<過去記録(2007~2013年)>徳井由美子~ゆみりん・ブログ

ゆみりんこと、徳井由美子(ホーリー・ホーシー、他)の、これまでの過去ブログ記事を、ここに移設してきています。

新曲 『教えて 大地よ』 は、あの出来事に多少のインスパイアを受けて・・

2011-05-31 17:06:15 | 音楽活動-ソロ編
久々に・・曲をつくりました。・・だからって、歌詞をのっけちゃいたい気持ちに駆られるじぶん、って
どうみてもハズカシ人。・・なんでこういう自分になっちったの?。(恥)

今回はとくに意欲的に、というわけじゃなくて、おとといくらいの晩に・・MIXIを見ていたら、誰かマイミクさんの1人が、今回の震災の関連での歌を作った、ということで、その詞を載せてはったんです。

まさか、私には、そんな大それた事ができません・・・ というか、この震災で被災した方に対して、
応援する歌をつくる、なんて高度な技と精神力はないわ。いうか、たぶん無理・・てことで そのまま寝ました。・・・(ハハ)

でも、脳って、眠ってるうちにも活動してるもんなんですねぇ。われ知らず。・・

日曜朝方、起きしなぐらいに、まだ寝床の中で・・もじゃもじゃ歌(詞の方)が浮かんでおる。・・

なんだ、コレは?。。”大地が怒って” ”ほんじゃもんじゃ” -と。♪♪♪・・・・

なにか、浮かんできたら、これ幸いもったいない、とつい、書き留めたくなるのが
高レベルであろうが、低レベルであろうが(後者ネ)、シンガーソングライター(あはは・・自分で言うなよ)と自称する者の、性(さが)ではないか、と近頃思ふ。

もじゃもじゃ起き出して・・紙に書き出しました。この頃は誰かさんの影響で、いきなり五線紙にちゃんと書き始めるのです、どうせ後で清書するのなら手間ですし、この方がボイスレコーダーにだけ録音されてる時よりも、結局早くメロディが定まり、早く歌い出せるのです。

それでも、歌詞はA4のコピー紙にほぼなぐり書き・・

ああ・・右脳のインスピレーション(だって、寝てる間に思いつくんやもん、理性とちがうよね)を温存しつつ、言葉化とコード決めと構成を考えてる間に、脳がどんどん覚めてきて、理屈っぽくなってきます、それを最大限避ける。・・

結局これをやり出すと、・・半日かそれ以上つづけてやっている。いやああ。パッチワークも放ってるし。

夕方、ようやくまとまりました。結局、出だしは印象・感性で書き出して、
最後はゴリ押しの無理やりで、まとめあげる(言葉も音符も)手順で
この最後の過程の辺りで、・・その人の、よくもワルくもクセが出るんでしょう。
また、アレやわ。トニックから6度をルートにしたコードをマイナーじゃなくって、メジャーにして、しかもその直前にsus4をかまして、終わる、っていう最近きまりきったパターンがくるくる出てくるし。

まあいいわ。↓↓↓ 歌詞だけじゃイメージわかへんでしょうね。・・
よければ、7/31(日曜)18時~の東大阪のミドルノート工房でのライブで、初披露すると思うので、来てください。

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 「教えて、大地よ」 とくいゆみこ・作

この星は 怒り隠せず
此方に海溢れ 彼方に地どよめく
わたしたちが かつて居た 楽園は
今は何処に眠りしか

愛と感謝の中で わたしたちが暮らしていたころ
そこは確かに 楽園の香りがしてた

黒雲 流れ 空は 落ちるように
嵐吹きめぐる この夜は
わたしたちが あざむき合い
憎しみあった せいだというの

流れ流れて 何処へ行くのかわからない
そんなわたしたちの行く先は
何処へ辿り着くのでしょう?
誰も それを知る者は いない

星の子守唄 太古の時からのメロディー
孤独の静寂(しじま)から聴こえてくる
心に確かに響いてくる
静かな叫びに耳傾けよう

風が伝えてくれるよ 世界の奏でるハーモニー
大地のささやき 月と星
海の語りかけ
空の教え

遠い国からの 便りに耳を澄ませよう
教えて この地で何を考えて 何ができるのかを
大地に織りなす 綾布の糸のように
この星の全ての命 紡ぎ合って
この星で この星で 永遠(とわ)に

