おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

本当の危機は外部ではなく、内部に在る-私たちが直面していることについて考えるⅡ④-

2024-03-02 06:34:42 | 日記
「これからおとぎ話をお目にかけよう。
架空の話だが、人が学ぶべき教訓も秘められている」

という台詞から、リムスキー・コルサコフ(1844~1908)の歌劇『金鶏』は始まる。

かつては威厳のあったドドン王も、老年になるにつれて、怠惰になり、近隣諸国からの侵攻に悩んではいるものの、
ドドンは、どうして良いかわからず惰眠と飽食に耽っていた。

2人の王子と大臣や貴族からもあまり良い策が出ず、ドドン王は、国家存亡の危機に瀕する。

そんなとき、ドドン王に、危機が迫ると教えてくれる、という金の鶏を献上する者がいた。

この金の鶏(以下、金鶏)は、危機を察知すると、その方角に向かって鳴いてくれる。

しかも、金鶏は「寝転んで治めよ」と言う。
(国民は驚き、不安だったかもしれないが)ドドン王は喜び、安心して、「また」昼寝をし始めるのだった。

しかし、ある時、金鶏が危機を知らせる。

ドドン王が2人の王子を差し向けるも全滅、金鶏は鳴き続ける、仕方なくドドン王は兵を率いて「危機が起きていると金鶏が示す」方向へ。

しかし、そこで出会ったシュマハの女王に一目惚れし、求婚し、自らの王国を明け渡すことを約束してしまう。

リムスキー・コルサコフはロシア帝政末期の作曲家で色彩豊かな管弦楽法を開発すると同時に、ロマノフ王朝が崩壊に向かう混乱のなかで、コルサコフは「ロシア人とは何か」と考えていた。

しかし、政府に反発するような意見を公にしたコルサコフは、王立音楽院を追放されてしまうのである。

人間とは素晴らしいもので、表現の自由が制限されたとき、(皮肉なことではあるが)表現力や表現方法は爆発的に拡大されるようである。

コルサコフも例にもれず、暗喩、寓話、歌劇という形で、人生最後にして最高の歌劇を書き上げる。

それこそが『金鶏』である。

さて、国民の不安をよそに、ドドン王はシュマハの女王を伴って帰国する。

ドドン王が結婚式を挙げようとすると、ドドン王に金鶏を献上した者が現れて、
「私が金鶏を王様に差し上げるときに、金鶏と引き換えに私の望みは何でも叶えるという約束をしましたね。
私はシュマハの女王を嫁にしたいと思います」
と言い出す。

それに起こったドドン王は彼を殺してしまうのだが、その時、金鶏が
「愚かな王様を葬るぞ」
とさけんで、ドドン王の頭をつつき殺してしまう。

そして、シュマハの女王は高笑いをしながら金鶏と共に消え去ってしまうのである。

ドドン王が治めていた国の本当の危機は、外国ではなく、約束を守れない「愚かな王様」に在ったのである。

しかし、王様よりも、もっと愚かなのは、国民だったのである。

金鶏に葬られしまったドドン王の葬儀で、国民は、

「あの王様は愚かだったかもしれないけれど、王様がいなくなったら、私たちは一体どうしたらいいのだろうか。
ああ、どんな愚かな人でもいいから、誰か私たちを導いてくれ」
と盛大に嘆きの歌をうたうのである。

......。

このようにどこか現代の日本や、今の世界の状況にも通じるような辛辣政治風刺を、コルサコフは流麗かつ緻密な音楽劇に仕立て上げた。

しかし、歌劇『金鶏』は上演禁止となり、その心理的ショックがコルサコフの死期を早めたといわれている。

帝政ロシア、ソ連時代にも長く上演禁止は続き、再演が果たされたのはソ連末期、1989年のことだった。

それほど、この芸術によるコルサコフの政治風刺は「学ぶべき教訓」に富み、それゆえに恐れられていたのであろう、と、私は思う。

ところで、
歌劇『金鶏』のなかで、
「本当の危機は外部ではなく、内部にある」という内容が強調されていたが、
2016年頃からよく言われるようになった「アメリカを再び偉大に」というスローガンも一見、国の内部を見ているようにみえて、
根本的な姿勢は、今起きている良くないことの原因をほぼすべて国の外部に求めているように、私は、思う。

多くのアメリカ人は、
自国のインフラ完備がずさんであるにもかかわらず、なぜ海外での戦争やインフラ事業に何十億ドルも費やすのか、
また、自国で困っている人々に目を向けないで、なぜ、他国の困っている人々を援助するプログラムを支援するのか、
さらに、なぜ他国が、貿易協定によってアメリカよりも優位に立っているように見えるのか、ということを不思議に思ってきていた。

そんなとき、トランプは、他国に対し、アメリカ大統領就任演説の中で
「今日、この日から、アメリカ・ファーストただひとつ。
アメリカ・ファースト」
と警告したのである。

色褪せたかにみえたアメリカンドリームに色が戻るかのようなことばに、トランプ支持者は、彼をアメリカの救世主だと見なしたのかもしれない。

トランプ支持者は、
トランプがアメリカを偉大にし、
トランプが外敵からアメリカ国民を守り、トランプが国内の敵をも一掃してくれる、とすら考えたのである。

これは民主主義において危険な煽動方法ではあるが、アメリカが味わっている屈辱にも、何も出来ない立法府の行き詰まった状況にもうんざりしている多くの人々の心に響いたのである。

ただ、どこかコルサコフの『金鶏』の国民の振る舞いと対比してしまう。
そして、歴史は繰り返されないまでも、「また」韻を踏むように私には思えてしまう。

確かに、大胆で単純な解決策を求める人々には、とりあえずトランプが光り輝く鎧兜を身につけた騎士に見えるのかもしれない。

しかし、民主主義を尊重しているとは言い難いその姿勢を恐れる人にとっては、歴史上にいた独裁者の手法に見えるのであろう。

トランプの「アメリカ・ファースト」というスローガンは、外国人嫌悪と人種差別主義という不快な過去の重荷を負っている。
(→たとえば、第二次世界大戦へのアメリカの参戦を阻止するために結成されたアメリカ・ファースト委員会を代表する最も有名な人物であるチャールズ・リンドバーグは、反ユダヤ主義で、ヒトラーとナチスドイツの崇拝者であった。)

また、現代の「アメリカ・ファースト」の本質は、アメリカの軍事と貿易における自国優先主義である。

自国優先主義は、国の歴史が浅かったジョージワシントンの時代であれば、合理的な考え方であったかもしれないが、
各国が緊密に関わり深く依存し合う社会では、きわめて自滅的な姿勢である。

コルサコフの歌劇『金鶏』の時代より、世界は複雑にそして密になった。

しかし、コルサコフの歌劇『金鶏』は指導者と国民にとって、根本的な「学ぶべき教訓」が、まだまだ秘められているように、私は、思うのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

昨日から3月ですね。
先月もとってもありがとうございました( ^_^)
今月もとってもよろしくお願いいたします。

今日も頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

*見出し画像は、やはり読んでいても数式だらけで、どのように民主主義を語ろうとしているのか、私には理解できない構成と説明の本です^_^;
私は、タイトルと帯に負けましたね......(T_T)
見開きに4個も数式がある以上にその解説が不明瞭でした。
丁寧な説明も出来ない本に、学生時代に出会わなくて良かった^_^;
出会っていたら、落ち込んでいました。


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