おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

バーネイズとワトソンにみる心理学の応用としての広告

2024-08-08 06:48:54 | 日記
オッペンハイマーは、

「物理学者は罪を知ってしまった。
このことは消し去ることの出来ない知識である」
と、原爆を作った後に、後悔の念を表現した。

オッペンハイマーは「原爆の父」と呼ばれるが、
「PR(広報活動)の父」として知られている、バーネイズは、「PR」ということばを作った後に、心理学が罪を知ってしまう過程を私たちに、みせてくれるようである。

なぜなら、民主主義を残酷に扱い、貶める政治プロパガンダのための有害な武器を作ることに、心理学は手を貸したからである。

意地悪な言い方をすると、広告とは、人々を騙してもともとは欲しくもなく、必要もないものを買わせる技法であり、政治広告とは、国民に悪い考えであっても売り込み、国民のことを大切に思っていない政治家をも、支持するように仕向ける技法である。

広告は、心理学の応用である。

扁桃体が司る無意識の感情を操作するために、大脳皮質による意識的で理性のある思考プロセスを回避することによって、広告は、機能する。

19世紀後半、心理学理論(精神分析、行動主義、社会心理学など)の急増が、そのような理論の、消費財売り込みへの活用(→誤用かもしれない......)に繋がった。

さらに、この数十年、心理学は、政治の嘘を売り込むことに誤用されてきたのである。

実際に、バーネイズが、「PR」ということばを作った理由は、それまで使われており、実体も伴っていた「プロパガンダ」ということばよりも、「PR」ということばの方がずっと洗練された響きが在ったからである。

フロイトの甥であるバーネイズは、精神分析学、行動主義、集団心理学に由来するテクニックを組み合わせ、企業の経営状態を改善して大成功を収めた。

バーネイズの基本的な着眼点は、
「集団心理のメカニズムと動機を理解すれば、大衆に気付かれずに、私たちの意志にしたがって大衆を管理し、統制することが出来るのではないか」
というものである。

これが、独自の専門技術に繋がった。

つまり、「同意の操縦」によって、消費者の行動に働きかけるのである。

バーネイズは、ファッション、食品、石けん、タバコ、書籍など、数多くの消費財の大衆消費者向けのマーケティングのパイオニアであった。

彼の巧みな演出によって、公共の場で女性がタバコを吸う姿は、不品行の気配もなく、かえって、ファッショナブルで道徳的に正しく、適度にセクシーであった。

それは、タバコのパッケージを、毎年の流行色に合わせて作るように提案することと、1929年のニューヨークで行われたイースターパレードで、小さな「自由のたいまつ」と謳われたラッキーストライクを持った美しいモデルを披露するように演出することだけで、実現してしまったのである。

また、バーネイズは、有名人やオピニオンリーダーによる製品の推奨というコンセプトを考案した。

バーネイズは、
「意識的な協力の有無にかかわらず、リーダーたちに影響を与えることが出来れば、リーダーたちが感化する集団にも自ずと影響を及ぼすことができる」
と述べている。

1871年から20年にわたり、アメリカ各地を巡業したサーカス「地上最大のショー」の興行者として有名な、P・T・バーナムとバーネイズは似ているかもしれない、と思う。

2人とも、「簡単に騙されるカモはいくらでもいる」と考えており、また2人とも、そう信じた結果裕福になったのだから。
......。

バーネイズとほぼ同じ頃、ジョン・ワトソンも心理学理論を広告という金貨に変え、思わぬ大成功を収めた。

彼の立身出世物語も、アメリカだからこそ実現した。

貧しいが、大きな希望を持った青年は、優れた教育に恵まれ、アメリカで最も有名な心理学者にまで登りつめたのだが、その後、すべてを投げ打ち、新たに急成長を遂げる広告業界に入り、会長として富を築いたのである。

ワトソンは、パブロフの研究である、犬の条件づけを、人間に拡大して解釈し、自覚した意識を回避して潜在意識に働きかける手法によって、人間の行動に大きな影響を及ぼせることに気付いた。