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というような詞で、
ちょっと出だしでもおわかりか知れませんけど、
今回の震災を意識してしまっている歌なんですネ。
だから・・自分では意識して書き始めようと、してなかったんだけど。

で、クリスチャンとしては、ちょっと、な歌詞が中に。
”大地よ教えて”みたいな、あと地球や自然を擬人化したようなとらえ方で、
昔はよかったのに、この先は?みたいな先見性のなさを表すような。

しかし、
聖書には、例えば、ルカによる福音書の21章25節~に、

この世界の終わりの前に起こることについての記述があります。(キリストの言葉の中


”また日と月と星とに、しるしが現れるであろう。
そして、地上では、諸国民が悩み、海と大波とのとどろきにおじ惑い、


人々は世界に起ころうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう。

もろもろの天体が揺り動かされるからである。

そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。

これらの事が起こりはじめたら、身を起し頭をもたげなさい。

あなたがたの救いが近づいているのだから。”

--だから、決してこの世の終焉というのは、必ずしも悲惨なだけでなくて、
それは、罪の世の終結と、永遠へと続く、という喜ぶべき展開が次にあるってことを信じる者にとっては、悲痛ぶってばかりいられないんだけれども、

だからといって、「ハレルヤ!」「感謝します!」だけの連呼では また
現代の大方の人の感性にとって、何ら訴える力も、小さいわけで。・・

あ、音楽療法では 心が悲しみで沈んでいる時には、明るい音楽ではなくて、
ちょうど心に同調する位の、悲しい音楽を聴かせてやると・・すっきりするのだそうです。

だから、今の時代・・ちょっと悲しげなメロディーとかちょとメランコリック調な詞でも聞いたら、
かえって少し晴れ々れするかもしれないですね。

だれか、いい音楽、つくって、また聴かせてください、な。お願いします、私も感動したい・・・から笑。

『ダニエル物語』~中世の1人典礼劇を。観てきました

2011-05-30 22:13:06 | 音楽(その他)
その名も「ダニエル物語」。

カトリック大阪西田辺教会、という場所で、玉置和男さん、という方が1人で演じられるから、見て来い!(えっ?)との指令(えっえっ??)を受け・・て

月曜日は第1・3・5にしてるから、と私はなるべく早めの、今日を選んだのだ。

ダニエル物語かあ・・・わくわく。

中世の音楽などは知らずとも、この題名を聞くにあたり、キリスト者なら、わくわくするやろう?

