщ(゚ー゚щ)カモーン!
まつお出版「北陸街道紀行」松尾一 著 である。
参考になる文章もいいのだが、手書きで描いてある地図がルートを特定するのにわかりやすく大変ありがたかった。
オイラはこいつを味方の本と呼ぶのさ
スタートは、越中富山との県境の倶利伽羅峠から。
赤矢印からである。
ここでの旧街道は、まさに昔の姿そのままである。
ここは県内の旧北国街道でも最高の場所ともいえる
100m程度のこの場所は、ほぼ昔のままの姿といえよう。
オイラ何度も来ているお気に入りの場所です。
横にある石標は小矢部市となっています。
ここはまだ越中国ということですね。
帰って家で詳しく県堺を調べてみると、
どうやらここが県境のようです。
こんな感じで。
それでは旧北国街道加賀国スタート!
加賀に入るとすぐに左手に公園がありました。
そこに立っていたMAP看板。
(国境を描き込み(^^)/)
この倶利伽羅峠一帯は石川・富山両県が共同で旧街道の整備を行っています。
このあたりのこと味方の本によりますと、
倶利伽羅不動長楽寺という大伽藍があり塔頭も多くあったが。しかし江戸時代の火災や明治初期の廃仏によって廃寺となり、
今日では不動寺や手向神社、石仏など石造品で偲ぶばかりである。
江戸時代にはいわゆる宿場はないが、参勤交代の際の加賀藩主の休憩所となっていた。
右側に長い階段。
登ると、4社の石殿があります。
これは加賀藩5代藩主前田綱紀が寄進したものです。
旧街道に戻って進みます。
右手に見えてきました。
手向神社と倶利伽羅不動寺(伽の字を迦と表してますね)
かっこいい。
手向神社です。
建物内には石堂神殿が入ってるとのこと。
さっきの四社とあわせて五社になります。五社権現。
そしてその奥に、日本三大不動尊の倶利伽羅不動寺です。
旧街道に戻り、しばらく下りていくと、
加賀国最初の集落があり4~5軒のお宅がありました。
さらに少し行くと左に逸れる道がありそちらへ進みます。
歴史国道と。
その細い道を進むとなにやら看板が
馬洗い場跡とある。
かってここには湧き水を利用して馬を洗う場所があったという。
しばらくいくと、高台に開けた場所が
龍ケ峰城跡とあります。
登っててみよう。
えっほえっほ
へぇ~
おぉ~!ここは眺めがいいね。
遠くに津幡の平野が見えます。
ふむふむ
この城跡をあとにしてさらに進むと分かれ道に出る。
ここには道番人屋敷があったとあります。
簡易な関所みたいなものかね。
右の道が旧街道だ。
このあたりも昔の姿に近いんだろう。
おや、左手に看板があるぞ
一騎討跡とは、
これは興味ある場所です。
先を進もう。
雰囲気あるねぇ
あそこが旧街道のようです。
むむ!
車は進めません。
やっぱりいるのか・・・
いざ!
階段で下っていく。
一応持つか
今日は快晴なのだが、この道は薄暗い・・・
えっほえっほ
滑って転ばないように
このあたりを前坂と呼ばれ、大勢の兵士が身を隠せる地形、急こう配は戦略攻防の要所となったところです。
何かある!
石が入ってるのか?
前抜権現と書いてあります。
先が明るくなってきたぞ
そろそろこの林道も抜けるね。
いぇ~い
このお地蔵さんは旧街道時代のものでしょうね。
旅人の安全を祈ってくれたんですかね
しばらく行くと集落に入ります。
このあたりの集落は竹橋宿です。
ここには竹橋口の道の駅があります。
源平合戦、倶利伽羅の戦いの案内板もあって、
わかりやすい!
源氏軍の樋口隊がぐる~と周って背後から攻撃したんだ
倶利伽羅の戦いといえば・・・
火牛
さて今日はここまでです。
次回はあのガード下をくぐります。
はい、味方の本では赤矢印まで来ました。
今回これだけ進みました。
グーグルマップではこう
次回は津幡編です
メイン画面に戻る
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オイラの強い味方を紹介しよう。
へいщ(゚ー゚щ)カモーン!
