説教で、”ヤマアラシのダンス”について聴いた。
(当日説教録音)
その時は、ふうん、そうねえなんてきいてたもんだが(まあその時には、多分にひっかかってはいたが)
土曜日をすぎ、日曜日をすぎ、・・月曜日になって、それはますますS氏曰く”洞察に富んだ話”だと、私も同じ様に思わざるを得なくなった・・・というか、印象に残ったものが、後から強められてきたんだネ。
細かい部分は聴きそびれてたりもして・・
この題名は、ヤマアラシのダンス、でなくて本当は、”知り合うまではだれでもまとも”なんだ。
英題だった。本のタイトルで。・・
どういうことか、というとそれは・・
ひと口でいうと、人間関係について。
例えば、ヤマアラシを想像すると・・(見たことないけど)、イガイガとげとげ。でしょう
お互い同士がくっつくと、ケガしそう。(実際はどうか知らんけど、人間の目からみて。)
じゃあ・・きょくたんな話、お上品な言い方をすると、やつらは”子孫を残すときに、どうするんでしょう・・?” (そこをうまくききそびれたんだけど、詳しくは) そりゃあ、私個人が考えるに、神様が造ったもんなんだから、そこはうまくできてるんだろうよ。・・が、本の作者は、童話的に、
ヤマアラシは(満?)月の夜、どこそこの森(?)に出かけて行って、お互いがダンスをする・・
(その時に、心をゆるしあうということでしょうか??)
それで、・・・その、うまいこと、いくということらしいです。あくまで、仮想でしょうが。
・・・・?
いや
ヤマアラシは問題でないんです・・・
人間に、われわれ同士の問題に、置き換えてみましょう・・
確かに、ある!と思わされた事象は、
その説教者のひとこと
「私達人間は、だれかを必要として(いろんな事情からでしょうが)、相手に近づきたいと思って、そうしようとする。・・だけど、そこで、たがいが持っているトゲで傷つこうとするのを、避ける・・・(そして容易には近づけない)」・・
ふうむ、ふむふむ、あるある。 外交的、内向的、なんて言葉があって、その近づきやすさが、比較的近づきやすい(本人から近づく行動)者と、そうでない、の差もあったりするけど
大互いの人間が、多かれ少なかれ、そのことで、多少以上の悩みはあったりするんじゃないでしょか。
じゃあー ひとりでいれば、いいのじゃない??ってふうに思っても、
これが ぜったい そうはできない!!(断言) 生き物なのですよ。人間は・・・。
偉そうに、言ってますけどね。この私、・・それを、若いころ、実行しようとした人間の一人ですからね。
身をもって、断言。
やめた方がいいです、・・・。
神様が人を(被造物をすべて、でしょうが)そういうふうに、おつくりになったのでしょうから、
これはもうしゃあ~ないですね。
・・・あきらめ(自分に)
よく人は「一人になりたい」って言う時は、・・・私思うに、一人居るっていうよりも、それはたぶん『神様と二人っきりにして』っていう意味なんだろね。よく一人で居るのが好き、って自覚する人がいますが、(私もですよ!!)・・それはよく神様と二人っきりになりたい、人のことだなんだ。
だけど、これまた・・・そのうちに、自分を、人の間に持っていかなければならない、そういう仕組みなんだね・・・
それで、冒頭の土曜日(1/16、私がホームページに録音をアップしてるんですがね~ ※この日は特別讃美歌を歌ったので、聴くのに集中できんかった、わけです)の説教でのポイントは
”人は、その人をよく知る前は誰でも大体まとも”⇒なのに、その人をよく知ると、大体だれでも、どこかがまともでない。・・・しかし、忘れてはならないのは、それは、「自分も含めて」のことなのです・・
そう、人は、だいたいが、どこか、傷があり、病んでいるものなのです・・・・・(私も、あなたも・・。)
そのことを考えた時、ゆるしあいわかりあいが必要、と知ることになる、ということでしょうか。???
