真昼の月

創作?現実? ちょっとHな虚実不明のお話です。
女の子の本音・・・覗いてみませんか?

Promise

2006-09-05 08:24:44 | オリジナル小説
私が最後に憶えているのは・・・晩夏の午後の、まだ少し強すぎる陽差し、雨の近さを知らせる、少し湿った風、ショーウィンドーに映る自分の顔。
風で乱されそうになる髪を、鏡代わりに眺めながら片手で整えようとする姿。
そしてその後・・・




僕が最期に妻を見たのは・・・慌しいけれど、いつもと変わらぬ平凡な朝。TVのニュースを観ながら、トーストをかじり、出がけにいつものようにネクタイを直されて出かけた、その朝の、微笑んで僕を見送る姿。
まるで今の光景が冗談だとでも言うかのような、あまりに当たり前で、あまりにありふれた、そしてあまりに幸福な瞬間を切り取ったかのような笑顔。
そう、きっとこれは手の込んだ冗談に違いないのだ。あの柔らかな笑顔のほんの数時間後、彼女の笑顔が永遠に遠くへ行ってしまうなんて・・・

今、僕の目の前にいる彼女は、目を閉じたまま、微かに笑みを浮かべている。
身体の損傷の酷さに比べ、顔だけは奇跡的に無傷だった。
まるで今にも目を開けて、僕を見つめてくれるのではないか? そう思いたくなるぐらいに変わっていない。
駆けつけた彼女のご両親の泣き叫ぶ声も、医師の悔やみの言葉も、警察の説明も、僕の耳には入って来はしない。
いや、聞こえてはいる。言葉の意味は理解してはいるが、これは僕とは関わりの無い話なのだ。
一言だけ、医師が付け加えた一言だけが僕の心に記憶された。
「妊娠されていた事はご存知でしょうか?まだごく初期ですので、ご本人もお気づきでは無かったかもしれませんが。。。 お気の毒です。」
妊娠。。。 子供? 僕等の?
僕が聞いていない以上、彼女はまだ気付いていなかったのだろう。いや、それとも確信が無かっただけなのか?どちらにしろ、会った事も無い子供の話をされても、僕には何の現実感も湧きはしなかった。
僕の現実は・・・僕の現実は、今朝の元気な妻の姿だ。



過積載のトラックが、カーブを曲がりきれずに歩道に突っ込み、歩行者が巻き添えになり死亡。
言葉にしてしまうと無機質で、日々よくあるニュースの一つでしか無いが、当事者にとっては、例えよくある事故でも、それは特別な悲劇だ。
なぜ? というのは、使い古された言い方だが、なぜあの人が、なぜ若いのに、なぜ良い人なのに? そんな言葉がそこかしこで囁かれていた。
しとど降る雨の中、それでもまだ若い、それも妊娠したばかりの女性の若すぎる死は、人々の悲しみを誘い、数多くの人々が弔問に訪れていた。
恐らく全く眠っていないのであろう、やつれた姿の、だが健気に挨拶を繰り返す若い喪主の姿や、変わり果てた娘の姿と、まだ見ぬ孫の死に、棺に取りすがって泣く母親の姿が、更に人々の涙を誘っていた。
不条理な事故など起こらなければ、これから生命を育み、親となり、幸せな家庭を築いていくはずだった、若い夫婦。嫌が上にも、加害者側への非難の声も高くなる。
恐らく、人々の中で、加害者への恨み言を口にしていなかったのは、喪主である、被害者の夫だけであったかもしれない。