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今日も思いつくまま

毎日の生活の中で感じたあれやこれや…
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「上村松園展」から学んだこと

2010年09月19日 20時49分09秒 | 映画・舞台・展覧会・読書・音楽など
竹橋の国立東京近代美術館でやっている「上村松園展」に行ってきました。

上村松園といえば「序の舞」が圧倒的に有名ですが、今回は途中で展示替えがあるそうで、今日行った前期では、この作品は見れませんでした。
でも、約100点もの作品がそろって見れるのは初めてとのことで、かなり注目されている美術展のようです。
すでに行ったという人に聞くと、平日でもけっこう混んでいたとのことで、連休の今日は、朝一番にも関わらず、チケット売り場も長蛇の列。
もしかして、日本で一番人気のある女流画家かもしれませんね。

日本画だけの美術展は、初めてだったので、いつもの洋画中心の展示会とは、趣がだいぶ違います。
そしてその鑑賞の中から、僭越ながら、しょぼい絵を描くものとして、いろいろ気がついたというか、学べたことがたくさんありました。

第一は、日本画は陰影をあまり意識しないということ。
もちろん微妙な色の違いはありますが、影をつけるというよりは、濃淡であらわすという感じでしょうか。さらに絹とか和紙に顔料や墨で描くせいか、洋画に比べるとホントに色がピュアな感じがするんですかねえ。

第二は、着物などの部分については、思ったよりも描線が太く力強かったこと。
まあ、太いってことで、広い意味の陰影(厚み)を描いているのかもしれませんが、このあたりは、CGのお絵描きでも参考になりそうです。

第三は、装丁との関連。
掛け軸や屏風などで装丁された世界の中に息づく美人たち。
上村松園の絵には、その中にあまり背景が細かく書き込まれてない分、余計に装丁で使われる布の色や模様などが、絵とどうマッチングしているのかも興味を引きます。
きっと、作者と念入りに打ち合わせしながら生地とか決めたものも多いのだろうなあなんてことを感じながら見ておりました。
この部分は、やはりCGでテキスチャを使う時の参考になりそうです。

もちろん、学術的にはもっと違う視点で上村松園の世界を鑑賞しなければならないのでしょうが、基本的に美術鑑賞は、見ているものの直観こそが意味があると思っているので、描いただけでも3つもいつもの美術展とは違う発見があったことは、とても意義のある鑑賞だったなあと思います。

手元にある「デジ絵」のテキストには、PCで描く日本画というのもあるので、そのうち「日本画もどき」CGでも描いてみますかねえ(笑)

ミュージカル「エリザベート」+妄想CG

2010年09月05日 19時47分58秒 | 映画・舞台・展覧会・読書・音楽など
宝塚でもおなじみの舞台。今回は「東宝」の舞台を見てきました。(9/4 @帝国劇場)
今まで外国産のミュージカルというと、ロンドンやニューヨークといったところのが多かったようですが、こちらはウイーンから。なのでもとはドイツ語で作られたもののようです。

ストーリーや社会背景(歴史)などの事前知識はほぼ皆無の状態(エリザベートが欧州一の美貌の妃ってことぐらいしか知らなかった)で、ただなんとなく妖しげな「黄泉の帝王・トート」の雰囲気にひかれまして(ホントにそれが引き金(笑))チケット発売されて、翌日にネットで予約したのですが、それでも2階席しかとれないという。人気の演目なんですね。

観てきてから改めてウィキで調べたところ、エリザベートって、ご多分にもれず、欧州の皇室特有のスキャンダルの真ん中にいた人だったようで。パパラッチというか、マスコミも皇室ネタを喜んで追いかけていたという文化もあるんでしょうが、思わずダイアナ妃の悲劇を思い出してしまいます。
美人の妃って、やっぱり常に衆目のあこがれの的ですもんね。(後妻に入ったおばさんは、やはりあまり話題にならないみたいだし(爆))
さらに姑:皇太后との軋轢があったり子育てで問題があったりと、まあ、ホントに女性誌話題は尽きないようで。

そのせいかどうか、常に「死へのあこがれ」?を持っていたそうで、「禁断の冥界の帝王との恋」というこのミュージカルのテーマがつくられたようです。
夫(フランツヨーゼフ1世)も息子(ルドルフ皇太子)を放置して、ヨーロッパ中を旅行し、最後はスイスで暗殺されるという、やはりダイアナ妃と重なりますねえ。

