goo blog サービス終了のお知らせ 

遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
こちらもよろしくお願いします。
ツイッターのまとめもこちらに集めます。

イスタンブールへ飛んでゆこう 12

2024-07-16 01:49:33 | 旅行
大概にしないといかんのですが、もうそろそろ旅も終わりです。

8/24 旧市街地バラート・フェネル歴史地区を歩きました。ランチなんだけど実はけっこうツアーとはいえアバウトだったりする。
つまりガイドのエムラさんが目星をつけたところに行くわけだけど、こういう超人気の界隈だけは予め電話なりメールなりでどないですかと尋ねるわけだ。トルコの人だから別に「どないだ」とは言わないが。
それで行ったら「すまん、あかんわ」ということもある。そしたら「ほな次行こか」となって、次善策が活きるのだね。

ちょっとした坂の町なので写真は全て縦で撮った。それを並べます。












個別にみると








木々もよく茂っている。

花は凌霄花ですな。

トルコのマンホール



これはハンドホールなんだけど、まあマンホールの仲間です。

鉄の装飾がやっぱり可愛らしい。




どこを見ても可愛いのよな。


おおっパイロンは共通化されてるのか。


おしゃれと言うより可愛らしい町なのよ。










こちらは学校。どことなく松山にある男子校を思い出したわ。




この鉄の装飾もいい。


さてようようお店も決まりましたかな。



何を見てもどれを食べても美味しいのがトルコですわね。
ぱくぱく食べてうまいこと撮影できなかった。
薄皮クレープにはさんだホウレンソウ、ポテト、チーズ、ミンチ、これはギョズメレとやらで非常に美味しかった。
特にホウレンソウのがいちばんよかったな。あと葡萄の葉で巻いた米をどうにかしたのとか、それも美味しかったなあ。隣のテーブルのカップルがその場で壺が炎に包まれる料理を頼んでたので、なんというか借景というか、一緒に楽しみましたよ。あれ実はケバブだったらしい。

桃も安くてたくさん販売。


チラチラとガラタ塔が見えている。






説明書きがあるがわからんわ。


ガラタ塔の階段


ガラタ塔のある地区は新市街地になるのか。
ここはジェノバ人の居住区だったそうで、コンスタンティノポリスが陥落してからも外国人居住地区として存続したそうな。

中世トルコとイタリア各地の国家との関係といえば、森川久美「ヴァレンティーノシリーズ」で知ったなあ。
「レヴァンテの黒太子」「花のサンタマリア」「カスティリアの貴婦人」などの連作物。
主人公のヴァレンティーノは男装の女性でヴェネツィア共和国の元首(ドージェ)。
1980年代初頭、森川久美さんの作品からわたしたちはイタリア各地の国家事情、1930-40年代の魔都上海について学びました。
往時の少女マンガはこうして歴史好きを生み出すきっかけを与えてくれたのです。

塔の展望はよかった。


わたしの指と比較しても高さとかわからないけどね。
















対岸はアジアだという認識。こちらは西洋という認識なのだな。
そしてガラタ橋の向こうはこのツアーでわれわれが動き回った旧市街地。







真下はこんな感じ






ガラタ塔からの展望はここまで。

イスタンブールへ飛んでゆこう 11

2024-06-19 00:35:25 | 旅行
10で挙げた続き

8/24 11:17に写した。


白い雲と緑萌える地




トルコの松
レスピーギ「ローマの松」サビを最初に聴いたときはなかなかショックだったな。
あれはカラヤン最後の来日かなんかだったと思う。今調べたら1984年の大阪シンフォニーホールでの演奏。

イスタンブールの町の窓

鉄装飾

マンホール 

モスクも無限にあるのではないかと思った。


いよいよヴァレンス水道橋
道路に普通にあるよ。ただし走るのに使われているわけではない。


すぐ付近には普通の公園が広がる。児童遊具があり、緑の濃い公園。









古代ローマの土木技術の確かさよ…

猫たち




城壁なども古代ローマの時代のものなど。四世紀か…






尖塔

こっちが多分ファーティフ・モスク


天井も絨毯も何もかもやはり美しい。










ここで先生が神学生とフランス語で対話し始めたので感心する。
わたしは耳の都合もあり、英語もフランス語も習得はムリだ。











ステンドグラスを撮るのにはスマホの明度を落とした。








構造がわからない。










細部を眺める。






ここでルネサンス以降のローマ遺跡が白大理石に「なっていた」話などをきく。
以前に挙げたアレキサンドロス大王の棺も今でこそ白いがもとし彩色だったが、やっぱりみんな白が好きと言うことで白になっていったらしい。