そんな気高いダニエルには、聖書では親しんでいたが、典礼劇なぞあること、知らんかった。

中世ルネサンス音楽祭に出るとも出ずとも、関係なく、見たいと思ったので。

~~~~~~~~~~
御堂筋線に乗り、西田辺まで来ておりた、15:15開演だから、15時駅着で、ギリやな。

さっさと早足。あっ地図を刷ってこなんだわ。さて。地理感が、な~い。

阪和線を越した。ここから、道は斜めになって、ああ行ってこう行くはずら・・・頭に叩き込んできた、地図のように、単純でなかった、実際の道。・・あと、

知らぬ土地で、道、というか目標物を、人に聞くのは大体よしましょう。人は、知っているかぎりの範囲で何か答えますが、精度はほとんど低いです。・・・

案の定・・2人ほど(おっさまと若い女の子)にきいた結果、着いたところは、”日本キリスト教団昭和教会”なる場所でした、ガクッ。・・きょうかい、と聞くだけで、ピンときた方、教えるものネ。

やっとついた、と思ったのに・・この時、15:15。あっか~ん。始まっちった・・。がっかり。

電話をしても、でな~い

とぼとぼあるいて。またひきかえして。あ~こういうときには、風の吹く方向にさからわずに、歩いてみよう。あてはないけど、聖霊の導きを・・・

ん?なぜか向こうの角から、カトリックの尼さま(シスター)とおぼしき姿の人が現れる。ヤッタ~ ぜったいあの人なら、ご存じだよ。・・ ラッキー・・やっぱり知ってはった・・ここから遠くはなかった。感謝しま~す

ん、あここだ。庭の人に聞いても、意味が通じん。中に入る。

遅刻だけど~ ん?歌ってる声が聴こえてこない~ 聖堂の中。しかも、・・人はお1人。・・

今日の演奏者の、奥さまだという。「主人は、まだ家にいるのです。」「え~っ?」

というわけで・・ご調子がよくなく、自宅待機。15:30までに誰かが聴きに来たら、行きます、ということだったようで。「・・無理しないでいいです、また来ますし、。今日歌って、調子がわるくなったらいけないから・・・」といいましても、もう来はるようです、

といって、着かれる(自宅が自転車で10数分とか)までの、およそ30分ほどの間、その奥さまと しっとり落ち着いた聖堂の中で(なんか、田舎にキャンプミーティングに来たみたいな感じ)、話しておりました。

到着~。

でも・・私はどういうわけか、70才位、とおうかがいしていた、その歌い手の姿を、
勝手に あのオペラ歌手の、藤原義江サン(超ダンディ)みたいな姿に、してしまっていたので・・したから、
あ・・わりとふつうの方だった・・・(なんという!)・・!?。でも若いお姿は、想像よりずっとでしたけど。

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ダニエル書の、5、6章が、劇で扱っている箇所ですわ。

バビロンに捕囚になった、ユダヤのダニエルの、
バルタザル(ベルシャザル)王の滅びる夜の、神の指による謎の文字の解き明かし、それに
かわってメド・ペルシャのダリヨス王の・・あれ、ライオン穴からの無事生還、のあたりのストーリー。

あ、その前に、ならしに、と1曲グレゴリオ聖歌してくれはりました。
これが・・讃美歌とはちがい、美しいねえ。伴奏なしの独唱なので、主旋律だけ聴こえるわけだけど、パイプオルガンとかついたら、こういうコード運びなんやなあ。とイメージしながら聴くに、感動。これは、ないもんやなあ・・プロテスタント系教会には。

あ、で太鼓の他、笙、大正琴、鳴り物(鈴、タンバリン類)などを語りと歌の合い間に入れて、効果的に盛り上げます。時には、会場を歩きまわって

歌も、1人=数役です、ダニエル、2人の王様、貴族、悪者・・ほか ダニエルの時はテノール気味、王様はバス気味、で、・・おもしろいのが、悪い貴族のとき、とてもヘンな声色なんです

あと、関西弁なんです、ハバクク(預言者です)が。笑。あとで理由を、聞きました。

すべて演じて、1時間05分。まったく退屈しないで、一瞬ずつ全部聴きました。話を知ってるだけに、そしてまた、中世の音楽に疎いだけに、そのとりあわせが、個人的に興味深く惹きつけられる理由になったんだと思います。

演奏が終わって、・・もうお迎えに行かないと、ギリギリの時間だったけれど、それでも
数個の質問は、しました。・・・

・こういう形(1人=数役)で演じる者は日本に他にいるのか。[→いない、世界でもまれだと思う。]