どこまでが史実でどこからが創作なのか、この辺りの近代史(19世紀末)の欧州史があまり詳しくないのでよくわかりませんが、ハプスブルグ家~神聖ローマ帝国~オーストリア・ハンガリー帝国…ハンガリーが出てくることで民族問題とかがきな臭くなるのは想像できます。ドラマの中でも、ハンガリー独立やドイツの民族主義の台頭(ナチスも出てきた…;)などなど、近代史のポイントになる事件がいろいろ詰まっていて、最近近代がツボなワタシとしては、とても興味深いです。
(オーストリアとかハンガリーとか出てきたら、なぜか「ヘタリア」が浮かんできた(笑))
また舞台がウイーンってことで、たぶん、このころがウインナワルツ全盛期だったんでしょうね。そういう音楽は流れなかったけど。

…ということで、時代背景や人物は置いといて、舞台の感想。
エリザベートや皇太后など、女性は宝塚OGで固めてました。たぶんみんな元は男役だった人だと思うけど。
そのせいか、フランツ皇帝やトートと並んでも同じくらい背が高ったりすると、ちょびっと興ざめ。でも
もともとエリザベートって人は背が高く(170センチ以上あったらしい)まあ、その意味では史実なんでしょうが(笑)
もう一人の主役:黄泉の帝王トート(ドイツ語で「死」を意味するTodらしい)は劇団四季のOBが中心にトリプルキャストで組んでいました。主役級もそうだけど、ソロで歌う人は皆うまい。特に感動したのはルドルフ皇太子の子役だった男の子。これがすご~~く上手い。最後のカーテンコールでも大喝さいでした。
やっぱ、ミュージカルはいいですね~♪
まあ、初めて見た舞台だったので、音楽も初めてで、聞き慣れなかった分、どうしても「オペラ座の怪人」とかと比較すると印象は薄いのですが…。

でまあ、もともと「トート」の雰囲気で見たい!と思って行った舞台なので、最初から最後まで、やはりずっと冥王を追いかけてしまいましたよ~(笑)
私が見に行った回は、石丸幹二さん。
いや~、この方、声量がすごい。アンプがビンビン行ってました(もうちょと下げてもいいような;)。
それと、声が…いわゆる声優萌えに近い感覚に襲われてしまいました。
とっても甘くて素敵!
それがトート役でしょ。もう~~、脳内は妄想一色ですね。
ということで、こんなイラストを描いてみたりして。



まあ、実際は白い髪なんですが、毎度おなじみのキャラの、ダークな部分をトートに重ねて描いてみました。
(黒サガ~双子座サガの二重人格の一人)
「聖闘士星矢」では冥王ハーデス編(まさに冥界の王だからハーデス様がトートだともいえる)で、先に亡くなった黄金聖闘士たちが蘇って聖域にやってくるのですが、考えてみるとこれが異様に重なるのです。
トートの周りには、常に部下が10人ぐらいいるのですが、これがまた皆、長髪美形の若い男たち。
人が亡くなる時には、トートの指示により彼らが連れ去っていくという、まあ死神たちなんでしょうが、まるで蘇り組が冥衣(黒衣)を着て戻ってきた時のよう。
で、思わずこの風景は「シオン様(トート)と蘇った黄金聖闘士たち(慟哭組)」の集団に見えちゃいまして(笑)
エリザベートの息子ルドルフ皇太子が自殺するときにも、トートが絡んできますが、最後にはトートの口づけを受けるというシーンまでありまして、「うおおお~、いいの、こんな舞台の真中で…(腐れる~)」でした(笑)
なんか、二倍も三倍も楽しんでしまったような(^^*

ストーリー的には、一番最後のエリザベートが暗殺されるとき、トートの腕に抱かれて…というのは、まあいいんですが、なんかすごく展開を急いでいたみたいな印象がちょっとあったかなあ。
お互いに微妙な確執とかあったのだろうから、もうちょっと「死」について考えるような余韻がほしかったような気がしました。

いずれにしても、トリプルキャストだったので、3人のトートを見比べ・聞き比べしたい衝動に駆られました。


新しい美術館(追記あり)

2010年09月02日 16時32分58秒 | 映画・舞台・展覧会・読書・音楽など
と言うことで、丸ビルの二つ隣。「三菱一号館美術館」に行ってきました。
今朝、新聞切っていて、偶然見つけた美術展の記事で、ちょっと面白そうだと思ったので来てみたのですが、この美術館、最近開館したようです。

