<過去記録(2007~2013年)>徳井由美子~ゆみりん・ブログ

ゆみりんこと、徳井由美子(ホーリー・ホーシー、他)の、これまでの過去ブログ記事を、ここに移設してきています。

やっぱり、1・17神戸(野外ライブ)は、午後3時からです!

2012-01-15 13:57:14 | ライブのおしらせ
<再告知>

神戸の17日の震災の関連イベント

神戸の主催側からさっき連絡ありました

1月17日(火曜日)の、神戸市役所前 野外ステージ(朝5時~夕方6時)
第17回 阪神・淡路大震災”追悼・連帯・抗議の集い” 
で、



やっぱり、15時(午後3時~)、ホーリー・ホーシーと タイムテーブルに入ったようです・・

15時から25分間くらい歌います(ギターのみで弾き語り、”神戸にかえりたい”、他オリジナルで、震災復興を願う曲を中心に、5曲くらい演ります。)

野外(無料、座席あり)で寒いでしょうが、私も手が痛いのをがんばってやりますから。・・・!!ぜひ現地でお会いしたいです!

よろしく、近くまで来た方は、震災追悼行事(三宮・東遊園での献花・点灯、同ステージでの他の催し・主張などの鑑賞・・・他 炊き出し(去年はおぜんざい、お茶(一部、無料)など)とあわせて、応援に見に来てみてください!



いよいよ、最終編・・・東北で出会った人たち(宮城行程6)

2012-01-15 10:09:43 | 音楽活動-ボランティア編
最終回となる(ハズ)の・・・今回の、宮城県各所への、民間ボランティア、私の役割=音楽担当、の行程記録。

最後は、やはり、人・・・。
というと、”最初から、仕組んだな” っぽく感じられるか知らないが・・ 自然と、こうなってしまった。私が2日間の現地滞在で交流・対話できた人の数は、決して多くはナイはずだ、が・・。
それでも、歌声が届いた人の数は、それを上回る・・はず

帰阪して、明日で1週間となるけれど、年のこともあり(苦笑)、また合間に動きがあるので、今だ、完全コンディション回復、にはいたってないと思う、
東北の印象は、身体(と心)に残った、心地よいものも含めての疲れとともに、まだしっかりこの身に残っているのだけれど、それでも、大阪での現実、日常をこなし、自分が目指す(とくに音楽などの活動)ものへの視点が移り変わっていくなかで、それらのものと混じりあって、やがて記憶も鮮明から、遠いものへと、かわっていくのだろう、それにしても 今朝は起きがけに、
真っ先に ”東北へ行った記録の、最後を書こう”という気持ちがあったのだから・・。

そして、今、向こうの地に送りたい用件のある、いくつかの宛て先への、郵便・メッセージなどを用意しながら、並行してこれを書いていこう。

(といって、もちろんプライバシーへの考慮があるから、実際・・東北の方で、写真が残っているのは少ない・・・・。(アップの対面写真で掲載のものは、許可を得ています))


印象深かった、現地の人とのやりとりなどを、7日以降、時間順に。・・・

7日の昼前に着いた、名取市の仮設住宅(元・雇用促進住宅愛島宿舎あと)万歳!
この場所ですね・・・今、行った当時のいくつかの記憶を頼りに、地図で探してみました。・・ここだったのですね。仙台空港の、とても近く。
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これは、もう前述したんですが(あまりに印象つよかった)

”宮城県名取市(7日・活動1日目)の記録-宮城行程3” として、⇒http://pub.ne.jp/yumiko/?entry_id=4099252 に、写真と記事をすでにアップしていますが

 

この味のある、(仮設住宅自治会の)会長サンに、また周囲のいろいろな個性ある方・・ なとり復興支援センターひより、のコーディネーター、女性職員のKさんも職務中で、もちろんしょっちゅうここへも来られるらしく、やりとりの雰囲気が愉快で、大阪人(アッ!認めた。・・神戸っ子やったのに)の私としては、新鮮でした。しかし、私も自然に、最初っから交わって、これからやるライブ演奏の選曲について意見し合ったり、はては、前触れに、”神戸にかえりたい”を弾き語りしたり、・・・あとは、比較的まじめに、今回の震災、また17年前の(勘違いしていて、現地で何度かライブ中のEMCEEなどで、”16年前、”とくりかえしてしまった、すみません、)神戸の震災について、話したり・・

