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遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
こちらもよろしくお願いします。
ツイッターのまとめもこちらに集めます。

イスタンブールへ飛んでゆこう その2

2023-09-23 22:31:09 | 旅行
さていよいよ実働、実動。
まずはホテルアンバーの朝食から。
こちらの朝食会場はテラス階。
パンは市販のものだけど、他のおかずはおばさん方の手作り。







実に美味しそうで、実際とても美味しかったなあ。
よく「トルコ料理は世界三大美味の一つ」というけれど、日本国内で食べたときはそうは思わなかったけど、この朝食以降のトルコ料理は何もかもが美味しかったので、あの言葉に対しては納得…というよりちょっとニュアンスは違うが、同意。
つまり日本人のわれわれの口にたいへんマッチするのよ。

これはすごく大切なことだと思う。
どこへ行っても何でも美味しく食べれる人こそが生き残れるというか、元気に世界を歩けるのだが、われわれは少なくともこのイスタンブールを機嫌よく往ける、という自信をここで得たわけだね。

わたしのお皿。



基本的に国内旅行、家庭での朝食にわたしは玉子料理、ハムやウインナー、ソーセージ類はほぼ食べないのだけど、先の写真を見て分かるように、どれもこれもが美味しそうで、本当に美味しかったのよな。
特に個人的な好みではトルコ版万願寺どんがらし、ナスを炒めたものがよかった。
豆のヨーグルト和えもよかった。これは自分では普段は絶対にないのだが、ここではぺろぺろ。
わたしはヨーグルトはデザートなのだけど、お惣菜の調味料で食べたのはこの時が初めて。
スイカもお菓子もよかったなあ。
デザートのヨーグルトには何種類かあるジャムソースを。


家庭的なイス、テーブル。

後に知ったが、ここは夜は定食屋さんになるそうで、旅行ベルトを締めて下さった技術者Kさん夫妻はここで夕食をとっていたそう。安価で楽しく美味しかったとか。納得。

ところで「テラス」と書いたが、概念上の「テラス」ではないのよ。バルコニーつきの開放的な最上階ルームなのよ。でもホテルが「テラス」と主張する以上はテラスに相違ないのだな。
バルコニーには連日ユリカモメたちが並ぶし、海も見えるし、モスクも、下町の屋根の重なりも見える。








紅茶で〆てから食事終了。集合時間までに色々支度をする。
わたしと024さんの中二階の部屋から一歩廊下へ出るとホテルのロビーが眼下に。


階段も可愛い。


鋳鉄装飾がいい。


踊り場のタイル装飾もいい。


ロビーを見下ろして右側の応接セットのとこらの綺麗な窓。






われわれのフロアの天井装飾




かけられた絵


一階の窓


応接セットの真上の天井装飾




ここでこれからの期間中のミュージアムパスポート代を集金。
12000€を支払う。この時はちょっとユーロ支払いを後悔したけれど、あとあとイスタンブールでまっっっっったくユーロを使うことがなかったので、後によかったと思うことになる。

わたしたちのガイドさんは毎朝飛行機でイスタンブールに通っているということを後に知ったが、なかなか日本語の堪能なエムラさんという中年男性。本当はもっと長い名前なのだが日本人向けにと「エムラ」を名乗って下さる。
つまりわれわれの感覚では「江村さん」なわけですな。
関係ないが、司馬遼太郎「韃靼疾風録」でヌルハチという名を聞いた主人公・庄助は「微温八」と漢字を当てて、「変わった名前だな」と思うシーンがある。
諸星大二郎は幕末SFコメディで、サスケハナ号を「佐助花丸」とつけていたから、まぁわかりやすくていいよな。

とりあえずこの日は専用バスでトプカプ宮殿へ真っ直ぐに向かう。
モスクも行くからわたしは例の青いストールに合う白地に青の花柄の長袖を着て歩くが、イスタンブールの暑さには参った。
大概亜熱帯の大阪、京都をうろついてるから暑さに強いと自負してたがあかんあかん、むりむり。
日傘刺してても日光くるくる。凄い暑いのよ。