まつお出版「北陸街道紀行」松尾一 著 である。
参考になる文章もいいのだが、手書きで描いてある地図がルートを特定するのにわかりやすく大変ありがたかった。
オイラはこいつを味方の本と呼ぶのさ
スタートは、越中富山との県境の倶利伽羅峠から。
赤矢印からである。
ここでの旧街道は、まさに昔の姿そのままである。
ここは県内の旧北国街道でも最高の場所ともいえる
100m程度のこの場所は、ほぼ昔のままの姿といえよう。
オイラ何度も来ているお気に入りの場所です。
横にある石標は小矢部市となっています。
ここはまだ越中国ということですね。
帰って家で詳しく県堺を調べてみると、
どうやらここが県境のようです。
こんな感じで。
それでは旧北国街道加賀国スタート!
加賀に入るとすぐに左手に公園がありました。
そこに立っていたMAP看板。
(国境を描き込み(^^)/)
この倶利伽羅峠一帯は石川・富山両県が共同で旧街道の整備を行っています。
このあたりのこと味方の本によりますと、
倶利伽羅不動長楽寺という大伽藍があり塔頭も多くあったが。しかし江戸時代の火災や明治初期の廃仏によって廃寺となり、
今日では不動寺や手向神社、石仏など石造品で偲ぶばかりである。
江戸時代にはいわゆる宿場はないが、参勤交代の際の加賀藩主の休憩所となっていた。
右側に長い階段。
登ると、4社の石殿があります。
これは加賀藩5代藩主前田綱紀が寄進したものです。
旧街道に戻って進みます。
右手に見えてきました。
手向神社と倶利伽羅不動寺(伽の字を迦と表してますね)
かっこいい。
手向神社です。
建物内には石堂神殿が入ってるとのこと。
さっきの四社とあわせて五社になります。五社権現。
そしてその奥に、日本三大不動尊の倶利伽羅不動寺です。
旧街道に戻り、しばらく下りていくと、
加賀国最初の集落があり4~5軒のお宅がありました。
さらに少し行くと左に逸れる道がありそちらへ進みます。
歴史国道と。
その細い道を進むとなにやら看板が
馬洗い場跡とある。
かってここには湧き水を利用して馬を洗う場所があったという。
しばらくいくと、高台に開けた場所が
龍ケ峰城跡とあります。
登っててみよう。
えっほえっほ
へぇ~
おぉ~!ここは眺めがいいね。
遠くに津幡の平野が見えます。
ふむふむ
この城跡をあとにしてさらに進むと分かれ道に出る。
ここには道番人屋敷があったとあります。
簡易な関所みたいなものかね。
右の道が旧街道だ。
このあたりも昔の姿に近いんだろう。
おや、左手に看板があるぞ
一騎討跡とは、
これは興味ある場所です。
先を進もう。
雰囲気あるねぇ
あそこが旧街道のようです。
むむ!
車は進めません。
やっぱりいるのか・・・
いざ!
階段で下っていく。
一応持つか
今日は快晴なのだが、この道は薄暗い・・・
えっほえっほ
滑って転ばないように
このあたりを前坂と呼ばれ、大勢の兵士が身を隠せる地形、急こう配は戦略攻防の要所となったところです。
何かある!
石が入ってるのか?
前抜権現と書いてあります。
先が明るくなってきたぞ
そろそろこの林道も抜けるね。
いぇ~い
このお地蔵さんは旧街道時代のものでしょうね。
旅人の安全を祈ってくれたんですかね
しばらく行くと集落に入ります。
このあたりの集落は竹橋宿です。
ここには竹橋口の道の駅があります。
源平合戦、倶利伽羅の戦いの案内板もあって、
わかりやすい!
源氏軍の樋口隊がぐる~と周って背後から攻撃したんだ
倶利伽羅の戦いといえば・・・
火牛
さて今日はここまでです。
次回はあのガード下をくぐります。
はい、味方の本では赤矢印まで来ました。
今回これだけ進みました。
グーグルマップではこう
次回は津幡編です
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