また、この仮設住宅での、イベントごとを、ここが発足した当時から、ずっと調整、運営管理しておられる、Sさんの、貴重なイベント・アーカイブをファイリングした実物を、見せていただきました!週に1~2回の、イベント?と思いきや、もっとぎっしりと、日本中のいたるところから、いたる形態(民間、公的、企業他)で、いろいろな慰問活動内容(音楽・演劇、飲食提供、美容、ETC.・・)があって、ほんとうにびっくり、また、それをきっちり記録しておられる、Sさんの細やかさにも驚きました、・・・

こういう、仮設住宅、というようなひとつのコミュニティが存在するようになったときに、こうやって、率先して、運営にたずさわろう、という人たちと、私は接することができたので、とくに、前向き、でほがらかな、印象を受けたのだと思います。

あと、こうやってふりかえると、東北ながら、やけに、”わたしは過去、大阪(神戸、関西)に縁があった(行った、住んでいた)”という方が多くて。

ここでのお1人は、過去”大阪の天王寺で(仕事の)修行をした”って人がいましたね

それでいうと、もう1人、個性の強かった方が・・・ ここで住んでおられる方でなく、少し離れた丸森(マルモリ・笑・・)地区、という場所から、適宜ココを訪問されて、おそらく心のケア、などに携わっておられるんだと思いますが、住民の方から”先生”と呼ばれていました(確かに、大学の教授のようでした、)が、・・いちばん 砕けた方で、愉快なええ味出しておられました・・・ この人も、かつて、大阪の大学で、教えておられた期間があったそうな。




この名取市から、山元町にいる他のメンバーと合流するために、行く行程には、NHKの車(バン)が2台来てくれて、なんでも(ボランティア送迎に関して)無料だそうな。普段でなく、このような時に作られた、なにかシステムがあるのでしょうか・・・?すごいな。運転されてる方も、熟年以上の方で、津波はこわい、またこの辺りの地元じゃないので、道に明るくない、と言っておられました。・・

 7日夕方、気仙沼市への移動中、夜21時ごろ、立ち寄った 宮城県石巻市の道の駅、上品の郷(じょうぼんのさと)にて、温泉あがり、スッピン写真 ・・ちなみに、ここでいただいた、普通のバイキング形式の夕食が、今回の旅で、唯一まともに食卓でいただいた、まともな食事、ということにならなかっただろうかー?。あとは、こげたウインナーとか、炊き出しものや、現地の人から差し入れられた 大鍋のけんちん汁などを、美味しくいただいていました。・・コンビニに、一度も寄ってくれねぇんだから!(とガラわるくなる)


<気仙沼市長磯七半沢 自治会館> <iframe width="212" height="175" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps?f=q&amp;source=s_q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E6%B0%97%E4%BB%99%E6%B2%BC%E5%B8%82%E9%95%B7%E7%A3%AF%E4%B8%83%E5%8D%8A%E6%B2%A2&amp;aq=2&amp;oq=%E6%B0%97%E4%BB%99%E6%B2%BC%E5%B8%82%E9%95%B7%E7%A3%AF&amp;sll=38.6394,141.223755&amp;sspn=0.749786,1.977539&amp;vpsrc=6&amp;brcurrent=3,0x5f88ed2387cf7bd5:0x1022807818ee1e75,0&amp;ie=UTF8&amp;hq=&amp;hnear=%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E6%B0%97%E4%BB%99%E6%B2%BC%E5%B8%82%E9%95%B7%E7%A3%AF%E4%B8%83%E5%8D%8A%E6%B2%A2&amp;ll=38.844184,141.584891&amp;spn=0.000734,0.00142&amp;t=h&amp;z=14&amp;output=embed"></iframe>
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7日は夜22時台に、気仙沼市に到着し、そのまま仮設住宅の集会所(何畳くらいあるのか・・)に、全員寝袋で雑魚寝だった・・混沌とした中、生存をかけて、夜中1時に、生まれてはじめての(借りた・・)寝袋にもぐりこむ。(明日は、私、2時間くらいも、歌うんだで・・?)一部の若人は、まだ表に出て行って、何かする、というし、電気つけておく、というので目にアイマスク、耳栓、のどを守るために口マスク、枕はボストンかばんに、適当に服を詰め込んだもの。横の女性との間隔は・・50cmないくらい(苦笑) 周囲は相当雑音も聞こえたけれど、必死に寝入る努力をした。夜間、エアコンによる乾燥と、つづく咳の音がキョ~フ(風邪だけは、声のために、ひけない!意味無くなる・・来た意味が)であったが。・・それらを乗り越え、朝6:30に誰かのマヌケな携帯電話の目覚まし音で気がつくまでは、なんとか睡眠を・・5時間程度、確保した。
 
     (当夜、このアリサマ)    (すばらしい朝食)