最近の幕末・明治維新・岩崎弥太郎ブームでオープンしたのかと思ったけど、元々、二代目の人は丸の内に美術館を作りたいという構想があったそうで、有名な建築家コンドルによる設計図までできていたそうな。
今回の展示会は、開館記念の第二弾として、三菱財閥などが収蔵していた絵画、書、焼物から、日本商船、キリンビールなどの関連会社のレトロなポスターや、東洋文庫などの関連財団の収蔵していた古今東西の書籍や地図など、ありとあらゆるジャンルの美術品や歴史的価値のあるもの一堂に展示してあって、飽きません。

三菱が夢見た美術館~岩崎家と三菱ゆかりのコレクション
http://mimt.jp/

ワタシ的に「ほほ~う」と思ったのは、明治~大正期の有名な画家(黒田清輝・岸田劉生など)の絵(有名な「麗子像」の別バージョンは興味深かった)と、日本郵船やキリンビールの昔のポスター、東洋文庫が所蔵している書籍(文選から御伽草子、東方見聞録、解体新書、藤原定家の百人一首(文字が素晴らしく上手い)さらに古いコーランとかなどもあって、このあたりは興味深かったです。
他にもさりげなく、ミレーとかドガとかルノアールとかモネとかの印象派の絵がさりげなく飾ってあったり、さすが財閥、明治以降に、一気にいろいろ買い集めたのでしょうね。

これだけの美術品が集まってますが、展示室が昔の洋館を利用してるため、細い廊下を何度も通って、次の部屋・次の部屋といった形で巡っていく感じ。
小さなテーマの、ややマニアックな展覧会用に向く美術館なのかもしれません。
でも建物自体が、ちょっとした美術品っぽいので、それを見に行くのもいいかもしれません。
平日のわりには、昔の丸の内をかっぽして企業戦士やOLなどで、予想以上に混雑してました。


建物のある区画には中庭風になっていて、レトロな美術館と現代的なビルが中庭のパスを囲むように建ってますが、ここが真夏日とは思えないほど涼しいのです。
皇居の緑のせいかと思いましたが、見ると、新しいビルの柱にくくりつけた壁面緑化に、最近話題のミストの装置がついていて、この一角には霧のカーテンが何層もかかっていたので、その気化熱で余計に涼しくなっているようです。
この日記をモバイルで打っていた30分間、ベンチに座ってましたが、全然暑さが気にならず平気でした。やはりエアコンより自然の風の方がいいですね。
いろいろ近場でも、新しく発見できるものですね。

韓流時代劇の違和感

2010年09月01日 20時21分23秒 | 映画・舞台・展覧会・読書・音楽など
ウチの家族(男)の間で、なぜか韓流時代劇がブームらしい。
物珍しさでハマったらしいが、ホントに一日中、どこかで放送しているみたい。
昼間も、そして夕飯を食べながらも「チュモン」とかがタイマーでついたりする。

あちらの歴史はよくわからないが、日本の時代劇が戦国と江戸・幕末に偏っているのと同じように、あちらは古代(高句麗とかがある頃)と李氏朝鮮時代が舞台なのが多いらしい。
チラチラとしか見てないのだが、どれみても、みんな同じに見えるな~。

その中で、なんとなく違和感を感じるのが、「王様」という呼称が多いこと。
もちろん歴史ものは権力者が主役なので、王様が何人出てきてもいいのだが、ストレートに家臣が「王様」って呼ぶのには、なんか違和感があるんだけどな~。きっとそのままセリフを翻訳しているのだろうが、日本だったら「陛下」とか「殿」とかで呼びますよね。
慣れのせいとは思うけど、なんか座りが悪いのです。

それから、やたら「王女様」が出てくること。
歴史を動かす表舞台に、うら若き、高貴なお姫様が出てくるってこと自体に、何か「作りもの」っぽさを感じてしまう。
そりゃ、女性が歴史に絡むことは、裏ではいろいろあったかとは思う。
中には政治や権力争いに関心を持った聡明な「王女様」もいたかもしれないが、儒教の国で、そんなに女性の発言権が大きかったのだろうか?