彼は、この手法を「行動主義」と呼んだ。

それは、行動主義が意識の複雑さや、人間の心、に関心を向けない、あるいはそれらを評価しないからである。

そして、ワトソンは、人間も犬も同じように操ることが可能だと主張するのである。

ワトソンは、行動をコントロールする自分の手法を用いて、人々に商品の購入を促した。

例えば、今や、私たちにお馴染みの「コーヒーブレイク」というものを考案して、Maxwellのハウスコーヒーを売り込んだのも、バーネイズである。

ワトソンは、「行動心理学と現代広告の父」として、大量消費主義に科学的な手法を取り入れたのである。

消費者向けの広告用に開発された手法は、政治プロパガンダという世界でも、極めて大きな効果を発揮した。

ヒトラーの代弁者であったゲッペルスは、心理学での学位は取得したことはなかったものの、その手法を、注意深く研究していたのである。

そのことを、バーネイズは、
「ゲッペルスは、私の著書『Crystallizing Public Opinion(世論の結晶化)』を根拠として活用し、ドイツにいるユダヤ人に対して、破壊的な活動を行った。それを知って私は衝撃を受けた」
と述べている。

心を操る武器が、政治闘争に利用され、ひいては、戦争という悲劇すら、引き起こすという事実を、この時期に見つめ直したい。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

ケインズとマルクーゼに学ぶテクノロジーの活用方法

2024-08-07 05:42:50 | 日記
現代のテクノロジーがもたらした、驚くほど高い効率によって、私たちには、
①ますます多くの物を生産する
②労働時間が減る
③失業者がますます増える
という、3つのオプションが示されているようである。

ケインズは、その時代の最も優れた経済学者であり、資本主義の暗黒時代の救世主となった人物であるとも言えるだろう。

彼は、1930年、
「人類に必要とされる労働時間は、間もなく、週に15時間だけとなり、それによって自らの関心を深めるための余暇の時間が増える」
と、熱い思いを込めて予測した。

確かに、それ以前の50年の間に、急速なテクノロジーの進歩と週労働時間の削減の両方が実現したことを考えると、これは、理に適った予測だったのかもしれない。

資本主義を激しく批判していたマルクーゼは、短縮し続ける週労働時間を道徳的な観点からみていた。

つまり、浅はかな大量消費主義の「1次元的社会」から人類を守る唯一の方法だと考えていたようなのである。

実際に、マルクーゼは、
「人々は手に入れた商品の中で自己を認識する。
自動車、ステレオセット、スキップフロアのある家、キッチン設備に自らの魂を見出すのだ」
と述べている。

つまり、そのような社会には、教養を高めるために許される時間はなく、自立する余地もない。

過剰な労働が、人間の生活を平板にするとすれば、私たちを3次元的人間に戻すために、欠かせない。

マルクーゼは、
「労働時間を減らすことは、自由を実現するためにまず必要となる条件である」
と述べている。

少なくとも、現時点では、ケインズやマルクーゼのような非常に賢明な人物でも、テクノロジーが余暇に与える影響に関しては、ほとんど予測できていなかった、と言えるかもしれない。

テクノロジーの進化によって、労働者はさらに奴隷化するか、もしくは、テクノロジーに、すべて取って代わられるか、になった。

歴史のさまざまな段階で、テクノロジー革命が起きるごとに、人々は、その革命が起きる前よりも、忙しく働くようになった。

それは、常に生産性の向上によって、さらに多くの産物が作られ、さらに多くの人手が必要とされたために、余暇の時間が増えなかったからである。

農業革命が起きる前の狩猟採集民には、農業革命後の農民よりも余暇の時間が在った。

また、産業革命が起きる前の農民には、工場労働者よりも余暇の時間が在った。

さらに、情報革命が起きる前の工場労働者には、コンピューターを操作する人よりも、余暇の時間が在った。
......。

「持続可能な経済」の重要な成果は、
皆の労働時間が減少するものの、皆、何らかの仕事はある
、という状況であろう。

今こそ、私たちは、ケインズやマルクーゼが思い描いたようにテクノロジーを活用する必要があるのかもしれない。

つまり、私たちを、もっと面白い人間にし、もっと何かに関心を持つ人間にし、物質的に貧しくはなっても、時間、知恵、幸福、人間関係でもっと豊かになるよう、テクノロジーを活用するのである。

