
伊達政宗の嫡孫・光宗の菩提寺です。
光宗君は江戸城内に於いて19歳の若さで卒し、
その死因に関して毒殺説と病死説が伝えられている。
霊屋は光宗君の死を悼んだ2代藩主忠宗公によって建立されたもので、
厨子の中には白馬に跨る衣冠束帯の光宗君の像と殉死された7人の像が祀られている。
壮麗な厨子の図案は支倉六衛門常長が西洋より持ち帰った洋々な文化を
模様として描き、
当時鎖国制度を施行していた徳川幕府に対しては、伊達家の霊廟と申し立て、
その扉は開ける事はなかったと言われる。
その為3世紀半もの間公開されず現代に至った「三慧殿」
「三慧殿」の厨子には水仙や洋バラ、アカンサス、トランプ模様等、
西洋と日本の具体的なつながりを示す貴重な物が多い。(パンフレットより)

名物?ガイドさんが境内を案内してくれました。
大変分かり易い解説・案内です。
このお寺の建てられた根源を漂える事が出来たのも
このガイドさんのおかげです。
ありがとうございました。

記念写真まで撮っていただきました。
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