・もともとはラテン語だそうですが、ご自身はラテン語でも演じられるのか?[→それはしないそうです。ちなみに、ラテン語→日本語に訳されたのは、ご自身なんですね・・すごく違和感がなく旋律に綺麗にハマってるかんじなんです・・そこをたずねたんですが、原本から省いた言葉、などはほとんどなく、そのままだそうで。ただ、日本語詞をはめるときに、イントネーション上どうしても違和感のでる節や、符割(リズム)は多少変化させたということです。]

・これらの典礼劇はおよそ800年前、フランスの北部で作られ、50年ほど前に、ぞくぞくと発掘された、ということですが・・・今歌われている、旋律は、その発掘されたままのメロディでしょうか。[→ハイ、そのままです。ということで/発見された楽譜は、当然今のようなものでないそうで]

・ハバククの台詞は、なぜ関西弁なのか?[→大阪弁がそのまま、旋律にハマってしまった。また、預言者ハバクク自体が、そういうオモロイ、キャラであるから。(←えっそうなの??それは、認識ないなあ・・)]・・でも、ほんとにウケねらい、とクサさを感じさせない、おとろしいほどの自然さ具合でした。

というわけで、タ~イム・リミット!幼稚園のお迎えまで、あと45分か・・(ここ、東住吉区・・)

でも、歌い終わった玉置さんが元気そうでしたので、安心しました。さよ~なら、またお会いすると思いマス、ではでは

<追記で写真をアップします。>
外観と、聖堂内から見た、外庭(いいですね。)
  



<後日談>あらら・・玉置さんが、このブログを見られたそうです・・いいんだけど、ちょっとイケないような・・(・・?)

それはそうと、情報です。
玉置さんの、HPです。⇒コチラ。

○玉置さんの、ライブ(演奏)日記(ブログ)です。⇒こちら
・・恥ずかしながら、私の記録も少しされてイマス(5月30日)。

○そして、こちらが、今回行ったような、ライブ情報の教会HP。⇒これ

ホーキング氏(物理学者)が、”宇宙の創造に神の力は必要ない”と言及したことについて

2011-05-20 15:45:39 | 私の考え。
~「天国も死後の世界もない」、英物理学者ホーキング氏が断言~
 
 「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士(69)は、天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとし、死後の世界があるとの考えを否定した。16日付の英紙ガーディアンに掲載されたインタビューで述べた。
・・1988年の著書「ホーキング、宇宙を語る」で世界中に広く知られるようになった博士は、2010年の著書「The Grand Design(原題)」では宇宙の創造に神の力は必要ないとの主張を展開し、宗教界から批判を浴びている。 [ロンドン 16日 REUTER(ロイター)]

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・・らしい。

なんのことは、ない
私は、MIXIニュースで見たんだけれど、ね。

最初は、”えっ あのホーキングが・・?”と信じられない思いだったね。

以下、私の感想・・・。(5/19MIXI日記に加筆)



よく言われることがある。

”科学者が、少し科学を研究すると、しばらく神から遠ざかる。
しかし、もっと科学を追求していくと・・ また、神に近づく” と。

科学、といって、このようなテーマのとりあつかいの場合は、宇宙(どこから来て、どこへ行くのか・・ その存在が始まる理由が、あったのか、なかったのか?というような・・)のような、とてつもなく大きい存在から、

逆は、遺伝子、原子・素粒子・・というような微小の世界、が

クローズアップされてくるようなイメージがする・・

なるほど、私の学生時代の友人で、言っていた言葉がある。

26歳くらいの頃だったかなあ・・

「私の友人が、遺伝子を今研究しているけれど・・・その彼が言うには、

研究している中で、『なんでこんな事象が起こり得るのか??あり得ない。
これは、明らかに ”誰かの” ”意思”が働いているといるとしか思えない。』

という事がよくあるらしい」 という。

Something Great(サムシング・グレイト)か・・

科学者が、”何か大きな力” の存在を意識する時に、”神”というかわりに好んで用いる単語だね。