これまで、生産性の大きな向上は、ほぼ、無駄にされてきた。

ほとんど必要のないものを大量に作り、労働者を無用の長物にしてしまった。

コンピューター化とGDP成長の抑制に伴う最大のリスクは、大量の失業者が出ることである。

これは、生活の満足度に致命的な影響を与え、自殺の重大なリスク要因となる。

週労働時間を短くして、雇用を分散させ、失業者の保護を手厚くするのが、自殺を防止する最善の形であり、国全体の幸福の最も強力な誘因のひとつ、だと、思う。

興味深いことに、北欧諸国では、失業は、さほど、大きな不幸の原因とはならない。

それは、各国が極めて強力なセーフティーネットを用意しているからである。

資本主義の良い点は、市場の不均衡が、税金や助成金、規制によって、それなりに、容易に是正出来ることである。

一方、悪い側面は、税金、助成金、規制条項に関連した不正が、簡単に行われることにより、優遇されている者は、さらに優遇され、不利な立場にある者は、さらに不利になることである。

私たちの税金や規制の規定は、往々にして、産業界などに阿って起草されていることがあるので、それが、往々にして、公共の利益や将来世代を犠牲にして、産業界の短期的利益を重視するものになっている。

しかし、簡単な調整をすれば、産業界に対する奨励策を正しい方向に修正することが出来る可能性は、あるのではないだろうか。

例えば、炭素税のように、企業に対する税金は、現在の収入だけではなく、企業の活動によって犠牲になった将来の利益である直接的機会費用にも課す、などである。

また、化石燃料や農業関連産業に対する手厚い助成金は、クリーンで持続可能なエネルギーや食品を製造できる競合企業に向け、廃棄物の削減、インフラの強化、最も持続性のある社会的利益の創出のために、最高の効率を生み出す技術に対して減税が行われるべきではないだろうか。

さらに、常に交換が必要な使い捨てのゴミではなく、長持ちする質の高い製品を作る技術に報賞を与えることで、買い換えを促すだけのモデルチェンジを終わらせる必要もあるだろう。

私たちの経済は、その健全さを保つために短期の消費者購買に依存するのではなくて、長期の産業投資に頼る必要があることは、明白であるはずだ。

今、新たなテクノロジーは、燃料、金属、食料などをかつてない効率で、地球から取り出している。

しかし、同時に、人口のさらなる増加、将来の世代のために残される資源の減少、汚染や環境の劣化、雇用の喪失などの予期せぬ影響も出ているのである。

私たちは、世界を荒らすのではなくて、むしろ、世界美しくをにする方向に、テクノロジーを活用しなければならないだろう。

確かに、個人で出来ることはあまりないようにも思えるが、まず、目を逸らさず、現状を出来る限り正確に、認識したい、と思う。

世界の人口増加を支えきれなくなり、資源が底をつき、人間が気候をすっかり変えてしまい、私たちが、空気を吸うことも困難になる前に、私たちは、テクノロジーをうまく使えるようになり、現状を持続可能なバランスに出来るか、どうか......とても難しく悩ましい問題である。

他力本願だとはわかりつつも、分別のある指導者がいつの日か、公平で持続可能な政策を実行することを私は、期待しているのだが、本当に間に合うのかどうか、については、今のところ、不安なままである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

なんだか、眠れずにいろいろと考えていたら朝になり、いざ描いてみたら暗い日記になってしまいました^_^;

でも、今日も、前を向いて、明るく過ごしたいと思います(*^^*)

暑い日が続きますが、体調管理に気をつけたいですね( ^_^)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

*見出し画像は、スーパーに買い物に行く途中の花が、きれいで、写真を撮ったなかの、1枚です(*^^*)

「赤」と「青」の争いにみることができる部族主義-アメリカ合衆国について⑥-

2024-08-06 06:42:23 | 日記
「賢明にルールを守り、正しく生きようとしたんだ......なのに......。」
と、『蠅の王』のなかで、子どもたちだけの無人島から、救出されたラルフは、涙を流しながら、大人たちに語る。

ゴールディングの小説『蠅の王』が発表された、1954年、ロバーズ・ケーブ実験と呼ばれる実験が行われた。

ロバーズ・ケーブ州立公園で行われたその実験は、私たちの世界を引き裂く部族主義について説得力のある具体例を示しており、さらに、この実験は、部族主義を終わらせるための実用的な手引き書ともなっているように、私は、思う。

