郵便局めぐり

郵便局めぐりの記録と雑多な記事

2011-03-11~13 岩手県九戸村、久慈市、野田村、洋野町

2011-03-13 | 郵便局めぐり記
毎日JR東日本線を利用して通勤していますが、ふとびゅうプラザのチラシ置き場に「東北新幹線 新青森開業スペシャル 青森日帰り」なるチラシを発見(どこかで書いたような文章・・・)。最安で日帰り13000円という非常に破格のプランです。なにせ東京~青森間は片道だけでも16000円以上しますから。
但し2名以上での申し込みが必要とのこと、数名にお誘いをかけI氏と二人で行くことにしました。

ただ、お互い青森市内はほぼ行き尽くしていることから青森へ行くのは単に乗り鉄の為とし、お互いの未訪局を精査した結果岩手県久慈周辺が手つかずであったことから以下のような行程で巡ることにしました。

東京=二戸(乗車票は前途放棄)~駅レンタカー~八戸(きっぷ購入)=新青森=東京

駅レンタカーは岩手県の二戸で借り受け、青森県の八戸で返車となりますが、50km未満は県外でも乗り捨て料金はかからずお得です。

訪問地図

訪問局数…23局
(今回、画像ファイル名は撮影日時となっています。ご参考までに。)

訪問局
83205○江刺家郵便局(岩手県九戸村)

はやて11号を降り、レンタカーを借りました。二戸市街の局は2010-06-07の訪問で行っていますので、一山越えて九戸村のこの局からスタートすることにしました。道路には雪も残っておらず快調です。


83055○伊保内郵便局( 〃 )

そのまま国道340号線を南下しました。村役場最寄り局です。


83232○戸田郵便局( 〃 )

この局で九戸村を完訪。次の荷軽部簡易局へはもう少し南下し、県道272号線で行くのが近道ですが冬季閉鎖道路とのことで少し遠回りですが、戻って県道5号線から行くことにしました。


83753・荷軽部簡易郵便局(岩手県久慈市)

旧山形村に入りました。工務店併設の簡易局です。

83152○陸中山形郵便局( 〃 )

旧山形村の中心。久慈市支所はもちろんのこと近くには道の駅があります。


83754・戸呂町簡易郵便局( 〃 )

商店併設。カーナビの地図が誤っており、少し探してしまいました。局会社の地図の位置は正当です。

83115・大川目郵便局( 〃 )

山を下りて久慈の市街地に入ってきました。しかし、局の目の前にかかる橋が工事で自動車通行止め、国道の橋まで迂回を余儀なくされました・・・

83251・小久慈郵便局( 〃 )

局名標がかわいらしいです。

83828・幸町簡易郵便局( 〃 )

簡易局専業。

83050○宇部郵便局( 〃 )

久慈の市街地には入らず国道45号線を南下します。集配センター併設。

83096○野田郵便局(岩手県野田村)

こちらも集配センター併設。如何にも漁村の集特という感じで利用客もけっこういました。

83819・久喜簡易郵便局(岩手県久慈市)

ここからは海に沿って北上します。この旅で初めて海を見ました。
地図では海岸から直線で500m位のところにあるので、てっきり海岸沿いにあるのかと思っていましたが、実際にはかなりの急坂の上にある集落にあり、ざっと標高50mはありそう。よくよく考えてみれば海岸沿いには船や漁師小屋のようなものはありますが民家がありません。車中では「漁師達は毎日この坂を毎日"通勤"してるんですね」なんて会話をしました。

83730・小袖簡易郵便局×( 〃 )

如何にも三陸海岸的なリアス式海岸の入り江沿いの道は結構なアップダウンがあります。所々津波の警告看板があり「ここより下は津波到達水位」などと書かれた看板を過ぎたと思えば坂を登ると「地震発生時はここより上に避難せよ」の看板が繰り返します。
この簡易局は漁協簡易で、海のすぐそばにあります。近くには「北限の海女」で有名な「小袖海女センター」があり、最初こちらが局だと勘違いしてしまいました(比較的新しい建物)。貯金非扱ですので、はがきを購入し、消印押印。局員氏によれば「かわいすぎる海女」は昨年お辞めになったとのこと。


83721・玉の脇簡易郵便局( 〃 )

小袖海岸沿いに進み、掘込み港の久慈港に入ったあたりにあります。商店併設。


83313・久慈長内郵便局( 〃 )

