<過去記録(2007~2013年)>徳井由美子~ゆみりん・ブログ

ゆみりんこと、徳井由美子(ホーリー・ホーシー、他)の、これまでの過去ブログ記事を、ここに移設してきています。

(割り込ませて)自分オリジナル新曲の収録音源のビデオです。

2012-01-10 20:04:45 | 動画(ビデオ)
「ひかりのかがやくなかで」(新曲)

<ホーリー・ホーシー オリジナル>

徳井由美子/作詞・曲・ギター・歌

佐久間邦雄(会長)/編曲、ギター(ソロ)、フレットレスベース、パーカッション、シンセサイザー



被災地訪問、前日の1月5日に、録音したものですわ・・音源(私が歌と、ピアノと、コーラスのみ)を残して、去ったんですが 残った会長が、音源を編曲、演奏を加えて、こんな風にアレンジしてくれました。まだ、完成してないんですわ。実は、コレ最初から録り直しすんです!(笑・・)発展途上音源であります。今度は、ピアノを加えます。

被災地へ行く前後にこの曲が仕上がってきて、自分としては本当に、心の支えになったというのが事実です。



あと、「Homecoming」は、上記の佐久間邦雄さんのオリジナル曲で、元々、彼作曲のインストゥルメンタル曲。これまでに、エレクトリックなアレンジのバージョン http://www.youtube.com/watch?v=k6zQqp8ttIk や、ボーカロイドの巡音ルカに、スキャット(歌詞なし)で歌わせたバージョンがあったようで。・・ 今回、昨年末にこの人に頼まれて、私が、作品の元になっているアニメ作品”灰羽連盟”を私も6時間ばかり視聴して、それからイメージを沸かせ、一気に歌詞を書き上げたもの。
これが、またこの作曲者のひねくれた(?)複雑なコード進行が・・(本人いわく、パット・メセニー意識らしい)ピアノ歴1年の初心者の私を苦しめ・・たほどでもなく、いい作品なので、比較的、楽しく練習させていただきました、とにかくピアノの弾き方なんていうのも、自分なりに考えてのやり方でして、これがベストとはいえないのかも、知れない。・・だけれど、後半、サビのあたりからは、会長のアレンジの仕方も手伝って、けっこうゾクゾクしますよ~。また、この曲は昨年12/25、この2人で、初ライブ披露が済んでおります。(ライブ映像は→http://www.youtube.com/watch?v=94-lR--wCjs

http://www.youtube.com/watch?v=SIv7zEAFd6M

宮城県名取市(7日・活動1日目)の記録-宮城行程3

2012-01-10 19:04:59 | 音楽活動-ボランティア編
どうしよう・・・向こう(宮城県)から昨日大阪、自宅へ帰ってきて、
もっと、すぐに・・記憶の濃い間に、すらすらと、ここへ記録を書けるか、と予想してたのに
意外に体調はわるくないが、疲労の濃さはバカにはできないくらいだ。

予定では、今日の午後に、”すべてを”書き上げるつもり(笑)だった、のに・・。

ぼちぼちですな。

到着して1日目、7日(土曜日)に、名取市の仮設住宅を訪れ、そこでイベントを開きました。
CROSS GROUPという、民間の飲食業のオーナーを中心とする団体が、今回の一行の母体だったんですが、
それのメンバー達と、今回募集で応募して(私の場合・・前のチャリティーライブに引き続いて、という感じでの、音楽係としての参加だったわけです)来たメンバーで、割り振りをして、フリーマーケット(無料)や、炊き出しふるまい、という内容の催しをしました。

名取市のここ仮設住宅の集会所に到着して、私個人は、演奏の準備をしている間を含め、1時間くらいの間、この仮設住宅自治会の会長さん、副会長さん、イベント担当のSさん、当地女性ボランティア・コーディネーターである名取市社会福祉協議会の、小又さんほか様々な人たちと、交流できたのは、とてもなごめる時でした。心から、楽しかった。

東北弁で冗談を言ってくれたり 私の持ち歌のファイルの中の曲で、早くも先行して歌ってみたり、どの曲がええ、とかワイワイ言うて・・ また、地震当時の話をしてもらたったり、私が神戸出身で、阪神淡路大震災の揺れを経験していることから、今回の地震に関する考えを話し合ったり、直にじっくり交わりできる貴重な時間になったのでした。

<お写真は、下の主だった方達に、HP・ブログへの掲載を許可いただいています>

 
集会所に集まってきた皆さん。         
 
(左)とてもイイ味出してた、元・船大工棟梁、会長さん・・・ (右)名取市社会福祉協議会のコーディネーターさん
 
(左)この仮設住宅を訪問し、精神的ケアほか援助をされておられるようでした、先生
(写真掲載に許可を得たと思っていますが、何かの問題があれば、ご一報ください。)

なお、ここでのライブの様子が、1つ前の記事に貼っているものです。

ここでの演奏やイベントのあとの移動・・は、なにか、NHKの車!・・?が2台来て
ボランティアを無料で送迎するシステムが働いているようです・・くわしく確認できなかった