実験では、11歳の男子からなるふたつのグループが、オクラホマ州南東部の山中での「サマーキャンプ」体験に招かれる。

全員が中流階級の家庭で育ったプロテスタントで、同じ地域から参加し、心理的な障害がなく、知的機能が平均以上の子どもたちであった。

各グループは、まず、一方のグループから、隔離された状態で、1週間のキャンプ活動に参加した。

各グループは、自然と団結力を高め、さらには、グループにイーグルスとラトラーズ、という名前まで付けた。

その後、両グループが、互いに接触することを許されるとすぐに、
「私たち」対「彼ら」という対決姿勢が生まれたのである。

キャンプ指導員たちは、(彼らにとって)価値のある賞品やトロフィーが与えられるゲームを用意した。

すると、両グループは、大小さまざまな問題で衝突し始め、特に資源が不足したとき(→例えば、一方のグループが、夕食に呼ばれる前に、夕食用の食料が底をついてしまった場合など)、競争が激化した。

スポーツ競技では、相手を挑発するようなことばを発し、典型的な侮辱の応酬となった。

間もなく、両グループは、互いの小屋に侵入し、持ち物を壊し、賞品を盗んだ。

また、相手チームの旗を燃やし、威嚇し、相手を直接攻撃する計画を立てたのである。

これは、オクラホマ州南東部の山中で、1954年に現実に起きた『蠅の王』の構造を持つ物語である。

幸いにも、キャンプ指導員の仲裁により、その争いは収まったのである。

このような敵意をなくさせるために、キャンプ指導員は、両グループを競争を伴わない、さまざまな活動に一緒に参加させることにした。

例えば、食堂で食事を一緒にさせたり、皆でピクニックに行かせたり、日々の雑用を一緒にさせたり、したのである。

しかし、互いを嫌がり、相手と交わりたくない、という気持ちは、根強く続いていた。

両グループに団結力が見て取れたのは、実験のために仕組まれたさまざまな「困難」に両グループが向き合って、共に作業をし、互いに犠牲を払わざるを得ないときだけだった。

反目し合う集団がひとつになるのは、先に経験した集団間の相違よりも、共通の利益が重要になったときだったのである。

しかし、このことは、素敵なハッピーエンドに繋がった。

キャンプ終了時に、一方のグループが賞金を勝ち取ったとき、そのグループは、もう一方のグループと、賞金を分け合うことにし、その結果、最期に、皆で一緒にオーツミルクを飲むことが出来たのである。

この研究における科学も、『蠅の王』における芸術も、原始時代の部族にみられた攻撃性が、現代の私たちにも、無意識のうちに現れてしまうことを示している。

それは、私たちの社会生活に関わるDNAに刻み込まれているもののようである。

それの悪い面は、
「部族に対する忠誠」という、一見良さそうな、大義名分のもとに、私たちは、実に悪く、酷いことを、いとも簡単にやってしまうところである。

それの良い面は、人々が共通の困難に対応したり、共通の敵に立ち向かったりするために、互いを頼らなければならないときに、集団間の敵意が薄れるところである。

残念なことに、競争意識を生み出すことは、それを解消させることよりもずっと簡単である。

しかし、幸いなことに、条件が整いさえすれば、競争に代わって協力し合うことが可能になるのである。

ロバーズ・ケーブ実験や『蠅の王』 に見られる部族主義は、残念なことに、現代生活の至るところに存在する。

そして、世界では、人口増加の圧力が高まり、資源が不足しつつあるために、部族主義は激しさを増している。

シーア派がスンニ派を殺し、スンニ派がシーア派を殺しているのも、激しさを増した部族主義のためだといっても、過言ではないだろう。

イスラエルとパレスチナは70年以上の間、和平プロセスに関わっているのにもかかわらず、未だに平和はもたらされていない。

かつて、ロシア内戦では、「赤軍」が「白軍」と戦い、アメリカでは、青色の「北軍」と灰色の「南軍」が戦った。

そして、今、アメリカでは、赤色の州を支配する「共和党」と、青色の州を支配する「民主党」が大統領の選挙で争っているが、国家の「困難」を解決するための基盤となる一致点を見出すことに、ひどく苦労しているのである。

人間が持つ部族主義には、進化の過程を生き抜く上で、大きな価値が在った。

私たちの祖先である狩猟採集民は、経済の面でも、自分が属している小さな集団に全面的に頼っていたため、そこから追放されたり、離れたりすれば、ほぼすぐ命を落とすことになっていた。