空がとにかく青い。


手を洗う。なんかそれがまた凄いような建造物







申し訳ないが全く何一つ言葉がわからない。







物凄いことだけはよくわかるが、あまりにあまりでこれがあれだとか説明できなくなるのであった。

なんだかもうとにかく凄い装飾


宮殿に並ぶ糸杉。

糸杉はヨーロッパでは墓地への道などに使われたりしているが、こちらではどんな位置にあるのかまではわたしにはわからない。



おさおさ怠りなく装飾が埋め尽くす。


建物へ入ろう。


続く

イスタンブールへ飛んでゆこう その1

2023-09-18 17:02:18 | 旅行
0からの続きである。いよいよ旅の始まり。

関空には第1第2があるのだけど、わたしは第1で下車して大韓航空へ向かわないといかんのだが、何故か知らんが勝手に第2だと思い込んで、あやうく降り損ねるところだった。
こわいこわい。かなり早く着いたので、メールで連絡すると驚かれた。
ちょっとだけ買っておいたパンを食べたが、これがまずいのなんの。いやマジでなんでこんなにまずいねん。
あんまりにもまずいので鬱屈しそうになったとき、「混んでるから早いけど大韓航空の方へ行け」という指令が来た。
あわててそちらへ向かうと、何故か出雲空港の宣伝が壁面にあった。
オオナムジの若いころの絵である。安彦良和さんの「ナムジ」を思い出す。
かっこいいな。
後にこの絵がどうやら五十嵐大介さんの作画で、2021年にプロジェクトがあったことを知る。
そして安彦さんや雁須磨子さん、里中満智子さんら8人の方々のお仕事を知った。
関空よ、宣伝を何故してくれない。


ついたら先生と見知らぬ男性つまり旅行社の方がいたので「ハローエブリバディ」とかなんとかええ加減な挨拶をする。
そこからきちんとご挨拶をして、とにかくめちゃくちゃ混んでるから一足先に並びに行けと言われて、初対面のTさん、同室になる旧知の024さん、先生の若い頃からの教え子でわたしと同年だというCさんらと並ぶが、実はこの時点でいまだにわたしのスーツケースはベルトをきちんと巻けていなかった。難儀やなあというてると、やっぱり同行のご夫婦の旦那Kさんが簡単にちゃっちゃとやってくださった。
先生曰く「技術者だから構造の分析と再構築とが得意なのよ」なるほどそれはとても有益・有能な。ありがとうございます。
で、ロストラゲージになりなやと願いながらスーツケースをたのむ。これは自分一人のことではなく、ツアー全員分のための祈り。
先生はご一緒した上海以前は殆ど海外と無縁だったが、コロナ隆盛をのぞいて21世紀になってから非常に多くの国外旅行をされている。
その分だけロストラゲージも多いそうで、「見なさい」と渡されたプリントにはスーツケースの外観写真、特徴などが細かく説明されていた。
なるほどこれはいいアイデア。わたしはスーツケースを撮影しただけさ。

現地で換えたらいいんだけど、こっちでユーロと交換。後にわかるけど、ユーロは実際にはほぼ使わないので、無駄なことをした…

ありがたいことに既に旅行社さんの手配でwebチェックインも終わり、席は全員通路側。ただ二組のご夫婦だけは隣接されてて、いよいよ仁川空港へ飛ぶことに。
実は隣家の従姉妹の妹の方がJALのCAで関空第2部に所属して、海外に飛んでいた。ホノルル、ボストン、ジャカルタ便…
わたしもその妹N5の姉N1も飛行機がニガテで、この点に関してN5をとても尊敬していた。
・・・うーわ、とんだ。
飛んでもらわないと困るけど。


同僚で世界中を旅する男が大韓航空のゴハンはおいしいよというので期待してたら、ウナギのかば焼きというのでなく、甘辛煮の載った蒸し寿司が出た。ちょっと味付けは濃いけどわるくないよ。