~~~
とすると

ホーキング氏が、大いなる存在を否定している・・そのことは

・・ 彼がやってきたことは、まだ”少し科学をやっている”段階だってこと?(多分に皮肉。)

20歳代のころ、『ホーキング宇宙を語る』という著書を読んだころには、
彼の理論の中にそのような無神論的な印象を感じなかったなあ むしろ
あと、何年の命・・と宣告されながら、するすると命を永らえて、
すばらしい発見と研究を続ける姿に、私は勝手に、神の御手を感じ得て
「ホーキングは、あのような身体の状況であるからこそ・・・”今”しかない、という思いがそのすばらしい研究に駆り立てているのだから、これも神の御業のひとつなのだろうね」 というように、その友人と話し合ったものだったが。

~~~~
わたしは、個人として 大いなる存在、つまり神様との出会いが実際にある前(具体的には26歳頃)までは・・

神に敵対し(その存在を・・示されつつも、従う力なしに、逆らい続けるというか)
自己に敵対し
結果、他人(肉親も含む)に敵対し-・・という人生であったから。

(神に敵対すること=己に敵対する、という苦い法則に注目ください)

だけれど。大いなる力に屈服し、その存在を認めた・・その時から
自己と、また他己との和らぎが、はじめてあった、というそのこと。
そのことだけが、今、自分にとって、この世という所が、ようやく安寧にすごし得る場所となっていることに
私は感謝したいな。

~~~~
果たして・・あの頃から20年もたって、驚くばかりのホーキング氏のこの発言を聞いて
私は、彼がくるってしまったのか、はたまた悪い冗談でも言っている、としか思えないのだ。



天然酵母パンの仕上がりの記録。

2011-05-20 11:52:18 | お料理・お菓子・手芸など
はあ~~。、今からおよそ1週間前(正確には、8日前)の木曜日に、
インターネットで購入した、その名もホシノ天然酵母、・・それは
届いてすぐに、パンに使えるわけでなく、
水で戻して、『生種』というものにしてからー・・でないと使えないというわけで、

その2~3日の生種づくりの行程の記録を、→5月13日(金曜日)の日記に、記しております。・・

その後、パンづくりはいったい。どうなったのでしょうか?失敗したから、こんなに間が空いているのでしょうか??
答えは、ちがいま~す。!!パンづくり素人にもかかわらず、おそろしいほどの(?!)大成功をおさめたのだけれど、
・・それは一瞬のうぬぼれのすぐ後に、いかにこのホシノ天然酵母がすばらしい製品であるか、ということがわかったのでした・・

とにかく・・結論から言うと、
時間はかかるものの(生種生成の時間を除けて、捏ね~発酵~焼き上がりまで、およそ夏季で9時間!です。)

すごく、ドライイーストの時よりも、明らかにそれを上回るパワーで ふくらみ、そして

「美味しい」んです、、!!・・・・何がって・・・もう
イギリス風山食パンをつくったんだけれども、

焼き上がりの香ばしさ、パンの表面・・てっぺんのお山の部分は、カリっと、・・底&横の部分は、ザクザクという食感(これが・・生まれて初めての体感です!!)・・
そして、中は湯気とともに、ふんわり~・・それから香ってくる、あのイーストのツンとした匂いでなく、やさしい、小麦粉の香り・・・。

何より、初級者が一ぺんで上手くいったこと、
すべてが、驚きなのでした・・・。(それでは、最近MIXIによく書くので、その日記から転用・・・)


今回の材料は、国産小麦粉の入手ができなかったので、ふつうのスーパーで売っている、あの”カメリア”(外国産)とかの強力粉に、全粒粉(お米でいうところの”玄米”ですね・・胚芽やふすまが入っている)を3割混ぜ、あとは水・砂糖・天然塩のみを使いました。

[材料の配合]
強力粉・・・・・・・350g
全粒粉・・・・・・・150g(全体の3割ね)
水+生種・・・・・300cc
砂糖・・・・・・・・・大さじ1.5
天然塩・・・・・・・小さじ1.5
---
[手 順]
○材料を合わせる →       手で約20分間こねる。
 

 

・・今回、スバラシイと感じたのが、この捏(こ)ねの作業中。

いままでのふつうのドライイーストの時とちがう感触がしたのは・・・それは
いつもは、どの程度まで捏ねたらよいのか、わからず、適当にやめたり判断していたのだが、
天然酵母のばあい・・酵母が、”もういいよ~”って、教えてくれたような、気がした!
絹のような手触りと光沢・・が出て、”もういい頃”と直感できた。

○次に、発酵。
最初が、左側、→ 右側まで、なんと、4時間後!(でも、これでも早かった!6時間を予測していたから) およそ2.5倍になるまで、とにかく30℃をキープ(炊飯器などのそばで)する。

 

○一度、空気を抜いて、ベンチタイム(1時間)、

その後、また空気を抜いて 元の大きさに戻して、成形したもの(左)を、約1時間待って、再び右側の大きさ(2.5倍)になるまで、発酵させる。

 

○オーブンへ! 温度調整は、100℃=20分、⇒150℃=10分、⇒最後に、200℃で、10分!!