久慈市街の局でだいぶ混雑。

83012☆久慈郵便局( 〃 )

本局ですが、結構手狭な所にあります。商工会館の駐車場から撮りました。

83085・久慈湊郵便局( 〃 )

久慈川の河口付近にあります。国道沿いですが、メインルートは山側のバイパスになります。

83746・夏井簡易郵便局( 〃 )

八戸線に陸中夏井駅がありますが、局自体は5kmほど少し内陸に入ったところにあります。商店(酒屋なつい・・・そのまんま)併設。

83072・侍浜郵便局( 〃 )

国道45号に戻ります。このあたりは海岸線沿いではなく内陸の小高い丘陵地帯を走ります。もっとも港町を除けば得てして海沿いはリアス式海岸特有の切り立った崖になっているので必然ではあるのですが。そこそこアップダウンがあり(登坂車線もある)軽自動車のエンジンがうなります。

83178・陸中中野郵便局(岩手県洋野町)

旧道沿い。この先は国道が整備されており、局は殆ど旧道沿いにあります。

83768・有家簡易郵便局( 〃 )


83184・八木郵便局( 〃 )

湾の中央にあり、局前は八戸線の線路と海が広がります。線路には真新しい信号機があり、腕木式信号機が廃止になり最近新設された物だろうとのこと。局内ではよみうりテレビの「ミヤネ屋」を流しており、名古屋で立てこもり事件があると報じていました。同行のI氏はそちら方面にお勤めですから気になります。

83742・宿戸簡易郵便局( 〃 )



局の斜め前にある宿戸小学校には八戸線で用いられていた腕木式信号機が展示されていました。


旧道沿いの局を出て国道45号線に戻ろうとすると、携帯が異常なまでに震動します。運転中ではありましたが見てみると「緊急地震速報」との表示。カーラジオを付けましたが、アンテナを立てていなかったので受信出来ません。とりあえず気にせず次の種市局まで車を進めます。

種市局までは8kmほどありますが、その間民家は殆ど無く、むしろ今まで局が結構密集しすぎていた感もあります。国道を右に逸れ、種市の市街に着いたら多くの人が道ばたに出ています。そして局や信号は電気が消えていました。これでは貯金もままならずもうオフライン扱いもやらないでしょう。ひとまず局で状況を聞こう、と思いましたがここで防災無線がながれました。

「ただいま大津波警報が発令されました。速やかに高台に避難して下さい」

津波警報や津波注意報という言葉は聞いたことありましたが、大津波警報という言葉は聞いたことがありませんでした。そしてそのとき久喜簡易局のある集落の不自然な立地、道にあった津波警告の看板の多さが頭に浮かんできました。

「この低地に津波が来ないはずがない」と直感し、そこで信号の消えた交差点を左折、海とは垂直に車を走らせました。国道の交差点もやはり信号が消えており、右折待ちの車が2台いました。右折、つまり国道を北上するということは海沿いに進むわけですからそんな選択肢は有り得ません。思いっきりクラクションを鳴らし、国道を渡って山の方へアクセルをキックダウンしました。


種市の市街地から内陸へ行く県道20号線には途中、城内局があります。海岸線から7km以上離れていて、標高もそれなりにあるでしょうから、この局を目指すことにしました。

城内局(参考訪問)

局は停電していて、局員に寄れば地震の状況は全く分からないとのことでした。携帯電話は通じず、局前の公衆電話から自宅にかけようとしましたが、やはり通じませんでした。

陸中田代局(参考訪問)

ラジオでは宮城の海岸を中心に相当の被害が出ていると言っています。ここからはだいぶ遠いですが、崖崩れの可能性も否めないことから慎重に走らせます。ここの局でもやはり城内局と同じ状況でした。最終的に地震の影響は停電くらいで道路や建物の崩落はみられませんでした。


その後八戸市内に入り、何とか駅までたどり着きました。
このままレンタカーで東京まで行こうとも考えましたが、ガソリンスタンドが軒並み店を閉めていること、また、宮城の状況が分からず仮にそこを通らないことを考えると山形~米沢~会津と抜けて帰ることになり、そんなに運転できる余力は無いことから断念し、レンタカーを返却することにしました。

その後、八戸駅は避難指示対象となり、近くの八戸市立三条小学校に避難することになりました。
この時点では翌日になれば新幹線が動くのでは?との期待をしていた気もします。