しかし、今や、縮小した世界に住む私たちにとって、過去から受け継いだ部族主義は、先の見えない未来に向かう途上で最も致命的な障害になりかねないのである。

社会の二極化をなくしたり、二極化が徐々に民主主義を蝕むことを防ぐためには、「私たち」と「彼ら/彼女ら」という部族的感覚で広がり続ける亀裂を埋めなければならない。

そのような「困難」を前にした私たちに、それをどう解決するかは、ずいぶん前から、子どもたちが教えてくれたのだから。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

*見出し画像は散歩中の風景からであり、今回の内容に特に関係はありません( ^_^)



オットリーノ・レスピーギ 交響詩『ローマの松』

2024-08-05 06:53:58 | 日記
『天人五衰』のなかで、三島由紀夫は、
「平日といい、雨も良いというのに、三保の松原の入口の広い駐車場には車が満ち、土産物屋は埃っぽいセロファンの包みにことごとく灰色の空を映していた。」
「空気はしたたかに車の排気ガスに犯され、松は瀕死の姿だった。」
と書いている。

今でこそ、ユネスコの世界文化遺産に指定されており、綺麗にはなっているが、三島が『天人五衰』を著した頃の三保の松原は、波打ち際に打ち上げられた木片や空き瓶が1本の曲線をなして列んでおり、満潮時の水の堺を示していたようである。

『天人五衰』のなかで、本多は、『羽衣』を習ったばかりで浮かれている慶子に、この「景勝地の荒れ果てた俗化のありさま」を見せて、「彼女のいい気な浮っ調子の夢想」を打ち破ろうとする魂胆が在ったのであるが、
慶子に
「これはこれで結構だわ。
私ちっとも絶望しないわ。
いくら汚れていたって、いくら死にかけていたって、この松もこの場所も、幻影にささげられていることはたしかなんですもの。
却ってお謡の文句みたいに、掃き清められて、夢のように大事にされていたら、嘘みたいじゃなくて?
と言われてしまう。

松が歴史や神話を眺めてきた証人であるのは、イタリアも同じであるようである。

ローマ市内には、松がたくさん植えられており、その松は、ローマの歴史を眺めてきた証人でもある。

1922年、ムッソリーニが、権力を掌握し、いわば「強いイタリア」建設に着手した時、イタリアに重ねられたのは、かつてのローマ帝国の栄光の記憶だった。

当時のイタリア人の興奮は推し量るしかないが、ヴァイオリンを弾き、哲学に造形が深く、乗馬を嗜む文化人でもあった総帥ムッソリーニのもと、文化的にもローマ帝国の栄光を取り戻そうという機運も高まったのである。

そのような機運の中、オットリーノ・レスピーギは、政治的な作曲家ではなく、ファシスト党の党員でもなかったが、純朴な郷土愛から、『ローマの噴水』『ローマの松』『ローマの祭』という、通称「ローマ3部作」と呼ばれる、一連の交響詩を書き上げた。

ここでは、その中で最も完成度が高い(→と、私が勝手手前に思っている)『ローマの松』について描いていきたい。

先にも述べたように、ローマ市内にたくさんある松は、ローマの歴史を眺めてきた証人でもある。

まず、曲は、ボルゲーゼ庭園の松、昼間の時間、現代のローマで、子どもたちが、声を上げて遊び回り、何世代も歌い継がれてきたような唄が歌われている。

喧騒が最高度に高まった瞬間、舞台は、カタコンバ付近の松、夕暮れの時間、キリスト教が弾圧されていた時代に移る。

闇が迫るとともに、地下からグレゴリオ聖歌が哀愁をたたえつつ響いてくる。

やがて信徒たちの祈りの声がざわめきだし、その声は徐々に大きくなってくる。

そして、それは、勝利への凱歌として確然と響き渡る。

ついに、キリスト教がローマの国教になったのである。

祈りの声が静まると、舞台はジャニコロの丘の松、深夜の時間、静まりかえった松林に月光が静かに降り注ぎ、時折吹き抜ける松風に混じり、とおくからナイチンゲール(→小夜啼鳥)の声が聞こえてくる。