いわゆる後宮とかの世界で、傾城・傾国が王様を狂わして、歴史を作っていくことはあっただろうが、そこに、そこそこ権力ももちそうな「王女様」が出てくるっていうのはね…。

なんか「リボンの騎士」の時代の世界観を、そのままドラマにしているみたいな感じがするのです。

あと、高句麗なんて時代に、あのきらびやかな衣装・豪華な内装といったものがあったんだろうか。
時代考証というのにも、ちょっと疑問があったりするのです。
そんなこと、いちいち考えずに、娯楽と割り切ればいいのでしょうが。

あの人形を思い出しながら

2010年08月27日 20時19分11秒 | 映画・舞台・展覧会・読書・音楽など
人形作家の川本喜八郎さんが亡くなったそうですね。

川本氏といえば、やはり人形劇三国志@NHKでしょうか。印象に強いのは。
私の周りの三国志ファンには、あの人形劇でハマったという人が少なくないのですが、私はリアルタイムでは、あまり真剣には見てませんでした。
ストーリーテラーである漫才コンビの存在と、ドラマのポイントを格調高く?漢文の読み下し文みたいな紹介をするという進め方の合体に、なんか違和感を感じていたのを覚えています。
それを見ながら「なんで、わざわざ難しく語ろうとしているんだろう?」って思いました。子供向けなら、わかりやすさ第一なんじゃないかなあと思ったのですが、大人も対象にした三国志にしたかったんですかね。

その後、ニフティの三国志フォーラムに入って、三国志ファンの友達がわっと増えた頃、渋谷の松涛美術館で、この三国志の人形展があったのでした。
近場で、この人形たちを見る機会はほとんどなかったので、フォーラム内で人形展を見に行くというオフ会まであって、何人かの初めて会う三国志ファンの人たちとワイワイやってきたのは、もう10年以上前になりますかねえ…。

初めて見た人形は、どれも予想以上に大きく、全身像で80センチぐらいあったのかなあ。
特に主役級は顔はもちろんきれいで、孔明は神々しく、チョウセンは美人で、呂布や関羽は見るからに豪傑で、曹操は大政治家ってオーラがビンビン放たれていました。
また、衣装もすごく豪華なんですね。今でいうところのSDにも通じるのかもしれません。

その中で、テレビには別の人形が出ていたけど、あえて川本氏がつくっていたという幻のジュンイク人形が特別公開されるというのが、実はこれを見たさに行ったのでした。

上品で、清廉潔白で、それでいて凛とした政府高官なジュンイク殿。
ちょっと物悲しいような表情をしていたような気もするのですが、これぞ私が抱いていたジュンイクの姿だったのですよ~。超感激しちゃいました。
あの哀愁すら漂った美しいジュンイクは、三国志というドラマの中においても、けしてスーパースターの孔明にも負けないキャラでした。

人形劇は三国志演義準拠だったので、どうしても魏や呉のキャラたちは、悪人ヅラになってましたし、テレビに出ていたジュンイクもその片棒を担いでいたように思いますが、川本氏があの麗しのジュンイク人形を作っておいてくれたというのは、もしかすると川本氏は、演義のような単純な善悪を分けて歴史は語れないと考えていらしたのではないかと勝手に想像しております。

人形といっても、実際に目の当たりにして語りかけると、あちらからも語ってきてくれるというか、魂が宿っていたということなんですね。
当時、日が当らなかったからこそ、特にジュンイク人形にはそれを感じました。
今にしてわかる人形劇の奥深さ。

謹んで、川本氏のご冥福をお祈りいたします。

天正遣欧少年使節!

2010年07月30日 21時37分31秒 | 映画・舞台・展覧会・読書・音楽など
昨日の「シズガタケの七本槍」に続き、戦国アイドルユニット第二弾の動画を見つけましたので、またまた貼り付けてしまおう(笑)



これから、何らかの形でブレイクしたら面白いんだけどな~。
基本的にパロディが好きなワタシ。
要するに、ミーハーなお祭り女なんです~(^^;

ちなみに「七本槍」に続き、今回も千々石ミゲル役で小次郎くん(村井良大くん)が出ています(笑)
「風小次」人脈が、まだ続いているとわねえ…。




戦国のアイドル?