仁川についてトランジット。スーツケースがうまいことイスタンブールに行くことを願うよ。


いい感じの空港設備ですな。
別に買い物とかする予定もないので例のトルコ語の本を見てたら向かいに座る女性と目があい、話しかけると和歌山出身で里帰りして小さい男児二人連れでトルコに帰るところだという。
そうなるとわたしも024さんもCさんも彼女を先生にして現地情報聞きまくり。いろんなことを調べたり楽しい楽しい。
どこのサバサンドの店がいいかとか、お菓子も載ってないこれがいいとか、羊肉おいしいよなど、そういう話。
いやもうほんと助かります。

機内ではその女性とわたしが結構近かったので、互いににっこり。
こちらの機内食は肉か鳥かと訊かれたのでBeef Pleaseと答えた。
言うたら本当にビーフだったので安心。なんでそんなことを言うかというと、ブリティッシュ・エアでこんなことがあった。
"Beef or Chicken?"でbeefだといったのに、出てきたのがfishお魚だったのだ。
英国では牛肉は魚肉なのか。それともわしの発音が悪すぎるのか。
どうでもいいことだが、わたしはかつて英語の先生から「あなたのアクセントはドイツ語向きです」と言われ、もともとドイツ語好きなので大いに気をよくしたことがある。←英語の先生から見放されたとは考えないアタマ。
なのでこう問われると必ず疑るようになってしまった。

挙げると何故か回転がおかしい写真。

肉自体はちょっと筋があるが、味付けは悪くなかった。添え物のマッシュポテトがいい。
サラダも悪くない。だけどバルサミコ酢を使ってるので、わたしの口には合わない。
ダメなのはパン。でも基本的に飛行機でおいしいパンというのには当たったことがない。
難しいのかもしれない。
ところで鳥選んだ人らはピビンパでしたわ。

寝てるうちに17:40から「ヴァチカンのエクソシスト」を見る。あれだ、実際にいる人の話をモデルにしたそうな。そのエクソシストの司祭をラッセル・クロウが演じている。
噂通りバディものでそないに怖くはないが、やはり気持ちは悪い。あれだよ、異教徒のわたしからすれば、あの教団、教義が整理され成立したからこそ悪魔に名前が付与されたのではないのかな。
体系が完成するのは教義があるからこそ。善なるものと悪しきものとの対立か。
ラッセル・クロウも老けたなあ。役柄か。えっフランコ・ネロが教皇!うーわっわからんかったわ。

20:00サンドイッチが来た。コッペパンに挟んだタイプ、それとちょっと謎な混ぜご飯のおにぎり。
コッペパンにハムとピクルスとおいしいチーズが入ってる。このチーズ、いいな。
  
あったかい紅茶をもらう。砂糖なしのストレート。なんだかとてもほっとする。いい気分。
普通のリプトンのパック紅茶をお湯でというものだけど、気分がなだらかになる。
こういうまったりしたいい心持になるのも久しぶり。

そうそう大韓航空のCAの長髪まとめる飾りが、昔の…李朝の女官らのかんざしを思わせるもので、そのイメージなのかな。
わたしは韓流ドラマは時代劇のみ見てる。「トンイ」「オクニョ」は何回でも再放送見るよ。大好き。

23:00ごはん来た。わたしのアクセントが通じないので、CAのお姉さんが流暢な日本語で「パスタありますよ」ありがとうそれにします。

ペンネでトマトソース。これより添えのサラダが大変良かった。もう一つ欲しい位のサラダ。
セロリ、キュウリ、赤ピーマンをざく切りし、そこへなにか。。。。。なプチプチしたものが入ってて、これが良かった。

あとで皆さんとその話で盛り上がったくらいだけど、正体は不明のまま。あっさり和え。
さっきの紅茶まったりを再現したかったが、こぼしてあっちっちになったので、人生というのはなかなかうまくゆかんものです。

大韓航空のマーク入りのフォークなど

寝る寝る寝る。練るではない。練るはアイデアだ。しかし頭を働かせられない。ただ寝てる。
長らく睡眠が異常に少なかったので、このツアーでどうにか普通に近い睡眠状態の人になろうともくろんでいるのだ。
ところがそういう時に限って悪夢を見る。
動きもせず四食も食べたせいかもしれない。いやなストーカーの出てくる夢。リアルな怖さがあるのう。