人間的世界から隔絶し、常に美しい自然の美が語られている。

最後に舞台は、アッピア街道の松、明け方の時間に移る。

アッピア街道は、ローマ帝国の主要街道であり、「街道の女王」の異名を持つ。

明け方、この古くから在る街道の彼方から、大軍勢がやってくる姿が浮かび上がる。

先頭を歩かされているのは、戦争によって奴隷にされてしまった敵国の民たちである。

その後ろに続くのが、雄壮なローマ軍の整然たる行進である。

威風堂々と、ローマ軍は、最高神ユピテルを祭るカピトリウムの丘へと凱旋し、勝利を高らかに宣言するのである。

このレスピーギの郷土愛に満ちた曲は、第二次世界大戦後、不幸な運命を辿った。

「直接、ファシズムとの関連性は薄いとはいえ、イタリア人の愛国心を鼓舞したには違いない」、
「そのような戦争に血塗られた曲は演奏してはならない」
という自粛が働いたのである。

しかし、音楽は、それが優れているか、優れていないか、私たちの心に響くか、響かないか、それだけではないだろうか。

決して、イデオロギー的に正しいから、この音楽は素晴らしい、ということには、ならないはずである。

レスピーギのこの傑作を結局、人々は、無視することが出来なかった。

三島が、『天人五衰』を発表し終えた頃、1970年代頃から、徐々に「ローマ3部作」は解禁され、今や、レスピーギの音楽に、軍靴の足音を聴くような無粋な人はいない。

三島が、公然と演奏されるようになった『ローマの松』を聴けなかったのか、と、思うにつけては、残念である。

さて、『天人五衰』のなかで、慶子は透に向けて
「自分の願望が他人の願望と一致し、誰かの思っていたことが、他人のおかげでするすると叶えられるなんてことがあると思って?」
「あなたは歴史に例外があると思った。
例外なんてありませんよ。
人間に例外があると思った。
例外なんてありませんよ」
と言い放つ。

歴史に接したときの心の動きを人間が語ること、その方法のひとつが、音楽が歴史を語るということであるとするならば、現代の私たちは、レスピーギの音楽に、政治的な思惑になど左右されない、レスピーギの心の動きと、純然たる郷土愛と、その音楽の素晴らしさを聴くだろう。

なんだか、慶子に
「別にむつかしく考えることはないわ」

と、言われてしまいそうである。
素直に、『ローマの松』を、レスピーギの心の動きを聴こうと思う。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

朝から、暑苦しい長文の日記になってしまいました......すみません^_^;

読んで下さりありがとうございます(*^^*)

暑苦しい日記を描いておいて、言ってしまうのですが、毎日、本当に暑いですね^_^;

体調管理に気をつけたいですね( ^_^)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

アメリカ人の個人主義-アメリカと合衆国について⑤-

2024-08-04 06:49:50 | 日記
「E Pluribus Unum」
は、最初の独立記念日である1776年7月4日に、アメリカのモットーとなったことばである。

「多数からひとつへ」である。

また、キケロは、
「おのおのが、自分を愛するように他者を愛するならば、多くの人々はひとつになる」と表現している。

独立から、228年後、オバマは、
「リベラルのアメリカ、保守のアメリカというものはない。
あるのは、アメリカ合衆国である。
黒人のアメリカ、白人のアメリカ、中南米系のアメリカ、アジア系のアメリカというものはない。
あるのは、アメリカ合衆国である。

共和党系の赤い州も、民主党系の青い州もない。
あるのは、アメリカ合衆国である」
という「E Pluribus Unum」と同じくらい素敵なスローガンを掲げた。

アメリカ人は、相反するふたつの性格を持ち合わせているように、私は、思う。

ひとつは、競争心あふれる一匹狼のような性格であり、もうひとつは、まとまった群れに属する協力的な狼のような性格である。

前者を、映画俳優のジョン・ウェインは、特に、見事に表現している。

「デューク」の愛称で親しまれた彼は、50年にわたって169本の映画に出演した。

映画のなかの彼は、常に偉そうで、押しが強くタフであり、自信過剰で人とは打ち解けず、我が道を行き、誰の助けも必要としない。

その姿は、アメリカを象徴するヒーローの典型だったが、愛される人間の典型ではないだろう。

さらに、それは、アメリカ人の本当の姿を最も正確に表現しているものでもないだろう。

後者を、表現しているのは、ジーェムズスチュアートが出演した映画『素晴らしき哉、人生!』である。

こちらは、もっと親しみやすく魅力的なアメリカ人像が描かれており、公共心に溢れたコミュニティ精神、隣人の思い遣りの素晴らしさ、人が助け合うことの喜びを高らかに讃えている。