2010年07月29日 22時03分53秒 | 映画・舞台・展覧会・読書・音楽など
「戦国時代・戦国武将」が話題の昨今。
まあ、私自信も去年「戦国ツアー」に参戦してしまったわけですが、どちらかというと、あまり日本の戦国時代には、それほど強く惹かれているわけではないですねえ・・・。今は西洋史に興味関心が向いてしまっているなあ・・・。

とはいうものの、そういうネタがあちこちに転がっているので、まあ、テレビなどもいろいろ見ております。
「戦国BASARA」とかも(笑) ←これも戦国モノって言えるんだかどうだか?
その中で、完璧に遊んでいる番組が、なにかと元気なUHF局が4局で作っている「戦国鍋TV」。
キャッチが「なんとなく歴史がわかる映像」ということですが、どこが戦国~?って感じ。
腹の中で「ここまでデフォルメしてついていける歴史ファンが、果たしてどれだけいるのか」と思うけど、まあ、夜の11時~11時半というのは、テレビを視聴するにもいい時間帯なんですね。

その中で、なんとも昭和のアイドルをパロったのがこちら。



シズガタケの戦い・・・うーん、よくわからんが、豊臣秀吉の子飼いの若手武将たちってこと?
知識がないものが、そのまま鵜呑みにするのは、ちょいと怖いところがありますが、何度も繰り返して聞いたことで、確かに「シズガタケの戦いには7人の武将がいた。名前は・・・」って刷り込まれてしまったというのは、ちょっと怖いかも(笑)

先週からは、この後釜として「天正遣欧少年使節」という4人組アイドルユニットも登場しました(笑)
あ~、これはなんとなく歴史の教科書にあったのを覚えているぞ。
この時代に選ばれてローマ法王に会いに行った日本の美少年たち?でしたね。
東の果てからやってきた黒髪の少年たちを祝福するローマ法王、その他、枢機卿たち・・・。
こちらの方が、妄想し甲斐があるかも~(西洋史にシフトしている私としては)。

こちらの動画も、そのうちアップされることでしょう(^^)
ブームっていうのは、みんなが寄ってたかって、自由にいじって遊べるってことなんですね。
まあ、それで歴史に興味を持つっていうのも、いいんじゃないでしょうか?

中国人の視点で番組を作ると

2010年07月25日 13時09分15秒 | 映画・舞台・展覧会・読書・音楽など
今朝、テレビをあちこちまわしていたら、偶然、テレビ東京で三国志のアニメをやっていた。
最強武将伝・三国演義
あ~これこれ。アニメに詳しい友達が言っていたやつだな。

今日は、かの有名な「三顧の礼」の回。
タイトルが「三国演義」で、三顧の礼を一つの回できちんとやるということは、蜀寄りの三国志演義のあの世界なのね…とわかる。
最近は、とんと三国志から離れてしまっていたので、まあ、演義ベースだなと思いつつも、見てみましたが、ごくごく普通~の「三顧の礼」でした、やっぱり。

絵も丁寧できれいだし、音楽や吹き替えなども、それ相当の人を使ってはいるけど、いまひとつ心に訴えてくるものがない。
少なくとも、往年の三国志ファンを引き戻せる魅力には欠けているような気がします。
良くも悪くも平凡な優等生って感じで、面白みがないんですよね。
絵柄も、危険な要素が全然なかったし~;

作成現場をみると、日本人プロデューサーみたいな人が筆頭で1人いるけど、演出や脚本などのスタッフはオール・メイド・イン・チャイナ。
かなり中国人の好みで作られていると想像します。
きっと、向こうでの放送も意図しているんだろうけど、その視聴者受けを狙っているのかもしれません。

制作の根幹部分に、中国スタッフがかかわったものとしては、先日まで放送していた「蒼穹の昴」のドラマ編がありましたが、あまりに原作とかけ離れた展開で、正直、期待はずれなところがありました。
たぶん、女性キャラを中心に、母子の情愛とか恋愛感情とかを中心に据えるほうが、あちらの感覚には合うのでしょうね。
三国志のドラマは、「蒼穹の昴」とはテーマも視点も違うけど、やはり基本を蜀ベースに置いているあたりは、儒教的な感覚で安心してみたいのかなと。

今日のA新聞の1~2面の記事に「ジャパン・クール」~要するに最近唯一日本モノで元気な漫画とかアニメなどの世界に、韓国・中国が国家的に予算をつぎ込んで、日本を追いつき追い越せ的な状況にあるという記事があった。
ちょっと前までは、動画を描くといった、どちらかというと下請け的な作業部分を支えてもらっていた両国だけど、今後は作品そのものを企画制作するところに進出してきたとすると、日本人好みの作品には、なかなかお目にかかられなくなるかもしれません。

ときめきのJET STREAM

2010年07月19日 20時35分11秒 | 映画・舞台・展覧会・読書・音楽など
今日の新聞の一面広告に、セットの音楽CDがありました。
うわあ。懐かしい。
まだTOKYO FMが「FM東京」と言っていた頃、丁度、日付が変わる時間に、それまでポップな(うるさい)音楽がかかっていたのが一転、大人の雰囲気で静寂の中にホッと一息つけるような番組があったのでした。
それが「JET STEAM」 
何かわからんけど、海外旅行に憧れたり、飛行機に乗りたくなったりしたものです。