今回は田中貴子さんの「いちにち古典」をお供にした。


1:40着陸。イスタンブール。

機内モードにしてるスマホはまだ1:40だが、これもやがて現地時間に変わるだろう。
全員の荷物がちゃんとついた。よかった。

  
トイレのピクトグラムがわかりやすい

バスに乗り込む。われわれは10人のグループ。
車窓から見えるのはライトアップされたモスクや海峡にかかる素敵な橋など。



斜張橋というやつかな。夜景が素敵だ。

街なかに入ると店先の売り物が見える。巨大なスイカやモモがある。楽しみやわ。


到着。ホテルアンバー。小さくて可愛い。猫がいる。装飾も綺麗。
わたしの024さんは中二階かな、ロビーから階段上がった部屋。廊下からロビーが見渡せる。
ベッドも立派、シャワーもいい、クーラーも電化系もいい。
ベッドを詳しく言うと、シングル一つとセミダブルを二つくっつけたのを一つにしたものがあり、024さんのご厚意でわたしがその大きいベッドをもらったが、実はわたしはほぼ動かない人間なので使わない部分も大きいのでした。

この下の部屋が先生と先生の友人Tさんのお部屋で、皆さん酒盛りをしていた。
わたしも途中から入る。
大いに盛り上がり、そろそろ寝るかと思ってスマホを見たら午前1:30。
いつの間にか現地時間に変わっていた。ついて6時間が経っていたのだった。

初日終わり。続く。

小銭たち

イスタンブールへ飛んでゆこう その0

2023-09-18 16:41:25 | 旅行


昔からそうだが、わたしは旅行前日に支度がまだ終わらず、終わっていてもドキドキして眠れないという特性がある。
今回、12年ぶりに海外へ行くことになった。
理由はちょっと色々あるが、要するに行きたいところの一つ・イスタンブールの名所巡りというお誘いにあらがえなかったということさ。
既にコロナ隆盛の折にパスポートは失効。新たに作ったのが6月上旬。以前と違い、谷四の大阪合同庁舎や阿倍野近鉄まで行かずとも、豊中市民は豊中市内でパスポートを取れるようになっていた。ありがとう。
というわけで旅行記のプレ話から始めるか。

阪急蛍池駅というと、大阪空港への玄関口でもある。ここからモノレールに乗り換えるのだ。
それで大阪空港まで一駅。
ホームに立って柴原方面を見ると、トンネルから出るモノレールが見えると何だかラッキーな気分になる。
反対側は門真まで行くモノレールで、千里中央や万博公園へはこちらからがよい。
そんな駅と隣接するルシオーレビルの4階だったか、パスポートセンターがある。
2階がどちらの駅ともイケイケになっていてスタバがあるが、行った日・時間帯によるのかやたらと買い物中の主婦や退屈そうな老人ばかりで、ちょっとスタバとは思えない風景になっていて、それはそれで面白かった。
なんしかスタバの注文システムを理解できない年配者が多く、わたしはしばしばボランティアで店員さんにご老人に代わって注文したりということがある。
をいをい待て待て。それはどうでもいいのだ。←「どうでもいいことですが」はこのブログの常套句。

まあとりあえずドキドキしながら「すんません、パスポート新しく作りたいんですが」と行ったのが6月アタマ。
その場ですぐ下の階の証明写真機に行って様子したり(関西弁。様子しぃが名詞)まあちょっと小綺麗にして色々手続きしましたよ。
5年か10年かということで、世界平和を祈って10年にした。
10年後も経済的にまだ何とかなってることをも祈って。

1週間か10日後かに連絡が来て、パスポートを取りに行く。
をを、綺麗ではないか。中のノートは北斎「富嶽百景」のあちこち図。
パスポートケースを百均に探しに行くもみつからず。文具屋にもなし。
少し留保。