その映画の幸せな結末は、町中の人々が勝ち取った、町全体の勝利である。

これは、誰にも頼らない、ひとりの人間の戦いが報われたことではないのである。

さて、個人主義は、アメリカ人の意識のなかに脈々と生き続けてきた。

個人主義は、アメリカの建国神話の中核をなし、近年の政治プロパガンダにおける主要な謳い文句として生き残っている。

財をなし、新世界で自らの信仰を実践し、旧世界での外圧から自由になった最初の入植者を、アメリカ人は自由を愛する者として、崇拝している。

その象徴となる姿は、ハリウッドの西部劇の孤独なカウボーイにも見て取れる。

そこに描かれているのは、自分の機転、度胸、銃だけを頼りに、悪者や先住民、そして牙をむく自然と対決する人間である。

そのあとに登場したのは、政治家である。

ハーバート・フーバーは
「強固な個人主義」
ということばを初めて使った。

このことは、1928年の大統領選挙による勝利を後押ししたが、その後、世界恐慌の苦難に対しては、彼の消極性を明らかにしたことばでもあった。

フーバーは、
「私たちの強固な個人主義というアメリカの体制と、それとは正反対の父親的保護主義や、国家社会主義というヨーロッパ的哲学のいずれかを選択することを迫られた。
後者の考えを受け入れていたら、中央集権化を通じて自治は崩壊することになっただろう」
と述べている。

フーバーは、政府による援助が
「アメリカ人の自発性と進取の性格」
を損なうと信じていたのである。

しかし、彼は、間違っていたのではないだろうか。

後から言えば、何とでも言えるので、言ってしまうと、
そのような徹底した個人主義は、世界大恐慌に対する経済的・人道的対応としては最悪であり、本来あるべき状況よりも、ずっと悲惨な状況を招いてしまった。

これに対して、フランクリン・ルーズベルトのニューディール政策は、雇用を創出し、経済の回復に貢献し、政府以外に支援を受けるあてのない人々に対する打撃を和らげたといえるだろう。

アメリカ人の生活は常に、競争よりも協力を拠り所とするものでもあった。

初期の入植者は、とても固い絆で結ばれた共同体に住んでいた。

集団の外で生きることは、ほぼ不可能で、皆の承認なしに、生活してゆくことは出来なかったのである。

さらに、映画とは違って、昔の西部の住民は、多くの近代的な都市の住民よりも、礼儀正しく、協力的で、暴力に訴えることは、きわめて少なかったのである。

法規が日常生活のあらゆる側面を支配していた。

例えば、幌馬車隊は、西部を目指す前にさまざまな決まりに同意しなければならず、さらに、昔の西部では、現在よりも、銃規制がずっと厳しく、まず、保安官に銃を預けなければ、その町での自由な生活は許されなかった。

映画の中ほど、一匹狼や無法者、ガンマンに対してさほど寛容な社会では、なかったのである。

また、
「今日隣人を助ければ、明日は隣人が自分を助けてくれる」
という考え方が開拓者の伝統であった。

努力や天性と同じくらい、運が人生で大きな役割を果たすことを全員が解っており、分かち合うことは、逆境や不運に対する保険となり、集団の中で個々のリスクと負担を分散していた。

つまり、アメリカ人の祖先が、強固な個人主義を掲げてアメリカに上陸し、それぞれが自分だけを頼りにして、道を切り拓いた、という話は、根拠のない神話である。

皆が共に分かち合い、他者に対する責任感を持ち、
「E Pluribus Unum」
をモットーとしたアメリカが、今、確かに存在する分断に対抗し、再びひとつになるためには、難しい問題が山積していることは自明である。

アメリカも、それを取り巻く世界も、1776年とは、また違う問題を抱え、見方によっては、さらに複雑になったといえるだろう。

「アメリカを再び偉大にする」ための良い方法は、アメリカの政治家というよりは、アメリカの国民が、公共の利益を実現すべく動き、あらゆる忌まわしい対立を止めることなのかもしれない。

「E Pluribus Unum」、
それは、
「多数からなるひとつ」であり、
キケロに表現させれば、
「おのおのが自分を愛するように他者を愛するならば、多くの人々はひとつになる」
という素晴らしいことばである。

そのような素晴らしいことばをモットーとしている国、アメリカなら、きっと、「再び偉大に」なることができるはずだ、と、私は、思うのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

毎日、暑いですが、体調管理に気をつけたいですね( ^_^)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。