おっと・・話を戻そう。
そして、自分が宿泊した場所がどこかもよく判らずに、朝起床してみると・・窓の外は
     
あらら・・仮設住宅の敷地内の、集会所、だったのネ・・

全体の約半分のメンバーは、別の南三陸町(桝沢)でのイベントのために出かけ、あとの他の大多数のメンバーが、ここ、気仙沼市でのイベント会場へと、活動準備のために、出て行った・・ 残りは、6名くらいの人数。私はライブ担当であるので、独自判断で、いったんここは、(ギターを出して)練習を隅の方でこっそりやることして、みなさんは、お掃除してから、炊き出しの準備、という段取りに移行していってる。

そこへ、現地の仮設住宅の住民とみえる、やや年配の女性の方が、顔を出して、元気に声をあげてくれました、
”あ、ごくろうさまです!”・・という感じで、朝早くから、こちらが遠方からボランティアにくる、ってことを前から知ってて、気づかってくれに来たんだな。

私もまだ自分判断で、トイレ掃除と・・・、次に炊き出しの下ごしらえ(野菜切り~焼きそば、お好み焼き、たこ焼きなどのために)に加わった!いつもと違う、慣れない器具で、キャベツをざくざく切るのに、注意が要った・・指切ったら、もう・・元も子もない ”たまねぎ、臭いよ?!これから歌うのに・・・”と気遣われたが、そこは主婦が本業なので、全然かまわない。・・そうこうしているうちに、11:30のライブ時間がせまったので、自分は、こっそり集会室をあとにした。あ、引率されたでした(若い子に・・)




ここから、数分離れた、イベント会場へ徒歩移動中、数名の男女の、住人の方々も、歩いて、会場へ向かうところに、ばったり合流。・・なんだか、さして意味のないことを言い合ったりして、なんだか温かい雰囲気 ・・ 先にもう書いたけれど、この道中で、垣間見えた海がとても綺麗でした。

会場について、私は、演奏のセッティングを・・・しようとするかたわら、道中で知り合った、女性(同年代かなあ・・)とけっこう話し込んだ。その方は、飼っていた、2頭の犬のことについて話してくれた。1頭は、大きな犬で、震災後、避難所などで飼えなかったところを、大阪の豊中の獣医さんが、善意で預かってくれ、病気がわかったため、手術までしてくれたという。こないだ、その犬に会いに、大阪へ行ってきた、それから神戸のルミナリエも見た、って写真を見せてくださった。で・・あとから飼った小型犬のほうは(大きい犬の妹分の意味で、いもこ、っていうらしかった)、家といっしょに、流された、って話を。・・・それで、またもう一度別の犬が欲しくても、いもこにわるい気がして、飼えない、とおっしゃってた・・・。


<気仙沼市での、野外ライブ(1時間)会場・・・ここが、一番ハードな環境でした・・・強風(楽譜がめくれる、とんでいく)に加え、ギターで伴奏するには、やや寒すぎる気温!しかし・・最初から、聴く姿勢で見つめつづけてくださった現地の方々、私の可笑しなおしゃべりに相槌を打ってくれて。・・
そして、この(ビデオ映像にも写っています)、超年少!、学生で参加していた、今回の私の有能な助手さん、うみちゃん、の機転の利いた働きと、細やかな心づかいによって、ここでの演奏は、うまく終了まで出来た、といっても過言でないでしょう! とくに”地球兄弟”は暗譜していないのに、折りしも吹いた強風。・・助けてくれなかったら、中断でした。また、バリケードを築いて、強風対策してくれました。>



これから、ここでのライブを終えて(12:30)、私の次のイベント会場への送迎の手配の連携が非常にわるく、とうとう南三陸町での14時開始、予定のライブの時刻には間に合わなかった・・・ ここで待っている間の約1時間は、自分にとって今回の行程の中で、一番シビアでつらい出来事だったかな?

不意に待つことになった時間で、先ず、地元の方からの差し入れ(キャハ)の美味しいお汁をいただけだでしょ、あと・・
若い子が裏方で、たこ焼きのタネを作るのに、小麦粉に(横目で見ていると、不思議だなあ、っと思ったのが)熱湯をポットからドボドボ・・注ぎ込みながら、
「ああ~、もうちっともダマがなくならない」と叫んでるので、もう思わず、手出しを・・(テリトリー外、だけどね)、いったん、ざるでタネを漉してから、ダマを除いて、まだ濃ゆいのと見えるので、いいとこまで、水で薄めるように教えてあげたり・・・していたのだった



