真昼の月

創作?現実? ちょっとHな虚実不明のお話です。
女の子の本音・・・覗いてみませんか?

Heaven's Gate

2006-05-20 20:32:01 | オリジナル小説
沈む心を抱えても、浮き立つ日々を過ごしていても、時は万人に同じようにその影を落とす。
彼女との不可思議な一夜以来、僕の心の中の時は、その歩みを緩慢に、限りなく静止に近い状態で動いていたのだが、どうやら僕の気持ちなんてものはクロノスに届くわけもなく、気が付いたら年末年始の受験直前対策集中ゼミが始まろうとしていた。

僕のバイトしている塾は、超一流とまではいかないまでも、それなりに有名な中学・高校への進学を狙うための塾だ。
勿論立地のせいもあるが、比較的裕福な家庭の子女。いわゆるお坊ちゃんお嬢ちゃんが多く、従ってあまり問題を起こす生徒もいない。
そんな子達だから、絶対的に有名校に幼稚舎、小学校、遅くても中学から入学して、ほぼエスカレーター式に進学していく者が多いのだが、中にはお受験に失敗し、若しくは編入学、親の意向で学校を変えるために受験する者も数多い。
だけど、よくTVで見かけるような、鉢巻巻いての猛烈特訓なんて空気はありはしない。
あくまで比較的恵まれた子供達なのだ。
親の期待に応えられず、切羽詰った気持ちを抱えている生徒もいるが、そんな生徒はごく一部だ。
そんな生徒達に”受験気分”を刷り込み、テンションを上げさせるために行われるのが強化ゼミだ。

その強化ゼミ直前になって、珍しく滑り込みで入塾希望者が訪れた。
いかにも裕福そうな、仕立ての良い三つ揃えに恰幅の良い身体を包み、塾長に親しげに話しかけている中年男性に連れられて、有名私立中学の制服の女の子が立っていた。
塾長に呼ばれ、僕は3人のところへと近づいた。 どうやら僕の授業を採るらしい。
「ご紹介します。こちらが当塾の数学担当の鈴木先生です。大学生ですが、こうみえてもウチでは一番の講師です。彼に任せておけば絶対に大丈夫ですよ。 いや、元々桜井様のお嬢様は成績優秀でいらっしゃいますから、心配には及ばないでしょうが」
媚びた笑いを浮かべながら、その桜井という紳士と会話を続けながら、僕に入塾テストの結果を渡して寄越した。
確かに・・・どの教科も素晴らしい成績だ。どうやら現在の学校で落ちこぼれたから、どこかに編入したいという事では無さそうだ。
「鈴木君、桜井様のお嬢様 沙織さんとおっしゃるんだが、ご両親のたっての希望で、現在の桜林学院から清陵女学院の高等部を受験される事になったんだよ。宜しく頼みますよ。」
桜林から清稜だぁ? 確かに清稜はお嬢様学校として世間に名を馳せる名門校だけど、偏差値からいったら桜林はトップクラスじゃないか!
桜林なら、大学だって国立・私立共にトップクラスの学校に大量の合格者を出している、超名門校だ。リベラルな校風と共に、多数の著名人も輩出している。
なぜわざわざ桜林から清稜に?
成績のせいでは・・・無い。この成績なら桜林でも優等生だろう。第一桜林から清稜なら、この成績なら塾に通う必要なんてあるのか?

僕の頭には”?”マークが乱立していた。
妙な親もいるものだ、と思いながら成績表を眺めていると
「さぁ、沙織、先生にご挨拶なさい。」
父親の声に促されて、俯いて父親の大きな躯の陰に隠れていた少女が顔を上げた。
「初めまして、桜井沙織です。宜しくお願いします。」
蚊の鳴くような声で挨拶する少女を見ながら、僕もなんとか尋常に挨拶をした。
「数学担当の鈴木です。こちらこそ宜しくお願いします。」

かろうじて挨拶はしたものの、僕の心臓は早鐘を打っていた。
桜井沙織・・・初めましてなんかじゃありはしない。桜井沙織は、この目の前の大人しげにひっそりと佇んでいる少女は、確かに”彼女”だ!

急激に加速する、僕の時間。
再会の喜び?驚き? 僕に聞かないでくれ。今の僕には自分の気持ちも、この偶然も、どう理解して良いか分からず、ただ馬鹿のように立ち尽くすしか無かったのだから。