今回のツアーは長年お世話になってる大学の先生(西洋美術史)の講座付き見学旅行で、参加者は十人。これは先生つながりで、わたしが実際に知っているのはコードネーム「024さん」くらいで、この人と同室にしようとお話済み。あとは知らんのですが、まあ先生のつながりの皆さんだとそんな「気が合わない」こともなかろうし、それ以前にわたしは基本的にどなたとでもベラベラベラベラ…
旅行社は京都の個人経営のところ。今回2グループをイスタンブールに連れてゆくことになり、色々大変みたい。
わたしらのツアーはホテルアンバーというところに拠点を置いて、毎日迎車のバスとガイドさんとでのたのた動くのみ。別グループはブルーノ・タウトの足跡を追うという壮大なツアーで、足を痛めてるわたしには無理。建築史家の先生の下、走れ走れという感じらしい。
こちらの先生にもお世話になっているのですが、今回はやっぱり普通の観光名所を巡り、サバサンド食べてトルコのゴハン食べてお菓子食べて、ボスポラス海峡クルージングしたいですがな。
何度かトルコに来てるなら別として、素人なもんで。

ところでわたしのイスタンブールの最初の「出会い」は昭和の子どもならだれもが知るという大ヒットソング「飛んでイスタンブール」です。
実際会社に「八月の1週間ほどイスタンブールに行きます」と言うた途端、課長もセンター長も他のみんなも♪飛んでイスタンブール と歌ったもんな。
帰宅して隣家の叔母・叔父にも「実は」というと、やっぱり
♪飛んでイスタンブール どうせフェアリーテール 
…どちらかがここまで歌ってたな。

それから青池保子さん「エロイカより愛をこめて」ね。
イスタンブールのアンカラにはCIAも常駐してるけど、われらがNATOのエーベルバッハ少佐はイスタンブールに何度か出張して色々ととんでもなく働いている。
最初は「第七の封印」で、これは昭和末期の作品で、ラストのオチが秀逸というより、ある意味悲惨で、ソ連崩壊後の目から見れば、この件もソ連崩壊への道筋の一つになったのではと思わせもする。
その作中、KGBのエージェントで好敵手たる「仔熊のミーシャ」により大けがを負わされた少佐は、ボスポラス海峡でソ連の船に乗り換えるミーシャを狙って狙撃する。
この話の中でエロイカことグローリア伯爵の蘊蓄が語られ、まだ子供のわたしはそれを読んでコンスタンティノープル陥落などを知ったのだ。
再開後の「ビザンチン迷路」
これは21世紀の作品で、ここからコンヤの舞踏などを知り、ビザンチン芸術を美術音痴のキャラが「硬直死体」というのに大ウケしたなあ。
そしてここからサバサンドを知ったのだ。
まことにありがたい。

支度を始めるのも基本的に遅い。
それでもまあ旅行社さんや先生から色々メールが来たりで、わたしも買い物の参考にさせてもらって、某日ヨドバシへ向かった。
海外旅行の色々グッズ売り場で店員さんを一人専用につけてもらい、色々と買い物をする。
基本的に自分の判断が出来ぬもの・知らぬものを購入するときは専門家の知恵に頼ることにしているし、服や靴なども百貨店で本気で買うときは同じ店員さんにずっとついてきてもらうことにしている。

そこで海外向けの変換器、キャリーのベルトなどなど小物ではパスポートケース、バッグ、耳栓、スマホのためのSDカードまで購入。本当はデジカメを買い替えたかったが、昨今のデジカメをめぐる状況を考慮して購入はやめた。
いろいろと買い物もしたし、良いものも見たしで機嫌よく帰宅。

旅行社さんから届いた前支度の中にトルコ語の日常会話本が入っていた。
実はわたしは外国語習得に向いていないのだが、とりあえず読むだけは読むことにした。
こういう本です。

結局食べ物のページだけ熱心に見てるというね…わかりやすい反応してしまいましたよ。

いよいよ前夜。詰めようとした大型のスーツケース、これがまさかの暗号錠が解錠できないというトラブル。
うわわわわわわ
焦るやん。
それで小型の「ぶち当てられても強いぞ」キャリーを出してきた。中からハノイツアーの資料が出てきたので、そうかこれで行ってたかと納得。
百均で買ったプチ南京錠を設定しようとしてできない。これはまずい。慌てて隣家へ。
叔母と二人でうんうん唸っていたというより、岡目八目で叔母が「これは裏向けが設定個所では」と言い出し、やっと設定。
しかしこの設定ですらも実は後でえらいこっちゃになるのをこの時は知らなかった。

