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“向き合うこと”と“受け入れる”ということ

2010-12-02 21:30:33 | 日常と茶飯事(笑)
愛を与えてばかりなのも、
待ってばかりなのも、
受け取ってばかりなのでも、何も生まれない。
お互いに与え合う、そうあることが愛であり、
理想の容(かたち)であると思う。
相手を受け入れることが出来て初めて始まる気がする。
見返りを求めているのは、愛ではない。
例えそれが友情という愛であっても。

私にとっては大きな存在
なんとなくは解っていたものの、
その人にとっての大きな存在は私ではないと気づかされたとき

そして、その人にとっての大きな存在を知ったとき

その事を知って傷つく一方で、
これ以上関わると
私にとっての大切な存在であるその人を傷つけてしまいそうで、怖い

その人の大きな存在が私ではないと私が気づいてるということを伝えて、
早くその人を楽にしてあげればよかった。
たぶん私の想いが大き過ぎて、苦しかったんだと思う。
白黒はっきり言うことで、私を傷つけると思っていたんじゃないかな。

だから、もう会えないかもしれないねって伝えたけど、
逃げてるわけでも距離をおこうとしてるわけではなくて、

その人と連絡するのを止めました。私から送るのを。

“大切だから、傷つけたくない。”
けどこれって、思いやりや優しさなのかな。
疑問に感じてるの、今までずっとそう信じてきた、人との接し方に。
大切な存在であればこそなら、傷つけるかもしれないけど、
本音でぶち当たったほうがいいのかもしれないね。

今まで相手のことばかりを考えて、行動して、
自分の傷ついた気持ちをないがしろにしてきたように思います。

だから、ちょっとずつ出せるようになろうと思います。
 
私がそうなるには時間が必要。

私がそのようになれたら、遠慮ない関係を目指したい。
その子を受け入れられるようにしたい。
こうゆう願いは、特定個人に向けてではなく、まず、皆に対してそうでありたい。

もうそんなに若くないし、もう会えないかもしれないね
と私からいった以上
手遅れかもしれないけど。
その言葉は軽い気持ちで言ったのではなくて、
真剣に向き合おうとしてる段階なので、今はその言葉が一番相応しかった。
ひとつの節目、ケジメでもあるので。


私は親しき仲にも礼儀あり。と思い、

配慮や気をつかう性格。
それは悪くはないかもしれないけど、よくもない。
結局は、相手にも気を遣わせるんだよ。
前から思ってたけど。

遠慮のない関係こそが、本当に親しき仲にも礼儀ありなのかもしれない。
国語的には違うかもしれないけど。

流した涙

落ちるとこまで落ちたので
わたしは前を向けそうです
一歩ずつですが