中之島香雪美術館の「上方界隈、絵師済々」展は好評のうちに京都編を終えて今は大坂編に変わった。
大坂画壇もたいへん面白いのだが、「諸事情」により認知度はあんまり高くない。
しかしこうして中之島香雪美術館が大きい展覧会を開いてくれることで世の人々にも大坂の絵師の良さを知らしめることになるのではないかと期待が膨らんでいる。
それに丁度大阪歴史博物館が森狙仙を中心とした展覧会を月末から始めるので、二つの展覧会を見て回れば、たいていの昔の大坂の絵師の事を皆さん覚えられるのではないか。それなら嬉しいな、と一ファンとしては思うのだった。
さて京都編だが、例によって展示が終わってからのこの感想である。
別にひとさまに期待されているわけではないので、その点は気楽ではある。

京都画壇の立役者たち
1. 応挙登場
応挙以前にも当然よい絵師はそれこそ多士済々なのだが、応挙先生ご登場で世界がひっくり返った。これがスタンダードになったわけですね。
そしてこういう人が現れると、どういうわけか同世代にも凄いのが集まってくる。世代が違っても弟子とか次代に凄いのが現れる。
こういう現象はなんていうのでしょうね。
桜に月図 冷泉家時雨亭文庫 もああとした美。後世の朦朧体の先駆みたいなもあぁとした様子。桜は一重花。濃淡がいい。
三井寺との関係が深い頃の作品が来ていた。
芭蕉童子図屏風 1769 芭蕉と子供というモチーフはどこから来てるのかと考えたら、これはあれか中国の子福者・郭さんのアイテムか。
白鶴美術館の風雪三顧図襖も来ていた。1783
例の三兄弟が雪の中さむいさむい言いながら孔明の所へ行くやつ。でもこの日も孔明は不在。弟が窓から「あ、また来た」な顔してる。
これは白鶴さんのだけに襖の引手が双鶴になっていた。
牧童図 1789 前掲の芭蕉坊やたちから20年、これは十牛図の一図みたいなもので牛に座って笛を吹いている。
弟子の蘆雪がこのモチーフ大好きでいい絵をいくつも残した。
烏丸光祖の和歌がつく。
あけまきの うしとおもはて ふく笛の しらへすくれる 心なるらし
応挙が虎、呉春が龍を描いた龍虎図 1791

可愛いよねえ。大好き。
呉春の龍も大人しそう。
2.応挙スタイル
応挙 雪松図 1788 あー、いかにも応挙先生。よくわかる。
呉春 雪松図 こちらはもあっとしている。師匠の死後、応挙に学んだというのがこの辺りに出ていると思う。
源琦 桜花遊鯉図 1795 これも師匠の絵をうまく自分のものにしているな。ぬっと現れる二匹の鯉
応瑞と応受のコラボもある。西湖小青図 中国美人の絵だが、物語の背景を知らない。説明を読むと哀しい美女の話だった。18歳で悶死。ここでは静かに読書する図。
…とはいえ、わたしの知ってる小青シャオチンといえば「白蛇伝」の白娘パイニャンの侍女で、ふたりは西湖の辺りにいたはず。
どちらが元ネタなのだろう。
森寛斎 七難図巻 先生の巻物の写しというべきかな。ここでは火事のシーンが出ていた。えらいこっちゃである。
3.京界隈、絵師済々
それこそ冒頭に挙げたとおりの多士済々な絵描きたち。
池大雅 六遠図・試錐図巻 1762 木村蒹葭堂のために書いた図巻。可愛いシーンが数点出ている。
曽我蕭白 鷹図 1767頃 花がカラフルだが奇矯な雰囲気はない。秋草が生え、どんぐりがころころ。
原在中 小督図 1835 これはまたカラフルな図である。派手なというべきか。隠棲する小督を見つけ出すと世界が明るくなった、そんな感じ。
長沢蘆雪 山家寒月図 山の上に松がたくさん濃淡でその遠近を示す。頴川美術館の松の絵と同じタイプの松。月光がすうっと枯れた梅を越えて山家に差し込んでくる。
まんが日本昔ばなしに出てきそうな山家である。
呉春 秋汀木芙蓉小禽図 絵もいいが呉春の字がまた可愛くて味があってよろしい。
4.応挙一門
嶋田元直 春秋耕作図屏風 京都近郊の農地の様子。ほのぼの。田植えの人々が可愛い。畑のものは九条ネギとか万願寺トンガラシとかそんなのかもしれない。
源琦 西王母図 1796 さすが中国美人の名手。チラシにもありました。

桃を持つ美人。三千年の長寿の桃。
山口素絢 美人図 こちらは和美人の名手。弟子にこんな美人画の名手二人を擁するところも応挙一門のカッコよさだなあ。
奥文鳴 鴛鴦図 静かな様子。色もいい。
山本守礼 孔明龍図 1782 三幅対 孔明の被り物がどうもロールが目立つな。伏龍・臥龍だからとりあわせもこれだ。
最後に応挙先生の子孫への教訓書、つまり遺言。絵入り。松、菊、高張提灯を掲げる女、扇…
あまりよくわからないがやはり絵はうまいのだった。
今の大坂編は大阪歴博の森狙仙と併せて見に行きたいと思う。
大坂画壇もたいへん面白いのだが、「諸事情」により認知度はあんまり高くない。
しかしこうして中之島香雪美術館が大きい展覧会を開いてくれることで世の人々にも大坂の絵師の良さを知らしめることになるのではないかと期待が膨らんでいる。
それに丁度大阪歴史博物館が森狙仙を中心とした展覧会を月末から始めるので、二つの展覧会を見て回れば、たいていの昔の大坂の絵師の事を皆さん覚えられるのではないか。それなら嬉しいな、と一ファンとしては思うのだった。
さて京都編だが、例によって展示が終わってからのこの感想である。
別にひとさまに期待されているわけではないので、その点は気楽ではある。