イスタンブールはモスリムの国なのでそんなに厳しくはないがモスクに入るには髪を隠さねばならない。
先生にどんなのがいいですかと尋ねたら、程経ることなく届きものが。
まさかの千總の綺麗な綺麗な濃い青の絹のストール。をいをぃをいをいをいーーーーっ


支度してもしても終わらないので3時半までかかった。そこからシャワーして4時に就寝5時に起床。
猫に朝ご飯をやってから家を閉める。猫の世話や庭の水やりを叔母に頼んで、駅まで歩く。
梅田について三番街の空港バスへ。7:05についたがけっこう並んでいるので7:20出発便に乗るとこれがギリギリ。
ラス3でしたわ。さあいよいよ関空へGO!

本編へ続く。

七条界隈の近代建築と三条へ参上

2023-08-14 15:59:49 | 近代建築
久しぶりに京都国立博物館と、それから初めて豊国神社に行こうと思って七条に行った。



あれだ、まずはタツノ建材さんをじっくり見ましたわ。
タイルの王国。










鍾馗様も。

















また今度は向かいの道から撮ろう。

さて京博


休館中の旧館は今漢字五文字の名前がついている。

鋳鉄装飾

正面玄関のガラスに映るもの


片山東熊の名品




スレートの屋根もいい。そこにもレースのようにきれいな鋳鉄装飾


噴水が元気


小さくなる噴水

大和大路に面する西門は現在閉鎖中

京都タワーが見える。



正面通りの耳塚を拝む。実際酷いことしかしていない日本軍。太閤の誇大妄想に始まり、その数百年後にも…

京料理・道樂





琺瑯標識版がある。

ここは90年代初頭の京都を舞台にしたマンガ「酒場ミモザ」で知ったが、この日初めて場所を知った。
行きたいものです。

正面橋

水鳥が遊ぶ


七条駅から三条駅へ。
あったあった。



ひらパーで仮面ライダー展してるのでタイアップらしい。
56年てか。すごいな。
因みにわたしは仮面ライダーの変身ベルト持ってたよ、小1の時。初めて買ってもらった学習机も仮面ライダーだった。
教室の後ろのロッカーの並ぶ棚の上でショッカーと戦うのも楽しかったなあ。

この後はイノダへ。


ステンドグラスも好きだ。

奥庭が見える席でした。

 


今度は久しぶりにレモンパイが食べたいな。もちろんこれもおいしかったよ。


帰りの電車が夕焼けに包まれる様子
次は9月アタマに京都へ行く。

豊国神社へゆきました。

2023-08-14 14:10:26 | 旅行


安土桃山から江戸初期の時代では秀吉が好きだ。
面白いし、にぎやかだし、ばかばかしいところが好きだが、のし上がり、位人臣を極めて以降の巨大な妄想と野望、その堕落ぶりから最後の最期の哀れさまで含めて秀吉はやっぱりスターだと思う。
辞世の句もいい。
露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢
そう、これだよなあ。そしてせっかく築いた夢も城も死後20年ももたずに瓦解し、消え去る。儚いが、いい夢を見せてくれた、そんな感じがある。
 
のっけからなんだが、そういう認識がある人は少なくないと思う。
信長より秀吉の方が夢があるし、家康のような憎たらしさはない。そう感じるのはわたしが大阪の人間だからかもしれない。
なんしか家康に対しては読売巨人軍と同程度のにくにくしさがあったりする。
個人への憎しみとか怒りではないのは無論よ。
でもトラ党からすればやっぱり巨人は悪の結社、そして家康の野郎、というのがある。
そうは言っても幕末になると、今度は幕府を守ろうと必死になり、賊軍の汚名を着せられる側が可哀想で仕方なくなる。
人間、矛盾だらけなのよ。