城塞の名残














さて街へ向かうか。




続く

イスタンブールへ飛んでゆこう 10

2024-06-19 00:29:20 | 旅行
ちょっと間が開いたのでした。

8/24
例によって美味しい朝ごはんで起きる。
と言いたいところだが、寝てるところへいきなり先生来襲。ミニラめ、なんなんだ。ぼんやりした頭でなにやらハイハイと聞いたが正直頭に入っていない。
それで7:50にテラスの朝食室に出た。

今日も美味しい喃。
今日は珍しく雲が出ているらしい。いつも快晴だったから珍しい。雲はイスタンブールで初めて見たわ。
それにしてもスイカおいしい。


この日は少し遅めの出発。






雲が出ているとはいえ決して雨は降らないし日が陰ることもない、恐るべきイスタンブール。

トルコ人は猫好きなのだが、猫小屋もたくさんある。猫は自由に、本当に自由に歩く。
皆悠々とあるき、ねて、ごはんを食べる。

前日のボスポラス海峡に地下トンネルがあるそう。30km最深120m、電車とバス以下の小型車が通行。
そういうのを聞くと、シンガポールとマレーの通勤ラッシュのことを思い出す。

スレイマニエ・モスクとファーティフ・モスクに向かう。
見学の最中に、どちらがどちらなのかわからなくなってしまった。
照明にダチョウの卵が使われてるのがファーティフ・モスクらしい。
墓地らしきところの横を通って行ったが、この墓地の墓標も綺麗な造形のものがあった。





墓地のような所を通過。








ああ雲が。









扉一つにも彫刻装飾がみっしり。



何を見てもどれを見てもただただその美に唖然。
美の価値基準に「抑制の美」と言うものは存在しないし、ありったけの美貌を惜しみなく曝け出すのはもう快い以上のものがある。ただもう素晴らしさに仰天。







何やら笑って出迎えられたような気がする。









内部を荘厳する照明器具、これが実はダチョウの卵を転用したものらしい。



視界いっぱいに美がある。

ステンドグラスを少々












イスラーム文化の美意識の高さにおののく。










絨毯も可愛くて綺麗。





段々と意味が分からなくなってくる。

美の氾濫










終いに眩暈がした。
笑うクマに見えた
疲れてるのだろうな…



中庭

大理石が惜しみなく…あまりに平然と使われているのもすごかった。





スレイマニエ・モスク

ボスポラス海峡からも見えてたのはこのモスク。

続く

イスタンブールへ飛んでゆこう 9

2024-04-22 01:29:14 | 旅行
ああ、一か月に一本ずつしかイスタンブールの旅行記が挙げられないとはなあ。
すみませんすみません。いや、自分の記憶と記録の為だけなら「これでいいのだ」とバカボンのパパ的発言をするが、それでもこんな辺境の、アジアの片隅でちまちま挙げるブログを楽しみにして下さる方もおいでらしいので、やっぱり謝っておこう。そう、わたしは挨拶一本で世渡りする女…

というわけで前回はドルマバフチェ宮殿の巨大で豪華なのに圧倒された話でしたが、今回はそこから脱出した後のことです。

わたしはイスタンブールに行くのなら
・アヤソフィア(ハギア・ソフィア)寺院
・ボスポラス海峡クルージング
・サバサンド
この三つは絶対にと思っていたのだが、いずれもこの日までに味わうことがかなった。
ガラタ橋に出ているサバサンドの店へ案内してもらったのだ。


美味しいわ

気の毒に二人ばかりがサバに当たりやすいそうでハンバーガーにされたが、わたしはほんまにラッキーですわ。
いやー美味しかった。
そもそもサバサンドなるものを知ったのは青池保子「エロイカより愛をこめて」からなのよね。
どけちのジェイムズ君が珍しく自腹切っておいしそうにサバサンド食べてるのを見てそそられたのだよなあ。
わたしはマンガに出てくるのを見て食べたくなる人なのよ。あんばたパンやアルフォートが好きになったのは「塀の中」から。
フランスパンに焼き鯖と玉ねぎとレタスにレモンとをいうのが定番なんだが、ここで食べたというのがやっぱり嬉しいね。90tlでしたわ。
今現在どないしょうもない円安やけど、まあ500円以下でこんな美味しいものを食べれるわけですよ。
トルコは美味しい食べ物が総じて安かった。ありがたい。