京都画壇の立役者たち
1. 応挙登場
応挙以前にも当然よい絵師はそれこそ多士済々なのだが、応挙先生ご登場で世界がひっくり返った。これがスタンダードになったわけですね。
そしてこういう人が現れると、どういうわけか同世代にも凄いのが集まってくる。世代が違っても弟子とか次代に凄いのが現れる。
こういう現象はなんていうのでしょうね。
桜に月図 冷泉家時雨亭文庫 もああとした美。後世の朦朧体の先駆みたいなもあぁとした様子。桜は一重花。濃淡がいい。
三井寺との関係が深い頃の作品が来ていた。
芭蕉童子図屏風 1769 芭蕉と子供というモチーフはどこから来てるのかと考えたら、これはあれか中国の子福者・郭さんのアイテムか。
応挙先生描く子供ら可愛らしい。
— 遊行七恵 (@yugyo7e) February 2, 2020
pic.twitter.com/KzoS0q8BnT
白鶴美術館の風雪三顧図襖も来ていた。1783
例の三兄弟が雪の中さむいさむい言いながら孔明の所へ行くやつ。でもこの日も孔明は不在。弟が窓から「あ、また来た」な顔してる。
これは白鶴さんのだけに襖の引手が双鶴になっていた。
牧童図 1789 前掲の芭蕉坊やたちから20年、これは十牛図の一図みたいなもので牛に座って笛を吹いている。
弟子の蘆雪がこのモチーフ大好きでいい絵をいくつも残した。
烏丸光祖の和歌がつく。
あけまきの うしとおもはて ふく笛の しらへすくれる 心なるらし
応挙が虎、呉春が龍を描いた龍虎図 1791

可愛いよねえ。大好き。
呉春の龍も大人しそう。
2.応挙スタイル
応挙 雪松図 1788 あー、いかにも応挙先生。よくわかる。
呉春 雪松図 こちらはもあっとしている。師匠の死後、応挙に学んだというのがこの辺りに出ていると思う。
源琦 桜花遊鯉図 1795 これも師匠の絵をうまく自分のものにしているな。ぬっと現れる二匹の鯉
応瑞と応受のコラボもある。西湖小青図 中国美人の絵だが、物語の背景を知らない。説明を読むと哀しい美女の話だった。18歳で悶死。ここでは静かに読書する図。
…とはいえ、わたしの知ってる小青シャオチンといえば「白蛇伝」の白娘パイニャンの侍女で、ふたりは西湖の辺りにいたはず。
どちらが元ネタなのだろう。
森寛斎 七難図巻 先生の巻物の写しというべきかな。ここでは火事のシーンが出ていた。えらいこっちゃである。
3.京界隈、絵師済々
それこそ冒頭に挙げたとおりの多士済々な絵描きたち。
池大雅 六遠図・試錐図巻 1762 木村蒹葭堂のために書いた図巻。可愛いシーンが数点出ている。
曽我蕭白 鷹図 1767頃 花がカラフルだが奇矯な雰囲気はない。秋草が生え、どんぐりがころころ。
原在中 小督図 1835 これはまたカラフルな図である。派手なというべきか。隠棲する小督を見つけ出すと世界が明るくなった、そんな感じ。
長沢蘆雪 山家寒月図 山の上に松がたくさん濃淡でその遠近を示す。頴川美術館の松の絵と同じタイプの松。月光がすうっと枯れた梅を越えて山家に差し込んでくる。
まんが日本昔ばなしに出てきそうな山家である。
呉春 秋汀木芙蓉小禽図 絵もいいが呉春の字がまた可愛くて味があってよろしい。
4.応挙一門
嶋田元直 春秋耕作図屏風 京都近郊の農地の様子。ほのぼの。田植えの人々が可愛い。畑のものは九条ネギとか万願寺トンガラシとかそんなのかもしれない。
源琦 西王母図 1796 さすが中国美人の名手。チラシにもありました。

桃を持つ美人。三千年の長寿の桃。
山口素絢 美人図 こちらは和美人の名手。弟子にこんな美人画の名手二人を擁するところも応挙一門のカッコよさだなあ。
奥文鳴 鴛鴦図 静かな様子。色もいい。
山本守礼 孔明龍図 1782 三幅対 孔明の被り物がどうもロールが目立つな。伏龍・臥龍だからとりあわせもこれだ。
最後に応挙先生の子孫への教訓書、つまり遺言。絵入り。松、菊、高張提灯を掲げる女、扇…
あまりよくわからないがやはり絵はうまいのだった。
今の大坂編は大阪歴博の森狙仙と併せて見に行きたいと思う。