ところでこの京都の豊国神社というのは京都国立博物館と隣接している。なので三階の休憩室からは境内が結構よく見える。
これまで特に意識していなかったのだが、静かできれいだ。

 
京博では貝塚の豪商・廣海家の漆器類を眺めて目の保養をし、中世絵画で地獄の屏風や病草紙、是害房来日と三人の僧の力でぽかぽかやられ、ボロボロになるあたりまで。

監視員さんに道を尋ねる。
南門から出て大和大路七条北東角を曲がる。まっすぐ行くと到着。
ということなのでその通りに歩くと、石標があった。

この大和大路通りは広いわりに昔からあんまり渋滞を見ないのでけっこうのんびりと歩けるのが好きだ。
街路樹はこれは色様々な百日紅。
いいですねえ。

 

正面通りまで来た。左手には耳塚がある。そのまま右の豊国神社へ。
ああ、石の鳥居に立派な扁額。あとで知ったが、後陽成天皇のご宸筆だそう。




手水にはひょうたんのオブジェも。






秀吉像は陶器製

安土桃山時代からの唐門は国宝。

     

さすがの千成ひょうたん


敷地の隣というよりいけいけになっている先に鐘楼が見えた。

つまり方広寺のあれだ。
「国家安康君臣豊楽」
これにアヤつけるんだから徳川とそのブレーンはやっはり憎いよ。
これで戦争になって17世紀初頭の大阪ゲルニアになるわけだよ。
つまり「国家暗降君臣崩落」なわけさ。
鐘楼の屋根と天井画
 

話は前後するが、実はこの手前にお稲荷さんが鎮座まします。
まあええかなあでスルーしようとして、その場で足首ぐにっ。
お稲荷さんは見ていた。
すんませんすんません。
拝みに行きました。


宝物殿に行きたいので社務所に向かうと、まずはこちらへと社務所の奥の座敷へ。
ここには大日本印刷による精密な複製の豊国祭礼図屏風や刀剣などが展示。
楽しいわ。
ぱちぱち撮る。サムネイルはクリックすると拡大化します。
 右隻

可愛い稚児たちを見つけるわたしの目は鋭いぞ。
額にイチョウ型のくくりが垂れる。



むははははは

  

 左隻

この屏風の有名人・タケノコマン
珍しく空いてる清水寺の舞台と音羽の滝 

個人の方から奉納された洛中洛外図が初公開。
出所は福知山城らしい。こちらもぱちぱち。

今回わたしの誕生日のお返しにつかわせていただきました。


                   



                         



ほかにはこんなのもあった。
明代の螺鈿の刀掛け

廊下を越えて、今度は柵の向こうの茶室をチラ見したり、京博を見上げたり。


宝物館


これはいつの建物かな。近代和風建築 桃山風の豪勢さ。1925年か。


擬宝珠付き。

鉄燈篭 上下に分けて挙げる。
 
いい感じだなあ。これは釜師で有名な辻与次郎の作品。

天井にも五三の桐

宝物殿のレトロなガラス


ひずみ最高

木彫彩色飾鯛

この中に本物のおタイさんを入れて出したみたいですな。
鯛in鯛

こちらは縛の枕
首凝れへんかな…
曾祖母がずーっと日本髪の人で、母によると高い枕使ってたそうだが、昔の人の枕もいろいろあるからなあ。
平泉の秀衡公のミイラの枕には沈みが残ってたのが印象深かった。
そうそうだいぶ前に西宮大谷記念美術館か芦屋市立美術博物館で枕の展覧会があったわ。
江戸時代の旅の枕の多機能・多様性が楽しかった。

本物の豊国祭礼図屏風





やはり賑わいがいいよね


今回わたしがここへ行こうと決めた作品がこちら。
鉄斎の秀吉と利休(亡霊)


太閤になってしたい放題、昔の仲間も切って、誇大妄想を抱えて…

色彩豊かな生者
死者はモノクロの墨絵


こちらも鉄斎

まだ木下藤吉郎時代の結婚

器もいいのがあった。
道八風な雲林錦手のやひょうたんを描いた皿





またいつかね。