人間は、1人では生きていけません(でした)。
(当日説教録音)
その時は、ふうん、そうねえなんてきいてたもんだが(まあその時には、多分にひっかかってはいたが)
土曜日をすぎ、日曜日をすぎ、・・月曜日になって、それはますますS氏曰く”洞察に富んだ話”だと、私も同じ様に思わざるを得なくなった・・・というか、印象に残ったものが、後から強められてきたんだネ。
細かい部分は聴きそびれてたりもして・・
この題名は、ヤマアラシのダンス、でなくて本当は、”知り合うまではだれでもまとも”なんだ。
英題だった。本のタイトルで。・・
どういうことか、というとそれは・・
ひと口でいうと、人間関係について。
例えば、ヤマアラシを想像すると・・(見たことないけど)、イガイガとげとげ。でしょう
お互い同士がくっつくと、ケガしそう。(実際はどうか知らんけど、人間の目からみて。)
じゃあ・・きょくたんな話、お上品な言い方をすると、やつらは”子孫を残すときに、どうするんでしょう・・?” (そこをうまくききそびれたんだけど、詳しくは) そりゃあ、私個人が考えるに、神様が造ったもんなんだから、そこはうまくできてるんだろうよ。・・が、本の作者は、童話的に、
ヤマアラシは(満?)月の夜、どこそこの森(?)に出かけて行って、お互いがダンスをする・・
(その時に、心をゆるしあうということでしょうか??)
それで、・・・その、うまいこと、いくということらしいです。あくまで、仮想でしょうが。
・・・・?
いや
ヤマアラシは問題でないんです・・・
人間に、われわれ同士の問題に、置き換えてみましょう・・
確かに、ある!と思わされた事象は、
その説教者のひとこと
「私達人間は、だれかを必要として(いろんな事情からでしょうが)、相手に近づきたいと思って、そうしようとする。・・だけど、そこで、たがいが持っているトゲで傷つこうとするのを、避ける・・・(そして容易には近づけない)」・・
ふうむ、ふむふむ、あるある。 外交的、内向的、なんて言葉があって、その近づきやすさが、比較的近づきやすい(本人から近づく行動)者と、そうでない、の差もあったりするけど
大互いの人間が、多かれ少なかれ、そのことで、多少以上の悩みはあったりするんじゃないでしょか。
じゃあー ひとりでいれば、いいのじゃない??ってふうに思っても、
これが ぜったい そうはできない!!(断言) 生き物なのですよ。人間は・・・。
偉そうに、言ってますけどね。この私、・・それを、若いころ、実行しようとした人間の一人ですからね。
身をもって、断言。
やめた方がいいです、・・・。
神様が人を(被造物をすべて、でしょうが)そういうふうに、おつくりになったのでしょうから、
これはもうしゃあ~ないですね。
・・・あきらめ(自分に)
よく人は「一人になりたい」って言う時は、・・・私思うに、一人居るっていうよりも、それはたぶん『神様と二人っきりにして』っていう意味なんだろね。よく一人で居るのが好き、って自覚する人がいますが、(私もですよ!!)・・それはよく神様と二人っきりになりたい、人のことだなんだ。
だけど、これまた・・・そのうちに、自分を、人の間に持っていかなければならない、そういう仕組みなんだね・・・
それで、冒頭の土曜日(1/16、私がホームページに録音をアップしてるんですがね~ ※この日は特別讃美歌を歌ったので、聴くのに集中できんかった、わけです)の説教でのポイントは
”人は、その人をよく知る前は誰でも大体まとも”⇒なのに、その人をよく知ると、大体だれでも、どこかがまともでない。・・・しかし、忘れてはならないのは、それは、「自分も含めて」のことなのです・・
そう、人は、だいたいが、どこか、傷があり、病んでいるものなのです・・・・・(私も、あなたも・・。)
そのことを考えた時、ゆるしあいわかりあいが必要、と知ることになる、ということでしょうか。???
人間は、1人では生きていけません(でした)。