<過去記録(2007~2013年)>徳井由美子~ゆみりん・ブログ

ゆみりんこと、徳井由美子(ホーリー・ホーシー、他)の、これまでの過去ブログ記事を、ここに移設してきています。

ヤマアラシのダンスか。・・

2010-01-18 11:27:05 | インポート
説教で、”ヤマアラシのダンス”について聴いた。

 (当日説教録音)

その時は、ふうん、そうねえなんてきいてたもんだが(まあその時には、多分にひっかかってはいたが)

土曜日をすぎ、日曜日をすぎ、・・月曜日になって、それはますますS氏曰く”洞察に富んだ話”だと、私も同じ様に思わざるを得なくなった・・・というか、印象に残ったものが、後から強められてきたんだネ。

細かい部分は聴きそびれてたりもして・・

この題名は、ヤマアラシのダンス、でなくて本当は、”知り合うまではだれでもまとも”なんだ。
英題だった。本のタイトルで。・・

どういうことか、というとそれは・・

ひと口でいうと、人間関係について。

例えば、ヤマアラシを想像すると・・(見たことないけど)、イガイガとげとげ。でしょう

お互い同士がくっつくと、ケガしそう。(実際はどうか知らんけど、人間の目からみて。)

じゃあ・・きょくたんな話、お上品な言い方をすると、やつらは”子孫を残すときに、どうするんでしょう・・?” (そこをうまくききそびれたんだけど、詳しくは) そりゃあ、私個人が考えるに、神様が造ったもんなんだから、そこはうまくできてるんだろうよ。・・が、本の作者は、童話的に、
ヤマアラシは(満?)月の夜、どこそこの森(?)に出かけて行って、お互いがダンスをする・・
(その時に、心をゆるしあうということでしょうか??)
それで、・・・その、うまいこと、いくということらしいです。あくまで、仮想でしょうが。

・・・・?

いや
ヤマアラシは問題でないんです・・・

人間に、われわれ同士の問題に、置き換えてみましょう・・

確かに、ある!と思わされた事象は、

その説教者のひとこと

「私達人間は、だれかを必要として(いろんな事情からでしょうが)、相手に近づきたいと思って、そうしようとする。・・だけど、そこで、たがいが持っているトゲで傷つこうとするのを、避ける・・・(そして容易には近づけない)」・・

ふうむ、ふむふむ、あるある。 外交的、内向的、なんて言葉があって、その近づきやすさが、比較的近づきやすい(本人から近づく行動)者と、そうでない、の差もあったりするけど

大互いの人間が、多かれ少なかれ、そのことで、多少以上の悩みはあったりするんじゃないでしょか。

じゃあー ひとりでいれば、いいのじゃない??ってふうに思っても、

これが ぜったい そうはできない!!(断言) 生き物なのですよ。人間は・・・。

偉そうに、言ってますけどね。この私、・・それを、若いころ、実行しようとした人間の一人ですからね。

身をもって、断言。

やめた方がいいです、・・・。

神様が人を(被造物をすべて、でしょうが)そういうふうに、おつくりになったのでしょうから、
これはもうしゃあ~ないですね。

・・・あきらめ(自分に)

よく人は「一人になりたい」って言う時は、・・・私思うに、一人居るっていうよりも、それはたぶん『神様と二人っきりにして』っていう意味なんだろね。よく一人で居るのが好き、って自覚する人がいますが、(私もですよ!!)・・それはよく神様と二人っきりになりたい、人のことだなんだ。

だけど、これまた・・・そのうちに、自分を、人の間に持っていかなければならない、そういう仕組みなんだね・・・

それで、冒頭の土曜日(1/16、私がホームページに録音をアップしてるんですがね~ ※この日は特別讃美歌を歌ったので、聴くのに集中できんかった、わけです)の説教でのポイントは

”人は、その人をよく知る前は誰でも大体まとも”⇒なのに、その人をよく知ると、大体だれでも、どこかがまともでない。・・・しかし、忘れてはならないのは、それは、「自分も含めて」のことなのです・・

そう、人は、だいたいが、どこか、傷があり、病んでいるものなのです・・・・・(私も、あなたも・・。)

そのことを考えた時、ゆるしあいわかりあいが必要、と知ることになる、ということでしょうか。???

人間は、1人では生きていけません(でした)。