おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

基本的ニーズが満たされたら、人生で最良のものはプライスレスになるのかもしれない。-2023年のクリスマスあたりに想うこと①-

2023-12-23 06:29:50 | 日記
「幸福がもたらされるためには太陽が必要だと考える人は、雨の中で踊ってみたことがない人である」(作者不詳)

5万年前の人々を本当に幸福にしたものは、今の時代の私たちをも、幸福にする。

何千年何万年という過ぎてゆく時間のなかで、人類の歴史を引き継いできた世代は、時間をなんとかやり過ごすための新しくオシャレな贅沢品を生み出してきたが、本当によい生活に必要とされる基本的な要素はどんな長い時間の経過のなかでも、何代世代が変わろうと、驚くほど、変わってはいない。

幸福度に関する数々の調査結果はすべて、私たちが実はよく見当外れの間違った場所で幸福を探している、と、いう重要な点に行き着く。

幸福は私たちの、眼の前、日常のありふれた光景の中にこそ在る。

基本的なニーズを満たしたにもかかわらず、「もっと」を求めた挙げ句、私たちの社会は、もはや楽しむ余裕がなくなった。
しかし、また、不要なまでの贅沢なライフスタイルを正当化するために
「よい暮らしをすることが最高の復讐である」ということばを現在まで、実に多く乱用してきた。

イギリス詩人のジョージ・ハーバートは、シェークスピアと同時代の目立たない人物だが、「よい暮らしをすることが最高の復讐である」という一節だけは、時代を超えて有名になった。
(ハーバートは天国でどんな気分であろうか......。)

200年前に、そのことばに表される精神性や在り方を、(アメリカの実業家の)エドマンド・バークは
「私たちは、富を意のままにできれば、豊かで自由になる。
だが、富を私たちの意のままにすれば、私たちは実に貧しくなる」と、戒めている。

ひとたび基本的ニーズが満たされたらば、人生で最良のものはプライスでありお金で買うことは出来なくなるのではないであろうか。

確かに、富で幸福を手に入れることは出来ないが、貧しければ不幸を招くことにもなる。
また、富で不幸を招く場合もあるが、それはよくあるように、富を得ること自体が目的となったり、それを消費することにとらわれてしまったりすることもまた、幸せとは言えないように思う。

最近の研究によると、幸福度は、どんな富豪であろうと、年間1人あたり7万5000ドルまでの収入と密接に関係しており、その水準に達したあとは、いくら稼いでもそれまでよりずっと幸福になることはない、ようだ。

貨幣の発明は、人類史上では、ごくごく最近のことなので、私たちは、金に対する欲望を抑えるための健全な恒常性を保つ仕組みをまだ身につけるような進化が出来ていないようだ。
私たちは、通常、ケーキ屋さんのケーキを全部食べ尽くす前に満足できる。

しかし、金銭の場合は、そういった満足感がなく、私たちは、持てば持つほど欲しい、もっと必要だと感じるようだ。

実業家ハワード・ヒューズは、億万長者であることに伴う特別な不幸を身にしみて味わい、斬新な表現ではないが、実に的確に、自らの人生経験について、後悔の念をこめてこう述べた。

「金で人生は買えない」と。

ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。

前回、「次回は人間と薬物そして薬物依存の問題の続きを描くんだー!」と張り切ってみたのはいいのですが、
クリスマスあたりにそこまで悲しい話を描きたくなくなり(身勝手ですみません......身勝手はわたしの不治の性格たちの中のごくひとつです......他の性格たちも挙げると何時間かかるかわからないので止めておきます^_^;)、
「2023年のクリスマスあたりに想うこと」シリーズで、クリスマスあたりの数回は、幸福について考えて描いてみることにしました。
人間と薬物そして薬物依存の問題については、クリスマス以降にまた描かせていただきたいと思います。

昨日、母とスーパーに行った際、ある児童画コンクールの入賞作品が、発表されていた。
私自身、未婚で子どももいないので、
(→このことがなかなか描けませんでした。ニュースなどを見ても、私だけでなく、まだ、ある年齢になると、女性が「未婚・子どもがいない」と言いにくい社会なのかなあ、と、思います。)
真っ先に、自分や家族の話ではなく、大学院時代の先生のひとりが児童画コンクールの審査員のツラさを述べていたことを思い出しました。
その先生が、コンクールに出品された審査をしたあと、評価の理由やコメントを書いたそうです。
1年後、同じテーマ(例えば「交通安全」など)で募集をした作品たちを見て、先生は驚いたそうです。
通う学校も地域も違うたくさんの子どもたちが、応募してくれたにもかかわらず、かなりの数の作品が、どれも同じような構図で、色使いまでほぼ同じだったからなのですが、先生は、自分の「選んだ理由とコメント」を思い出して後悔したそうです。
先生の「選んだ理由とコメント」は広範囲の画塾が手にすることとなり、入選するために「選ばれる」描き方になってしまっていたようなのです。

「型」は大事だけれど、あまり押しつけた結果も哀しいなあ、とそのとき思っていたので、こわごわと、スーパーのポスターに在る作品たちを観たのですが、とても素敵で温かい気分になりました。
山陽地方のおばあちゃんの家の周りの畑を描いた子の作品に特に感動しました。
心は温まりましたが、体はやはり、冬は寒い!と言っています^_^;
皆さまも寒さにお気をつけ下さいね。

今日も頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。




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1 コメント

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Unknown (みゆきん)
2023-12-23 13:13:42
よい暮らしをすることが最高の復讐である
うんうん
別れた元夫より幸せになってやる
なったよ~
逃がした魚がデカイってのを歯ぎしりしてるだろうな~ みたいな
2時間の雪掻きを終えて家に入ったら
只今、猛吹雪
八甲田が無かったら世界一の豪雪地帯じゃなかったのになー
ミサイルぶち込みたい(笑)
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