<本吉郡南三陸町歌津枡沢地区仮設住宅> ⇒<iframe width="212" height="175" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps?f=q&amp;source=s_q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=%E5%8D%97%E4%B8%89%E9%99%B8%E7%94%BA%E6%AD%8C%E6%B4%A5%E6%A1%9D%E6%B2%A2&amp;aq=&amp;sll=35.384572,136.334839&amp;sspn=3.130183,5.817261&amp;vpsrc=0&amp;brcurrent=3,0x5f88fa15ff4a295d:0xb06db8b22ad72601,0&amp;ie=UTF8&amp;hq=%E6%A1%9D%E6%B2%A2&amp;hnear=%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E6%9C%AC%E5%90%89%E9%83%A1%E5%8D%97%E4%B8%89%E9%99%B8%E7%94%BA%E6%AD%8C%E6%B4%A5&amp;t=h&amp;ll=38.723102,141.534998&amp;spn=0.014843,0.032459&amp;output=embed"></iframe>
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次に着いた先の南三陸町では、14時~には間に合わなかったものの、ここでも別の半分のスタッフによって、炊き出しなどイベントが開催中で、私のライブは、着いてすぐ支度はじめて、14:20~15時前後まで行えた。ここでは、男性2人くらいが、いろいろ世話をやいてくれたので、風は少し強かったが、みなさんに歌詞もお配りでき・・結局、”1時間枠で考えていたライブ構成”が適用できない為に、3箇所のライブのうちでは、やや、最も(わるくいえば)行き当たりばったり、よく言えば フレキシブルに、組み立てを行いながら、実行した、といえるかな。

あ・・そういえば、午前の気仙沼市で男の人(現地)が、歌ってる最中に、持って来てくださった、1本の洗濯ばさみ・・・住所わかるから、返しとこ(郵送)。


(南三陸町の仮設住宅内で、集会室に集い、ゲームをする、子供たち)



この夜、この場所での 付近の別の仮設住宅に住む、方のお宅の中にまで、実際(私1人が)招かれて、おじゃままでしたことは、印象が非常に強かったので、この旅行中の、9日に、帰りのバスの中で、携帯電話から書いて、mixiにすぐアップしました。その同じ記事を転載したのが、このブログの宮城行程の1、⇒宮城県へ行った記録1・・仮設住宅のあるご家庭を訪問したこと です。

そうだっ!!・・・(追記)、ここで思い出した、重要なことがある、・・・
この場所で知り合った、そのChieさん(、としておこう仮称)がしきりに訴えていたことを、記しておかなくては・・・(Chieさんは、私と同じくらいの年代の女性で、子供さんは3人(8歳、3歳、0歳)いる、うち一番下の女の子は、確か震災(3/11)の翌々日に生まれたとか。・・)

被災した者、仮設住宅に住む者の声が、行政とかメディアや、一般の人に届きにくい、って嘆いていました、それが、一部の人達・・中でも、コミュニティの代表者(これが、あまりひどい被災の仕方をしていない人だったりするようで)や、議員とか有力者、裕福な層等の声は届きやすく、利益も得やすい、ということらしくて

また、再雇用に関する情報とか、福祉の受け方などの情報を得るにも、被災でインターネット回線をなくしてた(パソコンをなくした)ままがつづいているので、(意外に、これは多いようです、名取市でも、”帰ったらブログにアップしますから、見てね”といったら、”インターネットなんか、見られないよ~”と多くの人に笑われてしまいました(愕然)、また、CDを差し上げたくても、”CDデッキも流れたまま”というようなことをよく言われた)有効な情報をすばやく得られない、と言っていました、
せめて、仮設住宅の集会所(公共スペース)に、1台でも共有で使える、インターネット接続された、パソコン設備があれば、ねえ。・・そのくらいなら、なんとか寄付などで工夫できないのかな。

あと・・・残念がっていたのが、この、私達が現地で催したイベント(炊き出し、ビール、ライブ、ビンゴゲームによる豪華商品=折りたたみ自転車等)が終了したら、当然のように、住人のみなさん、三々五々帰っていく・・・それを、すごく口惜しがっていました。”みんな、モノだけ手に入ったら、何も交流しないで、すぐ帰っていく・・”
たぶん、仮設住宅に住む同じ住民として、自分達のこれからの方向性とか要望とかを話し合う、自治に根ざした発展的な会話・交流を、のぞんでいるのじゃないかなあ、って強い印象を受けました。



その夜の、キャンプ・ファイア・・?、・・単に、余った材木を荷減らしの目的で、燃やしているんですって・・

<自称・・私の弟子になりたい、って人・・(これ私のギターです)、”う~ん 弟子はとらん主義だっ!”・。ちがった、違った、もっと別の、よい人に、教えていただけますように。>