さて13時半いよいよボスポラス海峡クルージング。これも似たような値段のに乗れた。100tl
この海峡クルージングも「エロイカより愛をこめて」で知ったのね。
「第七の封印」ラストで少佐が「こぐまのミーシャ」を狙ってバズーカ砲を撃つのがこのボスポラス海峡なんだけど、砲撃は成功したもののミーシャは既に離脱してソ連へ帰還。
少佐はその直前の大けがで数ヶ月入院とリハビリを余儀なくされるし、必死で守ったブラックボックスもそれ自体が壊れる設計を為されていたというオチもあり、ミーシャはソ連で叙勲されるがあのブラックボックスはやがてソ連で大混乱を招くだろうという恐ろしい予想もあるという話。
今調べたら1984年から85年の連載だった。うわーとんでもねえな。リアタイで読んでいた時はこちらもまだ学生で社会人ではないしコンピューターのことも全くわかっていなかったのよな。
途中から授業でCobolとBasicを始めたが、それでもブラックボックスの本当の怖さをわかっていなかった。
それどころかこの84-85年の時点ではソ連崩壊は全く見えなかった。レーガン大統領とチェルネンコ書記長の時代かー。
因みにサバサンドは2002-04年の「ビザンチン迷路」でだったかな。
わたしも中学生の頃からだからファン歴は長いぞー


暑いのでカバーの下に隠れる。いろんな国からの観光客で船はごった返し。
最初は二階の甲板にいたが途中で降りて船の先端に近いところに移る。
いやー気持ちええわ。








かもめが飛んできた。
北海道へ羊蹄丸で行った時もかもめが来たな。あの時も舳にいた。はっはっはっ


両岸の建物を眺めるのも一興。
旧市街地と新市街地とを隔てる海峡。リゾート地と一般の地と。


モスクもよく見える。








これはドルマバフチェ宮殿ですな。
全景は海からしか見えんそうな。


新しいビルも見える。





ああかもめたちよ。




ちょっとばかり「白鯨」や「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」を思い出した。


ヨーロッパとアジアよ。











実に気持ちいい。爽快。



橋が見えてきた。






間もなくターン。




巨大な旗が見える。
チョットばかり昔の朝日放送を思い出したよ…







昔の砲台だか見張りの砦だか。




かっこいいねえ。

さあ戻れ戻れ








ああ楽しかった。

下船後はエジプシャン・バザールへ。
こちらの方がわたしはまだ買えるものがあったな。大量のキャンデーやいちじくの半生を買い、真空パックにしてもらった。味見した半生タイプのフルーツはいずれも美味しかったね。

バザールの中に面白い建物があった。



いい階段。1664年に完成した市場。
キャンデーを売ってたのは坊や。夏休みにはお店の仕事を手伝う子供が多いのもトルコの特徴らしい。

暑かったので出口のストアで飲み物など購入。これも安い。
この日もまたお惣菜のお店で購入したおかずと桃とわたし以外は皆ビールで酒盛りの女山賊の宴でありました。

イスタンブールへ飛んでゆこう 8

2024-03-17 17:15:45 | 旅行
朝になりましてやっぱりおいしく上の階で朝食をばいただきました。
天井を見上げる。


バスから見えるもの






ああ海が見える。


古い石畳の町なので歩くだけでも楽しい。
素敵な柵がある。

ビルの隙間にもいい町が広がる。


石畳に猫の足

今日はドルマバフチェ宮殿へ。

これは時計塔

1856年完成。西洋風の建物と庭園。1922年までオスマン帝国の宮殿だった。
近代のトルコ共和国もここを引き続き使った。
初代大統領アタチュルクがここの住人となったのだ。



広い。とても広い。





可愛い花壇がある。

池に映る建物







これだけでも素晴らしいなあ。


中へ入ると撮影は禁止です。



内部についてはこちらへ

あまりに巨大すぎて自分がどこを歩いたのかわからなくなった。
素晴らしい内装。宮殿の全長は600mだそうで、全部を歩くわけではないにしろあまりに大きすぎて方向音痴のわたしはどこをどう歩いたか一切脳内再現できない。
シャンデリアも素晴らしかった。説明によるとフランス製かイギリス製なのだが、これまたあまりに豪壮過ぎて目がチカチカした。大理石の素晴らしさにおいては況んや(いわんをや)。
古語が出るほどびっくりしてるわけですわな。

実際これまで見てきたトプカプ宮殿などよりずーーーっと警備が厳しく、やっぱり迎賓館なんだなあ。
ただ、この暑いのに冷房装置はないのか作動していないのか知らないが、本当に暑かったので、冬も寒いかもしれない。

出て中庭を往く。
外観は撮影可能なのでパチパチ。





いい具合の文様。

ああ猫がいる。






中庭の林は少しばかりアジア風






百合が咲いている。






ショップには宮殿を描いたマークが。


宮殿側から海を見る。




この宮殿はボスポラス海峡からなら全景(といっても全貌ではなく片側だが)みることが出来るそうな。