わあっ、めちゃくちゃ膨らんでる・・、ここでもう驚異を感じる!



オーブンの中におるときから、なんかすごいふくらんでるのがわかったけど・・・

なんか、すごいです、何倍になった????

表面は、ザクザクな感触です、てっぺんの皮もパリっとしていて、しかも、中はふんわり・・・
 

そして、食べてみて、驚きました!美味い!・・・・

そして、この作成の過程で気付いたことがあります、それは・・酵母は生き物です!(当然か)
肌でそれを体感しました。すごいです。

また当然、リピートします、。(ってこの作成が日曜日で、火曜日にはもうつくったし)

今度は、国産小麦粉を・・・ってこだわりが強かったわけでなはいけれど・・

事の流れ、というんでしょうか・・昨日
なんば高島屋B1Fの突き当りに、”富澤商店”という、プロ級の方対象のようなお店を、発見してしまい、そこで・・見たものは
何十種類もの、国内外の、パン用小麦粉・・・北海道産、岩手産、と国産小麦粉も、ほんとうに種類が豊富でびっくり。・・
わたしは、これ、

”キタノカオリ”・・という、北海道産の強力粉を2.5kg・・に、グルテン粉(国産小麦粉はグルテン含有量がやや低く、固い仕上がりになる、というので、少量加えるため)と、何割か混ぜるための、製パン用雑穀MIXも購入して来ました・・そして

今、それで、3回目のアクション・・・を、


発酵中!です。(出来上がりは今から約6時間後)


世の中にあって、変わらぬもの、それはー

2011-05-14 19:24:19 | デボーション(瞑想)。
世の中の多数の人には・・
「キリスト教」というものを、信じられない人が多くいると思います。
その大きな理由としては、バラつきがあること・・教派が多いこと、キリスト教徒(教国)と言いながら、言ってること(理想)とやってること(現実)が食い違っていること、また、果ては宗教を理由に戦争をする。
今世の中で出回っている(知れ渡っている?というのか)キリスト教(宗教)というものは、神学をはじめとして、不完全で限りある人間が、体系的に、なんとか人から人に伝えようと、まとめあげた、学問~宗教であること、そして・・なにより
とりあつかっている対象が、われらの創造主、世の初めから存在している者、永遠の存在、広く深く高く、聖なる、愛の神、限りある身からは、計り知れない至高の存在であること・・ よって、われらの理解を大きく超えることにより、・・結果、創造主のもつ真理に比べれば、まだまだ稚拙で未完成なものとしてしか、成り立たせられていない、・・こんなところではないだろうか。とこれまた不完全な私がそう考えるに至っているのですが。

しかし。今日ここで言いたいのは

「キリスト教」が信じられなくとも

「キリスト」は充分に、信頼するに足るお方である、ということなのです
 (個人的に今日またその思いを強くしたのです;証。)

・・それは、あなた(全ての人)も、私も。



土曜日です、教会へ行きました(体調不良などが長かったので、久しぶりです)

礼拝の始まる、午前11時の少し前・・ すでに礼拝堂のやや後ろよりの席にひとりすわって
だいたいは静かに黙想などして自分の心をふりかえる準備をしたり、するものですー

目に入るものは、まだ落ち着かない人の行き来する姿、や
耳に聞こえてくるのも、ざわざわとしたおしゃべりで そぐわない心地わるさに気づかないように
またひとり黙々と心を静めているとき 目線は自然に人々の姿が目に入らない、礼拝堂の天井辺りをみつめていたのですが