ラジオの時代が斜陽化している今、こういう落ち着いた番組も、なかなか作られなくなっているんだろうなあ…。
#もっとも、例の「2355」は、ゆたかな眠りを誘うというところで第二の「ジェット・ストリーム」を目指しているという話も聞きましたが。

ところで、広告にあったナレーションについては、文字にしてもなかなかステキだったので、ちょっと転記してみます。


遠い地平線が消えて
ふかぶかとした夜の闇に心を休めるとき
はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は
たゆみない宇宙の営みを告げています。
満天の星をいただく 果てしない光の海を
ゆたかに流れゆく風に心を開けば
きらめく星座の物語も聞こえてくる
夜のしじまの何と饒舌なことでしょうか。
光と影の境に消えて行った
はるかな地平線も
瞼に浮かんでまいります


ナレーターの城 達也さんの声が落ち着いていて、ステキでしたねえ~。
この方は、声優さん…とは違うのかな? 
でも、声で魅了する人の「走り」というイメージが、この方にはあります。
もっとも、久々に城さんのナレーションを動画で聞いたのですが、もうちょっと低い声のイメージがあったんですが、意外と声高い?
#田中秀幸さんなんかは、そのままできそうだな。

しかし、こういうナレーション(詩?)を考える人も、すごい才能です。
そして、これを甘い声の大人のかたに、情感こめて語ってもらったら…(妄想モード)もうハート鷲づかみですな(^^*)

今の若手声優さんたちに、こういう技術も身につけてもらいたいものです。

有名人が衰えていく時

2010年07月10日 16時05分52秒 | 映画・舞台・展覧会・読書・音楽など
午前中に車でDIYセンターまで買い物に行ったとき、久々にラジオをつけた。
最近はほとんどラジオを聴く機会もなくなったが、昔は結構ラジオ少女だったので、トーク番組なども好きだったし、DJもよく知っていたのだが・・・。

車の中に流れてきたのは、昔ながらのトーク番組の大御所であるE氏の番組。
そういえば、先日、ウチの弟が「E氏って、ちょっと病気じゃないの?」と言っていた。その時はテレビに出ていたのだが、確かに「この人、ガンじゃないの?」って思わず口をついてしまうほど、頬がガリガリ痩せこけた姿で映っていた。
そういう目で見たせいか、顔色も表情も、ちょっと「健康ではない」というような印象。
まあ、かなりお年だし…。

そのE氏。軽快なトークが売りだったのに、今日のこのラジオでは、先日見たテレビ以上に衰えが目立っていた。
ラジオなのでビジュアルではなく、すべて声だけからの想像だが、活舌が悪く、ろれつもあまり回っていないような感じ。そして、なによりも会話にキレがない。
正直な話、少しボケているんじゃないの・・・というような印象さえ与えるような感じだった。

同じようなことは、前に、御歳90歳を超える?という某大女優M女史が、テレビのナレーターをやっていたとき、母親が「語りがタルくて聞きづらい。少しボケているんじゃないのか?」って言っていたが、確かにこちらも聞いてみると、ちょっと半分眠っているんじゃないの?という感じだった。

M女史にしろE氏にしろ、我々が生まれる前からこういう世界で活躍しているような御大だが、やはりよる年波には勝てないってことだろう。
しかし、放送に出て番組を持つとなると、最低限、視聴者が聞きづらいという状態で出てくるというのは、放送局側にも起用に問題があるのではないだろうか?

たぶん、本人が「まだできる」って言っているから、下ろすわけにもいかないのだろうが、こんな放送を何十万・何百万が見聞きしているので、誰もが「ちょっとおかしい」って思うのは想像つくと思うが。放送局って、視聴者第一で作るべきものじゃないといかんのでないか?
誰かが鈴をつけに行く必要に迫られている時期かと思うが。

まあ、長年第一線で活躍してきた人が退くというのは、回りはもちろん、本人が一番決断をつけづらいのかと思うが。
しかし、完全にダウンしてしまえばさすがに自認するだろうが、少しずつ衰えていくってことを自分で理解するというのは、いろんな面で難しいのだろうが。

有名人だからこそ特に、最後の衰えていく姿はさらしたくない、一番、輝いていたときだけを覚えていてほしいって、思わないものなのだろうか?