おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

Re:選択肢を残してくれないか??

2023-09-09 00:13:00 | 日記
先日、
スーパーのセルフレジから、
店員と客の会話が聞こえてきた。
驚いて、その方角を向いてみたところ、
障がいある方が店員さんとセルフレジから買い物をしていたのだと解った。

「セルフレジの方が楽」

というのは思い込みだと、
私は、思う。

どうも、エラーやバーコードの読み取り忘れはないかと、
買い物の最後に気を張る。

買い物カゴを置いて店員さんにお任せしたくなるのである。

まだ、増えているとはいってもセルフレジは強制ではない、
が、
マイナ保険証に代表されるデジタル化ありきの政策となると、話は別である。

「誰も取り残さない」

と言いつつ、
紙の保険証を取り上げたり、
しているのでほぼ強制ではないか。

障がい者はどうする?

お年寄りはどうする?

病人はどうしたらいい?

皆がデジタル化により受ける利益が、
不利益を上回るわけはないのだ。

個人差があるのだから。

それぞれ背景があるのだから。

それぞれ生き方があるのだから。




描きながら、ロボトミー(やそれに付随する電気けいれん療法)の盛衰を想い起していた。

ロボトミーがある意味絶対だった悲哀を描いた

「カッコーの巣の上で」

ロボトミーの残酷さを社会に知らしめる症例(フリーマンが糾弾される症例)と筆者自らがなりながら、
その体験について描いた「僕の脳を返して」を挙げるだけで、

危険をはらみつつたたえられ、
実行された事柄たちの盛衰、
功罪、
そして後先(いまからこれから)を考えるに十分であろう。

ちなみに私は、「カッコーの巣の上で」、
ではなく「カッコーの巣を越えて」と訳したいカッコーの巣≒精神病院(精神病棟)の暗喩を“over”≒越えて、と。








「カッコーの巣の上で」より→→







ここまで読んでくださりありがとうございます。やはり、私は、「カッコーの巣の上で」、ではなく「カッコーの巣を越えて」と訳したいカッコーの巣≒精神病院(精神病棟)の暗喩を“over”≒越えて、と、希望を込めて訳したいです。暑い日が続きますが、お互い気をつけていきましょう。では、また、次回。


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