yoyo独り言

日常の思いつくままを、
心の整理場所として・・

セネガル便り-593-

2014年07月11日 | セネガル便り
セネガル便り、No577~578 届きました。
写真の野菜売り場、(是非その切っ掛けを・・・)
要望に応えます。
この話には、その流れが有り、それも又長くなりますので
今回は、「私が、この村に滞在する切っ掛けについて」 少し説明致します。
え~~とここは2001年~2002年頃まではセネガルの田舎によく有る道路沿いに
4~5人のおばちゃん達が地面に野菜を並べ、
細々と売っていた場所です。
そしてこの場所もカイヤール以上、その3倍のゴミの山(表現として)でした。
地面の土地が見えなかった程です。
カイヤールの次は 「よし! ここだな」 と寄せばいいのに
調子に乗って。 と独り言。
でもその頃の私は勢いも有ったし、性格(性分)に導かれたのかもしれません。
この場所を選んだ理由として
例の講演会(ダカール) でも質問を受けましたが
上手く応えれませんでした。
だってより酷い所を見たら挑まずにはいられなかったし、
そこに理由など有りません。
若気の至りなんて答えても、
相手の人納得してくれないでしょうから・・・
で、何でしたっけ・・・
あぁ 野菜売り場ね。
で、この村の人達、そのゴミ、衛生面での関心が全く有りませんでした。
まぁそうだろうな、だから平気なんだ、この無反応、無関心。
それが一番厳しいぞ、と。
それで先ず、私の行動としては当時の村長に相談し、
又各家庭を訪問し、顔を目的を覚えてもらおう、
そして 「不衛生イコール病気になるぞ」 と問いかけました。
これは随分長くやったと思います。
それと横行しまして、例の友人から届いた薬箱、
その後診療所になる切っ掛けになったのですが、
畑で働く人の人々の足の傷、
化膿が非常に多かった。
そこに気づき個人的に治療を始めました。
治療と言うと問題有りそうなので手当てですね。
そういった事は、決して意図的なものでは有りませんし
狙った訳でも有りません。
が、今思えば、私に協力してくれた多くは、
その手当を受けた村の人々に他ならないと思っています。
そうこうしているうちに
例の私の脳性マラリアにて 一時帰国。
その半年後、再び村に戻ってみると、
「あれ!以前よりきちんと掃除してある」 頼んでもいないのに。
※村の人達、私が病気で一時帰国している間、
私の意志を引き継いでいてくれたのである。
エンドーが必ず戻ると信じて・・・(本当かな?)