私達名取市でのイベント組を、山元町のテラセン(お寺を基盤としたボランティアセンター)で清掃など作業しているメンバーと、移動バスの待つ場所へ運んでくれたんですが
ちょうど時は、PM4:50・・大阪でしたら、また夕暮れの淡い空であるところが、この東北では、すでにトワイライト~漆黒の闇が辺りを包み切る寸前の空間の美しさは、なんともいえないものでした。移動する車中から見えた空の色は荘厳さを醸し出し、忘れることができないと思いました。
大阪では見られない、東北のなだらかな山々の稜線は、すでに黒ずんだ空の上方と、夕暮れの瞬間を迎えて最後に茜色を発している、空の下方との間にくっきりと浮かび上がって、なんともいえない輪郭を浮かびあがらせ、また東北の身を切るような澄んだ空気が、それらを一層荘厳な雰囲気に感じさせるのを助長するのでした。・・
(と、やめて~ 詩人か!・・詩人みたいに、なってしまうわ。少ない語彙数で・・笑)

(移動する車中からの撮影のため・・・動きが・・)



被災地でのライブ映像をアップ(宮城行程2)

2012-01-10 18:48:32 | ライブ動画up!
宮城到着1日目(1月7日土曜)の、名取市の仮設住宅で行ったライブの、ひとコマを、とりあえず、動画アップしてみます。

集会室の一室で・・数十名の入居の方が集まってくださって、くつろぎの中で歌わせていただきました。
あとのほうには、いっしょに、いろいろと歌ってみました。歌詞を書いた用紙を、事前に用意して、配ってみました。

とにかく最初に、自分なりの表現をしたく、て
オリジナル曲を3曲(「この世界の片隅で」→「神戸にかえりたい」→(新作)「ひかりのかがやくなかで」)を、一気に、歌ってみました。



「この世界の片隅で」 「神戸にかえりたい」 作詞・曲/徳井由美子



みなさんで歌った「涙そうそう」



これも、みんなで歌った「四季の歌」と、もう最後には、お話が盛り上がってる中での、「五番街のマリーへ」


宮城県へ行った記録1・・仮設住宅のあるご家庭を訪問したこと

2012-01-10 00:23:22 | 音楽活動-ボランティア編
今日1月9日午後12時すぎ、宮城県より、無事大阪に帰還いたしました!

今回は、前回夏の大阪市社会福祉協議会から行った石巻市への活動のときと比べて、大きく違う点が多くあった行程であることを、くわしくお伝えしたいことと、
また何より、自分が思いを強くした行った先で、見たもの、聞いたこと、感じたことなど・・記憶しているうちに、早く書きとめて行きたいと願っています

ところが、今回の行程(スケジュール)が、思いのほか、ハードであったこと・・

大阪を出たのが、1月6日の20時、谷町九丁目の民間の経営店前(持ち主のオーナーが、今回のボランティア隊の発起人である、またこの民間のボランティア団体は、主だったメンバーが、ほぼ全て、20才台の前半、という私にとっては驚異の!事実であった)から夜行バスが発進し

翌日1月7日(土曜日)には、先ず最初の地点である、宮城県の南部、山元町に到着、そのまま、テラセン(お寺が拠点となっている現地のボランティアセンター)での清掃活動、などに携わる一部のメンバーを降ろして、われわれ10名前後は、そのままバスで名取市へ。

そこの名取市で、ある仮設住宅の集会所にて、イベント(炊き出し、無料フリマ、ライブなど)の仕度と実施、私に限っては、午後3時より、ここでは約30分の、ライブ演奏を。

そのまま2箇所のメンバーが合流し、夕方よりバス移動、途中 石巻市の道の駅に寄り、バイキング形式の夕食&入浴、その後また発ち、夜の10時半過ぎ(!)に、次の地点である、気仙沼市へ到着。荷おろしの作業などを約1時間弱したあと・・・宿泊は、仮設住宅の集会所に、男女含む約50名が、1フロアに、寝袋にて、いわゆる雑魚寝!!(当日まで、把握してなかった・・)それも就寝時間は、午前1時である。

8日の起床、6:50ごろ。カップ麺が配られ・・その後、清掃、炊き出し準備などして、11時半までには、
少し離れた場所にある、集会所広場での、イベント開催、・・ここでの私は、なんと『野外ライブ!』1時間の・・・担当。

あわただしく、私のみ、車移動(ボスに送迎してもらい)→次のイベント会場(二手にメンバーが、分かれて実施中)である、車で約30~40分離れた、南三陸町歌津桝沢の仮設住宅集会所の、・・また野外でライブ!今度は45分!・・

そして・・それから起こったことを、今回は、ここに続けて記載(といっても、移動中のバスの中で書いた、mixiへの日記を、転記します、一番印象に残った出来事であったため、第一番目に)します。

それらすべてが終了し、現地を、再び20時に、夜行バスとして発車、大阪へ向けて・・途中、夜中の1時に、福島県のほぼ中央で、バス・トラブルあり、小1時間のロス。
そして・・本日、1月9日正午すぎ、元の谷町九丁目に戻りました。

結局、睡眠時間が、私としては 行きのバスで 3時間 → 寝袋で必死に眠って 5~6時間、そして→ 最後のバスでは・・車体の故障さわぎで目が冴え、ほぼ寝ておりません!