閉鎖された八戸駅



駅から20分近く歩いたでしょうか?小学校です。


この日は運転疲れもあり、早くも睡魔が訪れました。体育館にいましたが、器械体操用のマットを拝借し、配布された毛布にくるまって朝まで熟睡しました。


翌日。
ラジオから東北新幹線の復旧の見込みは立たないというニュースが流れました。相変わらず電気は来てませんでしたが、公衆電話は並べば繋がる状態になり、実家に三沢空港→羽田空港の便を手配するよう依頼しました。

この日は九州新幹線の全線開業日ということで鹿児島から青森まで新幹線ネットワークが形成されるはずでしたが、その前日に東北新幹線が壊滅的な被害を受けたのは皮肉な感じです。

結局、飛行機は翌13日の初便が手配出来、もう一晩この小学校にご厄介になることにしました。

昼になり、落ち着いたので近隣を歩くことにしましたが、昨日20分かけて歩いた小学校は八戸駅西口から3分程度の位置にあることがわかりました。駅では駅間抑止となった新幹線から乗客を救出するためのバスが集結していました。


小学校の隣の理髪店。地震の時刻で時を止めています。
時計が故障したのではなく、停電によるものと思われます。


腕木式信号機はこの小学校にもありました(笑)


そのまた翌日。
朝5:00ごろ、停電が復旧しました。そのとき私は手伝いで学校の職員室におりました。
急いで体育館に行くとこちらも復旧。ちなみにこの体育館の時計も14:46で止まっておりました。
2日ぶりにテレビを見ましたが、ちょうど津波で壊滅的被害を受けた南三陸町の様子を流しており、今回の震災の凄まじさを初めて映像で知りました。


ひとまず安堵の様子です。


その後JRの職員が小学校に来訪し、酒田まで列車代行バスを出すとのこと。その先は「いなほ」と「とき」を乗り継いで東京に行くわけですが、東京到着は22:00とのことで、やはり飛行機で帰ることに。

この小学校の周辺はあまり被害は大きくなく、小学校にいたのは旅行者ばかりでしたからこの避難所は閉鎖することになりました。みんなで片付けです。




代行バスで帰る方達を見送ったあと、手配したタクシーで三沢空港に向かいます。
小学校で知り合った方で、バスで帰らず三沢空港まで行かれる方がいらっしゃいましたのでご一緒することにしました。タクシー代を精算しようとしたところ
「会社の経費で出ますので私が出します」
とのこと、本当にありがたい限りです。


空港はキャンセル待ちの人が多くいました。
こちらはまだ停電しており、非常用電源で営業していました。


東京からの便が無事到着しました。


離陸前。どうやら某国人旅行客が手違いで遅れるらしく、待ってからの離陸となりました(あんなにキャンセル待ちの人がいるのに!代わりに乗せてあげたい)
その間、機長から使用許可放送が出たので、離陸前の写真を撮ってみました。


途中悲鳴に似た声が聞こえたので何だ?と見てみると被災した仙台市上空で視界が開けた模様。私も行ってみると、水没した仙台空港が見えました。


阿武隈川河口付近。このあたりも津波で壊滅的な被害が出ました。


この先は雲がかかり、福島第一原発などは見えませんでした。見なくて良かった気もします。


飛行機はその後筑波山上空から車一台通っていない常磐自動車道の上を通り、炎上する市原市のコスモ石油千葉製油所のすぐそばを飛行して羽田空港D滑走路に無事着陸しました。


上野駅にて東北新幹線の発車標を。


とんだ日帰り旅行になってしまいましたが、事実今回の地震では大変な被害が出てしまいました。それに比べると私など被害者とはいえ被害者のうちに入らないと思うような事態です。
犠牲となった方のご冥福をお祈りすると共に、被害に遭われた地域が一日も早く復旧されることを心よりお祈り申し上げます。

この日のことをまとめるのはいささか不謹慎な気もしてならないのですが、今後とも多く旅行を続けていく中でまた今回のような災害に遭わないとは限りません。
日常生活含めいつ災害に遭うか分からない中でどう心構えをし、どう対処すべきであるのか考え得ることは多くあると思います。敢えてこの日の出来事を掲載し、何か考えていただければ幸いですし、ご感想や建設的なご意見を頂戴できれば今後の糧になると思っております。