ちむわさわさぁ

心躍ること

藤沢周平 について

2009-05-31 | Book Movie Disk
ある程度長く、日本文学の大好きな作家が4人居て、その中の一番読んでいる一人が
藤沢周平、である。

本棚を暴露するというのは、恥ずかしがるわりに実はいろんな人に見せたい、というような
妙な感じがあって
音楽が好きな人がレコードやCDをこんなん買ったんす、といって日記に書くのと同じで
ひけらかすと腹の中まで見透かされるドキドキした緊張があったり
こんなとこまで手を広げてんだぜといった自慢、めいた満足感があったり
あとは書いたところで所詮は持ち主の感じた"感想文"など面白くもなんとも
面目ない稚拙さが現われるだけなので苦手なんだけどね

前触れなく今突然勝手に、藤沢周平文学の盛り上がりが今までで最高潮

出会いは、高校の現国試験で一部が問題として出題されていた時
試験の点数はともかくとして、その文章におおいに感動
試験後、先生にあれはなんだと食いつくと「玄鳥」という作品だった、というのが
そもそもの始まりである。
二百石の徒町頭の末娘が四十石の普請組勤めのやもめに嫁いだ、とか
むじな屋の柱行燈は、油がわるいうえに紙が煤けていて灯が暗い、とか
それがし、とかそこもと、とか

日本人の風景描写が何の但し書きもなく尋常に始まって終わる。
今はないその生活風習、習慣・言葉遣い・心持ちなんかが
物語のベースにある種の『ルール』としてあって、
始めは取扱説明書が必要なんじゃねーのか、と思うほどの現代とのギャップ。
名前も凄い。
松平三郎四郎平治(これで一人)
小関千満太(未だに読み方がわからん)の父が小関十太夫(こいつも正確な読みがあやうい)
氏家孫六(爺様だけど孫、少年隊みたいなもんか)
ほか続々。

海坂藩、江戸市井、を舞台に
この人物が、まるで今そこで暮らし、時代を超えて今に通づる『心』を描写するという
物語の美しさが作品の醍醐味で
だから藤沢周平は、本屋の「時代小説」棚には並んでいないのだよ
司馬遼太郎とか池波正太郎とは、違うの。

生涯に長短あわせて369、単行本で69(たーさんの部屋藤沢周平データベース(HP)より)ともいわれる作品
途中読み直したり、以前買った本を忘れてまた買っちゃったり
忘れちゃったり、他の作家に惹かれたり右往左往で
全てを読破するのを目標に、だらだらと読み続けて数年
あと5作品ほどで読破。

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