・・・なんとなく イエス・キリストの魂がその時傍にいることを感じられて
これが珍しく・・・て ?! 私のあくまで感覚ですが、なぜか、私、この教会で、この教会の中では、キリストの香り(!)をいつも感じることがむずかしくて
父なる神様の臨在、を感じることは、教会へ来た最初からいつも、あり得ることなのに、
それをひとりいぶかしんでおりました 教会は”キリストの身体”のはずなのに? それが感じられない、教会?? いったい、なぜなのだろう・・・。と

この最近、比較的試練がいっぱい身のまわりにあって、
何度も教会に来られないことが多かった
その分、悩み多い日常の分(身体のトラブルなど、他のこともあって)、綺麗ごとでなく、ほんとうに真剣に、主にすがる思いで、祈り、尋ね、すごすことが多かったー・・
もしかして教会にふつう通っているときよりも、多かった
なぜなら、私(私達)は、人間だから、本当に無力なとき、ってあるのだ。とくに身体上のトラブルなど(生死にかかわることなどもっと)のある時・・ ほんとうに、自分では何をどう決めて、どうしたらよいのか、わからないもの。
私も今回のことでは、ほとんど周囲の人間に話さずに(思わず相談もしかけた)、すべて、神にお話し、たずねたもの。
それは孤独なようで、結局・・今では、その結果、やっぱり私の頼った方は、頼り甲斐のある方だと、自信をもって言うことができる。
それは、今(このことに関して)平安だから。

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人間は・・ひとり孤独に耐えて求めるのでなければ・・・。
個人として、神に出会うことは、むずかしいのかもしれない。
逆の言い方をすれば、
神に出会いたくて、孤独に神を求め続けたら・・必ずそれに応えてくださる。

遠くに、それもいるのかいないのかはっきりわからない神様に、何かを期待し求め続けたいですか?
それがわからないから、初めから求めることをやめている人が、あまりに多いような気がする。

でも、父・御子・御霊の三一(みいつ)の神は、人が熱心に探し求めれば、必ずそれに答えてくださる、神なのです

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イエス・キリストは、世のはじめから世にいました
父・御子・聖霊の神の、子の神として、

よく、クリスチャンでまだない方には・・キリストは、はじめて人間の姿をとってこの世に来たときから、存在する、と思われがちのようですけど、

本当はそうではなくて、世の最初から神の姿として天に存在していたのですが

悪魔に人間が騙されて、堕落した折には、その贖い、つまり罪のつぐない(贖罪)ひいては人間の救済のために、
御子たるキリストが、人間の姿をとり、私達の罪の代償を支払う、身代りの犠牲(十字架の死)となるために、この世にくる、
という約束が、父の神との間に、なされていたのですね

そしてそのとおり、人間は果たして堕落してしまったので、そのシナリオどおりのことが、2000年前に、キリストによってなされたわけです

つまり、言いたいのは

父なる神はもちろんのことですが

世の始めからおられる、この神であり、のちに私達のために、人ともなって、今、天におられて、私達のために とりなしの働き(悪魔の訴えを、しりぞける!)をしておられるキリストは・・

最初から、今も、そして永遠の先に至るまで、”変わることがない” ということなのですよ!

どうです?すごいですよ、この世の中に、今からこの先、かわらないものが、ありますか?ひとつでも。
とくにたよれない、自分の姿・・一瞬先には、何が起こっているのか、わからないんですもの

そして、この愛の神様は、私達の一人ひとりに無関心なのではなく、
すべての人(クリスチャンでない人もよ)を、熱い関心をもって、いつも見つめておられるのです、
私達が、ご自分をいちいち、頼ってこられることを願って。



 「主は生く (He Lives)」 (聖歌) より

The hope of all who seek Him, the help of all who find,
None other is so loving, so good and kind.

He lives, He lives, Christ Jesus, live today
He walks with me, and talks with me, a long life narrow way
He lives, He lives, Salvation to impart!
You ask me how I know He lives?
He lives within my heart.

”呼ばば 応えて 助けたもう
 げに たぐいなき 主の愛”

 見よ 主は 今 生きたもう
 われとものがたり 共に歩む
 見よ 主は 今 生きたもう
 いずこにと問わば
 わがこころに