おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

『葬送行進曲』から始まった「新しいマーラー」-マーラー交響曲第5番を聴いて-

2024-09-10 07:35:28 | 日記
私たちは、ともすると華美で壮麗なヨーロッパ文化を思い描きがちであるが、それは皮相に過ぎないという面もある。

ひと皮むけばヨーロッパ文化は、「人間」ということばに必ず「やがて死すべき」という形容詞を付けることを忘れなかったギリシャ人に始まり、
中世の
「汝、死を忘れることなかれ(Memento Mori)」という標語や、モンテーニュの「エセー」に代表される死の省察、あるいは、土俗化したキリスト教の奇妙な殉教崇拝、というように、元々、死の影が蔓延しているものである。

例えば、ルネサンスの美術作品が端的に示すように、「美や若さ」といったものを、ほとんど熱病のように、ヨーロッパ人が求めてやまないのは、美術史家W・ペイターが指摘するように、
「若さや美」が、すぐに失われ、やがては、「死」に奪い去られることがわかっているから、である。

そのようにして辿り着いた19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパ世界は、頽廃と懶惰を極めていた。

画家たちは裸婦ばかり描き、ワイルドが耽美主義を標榜し、フロイトは人間の根源を性欲に求め、ニーチェが「神は死んだ」と叫び、ショーペンハウアーは「この世界は、私たちの心が勝手に作り出した幻影に過ぎない」と、説いていた。
......。

虚無感と刹那主義が社会を覆い、世界を収奪した者たちが、いよいよ戦争の準備を始めていた。

そして、小声ながらも「西洋の没落」が囁かれ始めていた。

このような背景のなかに、マーラーは、立っていた。

言ってみれば、もっも精鋭な形で、マーラーというひとりの人間の裡に、20世紀初頭の時代精神、すなわち、鬱と躁、葬送と祝祭、絶望と歓喜が宿っていたのである。

マーラーは、自らが、ヨーロッパの歴史の申し子であることを自覚し、死と頽廃と没落の瘴気を胸一杯に吸いこんでいたからこそ、自信を持って、
「やがて、私の時代が来る」
と言えたのであろう。

また、マーラーの妻であるアルマのマーラーの回想である『マーラーの思い出』が示すように、マーラーの少年時代もまた、死と苦悩に覆われていた。

マーラーという作曲家が交響曲を「葬送行進曲」で始めることは、何ら不思議ではないのである。

実際、第1交響曲の第3楽章に「葬送行進曲」を置いており、第2交響曲「復活」では、第1楽章が「葬送行進曲」で始まるのである。

言ってみれば、「葬送」というイメージは、マーラーにとっては、非常に近しい、ごく当たり前の素材であったのである。

さて、今回は、マーラーの交響曲のなかでも、交響曲第5番についてみてゆきたい。

アルマ・マーラーは、かつてインタビューで
「第5交響曲で、新しいマーラーが始まります。
ここで初めて、マーラーの自我と世界との激しい戦いが起こるのです。
......これまでとまったく違うやり方で、この世の因果律に立ち向かうのです。
彼はもはや悲しまず、嘆いたりせず、立ち向かおうとするのです。
この曲は、空想ではなく、現実そのものなのです」
と述べている。

マーラーの交響曲第5番は5つの楽章から成っているが、これは大きく3部に分割されている。

第1・第2楽章が、第1部、第3楽章が第2部、第4・第5楽章が第3部となっており、各部ごとの旋律的、素材的な意味での関連は稀薄である。

このことを以て「マーラーの精神分裂状態がよくわかる」などという向きもあるようだが、ここでは、異なった視点での展開図を描いてみたいと思う。

マーラーの第5交響曲では、ベートーヴェンの第5交響曲、つまり、過酷な運命とそれに対する勝利というテーマとの親近性もあり、事実、運命の動機が引用されている楽章もあるが、
ベートーヴェンよりも、もっと個人的な、内面的な要素が扱われているのである。

簡単に言ってしまえば、絶望、もしくはニヒリズムという、死に至る病に侵された人間が、苦悩を経て、やがて、マーラー自身が私生活上でも手に入れた幸福、つまりアルマとの愛によって回復して、ついには生を謳歌するに至る、というドラマなのである。