という睡眠不足などで、今日夕方には、4時間ほど仮眠していました。

今起きていますが、まもなく、眠りに入りたいと思います。
必死の思いで、今日はここまで記録。

では、仮設住宅でのイベントで知り合ったある女性の方の、お宅まで本当に(自分1人だけ)あがらせていただいたときのことを、記しておきます。




「仮設住宅の中の、とあるお宅に単身お邪魔した話(1月8日)」 (記録:1月8日、移動中のバス内にて、携帯電話より。)


こういった話をあからさまに記載してもよいのか、という テライは感じながら、…今回の東北行きでの中で、自分の心情と体験という点では、最もクライマックスに達した出来事…それは、2日目のラ2回目のライブのあとのこと
場所は南三陸町歌津桝沢の仮設住宅集会所広場で、私が14時すぎ~15時すぎの演奏を終わって、ドリンクに並んでいた時に知り合った、現地の同年代の女性…
聞けば、昨年3/11震災の数日後の16日に第3子を出産したといい、病院を出たあとは、避難所に入ることが許されず、知人親戚などを頼ってようやく6月に、ライブ会場から数Km離れた、“平成の森”仮設住宅に入居したんだって、家族は旦那さん、実父母、子供3人の計7人ーという。

なんだか小1時間話してるうちに、ついに「ウチまで来て、中を見てほしい」っていう。

車で3分とは知らず、(徒歩)1分、と聞かされたので、ボランティア団体のメンバーさん2~3人に了解を得て、迎えにきた旦那さんの車に共にのる

やがて5分後には、お宅の玄関に立っていたのですが、
事前連絡も入れてないし実父母さまに了解も得てないのに、と躊躇したが、
あれよあれよと中に入って、気づいたら、1部屋だけある6畳間に家族7人身を寄せ合って暮らしてる、場所のいちばん奥のこたつの席をすすめられ着席してた

お刺身とおでん ひと口とお茶を(こっちが)ふるまわれ…

初めは無口だった、実父であるご老人と、いつしか津波の日のことにー

(私は、大阪在住、神戸出身と紹介)

あの日の揺れはとても長かった、って 2分~3分というね

おじいさんは、学童保育の孫を迎えに行ったものの、“学校の責任なので今日は子供を帰せません”
(注:東北弁であり、一部ききとりに誤りがある可能性ある)

といわれ、結局…

どういうわけか、戻った自宅の2階で、いよいよ首まで水が上がってきたかという次の瞬間、波が引きはじめ、命が助かったらしい…。

そのほかの家族たちも、その日のうちに全員無事を確認しあえたんですね。


旦那さんは、2番目の男の子をお風呂に入れてました

上の長男のコは9歳らしく(しゃべり方が私の子供に似ていて、“ストレスがあるから”といって、おまつりでお酒を多めに召し上がってしまったお母さんを、仕切りにかばっている姿が…)

一番下の、震災後すぐに生まれた女の子は歯が2本あって、そろそろあんよの頃か、ファーストシューズが部屋の隅にありました。

そう…この子たちのお母さん(広場で知り合ったひと)は、震災後 職業をなくした者として、被災者の1人として、また仮設住宅の住民として、…の声が、平等に拾われていないことなどを中心にあげて、ストレスや苦悩を訴えていましたね…

部屋には、TVもあって、流れてくるCMもニュースも、聞き慣れない、東北の関連事項…ああ、東北におるのだな、って妙な実感が、新たに起きてくると

津波で流されたり 地震の揺れで家族の一部を失った家庭もあれば、ここは、家~モノを失ってしまい、けど家族は全員が助かった家族なんだな、と思って

それまでいろいろおしゃべりしていたんだけど、急にしんみりしてだまってしまいました
それからふいに急に心の中で神様におねがいしていましたわ 「このご家庭が平安のうちにあり続けますように」

旦那さんが、またさっきの仮設の集会所まで、私を送ってくれる、準備を私は待っているのか、と思っていたら、そうでなくて、台所から実母さんが、炊き込みご飯のおにぎり、お漬物、ジュースを大量におみやげに作って、渡してくれー

「逆ではないですかー(私)」

「この正面の土地に、家を建てるから、今度は遊びに来てくれ(実母さん)」

それはー宮城は遠いもの、確約できなさそうで、実際はなんだか、気楽に“ハイ、また来ます”と言ってしまえそうな、心情と心の距離感だった…(感涙)

そういえば、最初このお宅に入ったときに自己紹介で“大阪から来た”といえば、実父さんが言われた言葉が、「大阪なんて近いさ」でしたなー。

そんなこんなで。



また後ほど・・。