おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

「赤」と「青」の争いにみることができる部族主義-アメリカ合衆国について⑥-

2024-08-06 06:42:23 | 日記
「賢明にルールを守り、正しく生きようとしたんだ......なのに......。」
と、『蠅の王』のなかで、子どもたちだけの無人島から、救出されたラルフは、涙を流しながら、大人たちに語る。

ゴールディングの小説『蠅の王』が発表された、1954年、ロバーズ・ケーブ実験と呼ばれる実験が行われた。

ロバーズ・ケーブ州立公園で行われたその実験は、私たちの世界を引き裂く部族主義について説得力のある具体例を示しており、さらに、この実験は、部族主義を終わらせるための実用的な手引き書ともなっているように、私は、思う。

実験では、11歳の男子からなるふたつのグループが、オクラホマ州南東部の山中での「サマーキャンプ」体験に招かれる。

全員が中流階級の家庭で育ったプロテスタントで、同じ地域から参加し、心理的な障害がなく、知的機能が平均以上の子どもたちであった。

各グループは、まず、一方のグループから、隔離された状態で、1週間のキャンプ活動に参加した。

各グループは、自然と団結力を高め、さらには、グループにイーグルスとラトラーズ、という名前まで付けた。

その後、両グループが、互いに接触することを許されるとすぐに、
「私たち」対「彼ら」という対決姿勢が生まれたのである。

キャンプ指導員たちは、(彼らにとって)価値のある賞品やトロフィーが与えられるゲームを用意した。

すると、両グループは、大小さまざまな問題で衝突し始め、特に資源が不足したとき(→例えば、一方のグループが、夕食に呼ばれる前に、夕食用の食料が底をついてしまった場合など)、競争が激化した。

スポーツ競技では、相手を挑発するようなことばを発し、典型的な侮辱の応酬となった。

間もなく、両グループは、互いの小屋に侵入し、持ち物を壊し、賞品を盗んだ。

また、相手チームの旗を燃やし、威嚇し、相手を直接攻撃する計画を立てたのである。

これは、オクラホマ州南東部の山中で、1954年に現実に起きた『蠅の王』の構造を持つ物語である。

幸いにも、キャンプ指導員の仲裁により、その争いは収まったのである。

このような敵意をなくさせるために、キャンプ指導員は、両グループを競争を伴わない、さまざまな活動に一緒に参加させることにした。

例えば、食堂で食事を一緒にさせたり、皆でピクニックに行かせたり、日々の雑用を一緒にさせたり、したのである。

しかし、互いを嫌がり、相手と交わりたくない、という気持ちは、根強く続いていた。

両グループに団結力が見て取れたのは、実験のために仕組まれたさまざまな「困難」に両グループが向き合って、共に作業をし、互いに犠牲を払わざるを得ないときだけだった。

反目し合う集団がひとつになるのは、先に経験した集団間の相違よりも、共通の利益が重要になったときだったのである。

しかし、このことは、素敵なハッピーエンドに繋がった。

キャンプ終了時に、一方のグループが賞金を勝ち取ったとき、そのグループは、もう一方のグループと、賞金を分け合うことにし、その結果、最期に、皆で一緒にオーツミルクを飲むことが出来たのである。

この研究における科学も、『蠅の王』における芸術も、原始時代の部族にみられた攻撃性が、現代の私たちにも、無意識のうちに現れてしまうことを示している。

それは、私たちの社会生活に関わるDNAに刻み込まれているもののようである。

それの悪い面は、
「部族に対する忠誠」という、一見良さそうな、大義名分のもとに、私たちは、実に悪く、酷いことを、いとも簡単にやってしまうところである。

それの良い面は、人々が共通の困難に対応したり、共通の敵に立ち向かったりするために、互いを頼らなければならないときに、集団間の敵意が薄れるところである。

残念なことに、競争意識を生み出すことは、それを解消させることよりもずっと簡単である。

しかし、幸いなことに、条件が整いさえすれば、競争に代わって協力し合うことが可能になるのである。

ロバーズ・ケーブ実験や『蠅の王』 に見られる部族主義は、残念なことに、現代生活の至るところに存在する。

そして、世界では、人口増加の圧力が高まり、資源が不足しつつあるために、部族主義は激しさを増している。

シーア派がスンニ派を殺し、スンニ派がシーア派を殺しているのも、激しさを増した部族主義のためだといっても、過言ではないだろう。

イスラエルとパレスチナは70年以上の間、和平プロセスに関わっているのにもかかわらず、未だに平和はもたらされていない。

かつて、ロシア内戦では、「赤軍」が「白軍」と戦い、アメリカでは、青色の「北軍」と灰色の「南軍」が戦った。

そして、今、アメリカでは、赤色の州を支配する「共和党」と、青色の州を支配する「民主党」が大統領の選挙で争っているが、国家の「困難」を解決するための基盤となる一致点を見出すことに、ひどく苦労しているのである。

人間が持つ部族主義には、進化の過程を生き抜く上で、大きな価値が在った。

私たちの祖先である狩猟採集民は、経済の面でも、自分が属している小さな集団に全面的に頼っていたため、そこから追放されたり、離れたりすれば、ほぼすぐ命を落とすことになっていた。

しかし、今や、縮小した世界に住む私たちにとって、過去から受け継いだ部族主義は、先の見えない未来に向かう途上で最も致命的な障害になりかねないのである。

社会の二極化をなくしたり、二極化が徐々に民主主義を蝕むことを防ぐためには、「私たち」と「彼ら/彼女ら」という部族的感覚で広がり続ける亀裂を埋めなければならない。

そのような「困難」を前にした私たちに、それをどう解決するかは、ずいぶん前から、子どもたちが教えてくれたのだから。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

*見出し画像は散歩中の風景からであり、今回の内容に特に関係はありません( ^_^)