先のアルマ・マーラーのインタビューのなかの
「第5交響曲で新しいマーラーが始まります」
ということばは、そのことを指しているといっても過言ではないだろう。

マーラーの第5交響曲の第1楽章は、トランペットの凛烈なファンファーレで始まる葬送行進曲である。

葬送行進曲ではあるが、特定の誰かの葬列が考えられているわけでもなく、極端に言えば、私たちの生そのものが、葬送の行進である。

人生は緩慢な死であり、私たちは常に死に歩み寄っている。

だからこそ、それに抵抗を試みたり、やがてはやって来る死に怯え、嘆いたりもする。

しかし、葬列は静かに、しかし、確かに進んでゆくのである。

第2楽章では、音楽は荒れ狂うようである。
確かに
「私たちの生が、結局、死によって終わるのならば、私たちが人生で味わった労苦や苦悩は何のためだろうか」という思いにひとたび囚われると、人は虚無感に襲われるものである。

逃れることが出来ず、全能ともいえる死の猛威が荒れ狂う中で、私たちは、非力で在る。

ペストが猛威をふるった中世ヨーロッパの絵画では、「死の舞踏」というテーマが好まれた。

農夫たちが楽しそうに踊り、王侯貴族がご馳走を楽しそうに食べている、まさにその中に、骸骨が踊ったり、ご馳走を食べていたり、という絵画である。

この上ない喜びの最中にも、死はすぐ隣に待ち構え、私たちを捕らえようとしている、ということを示すものであるが、第3楽章は、まさしく「死の舞踏」であると言えよう。

また、マーラー独特のイメージを想起するならば、彼が未完の第10交響曲の第3楽章に予定していた「煉獄」ということばを当てはめることも出来るかもしれない。
煉獄では、この世の苦しみが生み出される側から焼き尽くされ、滅ぼされるのだから。

実際、第5交響曲についてマーラーは、
「次の瞬間には破滅する運命の世界を絶えず新たに生み出す混沌」
と語っていたようである。
......。

第4楽章は、弦楽とハープのみで演奏される。

この曲は、妻アルマへの愛の告白であるとする説が多いが、この曲の最初の清書がアルマによって行われたことを思い起こす戸、あながち否定は出来ないであろう。

ちなみに、この第4楽章が、ヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」で用いられたことはあまりに有名である。

第5楽章は、第4楽章と連続しており、ホルンの伸びやかな音で始まり、全体を通して溌剌として、喜びに満ちている。

暗い夜の闇の中に、朝の光が差し込むように始まり、今や苦悩と不安と懐疑の夜は去り、日輪は赫奕と昇り、世界は喜びに包まれるかのようである。

この最終楽章は、
「世界は輝きに満ちている」
と、マーラーが自身に言い聞かせるかのように、力強く、断定的に「勝利と喜び」のフィナーレを迎えるようにして終わる。

(→ただし、マーラー自身が、そのような結論に疑いを抱き、交響曲第6番を「悲劇的」と名付け、そこで「運命に挑む英雄がついに力尽きて息絶える様子」を描くのであるが、その話は、次回行こうにしておこうと思う。)

マーラーが、死の間際まで、「第5交響曲」の改訂を行っていたという事実は、重要である。

「結局は、死によって終わる生に、一体何の意味があるのか」
という、マーラー自身が、第2交響曲、後には交響曲「大地の歌」などで対峙した虚無的問いかけに、マーラーは、「第5交響曲」によって、
「生には意味があるのだ」
と決然と答え、また信じようとしている。

そして、彼は、その後の人生で、自分の出発点を確認するかのように、改訂という作業を通じて、その度に、「第5交響曲」に立ち返ってきていたのである。

最後の改訂は、1911年であり、ちょうど「交響曲第10番」を作曲していたときである。

残念ながら「交響曲第10番」は未完で残されているが、私たちは、その遺稿の最終楽章のなかに、第5交響曲第4楽章の引用を聞くことが出来るであろう。

まるで、マーラーが
「死は勝利を収めるであろうが、私の音楽のなかで、あなたへの愛は永遠に生き続けるのだ」
と言っているようである。

マーラーの第5交響曲を聴きながら、
「汝死を忘れることなかれ(Memento Mori)」という死の影が蔓延した社会を象徴することばがある一方、そのような社会のなかで「今を生きる(Carpe Diem )」ということばもあったことを、想い起こしたいと思った。

ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。

週末に、日仏哲学会に行くため、南大沢に行って参りました( ^_^)

見出し画像は、会場に行く途中の風景です。

学会では、自分の未熟さを思い知るとともに、勉強になり、楽しく参加させていただきました。

質問をして、バカであることがかなりの勢いでバレましたが、これから頑張って勉強していきたく、気持ちを新たにいたしました(*^^*)


まだまだ、暑い日が続きますね。

体調管理に気をつけたいですね( ^_^)

今日も頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。


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